ふわぁぁぁ……――と。長く、それはもうとても長く、気の抜ける表情で欠伸をしたのは『ベイラムの白い悪魔』である。現場からの信任厚き大エースともなれば、組織中枢との仲や相性は頗る悪いものと思われがちで、実際ベイラム上層部の一部の者はリンクスを毛嫌いし排除したがっていた。
しかし出る釘は打たれるが、突き抜けた大山を潰せはしない。ベイラム・グループの参謀本部がリンクスの力を分析し、リンクスが単機で離反した場合でも、計算不能なレベルの損失に繋がると予想できている為、ベイラムは内心リンクスを疎んじていても蔑ろにはできなかった。
それに
故にリンクスにその気はなくとも、彼は現場の者にとって欠かせない柱石となっている。
立場と性格、実績と属性、いずれを鑑みても本社との相性が最悪に近い現場指揮官ミシガン率いる、ならず者集団と蔑まれるレッドガンがまともに運用され、きちんと補給を受けられるのも、ひとえに突き抜けた暴力装置が在籍しているからとも言える。彼が現場の信望をミシガンと二分する英雄だと評価されて、若手達はおろかベテラン勢からも憧れの目を向けられるのも当然だろう。
間違いなく教本に載り、長く語り継がれる稀代のエースパイロット。そんなリンクスをG6レッドは心の底から尊敬していた。あの木星戦争でレッドガンの活躍と、ミシガンに憧れて入隊を目指していたが、同戦争でも赫々たる戦果を叩き出したリンクスにも男として憧憬の念を懐いている。
男は誰だって『強さ』に惹かれ、桁外れの『強さ』には神に対するものに近い信仰心を抱く。レッドも男としてそれを否定できはしなかった。しかし――
「レッド。こっちの書類も、あれもこれもそれも任せた。僕は寝る」
ぐぅ、と。目を閉じて直ぐに寝息を立てる英雄に、レッドは幻想を壊されていた。
戦場ではまさしく鬼神の如しで、敵にとっては悪魔を通り越して魔王だが、普段の生活態度は名前の通りに猫みたいなのだ。
整髪されても天パ気味な金髪と、美しい青い瞳、女のみならず男まで色香を感じる甘いマスク。毛並みの良い上品な猫のようで、窓際の席で日向ぼっこする様に悪感情は抱けない。
だがそれはそれとして仕事はしてほしいと、レッドは切実に思うのだ。
リンクスは確かに真面目だ、けれども不真面目である。真面目なのは実戦と訓練、後進育成に関するものだけで、書類仕事に関してはミシガンですら匙を投げるレベルでやる気を出さない。
今のリンクスは、永久欠番のG2を飛ばしてのG3として、レッドガン副長の座を拝命している。責任ある立場なのだ、当たり前のように大事な書類を任される。だというのに気の抜けた顔で、副官に指名したレッドに全部丸投げするのだ。書類に目を通しもせずに。流石にそれはまずいと何度も諌めたが、リンクスが聞く耳を持ってくれたことはなかった。
嘆くレッドに、ミシガンは疲れたように言っていた。
「奴は腕が立つだけのどら猫だ。頭脳労働は専門外の一点張り……お勉強は嫌いなんだろう。代わりにバカの仕事で阿呆な戦果を出している……そのせいで文句も言えん。諦めろ!」
圧倒的な成果で黙らせてくるからたちが悪い。エース・オブ・エースの体面のために、レッドが熟した書類仕事はリンクスがしたことになっているが、幾らなんでも座視し難い問題だ。
レッドは学んだ。リンクスという男の性格、性質を語るならば、まず最初に
そんな人として明確な欠点があるリンクスが、レッドの直属の上司だ。なんだかんだで目を掛けて貰えているから、見ようによっては駄目上司、昼行灯なリンクスを嫌いになれなかった。
ヴォルタとイグアスが独り立ちしてからは、初陣の失態で落ち込んでいたレッドへ、更に熱心に訓練を見てくれた恩義もあるからだろう。駄目なところを見ても仕方ないなと受け入れてしまう。
レッドは軍人気質の男だ。そんな彼がこうも甘い顔をしてしまうあたり、リンクスには人の懐で丸くなる猫みたいな愛嬌があるのかもしれない。――以前家族連れで視察に来た幹部の娘も、リンクスのそうした雰囲気と、整った顔に惹かれたのだろう。幹部の愛娘と一夜のアバンチュールを愉しんでいたエース様には、硬骨たらんとするレッドをして流石に顔面蒼白にさせられたが。
幸いアレは幹部の愛娘とリンクス、レッドしか知らない秘密だろう……心臓に悪いから本気で止めていただきたかったが、リンクスの言い分としては、後に親である幹部の後を継ぐご令嬢とのパイプはほしい、老後を心配しなくていいように逆玉の輿を狙ったようだ。無論私利私欲だけではなく、個人的に好ましく感じたし、レッドガンとしても彼女の家の力は役に立つとかなんとか。
「ベルトーチカは良い娘だよ」
「っ……起きて、いや、心を読まんでください」
猫なのに狸寝入りとは。椅子に深く腰掛け、目を閉じていた上官へレッドは苦言を呈する。
勘が良いにもほどがある。エスパーなのか、この人は。
電子データは機密保護の観点で、アナログな紙の機密情報の秘匿性でどうしても劣る……ゆえにこそ秘密にしたい情報は、紙に記すことをやめられない。レッドは目を細めた。
「……」
「どうかしたのかい」
「いえ……件のご令嬢から、本社で今後のレッドガンの運用に関する話し合いがあり、惑星ルビコン3への投入を決定しそうだとタレコミが……」
どうやらベルトーチカはリンクスにひどく肩入れしているようだ。こんな情報を密かに、しかもどうやって入手して本社のある星から届けてきたのか。
やり手ではある、しかしその能力の活かし方を間違えている気がした。秘密文書を個人的に出したせいで、届くのが
しかしリンクスは、重大な情報のリークに気のない返事をする。
「あぁ、そう」
「なんですかその反応は」
「いや……最近、骨のない獲物ばかり相手にしていたからね。僕を見るなりすぐ逃げるか、遠巻きにしてチクチクしてくるだけ……張り合いがない。別に殺し合いを楽しみたいわけでもないが、どうにも緊張感って奴が湧き難くなってる。僕は増長しているのかな? ルビコンに行ってもこれが変わらないなら、いっそのこと後方に控えて援軍要員にでもなろうか」
「……反応に困りますな」
リンクスの物言いは実際に増長し、慢心し、油断しているものだろう。
だがそれだけリンクスを手こずらせ、緊張させるだけの手練が敵にいないのも事実。探せば見つけられるのだろうが、幸か不幸かそういう腕利きと戦場で巡り会えていない。
とはいえリンクスは、口では増長していると自嘲しているものの、実戦の場で本当に油断を見せることはない。仕事は仕事、私情を持ち込み個人的な愉しみを見い出す性格ではなかった。
このことを加味してリンクスの台詞を紐解くと……。
「……副長は、気になる相手でも?」
後方に控え、援軍要員になろうか――ということは、リンクスをして緊張するほどの敵が、いつかどこで現れて、レッドガンの脅威になるかもと感じているのか。彼の軽薄な台詞を解読すると、そう言っているように聞こえる。レッドの問いかけに、リンクスは薄く目を開けて副官を見た。
「君の初陣に土をつけた独立傭兵は覚えているかな」
「っ……忘れるわけ、ありません」
アイランド・フォーの動乱、最終局面でのことだ。レッドはリンクスと交戦し、一分近くも粘ってのける偉業を達成した二機のACの片割れに、脚部を切り裂かれ、アサルトアーマーでの追撃で機体を中破させられた。そのせいでリンクスはレッドを守る羽目になり、独立傭兵達は逃げおおせたのだ。
初陣をあんな形で台無しにされ、憧れのミシガン総長にもこってり罵られる羽目になった。隣で怒られていたリンクスは聞き流していたが……あれを忘れるほど、レッドは能天気になれない。
「以前からなんとなく気になっていてね、個人的にベルトーチカへ頼んで、彼らの飼い主を調べてもらっていたんだ。分かったのは、あの独立傭兵達を率いているのはハンドラー・ウォルターというやり手。だけど、だ……そのウォルターの悪名や実績は出てくるのに、経歴は表向きの偽装データしか無い。裏を徹底的に洗っても出てこなかった」
「そのハンドラー・ウォルターとやらが気になるので?」
「ああ。彼の猟犬は手強かったから、ね。もしかすると、なんて予感がする。この先もまだまだ猟犬達とは縁があるだろう、ルビコンに行く僕らに縁があるということは……あるいは彼らは、僕たちレッドガンを窮地に追いやるかもしれない危険因子じゃないか、とね」
「……俄には信じがたい話です。如何に副長の勘がよく当たるとはいえ」
自分達はおろか、この稀代のエースパイロットをも窮地に追い込む? たかが独立傭兵が?
信じがたい。だが……本当にこの人はエスパーじみて勘が鋭かった。
無性に足元が浮つき、いても立ってもいられなくなったレッドは席を立つ。
「今の話、ミシガン総長にもお伝えしてきます」
「ベルトーチカの件は秘密だぞ」
「言えるものですか、そんなことはッ。それからこの書類がルビコン3への進駐を図る作戦書です。副長殿も目を通してください、いいですねッ!」
「はいはい」
紙の束を押し付けて退室した部下に、リンクスは再び欠伸をする。
真面目な部下だ、リンクスの根拠のない勘を、こうも真剣に受け取るとは。
かわいい部下の為にも、作戦くらいは把握しておかねばなるまい。そう思いとりあえず作戦書に視線を落として……彼は失笑した。
惑星封鎖機構なる組織。この防衛網の真ん中に突っ込み、後続がスムーズに惑星内へ侵入できるようにするのが役目。迎撃に来た敵襲は、全て撃破が目標……なんだこれは。これで『作戦』だと? ミシガンが目を通した後、なんとかしろと苛ついたように殴り書きしているのを見るに、本社のナイルも止められなかったか。それほどまでにルビコンのコーラルがほしい、と。
ご丁寧に作戦指示書には、本社から
「……まったく、人遣いの荒い飼い主を持つと苦労するね」
そうして、ここではないどこかに視線を向け内心呟いた。
君もそう思うか、猟犬、と。
惑星封鎖機構が白い悪魔――星外より飛来した魔王とでもいうべき脅威を知る事になるまで。
あと、2ヶ月。
つまり次回のこと。