ナイフが閃く。血飛沫が上がる。ナイフが穿つ。血が飛沫く。
「ぐおぉぉっ……! こ、小娘、がァ……!」
ノクターンの攻めは神速にして間断なく怒涛。流麗でありながら苛烈を極めた。
肉薄し、ナイフを振るい、ドライグの血肉を少しずつ削ぎ落とす。
狙い目は、守りが薄い甲冑のつなぎ目。これまでの戦闘で負った幾多の傷。
へこみやくぼみ、裂け目を逃さず、幾度も切りつけ、突き、小さな穴をこじ開ける。
開いた穴へ器用に切っ先を滑り込ませ、中の肉をほじくる。抉る。かきだす。盗む。
血だるま。甲冑を纏っているにも関わらず、無数につけられた傷穴から絶え間なく出血して、緑に塗装された光沢を赤く濡らしていた。
対してノクターンの身は綺麗なもの。ほんの数滴さえ返り血を浴びないその様が、解体技術の精妙さを物語っている。
ドライグが吠え、左腕をやみくもに振り回す。
されどもノクターンは落ち着いてやり過ごした後、飛びのいて相手に深追いさせ、その隙を突いて再び特攻をかける。空間に漂う血臭は果てしなく広がり、濃さを増す。
機械的ですらある一連の繰り返しで、ドライグは体力的、精神的に着実に消耗していた。
何せ、攻撃は一発も当たらないのに、ノクターンの攻撃はあらゆる方向から浴びせかかり、ろくな対応もかなわず押されているのである。
傍から見れば、戦いは一方的な展開に思えたものの――ノクターンに余裕はなかった。
(陽の憑光とともに受け取った魔力で、シャドウは問題なく稼働させられる。だが……)
終わりかけているのは体力の方である。息が切れ、足先が震え、汗が止まらず。
ゴーストスレイヤーズの侵入からこちら、四時間強も相手をし続けたのだ。あくまで肉体は単なる少女のものに過ぎないゆえに、そろそろ無理が利かなくなっている。
「次で、決める……」
ぼそりと呟き――シャドウを発動。
一足飛びにドライグとの間合いを詰めるや、連続したナイフの乱撃を放った。
「み、見えん……速すぎるッ……!!」
残像を残すほどの速度に、ドライグは早々に見切るのを諦め、防御態勢へ入った。
多量の出血を許しているとはいえ、鎧も籠手もいまだ健在。
正面からの攻勢では、絶対に、この耐久力は破れないと確信しているのである。
それは事実であり、ノクターンは何度もナイフを叩きつけるが、籠手はびくともしない。
「何十発入れようが、そんなちゃちなオモチャではこの伝説の武具は壊れん!」
そう。いかに手数に自信はあろうと、その程度では絶対に破れない。
「いくらでも打って来るがよいわァ!! 手が止まった時が、貴様の最期だあぁぁッ!」
ナイフが煌めき、籠手へ襲い掛かる。かち合う衝撃。飛散する火花。
四合、六合、八合、十合。――十二合、十四合、十六合、十八合。二十合。
合数が三十を超えたあたりで、尋常ならざる異変を覚えて冷や汗が伝う。
――こいつ、一体何発撃つつもりだ?
「な、なんだ……? なぜ止まらん……? とうに体力は限界を迎えているはず……ッ」
手数を強みとする者は、どこかの時点で必ず息継ぎを挟まなくてはならない。
その間隙こそ、辛抱して耐え続けた防御側が、反攻へ切り返せる好機というのに。
いつまでも終わらぬ猛攻に、じわじわと踵が下がる。
押される。捌ききれない。守りをこじ開けられる。
「何が、起きて――!?」
そこでようやく、気が付く。
ナイフが振るわれる度、刻まれる残像の間から、さらに新たな斬撃が発生しているのだ。
影の刃。陽の憑光に耐えられるよう、キョータから与えられた魔力は、ノクターンのシャドウをも著しく強化し、このような芸当を可能とさせていた。
「これでは……量が増える一方ではないか……!」
絶望的な計算式に、ドライグは狼狽える。もはや防御は無意味。いずれ破られる。
「こうなれば……押し通る他はなし!」
決断。相打ち覚悟で全力の一撃を用い、葬る。あえての苦肉の策を選び取った。
――その一連の思考すら、ノクターンに操作された結果とは知らずに。
「これが我が全力! 受けよおおおおぉッ!!」
ドライグは天高く左腕を振りかぶり、炎を纏わせた竜の顎を、渾身の力で振り下ろす。
対するノクターンもまた、口で包帯を噛み外していた。
宙を舞う包帯。解放された漆黒の無が、獣じみたうなりを思わせる激しさで溢れ出る。
ただ無を引き出した所で、警戒されてしまえば命中させるのは難しい。
よって怒涛の攻めを見せ、大振りの攻撃を誘う布石とした。
敵にワンアクションを消費させてのカウンター。それすなわち必中必殺へ昇華される。
「――こっちが本命だと!?」
無は全てを消し去る。単純な攻撃力で言えば、全ての魔法の中でも頂点の域だった。
「こんな屈辱……こ、この俺が、こんなところでぇッ!」
すでに振り抜いた一撃を引き戻そうが、回避は間に合わない。
ノクターンの右腕に宿る無は、ドライグを喰らい尽くし、世界から抹消するだろう。
射程圏内へ捉えたノクターンは、最後の一歩を詰めようとして。
足が痙攣し、踏み出せなかった。振り抜いた右腕が、空ぶった。
――がくりと、電源が切れたみたいに、片膝を突く。
「……我も、詰めが甘い」
退廃的な、自嘲の笑みが浮かぶ。
最後の最期で、体力が底をついた。後一撃が、届かなかった。
直後。
ドライグの殴打が、ノクターンへ着弾し。
その小さな体躯を、軽々と吹き飛ばした。
はじめは敗北を前に、動揺していたドライグであったが――地に伏せたノクターンを改めて観察し、次第に両の口の端が吊り上がる。
「グハ……ハハハハ! 愚かな! やはり所詮はガキだったか! 今の攻撃が当たっていれば、勝てていたものをなぁ!」
歪みきった笑みを満面に浮かべ、ぐったりと動かないノクターンを片足で蹴り上げる。
「ぐっ、うぅ……!」
四肢に力が入らず、身を守る事すらできない。
それどころか、むきだしになった無が徐々に腕を喰らい、肩口まで侵蝕を始めていた。
「俺は約束したはずだ。貴様が苦しみ抜き、その五体が砕け散るまで、いたぶってやるとなぁ! グハハハハハ!」
蹴る。蹴る。蹴る。ノクターンの頭を、首を、胴体を。
「生者を愚弄した罪を、その身であがなうがいい! アアアァァァアアッ!!」
ドライグはノクターンの肩へどっかりと足を乗せ、靴底が肉を神経を骨を踏みつぶす心地の良い感触に浸るようにしながら、踏みにじる。
「認めよ! 刻み込め! 勝者は……勝者はこの三つ首ドライグである事を! 苦痛と悲鳴のファンファーレで彩るのだ! グハハハ――ッ!!」
勢いよく蹴り出され、仰向けになって転がり、ノクターンの視界に空が移る。
このままトドメを刺されるか、無に喰い尽くされるか。
いずれにせよ、ノクターンはここで終わるだろう。
大勢の人々を死に追いやっておきながら、勝利するという最低限の責務すら果たせず。
(済まない……キョータ。みんな)
月を過ぎる雲の切れ間に、六不思議達の顔が走馬灯のように浮かんでは消えて。
(我は……負けた)
――ノクターンお姉ちゃんは、負けてないよ。
弱った心が生んだ、幻聴か。耳元で、キョータの声が聞こえた気がした。
「キョー……タ……?」
――もうすぐ、来るから。来てくれるから。
誰が、と問い返す前に。
静かで、低くて、抑揚に乏しい、平坦な。
けれどドライグを狂笑を断ち割る何かをたたえた声が、その場に響いた。
「――何を、してるの」