火を点けろ、掠れきった心に 作:オーバードーザー
「レイヴン、昨日から様子がおかしいようですが」
初めての試みだったとはいえ、手を尽くしてレイヴンのメンタルケアを行ったケイトは不満を口と顔に表した。
不安定な精神状態こそ持ち直したものの、そこからの621は妙によそよそしい。
既に朝を迎えて朝食を口にしているというのに、まだケイトを視線から外す様子を見せている。
「ケアに不満があったなら言ってください。今後の参考にします」
621は首をぶんぶん横に振った。
不満などあろうはずもない。一人寂しくコックピットでうずくまるより十分良い環境だった。
「そうですか。では、何故そのような態度を?」
ケイトは元々無数の0と1が並んでできたシステムである。自分に不必要な機能をわざわざこしらえる必要はなく、だからこそ621が発露している感情の正体を読み取ることができない。
「恥ずかしかった?どうしてですか?」
一つ一つ説明するのは恥の上塗りに等しかったが、長旅中に延々と追求されるよりはマシと621は判断した。
結果はケイトの好奇心に火を点けただけだったのだが。
「みっともなく人の胸で泣いてしまったから?はぁ……レイヴン、私は傭兵支援システムです。その程度で評価を改める不合理なプログラムではありません」
「むしろ行為一つでパフォーマンスが向上するのであれば、継続的に行っても構いませんが」
621が丁重にお断りしたがどこかケイトは不満げなのであった。
そうしている間に後片付けも終了し、二人は再びウォッチポイント・デルタへの旅程を再開する。
中央氷原にも海越えで利用した大陸間輸送用カーゴランチャーに相当する施設はあったのだが、「レイヴンの火」によって跡形もなく焼失しているためそれを頼りにすることはできない。
今回は貧弱な同乗者も一緒なので、あの恐ろしくGがのしかかる設備は使う気にはならなかった。
ではどのようにして向かうつもりなのかとケイトが尋ねると、621は着陸前に観測したルビコンⅢの観測情報をモニターに表示した。
「レイヴンの火」は中央氷原の何割かを蒸発させ、ベリウス地方の間に横たわるアーレア海にも影響を与えた。
「これは……島ですか?」
621は頷く。モニターの地形図にはウォッチポイント・アルファからアーレア海を横断するように点々と島が並んでいた。
彼はハンドラーからコーラルの群知能について説明された際、大陸間を移動する赤い流れの概念図を見たことがある。
「レイヴンの火」後、概ねそれに沿った形で島が形成されているのを見るに、地下で中央氷原に向かって移動していたコーラルが火山におけるマグマの役割を果たしたのかもしれない。
とはいえ中央氷原の端に到達するまでまだまだ時間がかかる。
メンテナンスも無しにアサルトブーストをし続けるわけにもいかず、二人は今日も氷原でキャンプの準備をするのだった。
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キャンプ生活を初めて二週間が経過した。
621は最長一年はルビコンⅢに滞在し続ける予定で準備を進めてきたため、同行者が一人や二人増えようがまだまだ備蓄には余裕があり、探索に詰まった時の暇つぶしも一人では使えきれないほど用意してきた。
「レイヴンレイヴン、至急こちらに」
ケイトは621が暇つぶし用に準備していたロボットアニメを視聴させていると静かにしてくれる──恐らく興味の対象は中身ではなくACやMT製造の際のアイデアを求めてだろう──ので重宝していたのだが、珍しく今日は同行者との同時視聴をご所望のようだった。
「今の装備であればできるのではないでしょうか」
一時停止が解除されて映像が流れる。
氷原で雪に塗れた一体の人型機動兵器がレーザーブレードで風呂を作るシーンだ。
確かに今回はパルスブレードを担いでいるし、気温が低いこともあって今までずっと除菌シート生活だった。
621もアニメを見てしまったからか、再手術してから初めて入ったお湯の心地よい感触を想起してしまった。
二人は無言で頷き合う。
欲望を前に言葉は不要だった。
最小出力で武器を扱ったことなどない621は機体操縦を担当し、そろそろ人間の身体にも慣れてきたケイトが出力調整を担った。
海面にダイブしないよう氷床でない地面にキャンプ場所を移し、針に糸を通すような慎重さで出力を絞る。
チリチリと音を立てるパルスブレードの根元を氷の大地に近づけ数十分、どうやら諸々の条件が上手い具合に噛み合ったようで、そこにはアニメと遜色ない露天風呂が完成していた。
「さてレイヴン、入りましょう」
621はおもむろに服を脱ごうとするケイトを全力で引き止める。彼女は浮かれ気味の表情が隠しきれていない。
まさか二人で入るなんて言わないですよね?
「何を躊躇う必要が?せっかくの湯が冷めてしまいます」
それは、そうなのですが。
しかしケイトは621に道理を説く時間を与えてくれなかった。
「混浴?確かに私は女性を模した義体ですが、それ以前に傭兵支援システムであり、配慮は不要です」
ウォルター、今回は選択を誰かに委ねてしまったよ……。
押し切られてしまった621はせめてもの抵抗にケイトと距離を離したのだが、「どうして離れるんですかレイヴン。いえ、強化人間621」とじゃばじゃばお湯をかき分けて来てしまう。
「なるほど、第4世代が再手術をするとこのような手術痕になるのですね。後学のために正面も……あっ、敵前逃亡は再教育センターですよ強化人間621。そうです、聞き分けがいい野良犬は評価に値します。後でオールマインドデカールをプレゼントしますからそのまま動かず……」
助けてください、要りません、助けてください。
621の懇願はケイトの耳に入らない。
ベタベタと無遠慮に身体をまさぐられる野良犬は、何度言っても止まらないケイトに言葉を伝えることを諦め、そのうち考えるのをやめた。
再教育センター(621のトラウマ)