「艦これ」いつかあの海で×ドリフトスピリッツ 2023 -いつかあの路で- 作:カービィ改二
箱根の環境や設定について色々説明します。
奈美子、ハルカという二人の女性の協力を得て衣食住の環境を整え、更に180SXを手に入れた時雨。
その翌日から彼女は、カーファクトリーピットでアルバイトとして働き始めた。
とはいえ最初の最初は時雨が出来る事は少ない。
基本的なパーツ整理や検品、状態チェック、ハルカの作業の補助といった軽作業がメインだった。
多少は体力には自信があった時雨であるが、雑用を初めとした仕事はコツコツとこなすのだった。
一方で仕事においては、車に装着するパーツなど「峠の走り屋」として必要な知識もハルカから説明を受けていく。
「…で、この強化キットを使えば車のパーツ性能が上がるんです」
「そうなんだ…でも、性能とかっていうのはどうやってわかるの?」
「このコンピュータにあるこのソフトで性能分析を行えば…」
「…これを、こうするんだね」
「そうですそうです!」
時雨の仕事の呑み込みの早さはハルカの想像以上だった。
多少の雑務や車の整備位なら、彼女にも出来るかもしれない…ハルカはそう思えた。
車のレアリティ、パーツのサイズ、そして性能による戦闘力、戦闘力を引き出すためのパーツ強化、車のパーツ強化、そしてより速く走るための車やパーツのレアリティアップ。
箱根を走る走り屋にとってはどれも重要なポイントである。
かつて機械に触れた事のあるのか…時雨の飲み込みはかなり早かったのであった。
―――お昼休み。
「ふー……あれ?」
午前中の仕事が一段落し、時雨はピットの入口で休憩していた。
すると目の前に見覚えのある黄色のS30Zがやってきて、店先に止まった。
「時雨ー!」
「奈美子、さん?」
S30Zから降りてきたドライバーは、まごうことなき時雨のパートナーと言うべき人物だった。
「あ、奈美子さん!いらっしゃいませー!」
「どうしたの…?今日は」
「実は走りの事でも色々と教えたいことがあってさ…箱根の峠を走る上で色々と必要な事をね」
「必要なこと?」
「今って仕事が一段落した感じかな?」
「えっと…一応」
「じゃあさ、ちょっと紹介したい店があるんだけど…ハルカちゃん、時雨借りていいかな?」
「どこへいくんですか?」
「『ワークス』の方にね。昨日行ってなったからさ」
「それは行った方がいいですね!是非行ってきてくださいよ」
「え…でも、仕事は?」
「午前中で説明できることは一旦終わったんです。今は箱根を走る上で色々と勉強するのも仕事、ということにしておきます。是非行ってきてください」
ハルカはニッコリと笑って言った。
「じゃあちょっと時雨借りるね、ハルカちゃん」
「はーい、いってらっしゃいませー!」
「…行ってきます。車は?」
「今日は挨拶だけだから、私のS30Zに乗ってよ。色々とここのルールとかも話したいからね」
「う、うん…」
そう言って時雨は奈美子のS30Zに乗り込み、どこかへ向かう事になった。
移動中に奈美子は箱根の『ルール』について話し始めた。
「時雨。箱根のルールについて教えたいんだけど、いいかしら?」
「うん…いいよ」
「この箱根は走り屋のバトルが盛んな場所なのはもうわかると思うけれど、どこでもバトルをしてもいい、ってわけじゃないのよ」
「そうなの?」
「うん。厳格にはスタートラインとゴールラインが決まっているの」
「…あの時の緑の線?」
「そうそう」
会話形式だと長くなるので、奈美子の話を要約するとこうだ。
箱根にはバトル可能エリアと一般走行エリアの2つが定まっている。
一般走行エリアは基本的に現実の道路交通法が適用され、当然スピード違反なども監視されている。
対向車線の走行ももってのほかだ。
一方でバトル可能エリアではフリーに速度を出すことが許されているが、常にバトルの監視がされている。
その為、コーナーには内側と外側にそれぞれ黄色い警告灯と赤ランプが光るようになっているらしい。
例えば右に曲がるコーナーがあったとする。
その場合、左側のレーンを走っている時は左側の壁の黄色警告灯が光る。
一方で、右側のレーンを走っている時は右側の壁の黄色警告灯が光る。
左コーナーの場合はその逆である。
左側のレーンを走っている時は左側の壁の赤ランプが光る。
一方で、右側のレーンを走っている時は右側の壁の赤ランプが光る。
そしてどちらのレーンにおいても、両方から走っている時はそれぞれの壁の警告灯とランプの両方が光る。
こうすることで対向車両が迫っている事の警告がわかるそうだ。
そして何より気にすべき点はバトル可能エリアの走行ルールである。
基本的にドリフト走行が許されるコーナーというのは限られているらしく、路面の端っこに黄色線があり、その間に白線または赤線が描かれた地面の間だけドリフトが許される。そしてドリフト終了地点も黄色線というわけだ。
ここでは走りの基本的なテクニックである「極端なアウトインアウト」は絶対に禁止になっている。
というのも、道路の中央にオレンジの棒がどのドリフトエリアでも丁度道路の中央を通るように敷き詰められている為だ。
反対車線、つまり左のレーンから右のレーンに向けた蛇行運転やコーナーリングは禁止。その逆も然りだそうだ。
ではどうやってコーナーを速く走るのかというと、当然自車線内でのドリフトに限られる。
そしてその為に箱根の各バトルエリアでは道路の大幅な拡張が行われており、安全対策も相まってマシントラブルはともかく事故は滅多に起きないらしい。
「じゃあ、気になったんだけど…バトル前のコイントス、あれは?」
「あれは地元ルールなんだけど…左レーンから右レーンにはみ出したり、右レーンから左レーンにはみ出したりするのがダメなのはわかるわよね?」
「今までの話を聞く限り、そういうことになるね」
「だから左レーンと右レーンを決めるのは、大体がコイントスだったりするの」
「あれにはそう意味があったんだね」
「ええ。ここでのルールといったところかしら」
「大体、わかったよ」
「ならいいわ。…でも、たまにコイントスがなかったりすることもあるからその時は普通のレースね」
「あ…普通のも、あるんだね」
時雨はとりあえずここでのルール自体は理解した。
「そういえば、カーナビにドリフトの評価が出ていたのって気が付いた?」
「カーナビ、って…この車にもある、これ?」
時雨が指差したのは車のダッシュボードだった。
「そう、それ。ハンドルを切り返すタイミングが合っていれば『Good』、完璧なら『Excellent』の評価が出るわ。『Late』や『Early』だったら遅かったり速かったり…つまりズレているってことになるわ」
「じゃあ、何度か挑戦して『Excellentのタイミングを理解しないといけないってわけだね。」
「そう。基本的にタイミングとしては前輪がラインに到達した瞬間であると思ってくれればいいわ」
「わかったよ。ありがとう、奈美子さん」
時雨が礼を言った。
しかし奈美子はその言葉に前々から違和感を抱いていた。
そして時雨に対してこう言った。
「…ずっと気になっていたんだけど、奈美子でいいわ。あまりさん付けで呼ばれるの、慣れてないからね」
時雨も「あっ」という顔をした。
どうやら今まで「さん」付けしていた事に対し奈美子はずっと違和感を抱いていたようだ。
「じゃあ…奈美子」
何故か時雨はどこか恥ずかしそうに言った。
「うん、それでいいわ時雨」
一方の奈美子はあまりそれを気にしなさそうに言った。
というのも、それ以外にもいろいろと話すべきことがあったからである。
「あと、さっきのバトルでは使わなかったけど…基本的にバトルでは『ニトロ』を使うことが出来るわ」
「ニトロ?」
「一言で言ってしまえば加速装置ね。ハンドルに『N2O』ってボタンがあったのは覚えている?」
「そういえば…ハンドルのところに青色のボタンがあったような」
「これのことでしょ?」
奈美子がハンドルに付けられていた青色のボタンを右手の親指で軽く触れて言った。
「…あ、それだね」
ボタンを見て時雨は言った。
「このボタンを押せば、時間制限と1レースにおいて3回までという回数制限があるけれど瞬発的に加速することが出来るわ。でも当然ニトロの本数自体には限りがあるから、よっぽどの相手以外は温存したほうがいいわね」
「そうなんだ…非常用装置みたいだね」
「まあ、あながち間違いじゃないかな。あの時のアフロは使ってこなかったけれど…使ってくる敵もいるから気を付けて」
「もしまたバトルとかになったら、ありえるかな」
「ないとは言えないわ」
「…気を付けるよ」
走行話しているうちに、時雨はふとした疑問が浮かんだ。
「ちょっと聞き忘れていたんだけど…」
「何?」
「なんで、この箱根では車のバトルが盛んなんだい?普通に考えてみれば暴走行為だよね」
「……」
「一体何が原因で箱根で車のバトルが盛んなのか、奈美子は何か知ってる?教えて欲しいんだ…」
時雨は何が起こったのかを全くもって知らない。無神経かもしれないがこの質問はバトルに打ち込んでいる以上何が起きたのかという疑問が生じるのは自然といえば自然だった。
奈美子は神妙な顔で言った。
「実は、十年ほど前にね…富士山が噴火したのよ」
「……」
「ニュースとかの話だと、静岡寄りではなくて山梨寄りで小規模の噴火だったそうだけど、山から比較的近い箱根にも、火山灰が降り積もったそうなの。まあ、今のところは噴火警戒レベルも通常レベルがずっと続いているけど」
「そんなことが…」
「噴火による被害自体は規模に反して小さかったし、復旧自体も二年近くで何とかなったんだけど、風評被害がひどかったらしくてね…二年経っても観光客が戻ってこなかった、それどころか箱根から出ていく人も少なくなかったんだ」
「……」
「そこで時の政府が、ある事を発表したんだ」
「ある事?」
「箱根への移住支援、観光支援…移住や観光に関わるお金の補助。そして箱根各地に広がっていた道路を有効活用する事に伴う、経済刺激策」
「まさか…」
「そう。それが箱根各地の道路を使った、一定条件下での暴走行為の合法化」
「暴走行為の、合法化…」
「それが車同士のバトルってこと。そしてこれに喜んだ全国の走り屋たちが、みんな箱根を訪れるの」
「…箱根でバトルが盛んな理由なんだね」
「まあでも、当然免許なしでバトルをすることは出来ないし、その上で最低でも国内B級ライセンスが必要になるんだけどね」
ふと気になる用語が出てきた。
「たしか、国内B級ライセンスって…」
「時雨の免許証にも備考欄に書かれていていたはずよ。『国内B級ライセンスと同等の効力を持つ』って」
「うん。…でもライセンスって、直ぐ取れるものなのかい?」
「国内B級ライセンス自体は免許取得時にオプションの講習を数時間受けて、専門機関に申請を出せばすぐに取得できるわ。勿論その場ではなく後付けでライセンスを取得する事も出来るし」
「そうなんだね…」
時雨の質問はまだ続く。
「じゃあ、この車は?これも買った時に、補助を受けたのかい?」
「そうなのよ。この車自体は自治体の自動車購入支援を受けてね…箱根のディーラーで安く買えたの」
「奈美子も、元々箱根出身じゃなくて移住者なんだね」
「そうそう。噴火から数年するくらいまではずっと東京に住んでいたんだけど、私のお父さんが『生活が楽になるから』って…六年くらい前にこっちに移住したんだ。あと私の家族は皆車が好きだからね」
「そうなんだ…」
「今は支援が何年も続いていて、あと観光客も噴火前のそれと同等規模になったから援助は当初に比べると縮小したけど…それでも、今でも箱根に移住したいって人はそれなりにいるそうよ」
「それって…やっぱり走り屋もそうなのかい?」
「そうね…こっちに移住してきてスポーツカーを買う人って言うのは、大抵箱根でバトルをしたくてやってくる人と考えていいわ。購入後もある程度維持費の支援はしてくれるみたいだし。まあ、パーツや車のチューニングまでは支援は難しいらしいけどね」
「そうなんだ…」
奈美子による箱根の状況、そしてどうして箱根ではバトルが盛んなのか?
時雨が出したこれらの質問への解答が投げられることになった。
そしてそうこう言っているうちに目的地へと到着しようとしていた。
奈美子に連れられて訪れた場所は、彼女が顔なじみのディーラーだった。
峠にある店としてはかなり大きい店だ。
駐車場にS30Zを止めた後、2人は店に入った。
「すいませーん!トーコさんいらっしゃいますー?」
そう奈美子が声をかけると店から茶髪のロングヘアーであるビジネスウーマンらしき女性が現れた。
「いらっしゃい、奈美子ちゃん。あら?そちらは見ない顔ね。」
「こ、こんにちは」
緊張したかのように時雨は挨拶した。
「私は藤田=ジュリア=トーコ。このディーラー『BNワークス』のオーナーよ。トーコと呼んでね」
「時雨です…よろしく、お願いします」
「さてはあなたが、奈美子ちゃんの車で『神風連合』を倒したって噂の新参者ね」
「……どうも」
時雨は噂の新参者と言われてあまりいい気がしなかった。
確かにバトルに自分は勝ったが、その自覚があまりにもなかったのだ。
「将来性のある雰囲気ね。お近づきの印に『ビギナーズオーダー』やっていく?」
「ビギナーズ、オーダー…?」
「ここに来れば、お金を払って高性能なパーツや車を調達することが出来るの」
「ただし絶対にいい車やパーツが手に入るとは限らないわ。高性能な車やパーツというのは需要があってね…それなりの倍率になるから、それだけ注意して頂戴」
「は、はあ…でも、確か僕にはもう車があって…」
トーコや奈美子の説明に対して躊躇するように時雨は言った。
「あら、あなたはもう車を持っているの?」
「実は時雨は、数日前からハルカちゃんのところでアルバイトとして働き始めて…それで、ハルカちゃんが中古で買ったワンエイティを時雨も使っていいという事になっているんです」
「えっと…はい」
奈美子がトーコに説明するように言ったのに対し、時雨は軽く「はい」としかいうことが出来なかった。
「ふーん…そうなの。まあいいわ。お金が貯まって車やパーツが欲しくなったらうちに来なさい」
「ありがとう、ございます」
「今回は3回だけ無料でオーダーをさせてあげる。どうする?」
「…無料なら」
「オーケー。ちょっと待っていなさい」
店の奥に行き、注文を取る様子のトーコ。
どうやらコンピュータを用いてパーツを取り寄せているようだ。
◇ ◇ ◇
5分ほどして、結果が出た。
「…おめでとう。抽選結果は全部パーツだけど…ニトロキット、トランスミッション、高性能タイヤね。サイズはそれぞれ14,13,14よ」
「―――――――」
時雨にとってはあまりにも不思議な感覚だった。
パーツとはこんなにもあっさり手に入るものなのか?
それとも最初の最初であるビギナーズラックの結果か?
不思議と疑問がわいた。
「時雨、これらのパーツの意味、わかるかしら?」
トーコが時雨に問うかのように言った。
「えっと…トランスミッションは加速向上、タイヤはグリップの向上、ニトロキットは…ニトロの効果の向上、だったはず…です」
「…まあ、大体その認識でいいわ。あとはメインパーツとしてエンジンとECUがあればいいけれど…多少のパーツなら、ハルカちゃんのところでも手に入るはずよ」
「ハルカさんのところでも…?」
「あれ?ハルカちゃん言ってなかった?1日10回だけ無料でオーダーが出来るって」
「…そんな事言ってたような気がする」
時雨はふと忘れていたことを思い出したかのように言った。
「で、どうする時雨?このパーツは。奈美子ちゃんのS30Zに乗っけて運ぶという形でいいかしら?」
「それでいいですよ。あとで車に付けましょ、時雨!」
「う、うん…どうも」
「ハルカちゃんから説明されたとは思うけど、パーツはただ装着するだけじゃ性能を十分には発揮できないわ。今回はサービスで強化キットもある程度あげるから、受け取りなさい」
「わあー!ありがとうございます、トーコさん!」
「ありがとう、ございます」
奈美子はまるで自分事のように喜んでいた。
一方で時雨はまだ強さの自覚が出来ていないらしく、ポカンとしたかのような表情だった。
しかしモノを貰った以上最低限感謝だけはしておく必要がある。
そう思って「ありがとう」の言葉が自然と出た。
―――カーファクトリー・ピット
「戻ったよー!」
「あ、おかえりなさい時雨さん、奈美子さん!」
「ただいま…戻りました」
パーツを積んだS30Zはその後カーファクトリーピットに戻ってきた。
「何かもらったりとかしました?」
「えっと…車のパーツを」
「そうですかー、じゃあ強化してワンエイティに装着しちゃいましょう!」
「う、うん」
「時雨、一緒にパーツを運んでくれる?」
「いいよ」
そう言ってトランクから、手に入れたパーツを運ぶ。
◇ ◇ ◇
ハルカのアドバイスもあった結果、数十分もすればパーツの装着は完了した。
パーツの装着自体はハルカのアドバイスもあって比較的容易なものだった。
どうやら時雨は多少手先が器用なようだ。
「これで…速くなるのかな」
「はい!きっと車も大きく変わったと思いますよ」
「お疲れ時雨、でもまだもう少し作業があるわ」
「え?」
時雨の一言に答えた奈美子。
そして奈美子の言った作業を、ハルカが説明する。
「パーツを付けたので、セットアップをしに走りに行ってみてはいかがでしょうか?」
「セットアップ?」
「車が本来の性能を発揮するには、ある程度走る事やパーツが正しく機能しているかを確認することが必要になるわ。例えばスポーツ選手とかでもウォーミングアップとかってあるでしょ?準備体操みたいなものよ!」
「そうなんだ…そこは車も人も同じなんだね」
「そうそう」
「だからさ、折角だしそのワンエイティで箱根中を回って練習してこない?」
「えっ、でも今は仕事の時間じゃ…」
「仕事扱いって事にしていいですよ」
困惑する時雨に対してハルカがあっさりと了承した。
「…いいんですか?」
「車やコースの事を知るのも、大切な仕事の一つですのでね」
「…じゃあ、行ってきます」
「わかりましたー!じゃあこれをどうぞ!」
時雨の言葉を待ってましたと言わんばかりに手渡されたのは、車のキーだった。
「これは…一体?」
「ワンエイティのキーですよ。私の名義ですけど、基本は時雨さんが自由に使っちゃって構いません!」
「…ありがとう」
「その代わりに、戻ってきたらちゃんと同じ場所に車を止めておいてくださいね」
「あ……はい」
そう言ってハルカと共に180SXの方に向かう。
運転席側のドアの前に立った時雨は、右手でドアを開けようとする。
しかし時雨はある事を忘れていた。
「…開かない?」
「キーで鍵を開けないと」
「……」
何処か出ばなをくじかれたようなところはあったが、時雨と奈美子はドアを開閉してドライバーシートと助手席にそれぞれに座った。
シートベルトを締め、エンジンキーを入れる鍵穴を探してキーを入れる。
「時雨さん、エンジン始動方法は奈美子さんのS30Zと同じです。エンジンキーを鍵穴の奥まで回して手を回してください」
車外から聞こえたその言葉に時雨はこくりと頷く。
そしてエンジンキーを回す。
「……!」
エンジンが動き出すとともに、透き通った音が時雨の耳を突き抜けた。
奈美子のS30Zとは大違いだ。あの車と比べると多少はパワーがあるように感じる。
どうやら多少速そうなのは事実のようだ…。
「動いた…」
「大丈夫そうね」
「よかった、中古車なので気になっていましたが…大丈夫そうですね」
時雨は一人呟いた。
そしてその様子を見ていた奈美子やハルカも安堵したかのように言った。そして時雨が座っている側の窓をコンコンと叩く。
「窓開けれます?」
「えっと…」
ドア下についているウインドウ操作スイッチを操作し、右側の窓を開く。
「発進とかも大丈夫ですよね?」
「ボタンを押しながらサイドブレーキを倒して、ギアを「D」にするんだっけ…?」
「そうです。あ、バックの時は「R」、止める時は「P」に入れてください」
「う、うん」
「あと、「D」か「R」の時はブレーキを踏んでいないと、クリープ現象と言って自然と車が前に進んじゃいます。必ずサイドブレーキを引くかフットブレーキを踏み続けてくださいねー」
「…気を付けます」
時雨がそう言ったところで、奈美子がワンエイティの助手席側から乗り込んできた。
「今回は箱根の峠の事も色々教えたいし、隣に乗させてもらうわ」
「…よろしく」
「じゃあ、ブレーキを押しながら、ギアとサイドブレーキを操作して」
奈美子からアドバイスを色々受ける以上、時雨はそう言い返すしかなかった。
ギアをドライブに入れ、サイドブレーキをボタンを押しながら倒す。
「いいよ。じゃあブレーキを離して」
「……」
「ガレージを出たら左にハンドルを曲げて、道路の方向を向いたら車を止めてサイドブレーキを掛けて」
「う、うん」
奈美子の言葉に相槌を打つことしか出来ない状況。発進すら緊張するこの状況である。
もはや自動車教習所同然だった。
ハンドルを左に曲げ、壁と平行になったところで停止し、サイドブレーキを掛けた。
「ふう……で、何処に行けばいいんだい?」
「ちょっと待ってね…」
そう言って奈美子はカーナビを操作した。
操作する中で奈美子が話を続ける。
「時雨、本来カーナビって言うのは道案内をすることが出来る機械なの」
「そうなのかい?」
「カーナビの画面の右横に4つのボタンがあるでしょ?」
「うん」
「一番上のドリフトモードボタンは、普段のバトルで使用するわ」
「ドリフトの判定をするのかな?」
「そう。それでその下のボタンはナビゲーションモードボタン。このボタンを押して道案内を設定することが出来るわ」
「そうなんだ」
「下から二番目はオーディオボタン。ラジオや音楽をかける設定をすることが出来るけど…まあ普段はあまり使わないわね。今はオーディオがオフになっているみたいだし」
「オンになっていると?」
「オンなら音楽やラジオが流れるはずよ」
「へえ…」
「一番下は電源ボタンで、不要な時はカーナビ自体をオフにすることが出来るわ」
「なるほど…大体わかったよ」
「わかったのと同時に…目的地の設定が出来たわ。最初は葦柄峠に行ってみましょう?」
カーナビのルートは葦柄峠を示していた。
「…すぐ近くなんだね」
「まあ、すぐ着くと思うけれど最初だからね。さ、行きましょ!もう発進は大丈夫よね?」
「うん」
そう言ってサイドブレーキを戻し、ギアをドライブに入れる。アクセルを軽く踏み込むと、マシンは少しずつではあるが動き出した。
発進する様子をハルカが見守っていた。
「いってらっしゃいませー!」
そうハルカが言うと、ワンエイティは私道から道路に出る際に一旦停止して、ぎこちなくも道路へ出ていった。
日が沈み始めた頃―――不二観峠
片や急こう配の下り坂、片や急こう配の上り坂の周回コース。
このコースでのバトルはあまりにもインとアウトの差が大きすぎてあまり盛んではなく、訪れるドライバーも基本的にあまりバトルを好まない。
もっぱらドリフトの練習にもってこいのコースである。
第一葦柄、第二葦柄、第一早乙女、第二早乙女、寄木、美濃沢、景虎、箱根サーキット、オフロード、箱根パイクロード、スピードセンター…各地を回り、終盤にやってきたのが、この不二観峠である。
これまでは箱根の土地関係の理解、そして車を走らせる初歩の初歩のアドバイス。
これらの呑み込みはかなり早かった時雨は、最終的にドリフトの最終仕上げの為に奈美子は時雨を連れ出したのである。
「―――っっ」
ヘアピンの左コーナー。
ブレーキングからタイヤを滑らせ、ドリフトの態勢に入る時雨のワンエイティ。
しかしそのタイミングをうまくつかめていないのか、その走りはどこか足りないところがある。
「悪くないけど、ちょっとタイミングが早いわ。Good -1.45mって出てるでしょう?」
ハンドルを少しだけ戻し、ワンエイティの進路を変える。
フロントが壁に接触する前にハンドルを戻したはいいが、今度は少しアウトへ膨れてしまう。
立ち上がり自体は問題なかったが、肝心のコーナーでの攻めはまだ改善の余地ありと言うべきだった。
だがそれ以上に奈美子は時雨のある特性を読み取っていた。
「(でもまさか…2時間以上ぶっ通しで走り続けるなんて)」
普通2時間も走れば疲労もある程度は蓄積されるはずである。
しかし時雨には全くもってその様子が存在しない。
コンスタントに一定のペースで走り続けることが出来る…そんな特性だった。
コーナーを抜け、ぎこちなくも再び加速する。
時雨のGoodは時雨が判別できない多少のレベルで疲労しているのだろう、と奈美子は思った。
そしてその中で時雨に対して奈美子はこう言った。
「ねえ時雨、ちょっと止まってくれる?」
「えっ?」
そう言ってアクセルを抜いてブレーキを踏む時雨、そして減速するワンエイティ。
奈美子がハザードボタンを押して路肩にワンエイティは止まった。
「…どうしたの?」
「時雨、あなたはもう2時間以上ぶっ通しで走っているのよ。疲れていないの?」
「いや…別に」
「じゃあ、どうしてそんなに走り続けていられるの?」
「…変かな?」
「そうじゃなくて…今回はウォーミングアップでしょ。色々な峠を回ったのはともかく、まさかここまで休憩なしに、信号や交差点以外ずっと走り続けていくのは驚いたわ」
「……」
「どうして時雨はそんなに走り続けていられると思う?」
その質問に対して、時雨は自然とこう答えた。
「……時間を忘れるくらい、楽しいんだ」
「……」
「疲れるというよりは、楽しくて、楽しすぎて仕方がないんだ」
時雨はどこか走る事を楽しんでいた。「楽しい」と答えた時雨の顔は曇りが無かった。
そしてその気持ちが車を前に前に勧める大きな原動力になっていたのかもしれない。
そしてそれが彼女を走りに夢中にさせると大きな力にもなっていた。
「あと時雨、先ほど満タンだったガソリンもそろそろ少なくなってくるころよ?」
「ガソリン?」
「ほら…」
奈美子が指差したガソリンメーターの針は、Eの文字の少し上くらいだった。
「普通Eの部分になったらガソリン切れになって車が動かなくなるわ。今帰ればちょうどハルカちゃんのところに戻るくらいだから、今日は一旦葦柄峠の方に戻りましょう?」
「……うん」
どこか時雨は多少がっかりしたかのような顔をしたかのように奈美子は思った。
―――夜、「BNワークス」近くのガソリンスタンド。
セルフのガソリンスタンドにおいて、ワンエイティにガソリンを入れる時雨。
このガソリンについても基本的にハルカ持ちであるが、ここでのガソリンは税金があまりとられない為に格安である。
ガソリンを入れた事を確認して、奈美子が話しかける。
「ウォーミングアップの間ずっと走っていて、多少は車を走らせるコツとか、地理上の関係とかがわかったと思うけれどどうかな?」
「…うん、色々わかったよ。ありがとう、奈美子」
「じゃあ、今日最後の仕上げとして、私とバトルと行きましょうか!」
「えっ、バトル?奈美子のS30Zと?」
「そうじゃないわ。BNワークスに行ってみればわかるわ。さ、行きましょ」
「う、うん」
そう言って、二人はワンエイティに乗り込んでBNワークスへ向かった。
◇ ◇ ◇
―――BNワークス。
「トーコさーん!車、用意されてますー?」
「あら二人とも、また来たのね。随分遅かったじゃない」
「すいません…ちょっと色々なところ行っていたので」
「…まあいいわ。こっちよ」
そう言ってトーコに導かれた二人。
そして導かれたガレージには1台の車が止まっていた。
銀色で、四角いフロントライトと丸いテールランプが印象的な、ステッカーが張り付けられた車。奈美子の車よりははるかに新しそうだ。
「じゃ、あとはよろしく」
「はい!」
そう言ってトーコは再び店舗に戻っていった。
それを見て奈美子は時雨に車の説明をする。
「この車はR34のGT-R。トーコさんから借りた『BNワークス』のデモカーなの。」
「デモカー?」
「チューニングされてるから性能はそれなりにあるけれど…今の時雨なら、マシンの性能差もひっくり返せられるはずよ!」
「性能差を…」
そう言ったところで奈美子は時雨の方を向いてこう断言した。
「時雨はとってもいい腕をしてる。だからきっと、あなたのワンエイティでも勝てるはずだよ」
「そう、なのかな…?」
時雨には全く自覚が無かった。
アフロ男と走った時も、先ほどの特訓の時も、必死になって走っていただけなのに。
それなのに褒められている。
嬉しいというよりは、不思議な感覚だった。
だがそれでも、今日一日の総まとめとして彼女とのバトルは是非受けてみたいとも思うのだった。
そしてそう思った以上、返事は一択しかなかった。
「……わかったよ。相手してほしい、奈美子」
「何度も練習したと思うけれど、スタート前にアクセルをふかしてタコメータのランプが光っている状態でギアをDドライブに入れるとスタートダッシュできるわ!」
「うん…わかった。じゃあ、行こう」
そう言って時雨と奈美子はそれぞれの車に乗り込むのだった。
推奨BGM:HEY HEY(from MAHARAJA NIGHT vol.6)
―――vs奈美子(BNR34)
第一葦柄峠に並んだR34とワンエイティ。
コースは往路で、右直角ロングコーナー→左高速コーナー→最終右ヘアピンと続く。
コイントスの結果は時雨が右レーンだった。
スタートラインに2台が並び、カーナビのカウントが始まる。
「………」
ギアをパーキングに入れてアクセルを吹かし、タコメーターの針が上がる。
不思議な感覚だった。
自分の中に何処か慣れが存在していた。
ふと目を閉じる。
あまりにも濃厚すぎる2日間だった。
気が付いたら箱根にいて、初めてバトルをして、自分の事を知ろうとして、まだ手掛かりは見つからないけど、その才能を見出されて走りの世界へ。
生活の地盤すら固まってしまった。
恐らく自分はしばらくこの箱根で世話になるのだろう…。
いや、恩返しがしたい。
そう思い、時雨は目を開いてアクセルを更に吹かした。
3
2
1
GO!
シグナルと同時にギアをDに入れ、アクセルを踏み込む。
メーターは6800回転。一気に加速した。
デモカーのR34と既にこの時点で加速差が生じていた。
「…!時雨……」
奈美子はこの時点でその実力を確信した。
2台の前に第1コーナーが迫る。
「(――――――ここだ!)」
最初の右ロングコーナー。
ブレーキを一瞬だけ入れ、直ぐにハンドルとアクセルを右に曲げる。
そして若干の左カウンターを入れ、直ぐに加速する。
「Excellent +0.24m」…カーナビの評価からして、パーフェクトだった。
多少のカウンターとアクセルワークでコーナーを駆け抜け、コーナー出口手さらにカウンターをつける。
「……!」
立ち上がりの速度は時雨の想像以上だった。
一気に加速し、120キロ台まで加速する。
そしてすぐに左のコーナー。
「いけ…!」
ハンドルを一気に左に曲げ、ドリフトの姿勢へ。
カウンターを当てて派手なドリフトを決める。
判定は…「Good! +1.21m」。
多少タイミングが遅かったのだろう。
ワンエイティは多少アウトに膨れた。
壁に接触する事はなかったが、それでも速度が遅れたのは分かった。
「(……まだ、僕は行ける!)」
コーナーを立ち上がり、直ぐに最終の右コーナー。
時雨のテンションは自分でも想像しない程ハイテンションだった。
コーナーというコーナーが迫るたび、自分の心臓の鼓動がどんどんと早くなるのが時雨自身でも自覚はしていた。
コーナーを駆けるのが気持ちいいのか、それとも自然と自惚れていたのか。
それは時雨には分からない。
しかしそのテンションが高揚すると同様に、時雨のワンエイティはさらに速く走るようになっていく。
最終コーナーの入口判定…「Excellent -0.14m」。
自分でも想像しない程にコーナーを速く走られているような感覚だった。
何度も峠を走っていると、自然と感覚が身についているのだった。
どこでハンドルを戻すのか、どこでブレーキを踏むのか、何処でアクセルを踏むのか。
すっかり時雨には感覚がインプットされているのだった。
コーナーの立ち上がりでカウンターを当てて車をドリフト体制から通常態勢に戻す。
そしてその操作をする彼女には…「走る事が気持ちいい」という感情も芽生えつつあった。
そんな感情が時雨を包みつつあるうちに、ワンエイティはゴールラインを駆け抜けた。
「―――ここまで速くなるなんて」
奈美子は一人感心してそう驚くのだった。
―――葦柄峠復路スタート地点付近、駐車場。
「すごいわ、時雨!まさか1日でこんなに速くなるなんて…」
ゴール地点の先の駐車場で奈美子は時雨を褒め称えた。
「…僕も、驚いたよ」
驚いたと言いつつも、どこか少しだけ自信がついたかのように時雨は言った。
そしてその言葉に対して、奈美子は時雨が戦うべき敵の名前を挙げた。
「これなら、いつ『神風』の連中が挑んできても大丈夫ね!」
「そう、かな?」
「きっと時雨なら大丈夫よ。バトルの時は私が横に乗るし…返り討ちにしましょ!」
「…うん、そうだね。これなら…いけるのかな。」
「きっと今週中には向こうから攻め込んでくると思うわ。そこが正念場だから、頑張って!」
既にある程度の実力はあった時雨だが、その返答は決して自信に満ち溢れたものというわけではなかった。
しかし
「うん……僕としても…譲れないものが、あるから」
そう時雨は静かに呟くのだった。
その目にはなんとも言えぬ情熱がたぎっていたのだった。
その後は無事に「ピット」に戻った時雨と奈美子。
果たして、彼女たちを待ち受ける『神風』はどのような敵が待ち受けているのか…?
時雨の再起が、箱根の峠から遂に始まる。
(第3話End)