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女の肌を抱くことは重火器の弾倉を装填する作業と大して変わらない。少なくともかつて身体の半分以上を機械へ売り渡した男にとって、それは揺るぎない結論であった。
だが今の彼にはその断定を覆す生々しい肉体の熱が宿る。
グリッド086の第4区画、錆と硝煙の匂いが染みついた薄暗い個室で下から絡みついてくる女の熱い吐息を受け止めていた。
軋むスチールベッドのフレーム。床に脱ぎ捨てられた作業着と、脂じみた下着の山。女の名はエリザといった。RaDの機体整備部門で電装系を束ねる技師であり、カーラがどこからか拾い上げてきた切れ者の一人である。
「あっ……ん、ラミー、速い……っ、待って!」
耳元で切羽詰まった声が弾ける。ポーキュパインは腰の動きを緩めなかった。
彼の中に眠る旧世代強化人間の拡張知覚は意識せずともエリザの生体情報を冷徹に拾い集める。皮下の毛細血管の拡張と頸動脈の激しい拍動。背中に回された細い手が爪を立て、己の背筋を引き寄せる微細な力加減が敵機の出力を監視していた時と同じ平坦なデータとして脳髄を満たす。
どこに触れれば呼気を乱し、どの角度で重心を傾ければ女が声を呑んで悦ぶか。すべてが手にとるように読めた。
──相手の隙を突き、間合いを制圧する。
アリーナの頂点で幾多の戦鴉を屠ってきた闘争の理は乱れたシーツの上の駆け引きにおいてすら完全に機能する。だがかつての冷徹な機械人形と異なり、彼を衝き動かしているのはインビンシブル・ラミーという男の粗野で強靭な肉体であった。
ドラッグで焼き切れていたはずの神経はポーキュパインの精神が定着したことで奇妙な活性を取り戻している。滑らかな女の肌を重ね合わせる摩擦熱。下腹部から突き上げてくる生々しい脈動。
「く……っ、あ……っ!」
エリザが身を震わせ、細い足を彼の腰に固く絡めつけた。張り詰めた吐息が絶頂の痙攣と共にほどけていく。
ポーキュパインは女の細い肩を強く引き寄せ、低く唸るような呼気と共に熱を吐き出した。
脱力したエリザの両腕がシーツへと投げ出され、部屋には二人の荒い息だけが低く響いていた。
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事後。立ち込める油煙と汗の匂いの中でポーキュパインは煙草に火をつけた。紫煙が天井の換気ダクトへと細く吸い込まれていく。
エリザはシーツを胸元まで引き上げ、汗ばんだ額の髪を払って枕元の携帯端末を手に取った。液晶の青白い光が彼女の整った横顔を照らし出す。
「……ねえ、ラミー」
「なんだ」
「あんたの機体、左腕のマニピュレータが完全に焼き付いてるわよ。メインフレームの蓄電コンデンサも皮膜が破裂しかけてる。……壁の上で一体何をやらかしたの?」
画面には格納庫に繋がれた『バーブドワイヤー』の診断ログが赤色のアラートと共に並んでいた。
「ただブレードを振っただけだ。……少し、出力を上げすぎた」
「嘘ばっかり。パルス粒子発生器の波形が二重螺旋を描いてるじゃないの。あんな短時間の放電でエネルギーが跳ね上がったら、普通のACなら腕ごと爆散してるわ。……あんた、まさか刀身から光波でも飛ばしたの?」
「さあな。手首のスナップを利かせただけだ」
男が淡々と煙を吐き出すと、エリザは呆れ果てたように溜息をついた。
「はあ……本当に化け物ね。ベッドの上でもそうだけど、手数が多すぎるのよ。もっと一撃の重さを大事にしなさいよ」
「重さで勝負する趣味はない。手数で制する方が相手の息の根を確実に止められる」
「はいはい、ご立派な職人芸だこと。……まあいいわ。予備の超伝導ケーブルを倉庫から一本くすねてきてあげる。あたしの身体をこんなにガタガタにしたんだからきっちり最高の状態に仕上げてあげるわよ」
エリザは悪戯っぽく唇の端を吊り上げ、乱暴にシーツを跳ね除けて無造作に下着を拾い上げた。露わになった白い臀部と背筋の美しさを男は冷めた目で見送った。
生きている。女の肉体も機体の軋みもすべてがこの手の中にある。
かつての地下都市では決して味わえなかった、泥臭くも確かな実感が彼の神経の奥底を静かに満たしていた。
◆◆◆
舞い散る溶接の火花。
グリッド086の最深部、第1工房の空気は常時稼働する炉の熱気で焦げ付いていた。
「精が出るねぇ、ラミー。女の尻を追っかける暇があるなら、少しはあたしの小遣い稼ぎを手伝っておくれよ」
カーラは作業台の上に無造作に放り出された工具を片付けるでもなく、レンチを回しながら笑った。灰かぶりの魔女と呼ばれる女の横顔には相変わらず人を喰ったような余裕が張り付いている。
「呼び出したのはあんただ、ボス。次の仕事の話だろう」
「せっかちだねぇ。まあいいさ。チャティ、例のやつを見せてやりな」
『了解、ボス』
壁面のスピーカーからチャティの抑揚のない声が響くと、空中に巨大な立体ホログラムが投影された。
青い洋上に浮かぶ、巨大な円環構造物。荒れ狂う海風を受けながら、静止衛星軌道へと伸びる巨大なシャフトの基部。
「……旧時代のコーラル監視施設、ウォッチポイント・デルタだね」
カーラは油で汚れた指先でホログラムを突いた。
「壁が落ちてルビコンの戦況は一気に加速した。ベイラムは面子を潰されて奥歯を噛み締めてるが勝ち馬に乗ったアーキバスはもう次の獲物に目を光らせている。……ウォルターの猟犬がそこに突っ込む手筈さ」
「あの白い中量二脚か」
「そうさ。壁の上でアンタが手取り足取り稽古をつけてやった、あの嬢ちゃんだよ。……だがね、あそこには先客がいる」
チャティが手際よくホログラムの縮尺を変更し、施設の外郭ゲート付近を拡大した。
そこに投影されたのはくすんだ暗緑色の装甲を纏った無骨な二脚ACであった。
『機体名、エンタングル。搭乗者はスッラ。第一世代強化人間』
チャティが淡々と読み上げる。
『アイビスの火以前に施されたコーラル置換手術の生き残り。精神の変質と神経系の侵食が極めて深刻であり、外科的な感情切除を受けていると推測される。独立傭兵として登録されているが実質的には企業や機構の意向を受けない暗殺者だ』
「……第一世代、か」
ポーキュパインの瞳が微かに細められた。
かつて彼が過ごした世界でも初期の強化人間手術は地獄そのものであった。脳幹に電極を直接穿ち、脊髄液を特殊な触媒で置換する。生き残る確率は一握りであり、術後は命令に従って引き金を引くだけの生ける屍へと成り果てた者も少なくなかった。
目の前のディスプレイに映る男もそれなりの業を背負っている様に見える。
「手強いよ」
カーラが珍しく声を低くした。
「あの男はコーラルの匂いを嗅ぎ分ける。ウォルターの狙いを誰よりも早く察知して待ち伏せているのさ。……それにスッラだけじゃない。あの施設の奥底には惑星封鎖機構の番犬、特務無人機『バルテウス』が眠っている」
「飛翔型の自律迎撃システムだな」
「アンタ、見たことがあるのかい?」
「いや。だが似たような無人兵器の群れなら、かつて飽きるほど斬った」
サイレントラインの奥深く、人類を拒絶し続けたAIの兵器群。その記憶がポーキュパインの脊髄を微かに熱くする。
「あたしらの狙いは連中に派手に暴れてもらうことさ。スッラと猟犬がぶつかってコーラルの逆流が起きれば、封鎖機構の防衛ラインは混乱に陥る。……そうすりゃ本脈を探る隙ができる」
カーラは獰猛な笑みを浮かべ、ポーキュパインの胸元を人差し指で小突いた。
「アンタには裏ルートを教えてやる。表から突っ込む猟犬の尻を眺めながら、頃合いを見て潜入しな。……あの嬢ちゃんが第一世代の亡霊に首をへし折られそうになったら、好きに刃を振るっていいよ」
「いいのか。手助けをすれば、お前の言う勢力の均衡とやらが崩れるぞ」
「なに生き残る奴はどんな泥水を啜ってでも生き残るさ。……それにあの嬢ちゃんの翼が本物かどうか、アンタ自身が見届けたいんだろう?」
ポーキュパインはそう言う事にしておいてやるとでも言いたげに短く鼻をならした。
──俺の代わり、というわけか。強かな女だ。
とはもちろん口には出さない。
◇◇◇
冷え切った整備コンテナの鉄床。
薄汚れた毛布に包まれ、C4-621はパイプ椅子に浅く腰掛けていた。点滴チューブから落ちる生理食塩水が彼女の細い血管を冷たく満たしていく。
皮膚は病的なまでに白く浮き出た鎖骨の輪郭はあまりに脆い。第4世代強化人間の過酷な調整は彼女から生身の筋力を奪い去っていた。だが薄暗いコンテナの中で見開かれたその双眸には凍てつくような光が宿る。
壁面のモニターに先刻終了した任務の記録映像が再生されている。
BAWS第2工廠。闇の中から不意打ちを仕掛けてきた透明化MTの群れを彼女の乗る『LOADER4』が次々と切り伏せていく光景であった。
──敵の推進軸の外へ、滑り込め。
あの男の声が耳朶の奥で鮮明に蘇る。
直線的な突進を誘い、紙一重の高度で跳躍し、直角のステップで相手の背後を取る。
パルスブレードの一撃目を叩き込んだ直後。腕が反動で流れる刹那にアサルトブーストを短く噴射して慣性を打ち消し、機体の自重を乗せたブーストキックを叩き込む。粉砕された装甲の隙間に二撃目の光刃を突き刺す。
完璧な連撃であった。
「……見事な戦いぶりだったな、621」
背後から、ウォルターの重々しい声が掛かった。
白髪の混じった髭を撫でながら、ウォルターはモニターに映る機動ログを険しい視線で見つめている。
「旋回戦の精度、ブレードの硬直相殺。……以前の貴様にはなかった動きだ。壁の上で接触した、あの所属不明機から学んだのか」
621は応えない。ただ、点滴の針が刺さった左手の指先を微かに握りしめた。
否定も肯定もしない猟犬の態度にウォルターは低く呟いた。
「……あれは洗練されすぎている。それでいて、古い」
ウォルターはモニターに表示された機動ログ──円運動と直角ステップが描く冷徹な幾何学模様を指先でなぞった。
「いまの戦術は火器の衝撃力とFCSの予測照準に依存している。自動化された姿勢制御に身を任せ、電子の補助輪の上で引き金を引くのが現代の流儀だ。……だがあの機体の動きは真逆だ」
落とされた視線が621の細い手首へ向けられる。
「照準アシストを切り捨て、機体の慣性と推力を神経そのものでねじ伏せている。相手の旋回限界を身体で測り、推進力の死角へ直角に滑り込む……。電子制御が発達する以前、肉体を機械へ直結させた者達が極めた、失われた時代の操縦術だ。最先端の兵隊が束になっても敵わない、剥き出しの闘争の原形だよ」
かつてルビコンを焼き払ったアイビスの火よりも昔。あるいはこの星の外のどこかでアリーナの頂点に君臨していた亡霊のような男の型。
ウォルターの低い声には警戒と同時に抗いがたい戦慄が滲んでいた。
「だが結果としてお前の生存率は上がった。……今はそれを良しとしよう。621、休んでいる暇はないぞ」
ウォルターが端末を操作すると、画面に荒れ狂う海の映像が映し出された。
「次の目的地はウォッチポイント・デルタだ。……ここを突破すれば、俺たちの目的であるコーラルの本脈へ一歩近づく。準備が出来次第、出撃するぞ」
621は静かに立ち上がった。点滴チューブを引き抜き、薄手の耐圧スーツのジッパーを喉元まで引き上げる。
痛む身体の奥底で何かが静かに燃え盛っていた。
教えられた型をさらに研ぎ澄ませたい。あの鈍色の機体が放った、光波の軌跡に少しでも近づきたい。
恐怖を焼き尽くす、紛れもない魂の飢餓であった。
◆◇◆◇
鉛色の海を裂く夜風。
グリッド086の外縁部に突き出た物資搬出カタパルトの突端で重輸送ヘリのローターが低く唸りを上げていた。
甲板の上には換装を終えた『バーブドワイヤー』が直立している。
左腕のパルスブレードにはエリザが倉庫から引っ張り出した軍規格の高密度超伝導ケーブルが幾重にも巻き付けられ、背部には水上戦を想定した追加の放熱フィンが増設されていた。鈍色の機体は獲物を待つ水鳥のように静謐な殺気を放っている。
「しっかり稼いできなさいよ、ラミー」
タラップの脇で作業用の防寒着を着込んだエリザがヘルメットを小脇に抱えて叫んだ。吹き付ける強風に栗色の髪が激しく乱れている。
「あたしの特製バイパス、焼き切ったら承知しないからね! 生きて帰ってこなきゃ、ツケの回しようがないんだから!」
コックピットの中でポーキュパインは機体の外部マイクを介さず、ただ小さく口元を緩めた。
「ガメつい女は長生きする。……昔、そんなのがいたな」
コンソールに指を滑らせ、メインシステムを起動する。
頭部バイザーのセンサーアイが鋭く発光し、ジェネレーターが深い唸り声を上げた。視神経へと直接流し込まれる全周囲モニターの映像。手足のように馴染むアクチュエータの感覚。
機体と魂が融解していく。これこそが彼の真実の世界であった。
視線の先、水平線の彼方には黒々とした雷雲が渦巻いている。
ウォッチポイント・デルタ。
旧時代の遺産を取り戻そうとする猟犬と、過去の地獄から這い出してきた第一世代の暗殺者。そして空を支配する異形の無人機。
「死に場所を求める亡霊か。……いいだろう」
ポーキュパインは操縦桿を引き、カタパルトのロックを解除した。
「誰が一番高く飛べるか、試してみるか」
青白い推進炎が夜の大気を焼き焦がし、鈍色の影が荒れ狂う洋上へ向けて撃ち出された。嵐の海が新たな闘争の幕開けを告げるように激しく咆哮を上げていた。