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夜風が冷たい鉄のような匂いを運ぶ。
寒い夜だった。
621は拠点に設けられている私室で仰向けに横たわりながら色々な事を考えていた。それは過去、彼女が経験してきたあらゆるミッション、そして彼女が出会ってきたあらゆる人々の事である。
良い想い出も悪い想い出もあるが、一般的にはそれらはいずれは風化して消える。しかし彼女の場合は例外だ。彼女の特殊な脳はそれまでの事を全て克明に記憶しており……その記憶群の中でも、
学べる事が多くあった。
彼女は頭の中で何度も何度も
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どれ程没頭していたことだろう、通信が入っていた。ウォルターからのものだ。
『621、アーキバス本社から直々の依頼だ。企業たちが「壁越え」と呼んでいる作戦……その協力要請になる』
『ヴェスパー第2隊長 スネイルです。これより作戦内容を伝達します。私が立案した作戦行動に臨めること、光栄に思いなさい。ルビコン解放戦線が拠点化した交易上の要衝、通称「壁」を攻略します。敵は多数の砲台とMT部隊により防衛ラインを形成している。まずはそれを突破し 壁上に到達しなさい。そこに配備された重装機動砲台"ジャガーノート"の撃破が依頼の達成条件です。本作線においては 我がヴェスパーの第4隊長も別ルートで侵攻しますが、先走り、壁越えを果たそうとしたベイラム部隊はものの見事に壊滅しています。指揮官含め、僅かな戦力は辛うじて生還したようですが、早々の現場復帰とはいかないでしょう。せいぜい犬死にしないように気を付けることです』
◆◆◆◆
621がV.Ⅱスネイルからのブリーフィング音源を聴く少し前に遡る。
砲火と爆発の轟音が夜空に響き渡る。
"壁"と呼ばれる要塞の前で、G4ヴォルタ率いる壁越え部隊が、狙撃部隊と地上部隊の二重の防衛線に苦しんでいた。
壁には狙撃タイプの砲台が左右6基ずつ、さらに四脚MTの近くに2基、それぞれ配備されている。地上部隊はこの四脚MTが指揮をとっているようで、押し引きの緩急の絶妙さがヴォルタ達を苦しめていた。
『くそ、このままじゃ進めねぇ。アップルボーイ、状況はどうだ?』
通信機から流れるヴォルタの声には焦りが滲んでいた。
『隊長、狙撃部隊が厄介です。MT部隊も押され気味です。何とか突破点を見つけないと……』
アップルボーイは出来る限り平静を装おうとしたが、見えざる巨大な死の手を無視しきる事が出来たかどうかは怪しい所だった。
『才能があるってんなら、その頭使って何とかしろ。ただし、無茶はするなよ。お前が死んだら元も子もねぇ』
ヴォルタはACの操縦桿を握りしめた。その重厚な機体は高い防御力を誇るが、足が遅い。狙撃部隊に狙いを定められると厄介だが、気を付けてももう遅い。ヴォルタは先程から集中的に攻撃を受けていた。
ガトリング砲台からの射撃がACの装甲を、ひいてはヴォルタの余命を削り取っていく。
『はい、隊長。何とかします』
アップルボーイはそうは言ったものの、射程の関係で狙撃砲台を破壊する事ができない。アップルボーイは才能があり、その気質もイグアスなどとは違い素直だ。しかし、根が陽キャめいており、やや勢いに任せてモノを言う傾向がある。
『隊長! 何ともなりませんでした!』
だろうな、とヴォルタは苦笑を浮かべ、そして脳裏に撤退の文字がちらつくのを自覚した。撤退とは余力がなくなってからするのでは遅い。余力があるうちに撤退しなければ意味がない。
撤退とは、戦力を無駄に消耗しないようにする作戦行動なのだ。それに単純な話、余力がなくなってからの撤退では相手も好き放題追撃してくるだろうという問題もある。
窮鼠猫を噛むという言葉があるが、噛むための歯がなければ猫は好きなようにこちらを嬲り殺しにするだろう。
本来ならばこの場にイグアスがいる筈であった。だが機密の漏洩を咎められ、壁越えへのアサインを取り消されたのだ。
だが、とヴォルタは思う。
──奴はうまいことサボれて良かったのかもな。"壁"は思った以上に硬ぇ……本気で陥落させるなら、レッドガン3人は要るだろう。畜生、五花の奴が言っていた通りだ! ミシガンは信用できても、ベイラムは信用できねぇ……
銃弾が装甲を削っていく音はお世辞にも耳に優しいとは言えない。計器はどれも機体の損傷が拡大しつつある事を警告しているし、操縦席の温度調整も狂ってきている。
『……ッ! 全員撤退だ! 壁は抜けねぇ! 退け! 退け!』
もはやこれまで、とヴォルタは部隊に撤退命令を出した。仕方のない事だった。"壁"は正面から突破するには余りに堅固すぎる。少なくともヴォルタの機体では駄目だ。
──イグアスの奴がいれば、回り込むなりしてなんとかなったかもしれねぇが
イグアスの機体『ヘッドブリンガー』は中量2脚型フレーム「MELANDER C3」をベースにした機体だ。これといった特徴がない平凡なアセンブルだが、特徴がないということはなんでもソツなく出来るという事でもある。
ヴォルタが前衛で注意を引いて、その隙にイグアスが回り込んで砲台を破壊……という策も取れたであろう。
だがそれもかなわない話だった。
──畜生、撤退したら本社のボケどもを……
そうヴォルタが思った時、機体が大きく揺れる。
『隊長! 何をボーッとしてるんですか!』
アップルボーイの怒声。
背後で大きな爆音が鳴り響いた。
爆発物を投擲されたのだ。
──なんだ、バズーカか!? それともグレネード!?
ヴォルタは唸りながら前方を確認すると、壁手前の4脚MTが大きな筒のようなものをこちらへ向けている。
撃たれたのだ。
そこをアップルボーイがヴォルタの機体に体当たりし、無理やり回避させた。
──命拾い、したか
『すまねぇ、畜生、とっととずらかるか……』
出来ればの話だが、とヴォルタは内心ごちる。
というのも先程の4脚MTから完全にロックオンされたようで、彼我の距離がどんどん縮まっていっているのだ。
応戦は出来る。一体一ならばヴォルタが負ける通りはない。だが、四方から撃たれ、狙撃され、とても4脚MTと戦闘できる状況ではなかった。
『ぐッそがァッ! アップルボーイ! MT部隊をまとめてとっとと逃げろ! おい! 聞いてるのかてめぇ! ……おい?』
ヴォルタは通信越しに叫ぶが、返事はない。
──後ろで何かあったか!?
敵ならば援護しなければ、とは思うが出来ない理由がある。四脚MTが率いる防衛部隊が半円を広げてヴォルタを取り囲もうとしているのだ。壁街区の各所に散開し、ヴォルタ達を逃がさない構えだった。ここで背を見せれば集中攻撃を浴びるに違いない。
だが既に、前方に道がないことも彼にはよくわかっていた。"壁越え"は失敗だ。
イチかバチか、とヴォルタは損傷で悲鳴をあげる機体を叱咤し、撤退すべく後方へ下がろうとする。背に攻撃を受ければその時はその時だと割り切りながら。そこで初めて状況を理解した。
後方を振り向いたヴォルタの視界に映るもの、それは……
『て、てめぇッ……!』
ヴォルタは声が震えるのを抑える事ができなかった。碧空を圧するかのような存在感に格の違いを知る。
サイレントラインの亡霊、ポーキュパインがベイラム・グループMT部隊の残骸を背に佇んでいた。
◇◇◇◇
『621、油断をするなよ。アーキバスのMT部隊が先行して攻撃をしかけているが、頼りにはするな。"壁"での激戦は免れまい。ベイラムのレッドガンも返り討ちにあっている。幸いにもG4ヴォルタと一部の隊員は帰投が出来たそうだが、暫くはどんな作戦行動にも参加できない程の重傷を負ったようだ。失敗すれば死ぬと思え』
何を当たり前の事を、と自分でも思いながら、ウォルターは621に注意を促した。
──どうも過保護になっているのかもしれんな
通信が一度断絶し、再び繋がる。
それは621からの"是"を意味する返答だ。
SBSBの序盤を大分差し替えてます