ルナちゃん「トレセン学園をぶっこわす!」――絶対全員を幸福にする皇帝と絶対改革を完遂する地方ウマ娘―― 作:帝都ウマピヤヰ倶楽部
ちいさなコトからコツコツと
「面白そうなことしてるみたいだね、サブトレーナー?」
とある日の、昼下がりのことである。部室に現れたミスターシービーはサブトレーナーの姿を見るなりそう言った。
「あら。今日は早いわね? シービー」
「半ドンだからね。もう授業は終わったよ」
そう言われて、サブトレーナーは思わず壁掛けカレンダーに目をやる。今日にあたる日付の所には「始業式」の文字。
「……そう、もう一学期が始まったのね」
すっかり頭から抜けていた。思わず遠い目をするサブトレーナーに、シービーはあきれ顔。
「それで。君たちのやってる面白いこと、今日もやるの?」
「ええ、そうよ。あの子はもう始めているかも」
いや、とっくに始めていることだろう。午後の練習が始まる前に終わらせるなら、のんびり昼食を食べている時間なんてない。
いそいそと机の上の書類をまとめ始めたサブトレーナー。シービーはぐっと身体を伸ばす。
「そういえば、あたしのトレーナーは?」
「チーフに言われて買い出し。もう戻ってる筈だけれど、今は喫煙所かしらね」
「そっか、ありがと。それじゃアタシ、走ってくるよ」
それだけ言うと、シービーは学生鞄を放って駆けだしていってしまう。流石に放置というわけにもいかないので片付けようと近づくと、鞄の他にもうひとつ。学園指定のローファーが落ちていた。この短い時間で履き替えたらしい。
「あの子もちゃんと、言いつけは守っているみたいね」
ミスターシービーは爪が弱いのだと、同僚のサブトレーナーは言っていた。
そこで彼女向けに調整したランニングシューズを履かせ、徐々に負荷に慣れさせていくのだという。
生まれ持った体質はそう簡単に変わるモノではない。彼女がターフで十全に走れるようになるには、気の遠くなるような時間がかかるのだろう。
「けれど、そうね。積み重ねていくしかないのだもの」
昨日が今日と地続きであるように、今日一日は明日のために。そう信じるからこそ、ヒトは前へと進んでゆける。
書類を鍵付き棚にしまったサブトレーナーは、部室を後にする。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園……いわゆるトレセン学園の歴史は浅い。
ことの始まりは、強いウマ娘づくりを提唱する連合ウマ娘倶楽部が「トレーニングセンタープロジェクト」を立ち上げたこと。
それがいつの間にか労働省ウマ娘局、国営レースの統括機関である日本中央競走をも巻き込んで、国家プロジェクトへと発展した。
そうして誕生したのがトレセン学園。
国立のウマ娘専門教育機関10校を統合したことで、学年あたりの生徒は数百人を数えるマンモス校。
しかし巨大であればあるほど、手の届かない場所が出てくるわけで。
「こんにちは、ルドルフ。今日も手伝っていいかしら?」
つなぎに着替え、軍手をはめ。掃除用具をもって小運動場に現れたサブトレーナーに、その鹿毛のウマ娘は顔をあげた。
まだ春先だというのに、その額には玉のような汗が浮かんでいる。
「あぁ、トレーナー君。付き合わせてしまってすまないね」
「そんなことないわ。はいこれ」
用意しておいたアルミ缶飲料を手渡す。運動時の水分補給は単に水を摂ればいいわけではない。汗には塩分などのミネラルも含まれており、水を飲むばかりではむしろ体調を崩してしまう。
「これは? みたことのない製品だが……」
「知り合いから頂いたの。流した汗と同じ成分を補給できる新商品よ」
「ふむ。なるほど……製薬会社? 妙なところが出しているんだな」
まじまじと製品表示を読み込むルドルフ。彼女は中学生とは思えない思慮深さを持つウマ娘。そして誰かのためであれば、汗を流すことを躊躇わない純真さも持ち合わせている。
「少し木陰で休んでいなさい。代わりに、私がやっておくから」
真剣に読み込むルドルフから有無を言わさず掃除用具を受け取り、小運動場の掃除を始めるサブトレーナー。障害競走向けの跳躍練習を行うここは、脚への負担軽減のために細かな砂が敷き詰められている。もしもここに小石などが紛れていれば、着地時に脚を挫いたりしかねない。
だからこうして用具で均すようにすることで、小石やゴミを取り除いていくのだ。
プルタブを開ける時の独特な空気の音が聞こえる。額の汗を拭ったルドルフは、こちらの言うとおりに小休止をとってくれるらしい。
「これは、少し変わった味だな」
「ジュースと思って飲んだなら、そう思うでしょうね」
失った汗を補給するのだから甘いはずもない。しかし甘味料を抑えたスポーツ向け飲料は、トゥインクルシリーズでの栄達を目指すトレセン生たちにはうってつけのハズだ。
「気に入ったら、ウチの部室にきなさい。ダース単位と言わずグロス単位であるわよ」
もっとも、無制限試飲中だから是非にと営業さんに押しつけられたのだが。
それを笑顔で受け取るのだから、チーフもヒトが良いのか悪いのか分からない。
「それは遠回しなスカウトかな?」
水分補給を終えたルドルフが、サブトレーナーの持ってきた掃除道具を手に運動場へと戻ってくる。サブトレーナーは笑顔を見せた。
「そうかもしれないわね」
チームを盛り立てるサブトレーナーにとって、有力なウマ娘に唾をつけておくのは仕事のひとつだ。
「けれどその前に、ここを片付けてしまいましょう? もうすぐ午後練がはじまるもの」
「ああ、そうだな。済ませてしまおう」
2人がかりといえど、小運動場は広い。小とついているのだから名前の通り小さく狭くあって欲しい……なんて言っても仕方がないので、せっせと手を動かす。
そうしてカフェテリアで昼食を終えた生徒たちがグラウンドに出てくる前に、なんとか掃除を終えることが出来たのだった。
「よし、では次に……」
「さ! 今日はおしまい! 私たちもお昼にしましょう」
「いや、トレーナー君。私は……」
「いいから! カフェテリアが閉まる前に行くわよ、ルドルフ!」
半ば強引に手を引っ張って連行。もちろん掃除道具は全部片付け済み。
「ちょ、トレーナー君……強情だな、君も……」
1週間も一緒に清掃活動を続ければ分かる。このウマ娘は完璧主義で、一度「やる」と決めた日にはとことんやらずにはいられない。そしてタチの悪いことに、彼女は自分が強情であることをしっかり自覚している。
自覚した上で無理を押し通そうとするのだ。彼女は。
「問題ないわよ」
「?」
「今日は小運動場Bに庶務委員会の手配した工事業者が入っているから使われることはない。小運動場CとDはそれぞれ規律委員会と文芸委員会が定例の清掃に入っているわ。クールダウン用の林間コースは会計委員会が手配した業者が午前中に点検を終わらせている」
手帳をめくって、事前に調べておいた整備スケジュールをルドルフに伝えるサブトレーナー。ルドルフはバツが悪そうに目と耳を伏せた。
「そうだったのか……」
「だから、今日はあそこだけやっておけば問題はないわ。お疲れ様」
世の中とは、1人が頑張らなくても回ってしまう。なんとかなってしまう。
多少の危険が見過ごされても。多少の不正が見逃されても。
すべて世はこともなし――――――設立から2年で早くも機能不全を起こしつつあるトレセン学園ですら、その言葉は当てはまってしまう。
「広いな、トレセン学園は」
その言葉は、まさか今から向かうカフェテリアが遠いという嘆きではないだろう。
「把握しているつもりだったんだ」
ルドルフの独白は続く。
「小運動場の掃除における『漏れ』は今日掃除した場所だけ。しかし、そうか……林間コースに業者が入っていたとは、知らなかったよ」
「それはそうよ。なにせ昨日の夜に決まったことだもの」
正確には、業者の予定だけは入っていた。ただその支払いを誰が受け持つのかが決まっていなかった。
「いつも通りの補修だけなら総務会議の持ち回りで良かったんだろうけれど、今回は急遽防虫処置までやることになったでしょう。だから……」
「ちょっと待ったトレーナー君。防虫処置の話は聞いていない」
ピクリと耳を動かしたルドルフに、サブトレーナーはそこだったのねと納得。彼女は恐らく、今月の定例整備が延期になるという話しか聞いていなかったのだろう。
「虫が出たのよ。それで虫除けの薬をまくことになったから、それで整備は延期に」
「……ああ、そういうことだったのか」
おそらくルドルフは、総務会議が揉めたこと、そして林間コースの整備が延期になったことをそれぞれ別に聞いてしまったのだろう。厄介なのは、どちらも事実であることだ。
「整備の延期は虫除けの薬をまくから。総務会議が揉めたのは追加で必要な虫除けの薬代を誰が払うのかって話、整備自体が中止になったわけではないわ」
「はやとちりをしていたんだな、私は」
「ええ、本当に」
沈黙。ルドルフの表情は端正に整ったまま。一片たりとも動かない。
「あなた、もしかして整備が中止になったら1人でやるつもりだった?」
「…………まさか」
しかしルドルフとて中学生。隠しきれない感情は、ウマ耳や尻尾を見れば分かるもの。新人とはいえウマ娘の専門家たるサブトレーナーには、隠しようがない。
「まさか、そんなことはないさ」
なによりその感情を押し殺すような表情には、見覚えがあった。
「私は、間違っているのだろうか」
長い時間をかけて、彼女は思考を整理していたのだろう。ルドルフがその問いを口にしたのは、食後の紅茶を飲み終えてからであった。
「今日も小運動場で石ころをいくつも見つけた。障害跳躍の練習をしているウマ娘がアレに蹴躓いたとしたら、どんな不幸が起こるか分からない」
「ええ。そうね」
間違ってなどいない。間違っているハズがない。
ルドルフの清掃活動を誰が否定できるだろうか。ならそれは、正しい行いなのだ。
しかし物事には限度と、限界がある。サブトレーナーはどうやってそれを伝えようか頭を悩ませた。
「例えば、こういうのはどうかしら。誰かに手伝ってもらう、とか」
「現状に満足していると……今の体制で十分だと主張する生徒だっている。それに、進んで掃除をしてくれる物好きなんて、いるだろうか?」
自信なさげなルドルフ。サブトレーナーは思わず身を乗り出した。
「私は、あなたを手伝うことにしたわよ」
「それはそうだが……」
正しいことをしたい。それはきっと、誰もが持ち合わせている感情。だからサブトレーナーはルドルフに手を貸している。
専属契約を勝ち取るための先行投資と周りは言うかもしれない。ルドルフにすら、そう思われているかもしれない。けれど、やらない善よりやる偽善の方が正しいに決まっている。
「いや。私は周りに強制はしたくない。私は私のできる限り、私のやるべきことをやりたいと思うよ。トレーナー君」
しかし、それでも。
やはりトレセン学園は広すぎる。
総面積80万平方メートル。東京ドームにして17個分。
ルドルフが、サブトレーナーが、逆立ちしてもなんとかなるものではない。そうだとしても。
「私は続けるよ。続けたいんだ」
「ルドルフ……」
ルドルフの眼は決意に満ちていた。
それは純真な少女だけに許された、無垢の輝き。
サブトレーナーは頷き、迷いながらも肯定の言葉を投げかけようとして――――――
「正しくないよ、ルドルフさん」
そして、その声に遮られた。
「ルドルフさんのやり方は、不正解だ」