一話
鬱蒼と深い森の中に一匹の鹿がいる。
その風下に息を潜める青年の姿があった。
24歳に成長した
得物が動かなくなったのを確認して草むらから出る。矢を抜くとその周りの肉を削ぎ落す。
矢じりには蛇の毒が塗ってある。今さら毒肉を食って腹を下す者もいないが肉の質を落としたくない。大蛇の牙で作った鉈を使い処理をしていく、それが終わると得物を運ぶ為にロープで結ぶ。木の棒にかけると担ぎ上げた。
「随分と遠くまで来てしまった帰る頃には日が暮れるかもしれない」
日の出と共に出かけたはずがもう日が真上から傾き始めている。得物を追いかけるのに夢中で予定より遠くまで来てしまった。いつもならこんな危険を冒さないのだが今日は特別だ。友人たちの婚礼品だ。上等な得物を贈りたかった。
あれから10年だ。俺達の暮らしも大きく変わった。都会の少年が森で獣を狩って生きるほどに。
良くも悪くもこの暮らしに慣れてしまった。
最初こそ大変だったが今は立派なもので安定した生活を送れている。
皮肉な事にこの状況を作った元凶である蛇神の御蔭でもあった。
この力がなければとっくに死んでいた。
あの日、果実を食べて生まれた痣を見る。
俺達にとって命と死の意味をもつその痣を。
ふと視線が痣から周囲に移る。
「.....森の空気が変わった」
それは明らかな変化だった。冷たい風が吹き始めたのを肌が敏感に感じ取る。何かが森に入って来た。オシオは鹿を背中に担ぐと走り出す。
軽やかな速さで斜面を駆け降りると渓流に出た。
じっと川を見る。何かが這った様な痕がある。
それが上流に向かって進んでいる。
あっちの方向には...。
「まずい村に.....!」
地面に左手を置く。
返ってくる振動の大きさから対象は凄い速さで動いている事が分かる。この速度なら日が落ちる前に村に到着する。早く村の人間に危険を知らせなければ。
このまま走っても追いつけない。
おもむろに鹿を置いて傷口にかぶりつく。
口の周りが血で真っ赤に染まるのも気にせず血肉を嚥下する。
「蛇神魔法第二段階『変異』」
唱えると直ぐに下半身に変化が起きる。骨と筋肉が作り替えられていき膨れ上がる筋肉でビキキと音が鳴る。関節までも増えた。
ものの数秒でしなやなかな鹿脚に変わった。
地面を蹴る。その瞬間オシオの体が掻き消えた。そう感じる程の速さで走り出したオシオの体は一蹴り毎に猛烈な速度を加えていく。
驚くべき速さでオシオは上流を登って行った。
4
森を超えた先には一つの村がある。
6000人程度が住む第六集落と呼んでいる。
そこでは女たちが川で洗濯をしていた。
「ふう、ようやく終わったわ、こんな物も洗濯機があれば楽できるのにね」
「そうね、もう十年前になるのね、あの頃が懐かしいわ」
「都会でOLやってた私がこんな生活してるんだもの世の中何があるか分からないわね」
「ほんとよ」
昔は書類仕事をしていたオフィスレディも今では立派な村娘だ。
朝になれば畑を耕し山に入って採取もする。
裁縫をして服も作れば獣の皮をなめしもする。男に交じって狩りをする娘だっている。そこには男も女もない。出来る者が出来る事をやる。それがこの集落のルールだ。
まだみんながバラバラだった頃に作った最初期の決め事だ。
「ほんと村長がいなかったら今も平和に暮らせていなかったかもしれない」
「凄い人だよたった十年でここまで来たのは」
自然と口々に称える言葉が出てくるのはそれだけ偉業だったからに他ならない。
休憩も終わり、さあ帰ろうとなった頃、地鳴りが響いてきた。
「地震.....?」
そう考えて首を振る。
まさか、地震なんてここ10年間なかった。
という事はかなりの大物がこっちに近づいて来ている。
「みんな避難するよ!何も持つなっ」
30人ばかりの女衆が逃げ始める。中には護衛の娘達も含まれる。
十分に川から距離を取った。少しでも高い所に登り下流を見つめる。
「なんだい.....?」
女たちが見つめる中それは現れた。それは白い大蛇の姿をしていた。その背には翼があった。見た事のない動物、いや、あれは魔獣だ。サーペント(蛇の魔獣)のようだけど似ているだけか。
仮にサーペントなら蛇神様の下僕である私達に手を出してくる事はないはず。
とにかくその魔獣は激しく気が立っているようだ。
ギラギラとした瞳がこちらを見る。
「.....っ!」
奴は突然攻撃してきた。
5
ようやく森を抜ける。
時を置かずして女たちの悲鳴が聞こえてきた。
遅かったか。全力疾走して早鐘を打つ心臓を無視して、また走る。
直ぐに対象を捉える。
見た事のない魔獣と村の娘達が戦っている。
オシオも背中の弓を構えて戦闘に参加する。
翼をもった蛇の魔獣は巨体を活かして戦うスタイルだ。尻尾を鞭のようにしならせハンマーの如く打ち落とす。二階建ての高さから鉄骨が落ちるような威力だ。辺り一帯に土埃が舞う。
幸い犠牲者はまだ出ていない。
こちらに注意を引かせて女達を退かせなければ。
「そなたは何者だ!我らは蛇神の契約者なり!何故我らの村を襲う!」
語りかけるが魔獣は聞く耳をもたない。それどころかさらにいかれ狂う。仕方ない。矢をつがえて撃つ。
「ギュウアアオオオオオ!?」
狙い違わず放たれた矢は目を射抜いた。悲鳴を上げる魔獣がこちらを見る。残った片目がシオを映した。そこには憎悪が宿っていた。
目標を変えたようだ。魔獣が叫び声を上げる。それに呼応するように川が氾濫する。
オシオはすかさず第二射を放った。狙いは目、放たれた矢が直撃する寸前、水球が魔獣を守るように展開された。それが魔法の類だと直ぐに理解する。
水を操るのかあの魔獣は。
一筋縄ではいかない。
「女達は村に!俺がこいつを引き付けるうちに!」
「シオ兄!」
護衛の娘ミクが叫ぶ。
いつも三人で一緒にいる仲良し娘達だ。
ベヘリッドに来た時はまだ5歳の頃だった。
何度か弓の扱いを教えた事がある。
女衆が無事なのも彼女達の応戦のおかげだ。
彼女達に指示を与える。
「右目をやった!死角から援護を頼む!」
「分かりました!」
魔獣は水球を浮かせたままこちらの様子をうかがっている。
ミク達がやたらめったら矢を撃ちまくる。
鱗に阻まれるが援護としては十分だ。奴の気がそれた瞬間が勝負だ。つがえた矢を弦を引き絞る。魔獣はこちらから目をそらさずジッと見ている。
来る。ボーリング大の水球が飛んできた。跳んで躱しそれを横目にする。水球が地面を粉砕した。当たったら五体が吹き飛ぶ威力だ。
やはり水を操るのか見た事のない魔法だ。
10年前なら何もできず死んでいた。
だが今は違う。この世界で生きて来た。
軽やかに水球を躱し続ける。やがて水球が尽きた魔獣が大口を開けて突進する。それを横に躱すと同時に鉈を抜く、白い刀身が鞘から露わになる。蛇が牙を剥くのと同じだ。途端にラッシュ攻撃を繰り出した。一瞬で幾つもの斬撃が魔獣の表皮を走る。血しぶきがパッと上がった。
「ギュオオオオオオ!?」
痛みにたまらず魔獣はのけぞる。ひるんだ。森で得物を狩るシオはその隙を逃さない。すかさず弓を構えて左目を射抜いた。断末魔が上がり倒れる。
ミクが歓声を上げる。
「.....まだだ」
言うや否や魔獣が再起する。
額の傷がゆっくりと開いた。第三の目だ。
傷か何かだと思ったら瞼だったのか。
水を操る第三の目と翼を持つ蛇の魔獣。
やはり一筋縄ではいかない敵のようだ。
さっきの倍の水球が展開された。
6
「なんだなんだ!?」
「どうしたことだ!」
騒ぎを聞きつけて村の男達が駆けつけて来た。
オシオと魔獣の戦いを見てえらいこっちゃと大騒ぎだ。
「弓と盾をもて!大捕り物じゃあ!」
「坊を一人で戦わせるな!」
村の男達が総出で武器を手に戦闘に加わって来る。
一斉に弓矢を斉射する。降り注ぐ雨の矢を魔獣は水球から水鉄砲を放射させて打ち落とす。「なんと!?水を操ったぞ」と驚く男衆。魔獣は意に介さない。大砲並みの威力の水鉄砲を撃ってきた。
蛇の鱗を張った大盾で防ぐも何人もの男達が吹っ飛ばされる。命に別状はない様子だが脅威である事に違いない。死傷者が出るのは時間の問題だった。
あれをやるしかない。
おもむろに鉈を抜き放つ。刀身はべったりと血で濡れている。それを指ですくうと口に含んだ。
「蛇神魔法第三段階『
言下に相手の事が手に取る様に分かった。
あらゆる情報がパラメーター化されていく。部位ごとの長所と短所まで。
膨大な情報の羅列が脳内を焼く。
相手の血を媒介にして情報を取り入れる蛇の魔法だ。
何とも嫌らしい術だがコレの御蔭で俺達は今日まで生きて来られた。
....そして今日も。
「.....分かったぞ相手の弱点が」
確信したオシオは魔獣を見る。
あの第三の目だ。あれが魔力の源だ。あれを失えば奴は死ぬ。
「みんな奴の弱点は額の目だ目を狙え!」
「よしきた坊が弱点を見つけてくれたぞ!」
目を集中的に狙う。魔獣は明らかに怯みだす。
勝てる誰もがそう思った。
だが魔獣は驚くべき行動を取って見せた。その背中の翼で跳んだのだ。体に不釣り合いな大跳躍で矢を躱して見せると平地に着地した。
「グオオオオオオ!!」
大咆哮。凄まじい迫力にたじろぐ。
何だこいつは。奴の血で得た情報でも奴が何者なのかまでは分からない。依然として正体不明のまま。だが好機は今だ。奴は大地に降り立った。周囲には水場はない。
つまり奴は魔法を使えない。
勝機を感じたオシオは足を鹿脚に変え地面を蹴った。
一直線に魔獣に向かって走る。
魔獣がこちらを見る。オシオを脅威と受け取ったのか、おもむろに魔獣は口を開いた。何か来る。直感でシオは横に跳んだ。その瞬間魔獣はレーザーのようなものを飛ばしてきた。地面が削り取られる程のそれは高圧縮された水だった。恐らく水球を体内に隠し持っていたのだ。
最後っ屁である事を願いながらオシオは走る。
願いを嘲笑うかのように何度も水光線を撃って来るが構わない。もうシオの目には得物しか映っていなかった。恐怖感はない。脳内ドーパミングはもう過剰なほど分泌されていた。
水光線の軌道が手に取る様に分かる。当たる気がしない。
魔獣の表情が初めて崩れた。
最後の水球を無駄撃ちしてしまう。そこでオシオは跳んだ。
「これで.....」
終われ!気迫を込めて魔獣の眼前に飛び込んだシオは鉈を第三の目に深々と刺しこんだ。水気のある液体がバシュッと弾ける。
「グオオオンン……!」
魔獣の断末魔が村中に響き渡り。ゆっくりと地面に倒れた。
今度こそ死んだ。それを確認したオシオは魔獣の体から降りる。
それと同時に見守っていた人々が歓喜の声を上げて寄って来る。
「坊がとどめをさしたぞ!」
「大物じゃあ!!」
彼らの喜びようを見てオシオにもようやく笑みが浮かぶ。
だが右手に走る痛みで歪んだ。
.......なんだ?
見ると妙な痣が出来ていた。魔獣にとどめを刺した際、返り血を浴びた。そのせいだろうか。水をかけてもらうと、もう痛みはなかった。何だったのだろうか今のは。
気を取り直して首を振る。
とにかく鹿は手に入らなかったが、もっと大きな獲物が手に入った。
良いオチになったなとオシオは喜んだ。
そして夜、宴は始まる。