「な……ッ!?」
驚愕していたのは安田も同じだろう。
ネレは相手の動きが硬直したその隙を突き、力任せに剣を振るって弾き飛ばす。
「シーラ。大丈夫?」
視線を安田から外さぬまま、肩越しに問いかけると、力ない声が返って来る。
「来て、くれたのか……氷澄……」
「私の声、届いてる? 大丈夫かどうか聞いてるんだけど」
「あ、ああ……。多分……」
嘘だ。深手を負っている。それほど濃厚な血臭なのだ。
シーラをこんな目に遭わせた敵――安田を睨めつける。
「なんで……生きてやがんだッ! 第一っ、ドライグの炎で焼け死んだって話だろ!?」
「焼かれたよ。でも……」
伊予原が、助けてくれた。すぐに病院へ運んでくれたから、一命をとりとめたのだ。
「あなた達の目的は察しがついてた。だから病室、こっそり抜け出して来たんだ」
本来であれば、すぐに加勢へ駆けつける予定だった。
ところが、敵の一味である老婆に校庭で足止めされ、到着が遅れてしまった。
「無茶をする……そんな身を押してまで」
シーラはネレの首や肩、四肢に分厚く巻かれた包帯を、痛ましい目で見つめる。
「答えが、出たから」
「答え……?」
「以前、ノクターンに聞かれたんだ。どうして六不思議に助勢したのか、って」
尋ねたノクターン自身は、冗談だからとすぐに引っ込めた。
それでもネレは、考え続けていた。そしてようやく、納得できる回答を導き出したのだ。
「あなた達は、聖地を守る役目以上に……きっとお互いを、強く思い合っている」
それこそネレが姉を慕うように、家族みたいに。
「それは凄く尊くて、得難いものと思えたんだ。そういう気持ちを、失わせたくなかった」
今回も、躊躇いはあった。でも最終的に足を動かした一押しは、その答えだったのだ。
「生真面目で……無茶な奴だ……」
「真面目で無茶なのはそっちもでしょ。いつもは私に、無謀な戦い方をするなとか、小言を言うくせに」
「いや、その、別に、私はな……」
「傷に障るから、動かないで見てて」
ネレは血剣の切っ先を、安田へ向けた。
「この人は、私が倒す」
「俺を倒す……倒すだと!? ハハ……ヒャハハ!」
「よせ、氷澄……手負いのお前にかなう相手では」
「死にぞこないがぁ――なめんじゃねーぞッ!!」
シーラの制止を怒号で潰し、安田がつっかけてくる。
ネレも踏み出し、血剣を袈裟懸けに切り払って迎え撃つ。
激突する水の刃。重い衝撃が腕を痺れさせるが、剣は壊れない。――やれる。戦える。
逆の血剣を突き入れる。安田も半身を逸らしながらもう一振りの水剣で受け、逸らした。
「なんでこんな事をするの。お金のためだからと、なんでもしていい訳じゃないよ……!」
「くだらねぇんだよそんな話は! 幽霊なんぞにゃ何の権利も可能性もねぇ! 奪われるだけだ……俺達生者になぁ!」
「あなたが剣を振るっている相手は! 私にとっては幽霊じゃない!」
異なる世界の住人。すれ違う意見。分かり合えない気持ち。――最初はそう思っていた。
でも、今は違う。時には激しくぶつかり合う中で、少しずつ心を通わせ続けた。
立場を理解し、境遇を共感し、折り合いをつけて。気構えずとも話せる、そんな関係に。
「だって、私の……友達だから! ひどい事をするのは、許せないッ!」
「氷、澄……お前……」
へへへ、と安田は肩を震わせて笑う。
「なら最初ッからからそう言えよ。くだらねぇ御託並べるよりそっちの方が分かりやすい――つまりはてめぇも幽霊ってワケだ! 一緒にあの世へ送ってやるよ!」
安田が放つ横薙ぎを、剣を十字に重ねて防ぎ止める。
「もういいよ。私も分かった」
良心の呵責も何も感じられない安田の言葉を、けれどネレは聞く必要があったのだ。
「あなた達がどういう連中なのか、それを知らないといけなかったから」
聞くべき事は聞いた。言いたい事は言った。
「本気で叩き潰していい、相手なのかどうかを――ね」
「チッ、こいつ……素人じゃねぇ!」
ネレが交差させた剣を開くように払えば、安田はたたらを踏み、後退を余儀なくされる。
「クソがぁ……! 万全な状態なら、こんな出来損ないのガキ一匹ぃ……!」
両側から挟み込むように迫る二剣を、ネレもそれぞれの血剣で受け止める。
ぎちぎちと刃同士が噛み合い、削り合い。互いの足が床を強くこする、鍔迫り合い。
「殺してやるよ……殺されたくなきゃ殺してみやがれぇ! 『イリュージョン』ッ!」
ここで安田はさらに魔力を注ぎ込み、ほぼ密着した体勢から水の分身を一体生み出す。
ただし魔力が残り少ないのか、今度の分身は上半身しかなく、半ば安田の身体から生えたような有様で、握る得物も剣一本のみだ。
分身が横合いから突き込んで来る剣を、ネレは顔だけを動かして見据える。
「殺さないけど……壊してあげるよ」
水剣がネレの頭を貫く感触を、安田は視線を外した体勢ながらも感じ取った。
「肉、ぶっすりイったなぁオイ……! 手応えありだ、雑魚がッ!」
勝利宣言を上げた安田だったが、途端、分身の剣が押し引きできなくなり、異変を悟る。
「な、んだとぉ……っ?」
なんとネレは、差し込まれる剣先へ噛みつき、歯と歯の間で止めていたのだった。
だが、剣自体は深々と口腔まで刺さって頬から斜めに飛び出しており、裂けた頬肉や校内粘膜、歯茎からみるみる出血が始まる。
「ざ、ざまぁねぇな! 口ん中がズタズタでぇ! たぁっぷり、血、が――?」
サングラスの奥で、安田が戦慄に青ざめる。
ネレは歯から生やした血の牙を、水の刃へ強く突き刺し、食い破る。
接触面から隙間へかけ、ダラダラと入り込んだ血が、内部の水へ煙のように混じり込み。
図抜けたスピードで刀身から柄部分へ駆け上がるや、分身の体内へ侵入。
「な……何イィィィイッ!?」
瞬間。膨張した分身が破裂するとともに、四方八方へ硬化したネレの血液が飛び出す。
直前にネレから離れ、分身も解除した安田だが、一手遅い。
「があぁっ、あぁ……!」
飛び散った大量の血棘に傷つけられ、さしもの安田も悲鳴を上げた。
「まだ終わらないよ」
ひゅー、ひゅー、と頬に開いた穴から呼吸音を響かせながら、ネレは左手の血剣を解除し、素手で中空の血液へ触れる。
ネレの意思を伝えれば、飛散していた血液は、わずかな接触部同士で瞬く間に吸い付き合い、溶け合い――安田の胴体からネレの手を一本で繋ぐ、血のロープへ変化する。
「捕まえた」
ロープを思い切り引き込み、側まで引き寄せ。
その鼻っ柱めがけ、渾身の頭突きを浴びせる。
鼻骨が砕け、サングラスが割れ、安田は鼻血を噴射しながら吹っ飛んでいく。
血のロープは乾燥し、砕けてしまったものの――ネレは唇から垂れる血を舌で舐め取り。
「液体なら、血も通りやすいから。……私達の相性、とっても良いみたいだね」
即座に左手の血剣を復活させるため、血流を操作。
が――血の動きはぎこちなく、思うように言う事を聞かない。
「……あれ?」
試みる度、手に開けた接続用の穴から鮮血がこぼれ出て、床を汚すだけだ。
四苦八苦しているうちに、右の剣も溶けだすように形を崩し、やがて解除されてしまう。
「目が……ふらふらする」
視界がぼやけ、ぐらつく。思考がうまく回らない。――貧血の症状だった。
ただでさえダメージの残っている身を酷使し、血も使い過ぎた。これ以上は命に関わる。
「ダメ……まだ、敵、残ってるのに……」
限界なのだ。立っている事さえできなくなり、膝が折れ、床に手を突く。
倒したかに思われた安田が、よろめきながら立ち上がってくる。
生み出した水が取った形状は、一丁のボウガン。
『イリュージョン』が作り出せるのは何も、分身だけではない。
水剣を代表として、簡易的な構造に限るが高威力の武器も作成可能なのだ。
「こ……殺して、やるぞ……!」
絞り出すような殺意の叫び。放たれた矢が廊下を直進し、ネレの脛を貫き床ごと穿つ。
「どうだぁ……ヒャハハハ! もう今までみてぇに……動けねぇだろッ!」
今までと性質が異なるのか、掴もうと触れる度に液状化し、手がすり抜けてしまう。
「次は頭ブチ抜いてやるよ……クソがあぁぁぁ!」
二発目を装填。ボウガンの狙いが、足を縫い留められて動けないネレの頭部へ向く。
その時、角を曲がって突き当たりから現れたイツハが、安田の後方から突進した。
「うあああぁーっ!」
自らを鼓舞するような叫びを張り上げ、車椅子を持ち上げて片輪だけで走行し、もう片輪で強烈なキックを見舞う。
安田は突然の事態に反応が遅れ、満身込めた車輪の蹴りが、その背中へ衝突。
発射された矢は寸前で狙いがぶれ、窓辺から裏門側へ突き抜けていく。
「ガキャア……余計な邪魔を!」
反動でよろめくイツハを、安田が腕を振るって叩き飛ばす。
「うっ……!」
車椅子から吹き飛んだイツハは壁へ打ち付けられ、ぐったりと倒れ伏した。
「イツハ――ッ!」
ネレは爆発した。脳の引き金を感情がぶっ叩き、体内で操作された血液が超加速する。
頭頂部へ到達した血が髪を根本から侵蝕し、塗り替えるかの如く紅く染めゆく。
浸透した血液が毛髪内の神経系と結合し、腰へ届くほどの長さへと伸ばした。
異様な変貌を食い入るように見つめる安田の前で、ネレはマントのように髪を揺らし、前髪の合間からゆらりと覗く眼光で、真っ向から射貫く。
「て、テメェ……なんだその姿はァ……!?」
続けざまに血髪の束を集め、足に刺さった水矢へ差し込む。
さながら輸血ケーブルのように、先端部からありったけの血液を注ぎ込んだ。
即座に朱に染まった矢は、急激に質量を増大させ――限界に達し、内側から破裂。
「く、クソが……単なるこけおどしに決まってる!」
立ち上がるネレへ狙い定め、新たな水矢が空気を裂いて撃ち出される。
ネレは無事な方のもう片脚へ満身の力を込め、一息に床を蹴って飛び出す。
同時に血髪を前方へ集め、その上に乗る形で体を覆い込ませた。
するとどうだろう。血液でコーティングされた髪の束は赤くぬめる血糊を床上へ残しながら、疾駆とそう変わらないスピードで安田めがけて滑走を開始したのである。
「ば、馬鹿な……早い!? あ……当たらねぇ……ッ!」
重心を傾ける事で速度や角度を調整。
床のみならず壁や天井までを滑り、三次元的な螺旋軌道を描いて狙いをつけさせない。
「俺が、この俺が負けるかああぁ――ッ!!」
絶叫とともに安田の目が血走り、残る魔力を全て消費。
もう一丁のボウガンを生み出し、今度は二発の水矢が弾き出される。
執念がなせる業だろう。その一発がついに、ネレを捕らえた。
途端、血髪の一房が鞭を振ったみたいに一斉に飛び出す。
しなやかさと弾力を兼ねた毛先が殺到して矢を絡め取り、投網よろしく奥へ誘う。
矢の速度に合わせ、絡みつく髪の一本一本が精密に蠢く。
ねじり、包み、硬度を変化させ――弾道の矛先をずらした。
結果として矢はネレの肉体に着弾する事なく、血髪が部分的に用意した穴から飛び出し、廊下の天井を斜めに削り進むにとどめたのである。
「な、なんだよ、そりゃあ……! や、やめろ、バケモノ! 来るなぁぁぁ――っ!」
眼前へ舞い降りるネレに対し、安田は後退して逃げようとする。
その痩身を、ネレは前方へ大きく伸ばした大量の血髪でもって捕らえ。
咆哮を轟かせながら片脚で床を踏み砕き、上体ごと頭を振り、浮かせた安田をぶん回す。
そうしてトドメとばかり、横合いの教室へ向けて、激烈に叩き込んだ――。
ぐちゃぐちゃに積み上がり、王座みたいな様相を呈している椅子や机の塊の中心で、安田はひっくり返り――目と口を見開いた恐怖の形相で泡を吹き、完全に昏倒している。
「具合は……どう?」
ネレは足を引きずり、横たわるシーラへ回復魔法をかけているイツハへ歩み寄った。
「とりあえず……命に別状はない所まで、もってきたわ。少し寝たら、意識も戻るはず」
イツハはへなへなと壁へもたれかかり、疲れ切った目でネレを見上げてくる。
「そっか……良かった。イツハも早く、自分を治してあげて……」
「……いえ、それは駄目。あなたの回復が先よ」
イツハは眼差しを厳しくし、戸惑うネレの手を掴み、強引に魔法で傷を治癒させ始める。
「ど、どうして……? イツハだって、傷だらけなのに……」
「優先順位、よ。……あんたに使った方が、きっと生き残れる確率は高い」
「イツハ……」
「……ありがとね、助けに来てくれて。前回も、今回も……とんだ借りを作っちゃったわ」
そんなの、とかぶりを振るネレへ、イツハは表情を緩め、優しげに微笑みかけた。
「だから……無理ついでに、もう一つ、頼まれて欲しいの」
柔らかな熱が伝わり、刺し傷や裂傷、いまだ身を蝕む火傷が、緩やかに塞がってゆく。
お願い、とイツハは何かの糸が切れたみたいな、眠たげな眼と声音で続けた。
「あの子を……ノクターンを……」
魔力も尽きかけているのだろう。薄れゆく意識と一緒に、繋いだ手から力が抜けていく。
「……助けてあげて」