付き合い始めた翌日です。
”王子さまと結ばれたシンデレラ。彼女は幸せになれたのかな?”
ひとりは帰宅する準備をノロノロと進めていた。
喜多と付き合い始めたインパクトが尾を引き、ぼんやりと1日を過ごしてしまっていた。
朝なんとなく、学校にきて、昼を過ぎて、気づけば放課後に至る。
(気を引き締めなきゃな。今日スタ連なんだし。バンドにも迷惑をかけないようにしないと)
気合一閃。荷物をとって立ち上がろうとする。
けれど出鼻をくじくように、クラスメイトが話しかけてきた。
「ねえねえ! 噂で聞いたんだけど、喜多くんと付き合い始めたの?」
「ぶーーーー!!!」
ひとりは噴出した。もしも飲み物を口に含んでいたら、全て吐き出してしまっていただろう。
(なんでそんなこともう知ってんの?! いや、でも、そもそも知っている人なんて――――――)
帰宅してから話した家族と、もう一人くらいしか知らないはずなのに。
そう、このことを知っている人は学校に一人しかいない。
だから、答えは簡単な話で。
(あ・・・)
教室の入口がざわざわと騒がしくなる。
「やっほー、ひとりちゃん。迎えに来たよー!」
「ひぃいい!」
自分のクラスメイトを引き連れて、己に何も恥じることはないと、喜多が威風堂々とひとりのクラスに現れた。
「え、喜多くん、後藤さんと付き合い始めたの?」
「バンド内恋愛ってやつかー!」
「音楽性の違いってやつで別れんなよー」
「後藤さんのどこが好きになったのー?」
会話の洪水。ひとりにとって恐ろしいものがやってきた。
「ひとりちゃんの好きなところ? 色々あるけど、やっぱりカッコいいとこかな! ライブのときとか、すごくてさ。STARRYってところでまたライブするから見に来てくれよなー」
ギャラリーを引き連れて教室にやってきて、元からいたクラスメイトの注目を集めながら、喜多は平静そのものでやりとりしていた。
退屈な学生生活で、他人のコイバナほど刺激のあるものはない。
蜜に群がる蝶のように、視線はさらに集まっていく。
「後藤さんは喜多くんのどこが好きなの?」
「そうそう! どんな風に告白したの?」
人が集まってくる。
青春真っただ中、制服の群れにひとりも囲まれてしまった。
『あの』喜多と付き合っているのはどんなやつなんだ。
増えていく観客にはそんな好奇心が含まれている。
「どどどどんな風に・・・って言われましても。ま、まぁ・・・へへっ・・・普通に??」
視線にたじろぎつつも、ひとりは好きだった人と結ばれたことを実感する。
「うん、ちょっとしたことでひとりちゃんがおれのことを好きなのを気づいて、付き合おうかって。そんな流れ」
喜多が補足を入れる。
自然とひとりの隣に立ち、肩に手を置かれた。
昨日までよりも、明らかに距離が近い。
そんな違いに、仲の進展を感じる。
(いい感じにぼやかしてくれてるや。ありがとう喜多くん)
「おー、そうなんだ。知ってる限り、喜多って誰々と付き合ったって話聞かないじゃん。後藤さんのこと好きだったとか?」
「まあね。ひとりちゃんのことはギターがめっちゃくちゃ上手いし、それに面白いし!」
楽しげに喜多が答える。
えー、と名前を知らない女子が不満そうな声を上げた。派手な雰囲気の美人さんだ。
「ギターがうまかったから付き合うの? 私、喜多くんのこと狙ってたのにな〜」
「そういうわけじゃないよ。どちらかというと・・・もっとひとりちゃんのことを知りたい、理解したいって思ったからかな」
(あ、喜多くん、そんな風に考えてくれてたんだ。……それにしても、ギター以外で私、ちゃんとしてるとこあるかな……)
「青春~」
「文化祭すごかったよね! コップで不思議な音だしてたり」
「でへへ・・・ギターにはちょっとばっかし自信が・・・」
優越感に背を押されて、なんとか答えるひとり。
改めて『喜多郁三の彼女』となったと感じる。
ふと不安な考えが浮かんだ。
(もしかして『喜多くんの彼女』として相応しくなければ狙われちゃう?)
人気者の彼女になる優越感の先に、周辺にいる年頃の女子よりも圧倒的に劣る自覚。
どんどん言葉に吃音が増えていき、それを感じて焦り悪化する悪循環が始まった。
胸のあたりが苦しくなってくる。
「あ、そろそろスタ連の時間だわ。オレとひとりは行かなきゃだから、またなー!」
「えっ? えっ?」
喜多はオーバーフローしつつあったひとりを抱えあげると走り出した。
精神的に限界を迎えそうだったひとりのメンタルがリセットされる。
長く細い手足に、自分を軽く担ぎ上げる筋肉をひとりは肌で感じた。
だらしなく柔らかい自分のものとは違う硬質な男の体。
爽やかなシトラスの制汗剤の奥に、うっすらと喜多自身の匂いを感じる。
自分の鼓動が届きそうなゼロ距離。
(あわわわ・・・・。私、防虫剤の匂いしないかな。胸を喜多くんに押し付けちゃってらし・・・私の匂いに喜多くんが染まっちゃう! ・・・これってセクハラにならないかな)
喜多にドキマギしているうちに、あっという間にSTAARRYへと到着した。
スタジオにはもう、虹夏と山田がスタンバイしていた。
「先輩たち、ちわっす! 今日もがんばりましょー!」
「よっす。めちゃくちゃやる気いっぱいじゃん。なんかいいこと、あったの? ・・・まぁ、とりあえずぼっちちゃん離してあげたら? ほら、意図せずセクハラになっちゃうかもしれないし」
喜多と抱えられるがままのひとりを、恨めしそうに虹夏が睨め付ける。
ひとりはとても悪いことをしているような気分になる。
自分が喜多にセクハラじみたことを考えていただけあって弁明しなければと口を開いた。
「に、虹夏くんからも言っちゃってください! 嫌じゃないんですけど、もうホント距離が近くて! 心臓が爆発しちゃいそうなんです!」
「えー、付き合ってるからいいじゃん。今まで遠慮してたんだよね。」
ひとりが近い近いと思っていた距離はまだ遠慮していたらしい。
抱き抱えられたことと言い、自然と距離は近くなっている。
「うぅっ、学校でもすごい顔で見られた・・・。あんな女が喜多くんの彼女だなんてとか、絶対思われた・・・」
「そうそう! オレたち、昨日から付き合い始めたんですよ! これからはギターカップルとして、結束バンドを盛り上げますからよろしく!」
隠すことなく堂々と宣言。
喜多が彼女としてしっかり認めてくれて、ひとりは嬉しくなる。ポカポカとしたものが胸に満ちる。
「えっ・・・そうなの。それはおめでたいね・・・?」
虹夏はとても驚いた表情をしていた。
ひとりにはとても印象深く思えた。
「バンド内恋愛。それは崩壊の兆し」
リョウは何を考えているのか、わからない無表情。
反対されているようで、居心地が悪い。
「あっあの・・・どうなってもバンドには迷惑かけないようにしますから!」
喜多に自分がフラれることは大いに有り得る。
そうなってもバンドを続ける約束はちゃんと喜多と結んでいる。
「そういうのはコントロールできるものでもないと思うけどね。さて、スタジオの時間がもったいないから練習始めよ」
練習が始まった。
けれど。
虹夏の調子が悪い。
不安定でリズムが不安定で、
焦って走り気味で、
先行きが見えなくて、
不安定でヘロヘロで弱っていて――――ひとりは人知れず共感した。
もちろん客の前に出せるような演奏ではない。
迷走するリズムは合わせることが難しい。
ただいつもリーダーとして気を張っている虹夏の素に触れられた気がした。
「みんな、ごめん! ボクのせいだ。もう1回お願い!」
演奏の不出来に自覚のある虹夏は深く頭を下げた。
虹夏は調子が悪いことを自覚しているものの、まるで挽回できていなかった。
汗を流し、涙すら滲ませながら、スティックを構え直す。
「いいですよ、合わせる練習になってますし!」
「オレも勉強になってます!」
喜多もひとりも虹夏をフォローする。
(リョウさん、なんで何も言わないんだろう)
虹夏の演奏は乱れているが、リョウは何も指摘しなかった。
音楽に真摯なリョウは、普段は遠慮なく指摘するが、今日は全くない。
まるで、こうなっても仕方ないとでもいうかのように。
結束バンドの曲は難しい。リョウが喜多の成長速度を踏まえて、演奏できるギリギリで作曲されている。
普通にやるのも難しいのに、不安定なリズムでやるのはなおさら。
ギクシャクした結束バンドとしての演奏。
不安定な虹夏に、寄り添うようなリョウのベースが響いた。
それから何度もやっても改善せず。
休憩という流れになった。
虹夏はドラムのイスでぼんやり物思いにふけっている。
さすがに変だと、他のメンバーはコソコソ集まる。
「・・・虹夏先輩、どうしちゃったんですか? もしかして体調不良なんですかね」
「ちょっとした寝不足みたいなものだよ。原因は分かってるから心配しないで」
心配そうな喜多に、リョウは遠い目を浮かべた。
「虹夏は今日はもうダメ。ほら、うちのリーダーはアクシデントに弱くて立て直すのに時間かかるから。2人とも出来たてカップルでしょ。虹夏のことは任せて帰っていいよ」
「い、いえ、調子の悪そうな虹夏くんをほったらかしで帰るわけにも・・・」
「いや、今日はリョウ先輩に任せて帰ろう」
「え・・・?」
(喜多くんは虹夏くんのことが心配じゃないの?)
怪訝に思ったひとりだったが、喜多がリョウに真剣な表情を浮かべているのを見て気持ちをひっこめた。
「ご武運を祈ります!」
瞳に強い光。喜多は本気で、リョウのことを応援していた。
リョウはひどく驚いた様子で、薄暗いところのない陽キャそのものの喜多らしさに飽きれつつ苦笑して。
そして。
リョウは喜多のことを、改めて認めた。
「未練はないみたいだね。安心した。―――近いうちに落とすから。応援ありがとう、郁三」
ひとりは、今のリョウと喜多のやり取りの流れがわからない。
自分のコミュ力の低さに絶望しつつ、二人の絆に情けない嫉妬心を覚えつつ、虹夏のためにと言葉を残す。
「あの・・・曲作ってるリョウさんには悪いんですけど、私は今日の虹夏くんのリズム、好きですよ。今日の成果として、あんな感じのメランコリックな曲は悪くないんじゃないですかね」
「ぼっちにはそう聞こえたんだ。・・・もしかしてその感想は、虹夏にとって救いなのかトドメなのか。うーん、タイミング見計らって伝えるよ」
山田に見守られながら、ひとりと喜多はこそこそとスタジオを後にした。
虹夏が気づく様子はまるでなかった。
STARRYから駅までの道を、喜多がひとりを送っていく。
遅くなった場合に、こういう場面は時々あった。
虹夏のことは気になるも、今このときはこの時間そのものに思いを馳せる。
(いつもは私と噂になって、喜多くんの迷惑にならないかって心配してたっけ)
それが今では、今は彼氏彼女の関係で、一緒に歩くのは問題がない。
やはりいつもよりも、こぶし一つ分、距離が近い。
「喜多くん・・・私なんかを彼女として紹介してくれてありがとうございます」
「ちょっとひとりちゃん。私なんかっていうの良くないよ。もっと自信もって!」
「あっ、あっ、すいません・・・。どうしても、私と喜多くんが釣り合うなんて思えなくて・・・」
喜多はふと立ち止まった。怒らせちゃったかなと、不安げにひとりも立ち止まる。
「昨日帰ってから改めて歌詞確認したんだけどさ、『星座になりたい』ってオレへのラブレターだったんだよね?」
そもそもの発端。
佐々木次子が、ひとりが作詞した『星座になりたい』が喜多への気持ちを綴ったものではないかと指摘し、ひとりが肯定したことから始まった。
(あ・・・そうだった。恥ずかしい・・・)
「ひとりちゃんから、見たオレってこんな風に見えていて、こんな風に考えてくれたんだなって。―――歌詞の意味をちゃんと理解して震えた。もっとひとりちゃんの世界を知りたいってそう思ったよ」
都会の街頭は明るくて見えにくいけれど、それでも空には確かに星が浮かんでいて、星座を形作っていて。
「もしかしたら、心外かもしれないけど・・・ひとりちゃんのギターを弾く姿は本当にカッコいい。あの演奏に並び立ちたい。そんな風に思ってて、だから未熟なオレだけど、ひとりちゃんを支えるだけのギタリスト兼彼氏を目指してやっていきたい」
誠実であろうとする喜多の仕草に、今日の放課後の出来事をひとりは振り返る。
人気者のパートナーをやるのは、ストレスフルだと実感した。
もしも喜多が女の子だったとしたら、バンドメンバーとして親しい友達としていい関係を築けたのかもしれない。
ちょうどいい距離を見つけて、仲良く楽しく過ごしていたのかもしれない。
そうだったらこの炎に焼かれることはなかった。
月で満足できれば良かったのに。
太陽の輝きを受けて光るただの添え物であれれば。
(喜多くんに焦がれてしまった私は、これ以上近づいたら燃やされてしまうと分かっているのに踏みこんじゃった・・・だからこの大変さにも慣れていかないと)
彼氏彼女の関係になるということは、『ちょうどいい距離感』とは対極に位置する。
陽キャの頂点、太陽のような喜多。
陰キャの底辺な自分。
相手に近づきペアとなるという行為は、オペラ座に潜む醜い芸術の天才のように、地獄の業火に焼かれながらそれでも天上の光に手を伸ばすということで─────
「ありがとうございます、喜多くん。私も彼女としてがんばります」
集まって星座になりたい。
つないだ線ほどかないよ。
君がどんなに眩しくても。
翌朝。
ひとりはいつもと違う身支度をしていた。
「ひとりちゃん、制服似合ってるわね~」
「おねえちゃん、最初からそれでいけばよかったのに・・・」
「彼氏ができてからってのが複雑だな・・・・」
家族が好き勝手いうのを聞き流しながら、ひとりは改めて鏡に映る自分を見やる。
あの自分が見慣れない制服を着こんでいる。
かたくなにひとりが制服を拒否していたのには理由がある。
もちろん第一位は青春コンプレックス。青春から程遠い自分がこれを身に着けるなんて恐れ多い。
そして。
どうしたって自分への視線が増える。
まず高校の制服・・・自意識過剰でなければ、まずは胸に視線が集まって、そして顔に向かう。
ピンクのジャージはすべてをぼやけさせてくれていた。
ジャージを着れば体型も体系も隠せるし、特徴的な髪色も保護色のようにぼやけさせてくれる。
着こなしとしては変でも、ありふれたものであるがゆえに、すぐに人の視線は逸れていった。
無敵の防具のようなピンクジャージ。
それでも。
脆くて華奢で透明なガラスの靴に足を通さなければならない。
(喜多くんにふさわしい彼女でいたいから・・・)
「いってきます!」
ひとりは真新しい制服に身を包み、家を出た。