何かを懸けた勝負では、必ず勝者と敗者が生まれる。
どんな戦いにせよ、機会は一回こっきり。一度甲乙が決まってしまえば、何をしても覆らない。敗北を糧にすると言えば聞こえはいいが、そんなに単純な話じゃない。
負けた分を取り戻すには、負けた以上に価値のある勝利を得なければいけない。
勝者とて、勝てば勝つほど、勝った分を失いがたく思い始める――他全てを捨ててでも。
どちらに転んでも誰かが傷つく、生きる上でとても重要で、とても残酷なものだ。
それでも戦わなければいけない時なんて、世の中にはいくらでもあって。
(なら私は……自分の人生のこれから全部を決めるための、一つ一つの勝負を――とても大切なものとして考えよう)
家族のように神聖なものとして、捉えよう。
そして勝負に挑む以上は、必ず勝つ。
どんなに難しい戦いでも、勝つ意気で行く。
――ネレが駆け付けた時には、ノクターンは呼吸もか細く、弱々しく地に伏せていた。
目を覆いたくなる有様だ。顔は腫れ上がり、左腕はあらぬ方を向いて、身体のあちこちから血を流している。
何より、腕にまとわりつく奇怪な黒い何かが広がり、右半身を蝕み覆っていた。
「ノクターン……!」
ネレが呼びかけても、反応はない。
代わりに、耳障りな馬鹿笑いを上げたのは、ドライグとかいうもう一人の男。
「ふん。生きていたとは。悪運の強さを褒めてやりたい所だが――これでも忙しくてな!」
ドライグが竜の顎を開き、ノクターンめがけてやおらに炎弾を放つ。
ネレはとっさに地面を蹴り、生成した血剣を振るって、飛来する炎弾を叩き斬った。
ノクターンへ着弾する直前で分割された炎弾は、左右へ散って炸裂。
闇の帳が降りた周囲を、束の間明るくするほどの火炎を噴き上げる。
「ほう! 死にぞこないの割に、中々やるなぁ? まだまだ楽しませてもらえそうだァ!」
ネレはもう一度、ノクターンを振り返った。
かすかに、片目だけを向けるノクターン。乾いた唇を動かすも、声はよく聞こえない。
「グハハハ! そこを動くなよ? 二人まとめて、地獄へ送ってくれるわ!」
ネレの奥底で。落ち着こうと懸命に抑えつけていた何かが。
瞬間、ぷつりと切れる。
腹の底からの咆哮が夜気をつんざいて、細胞という細胞から沸騰する血が生み出される。
脳天までを貫く高熱が血流の噴火を巻き起こし、深紅に染まった髪が背中へ流れた。
急加速した血液を流し込み、下肢の筋肉を膨張。靴が埋まるほど踏ん張りを利かす。
そのまま近くにあったゴールポストへ髪を巻き付かせて持ち上げ、勢いよく投げ込んだ。
「何イィ――ッ!?」
ドライグは籠手を大振りに薙ぎ、轟音とともに弾き飛ばした。その間にネレは踏み出す。
「……ねえ。勝負しようよ」
振り抜いた反動と腰のバネを利用して疾駆し、瞬きの間にドライグの目前まで肉薄。
「勝つのは私。――負けるのはあなた」
湧き上がる激情のまま、技も何もなく大上段から血剣を叩きつけた。
「ぬうぅぅっ……! なんという重さ……!」
ドライグは籠手を横に傾けて防護するも、凄絶なまでの一打はその巨体を下がらせる。
「……この場にはもう、俺と貴様以外に、戦える者は残っておらんのだろう!」
ドライグは籠手を構え直し、無言で佇むネレを睨み据えた。
「これが最後の戦いであるならば、改めて名乗ろう! 俺は三つ首ドライグ! 竜王ハイドラが従えし九頭竜将の顎を操りし、最強の駆除人!」
「……」
「喜べ! これまでの健闘を讃え、貴様の首も、俺のコレクションに加えてくれるわ!」
「……私は氷澄ネレ。吸血鬼」
ネレは血剣に変えていない方の手を自身の胸に当て、同じように返す。
「六不思議を守る、七番目の怪異にして同盟者……」
ドライグのように、敵を貶めて自らの威を誇示するためではない。
「――七不思議少女だ」
六不思議の恐怖を、骨の髄まで刻み込むために名乗ったのだ。
飛ぶように駆ける。双方の距離がゼロになると同時。
ネレは両手に作り出した血剣を、ドライグは左腕にのみ残った籠手を振るう。
息つく間もなく、一心不乱に打ち合い、交わされる幾多の剣戟。
どちらも小細工を弄するほど体力に余裕はなく、ただ力と技で上回った方が勝利を手にするという、至極シンプルな、それでいて全てを懸けた決闘だった。
こちらを見下ろす巨躯と、轟かんばかりに振るわれる破壊的腕力。
ともすれば簡単に押し切られてしまいかねない相手に、ネレはフットワークを活かして執拗に纏わりつき、食い下がり続けた。
「存外に食い下がるではないか……!」
ドライグは自身の籠手や鎧に、数えきれないほどの傷をこしらえている。
それでも余裕が残っているのか、大口を開けて大笑しながら。
「だがさっきの奴ほどではないなぁ……! グハハハハ!!」
――次第にネレの攻撃は、まともに当たらなくなってきた。
ノクターンと比べ、決定的に実戦経験が乏しいのだ。
「それなりに位の高い吸血鬼なのだろうが、悲しいかな! 手術のせいで力をまったく発揮できていまい!」
今ネレが張り合えているのは、ドライグがノクターンと長時間交戦し、大きく消耗しているからに過ぎない。
「願わくば、本来の実力の貴様を屈服させてやりたかったぞ! グハハハハ!」
手こずらせる事こそできているが、勝利を手にするのは難しいだろう。
でも。
「それが……どうした……!」
ネレはもう決めていた。なにがなんでも、この敵を打ち倒すと。
コンクリート程度なら容易に砕くほどのパンチが、ネレのこめかみを打ち抜く。
直前に血髪で覆い、守りを固めたが、毛髪もろともちぎられ、吹き飛ばされた。
「グハハハアァッ! イイのが入ったぁ! もう形勢逆転だなぁぁ!」
殴られた側の音が聞こえなかった。鼓膜が破れている。裂けた頭皮から流れる鮮血が片目を濡らす。鼻血も止まらない。脳が揺らされたためか、視界は左右にブレ続けていた。
よろめいて跳ね起きると、ドライグは後ずさり、見るからに狼狽えた様相だ。
「まだ来るというか……!? 恐怖を感じておらんのか!? 死が恐ろしくないのか!?」
ネレは餌を見つけた獣の如く、浅い呼気を繰り返し、ひたすらに向かっていく。
「さっきの奴より、力では劣るはず! だ、だが……この不吉な、底知れぬ気配は一体!」
ドライグが迎撃しようとして――突然その動きがぎこちないものに。
「ぐうぅぅ! 髪が、絡まる……!?」
殴られる寸前、ドライグの鎧の関節部や傷穴へ、毛髪の一部を巻きつけておいた。
ほどこうともがくドライグへ、ネレは交差させた血剣を、唐竹割りに叩き込む。
掲げられた籠手に阻まれ、その硬度の前に、血剣は氷が割れるような音を残して砕けた。
けれど同時に、籠手の側も限界だったのだろう。
舞い散る血剣の破片に紛れ、その大部分が爆砕し、ドライグにたたらを踏ませる。
「き――貴様ああぁぁぁぁッ!!」
破損した籠手を目の当たりにしたドライグは、喉も枯れよと大音声で咆哮しながら、振り抜かれたネレの右腕を掴み取る。
「殺す! 殺す! 殺す! 殺す!」
あまりにも強烈な握力がかけられ、ネレの細い二の腕から先が折れひしゃげ丸められ。
「グバババババァ! これで俺とおそろ! おそろ! お――」
「うるさいよ」
ネレは激痛を歯牙にもかけず――掴まれた体勢のまま振り子よろしく上体を反らし。
胴体めがけ、渾身の力で頭突きを食らわせた。
間髪入れず、叩きつけた額を中心に血髪を集中させる。
針金のようにねじり合わせ、不要な分の血は抜いて、太く長い、一本角を作り出す。
杭打ちよろしくぶち込まれた角入りの第二撃は、ついに鎧の防御力を上回った。
「グバババ……バッ、ガアアァァ!!」
前面が破砕された鎧と、あらん限りの絶叫を迸らせながら、ドライグが吹っ飛んでいく。
「俺が……俺は! 竜の力を得ているんだぞおぉぉ……! ありえない、こんな事はァ!」
血を吐きながら立ったドライグの目にはもう、爪の先ほども理性の色は残っていない。
突如として、ドライグの被っていた兜から火炎が逆巻き、燃え上がる。
その火勢はたちまち全身へ燃え移っていくが、ドライグは勝ち誇った笑いを立てるばかりで、苦しんでいる様子はまったくない。
ネレやノクターンは、ここまで苦労して、ドライグの首のうち、二つをへし折った。
しかし、ここにきて。単なる兜に思えていた、ドライグの三番目の首。
二つの首をも凌駕するほどの魔力を発する、これこそが真の最終兵器だったのだろう。
今までの火力など微々たるものに思えるほどの、さながら獄炎の竜巻であった。
「炎の翼で、焼き尽くされるがイィィィ!!」
巨大な火の玉と化したドライグが、空を赤く染め上げながら突っ込んで来る。
轟然たる炎獄を纏い行進するその威容は、まさに在りし日の王者、ドラゴンそのもの。
――ネレの背後には、ノクターンがいる。
避ければ、戦った意味がなくなる。
「受けて、立つ……。私は、そのために来たから」
ネレは少し足を広げ、迎え撃つ体勢を取った。
右手と、砕けた左手。痛みにも構う事なく、強く重ね合わせる。
刀身を失った柄同士は潰れる事なく溶け合い、形を変え、砲口を生み出した。
砲口部を中心に、深紅に輝く光の束が収束していく。
残る全魔力と、血液の半分をも捧げた、最後の一発。
光条は見る間にその強さを増していき――ネレは腹の底から気勢を発した。
「――輝け、赤光」
瞬間。撃ち放たれた長大な赤の閃光が、突進するドライグへ直進していく。
莫大な出力同士が激突し、爆炎と轟音を引き起こしながら拮抗する。
だが、次第に。赤光が削られ、食い破られ。ネレの体躯も意に反して後退を始めた。
「なんて、圧力……! 押される……!」
その時。ネレの聴覚は、衝撃で打ち震える戦場の真っただ中において、確かに聞いた。
「氷澄、ネレ!」
背後で倒れている、ノクターンの声を。魂から絞り出される、ただ一つの叫びを。
「……勝ってくれ……ッ!」
「――分かった」
この期に及んでの出血。美しき赤がまき散らされ、背中から血翼が飛び出す。
ただし今までのものと違い、至極巨大。滝の如く絶え間なく、血液が噴射し続ける。
そうして生じた推進力は、赤光の反動とドライグの突進力を軽減するブレーキと化す。
貧血と魔力枯渇。疲労によって朦朧とする視界の中、やがてネレが感じ取ったのは。
赤光が全てを押し返し、ドライグを完全に呑み込んだ手応えであった。
満足げな微笑がこぼれる。
「……勝った」