3年前。大学4年の夏。初めて中央トレセンのトレーナー試験を受験し、惨敗を喫した。
T大入学より狭き門と言われていたため覚悟はしていたが、見えない
そう、あれから3年が経った。合計10年もの月日が流れてしまっていた。
3度目のトレーナー試験にも落ちてしまったオレは、その敗北通告と同時、カワカミプリンセスのメイクデビューを知った。
≡≡☆
そもそも中央のトレーナーを目指し始めたきっかけが、忘れもしない10年前の夏。近所の公園で小学生相手に喧嘩し辛くも勝利していた、カワカミプリンセス(4歳)との出会いだったりする。
「だってね、あのこたちね、ブランコでずーっとあそんでるの。あそべないこがね、たくさんいたの。かわってっていっても、かわってくれないの。そんなのヒメはゆるせない。プリファイだったら、ぜーったい、バコーンって、おしおきするもん」
歳の離れた弟の付き添いで公園にやってきていた15歳のオレは、男系家系なのもあり最初プリファイが何なのかわからなかった。「ヒメ」というのも彼女の名前を指しているんだと思っていたくらいだ。
小学生男子たちを追い払った後(と言ってもほとんどカワカミプリンセスが『わからせた』後だったが)、泣きじゃくる彼女の話を何となしに聞いていた。ヤンチャな弟のために備えていた消毒液が傷に沁み、「んぎぃ!」となかなか聞かない悲鳴が上がる。それでもイヤイヤすることなく彼女は「ヒメはまけないもん。ヒメはかれんで、ゆうがで……」と自分に言い聞かせていた。もちろんすでにぼろぼろと涙があふれていたのだが。
……オレの弟よりもさらにちっちゃいのに、なんでそこまで、我慢強くあろうとするのか。姫っていうより、ナイトみたいな事をいう。
オレは思わず質問を口にしていた。
「お姫さまになりたいの?お姫さまって……なんかもっと、おとなしい感じのイメージが……」
「ちがうの!プリファイはつよいおひめさまなの! プリファイは、ゆーかんで、みんなをだいじにしてて、きれいで、かっこよくて!それで、それで……」
「あ、わ、わるい。そうだよな、人によって考え方違ったりする――」
「それで、とってもはやいの!こんな、こんなふうに――」
「ちょっ!?」
貼ろうとしていた絆創膏が置いてけぼりになる。今の今まで目の前で泣きじゃくっていた女の子は、青い瞳と涙の軌跡を描きながら、オレの視界から飛び出していった。滲んだひっかき傷の痛みも、年上の男の子たちと争った恐怖もすべてを置き去りに。座っていたベンチから公園の遊具の周りを縦横無尽に駆けていく。
その目が余りにひたむきで。
その脚があまりに力強くて。
その顔が――あまりに、楽しそうで。
オレは、その
幼い子どもの儚い夢。1年もすれば別のものに置き換えられる拙い思い。――言葉だけではそう感じたかもしれない。
だが、彼女の
当時のオレにはなかったものだ。何に成ろうか、何を追い求めようかなど、考えたこともなかったのだ。
これは
けれど……カワカミプリンセスだけが持つ、彼女だけの姫としての
「――きれいだ」
目の前に帰ってきたお姫様が、ぜぃぜぃと息を吐きながら、オレの漏らした小声にピクリと耳を揺らす。ガバリと跳ね上がった顔がこちらを力強く見据え、理想という獲物を捕らえようとする捕食者の様な瞳が煌々と輝く。
「きれい?!ほんとに?ひめ、きれいだった!?」
「あ、あぁ……奇麗で、力強くて……めちゃくちゃ、かっこよかったよ」
「――ッッ、おっしゃー!ひめは、ひめにまたいっぽ、ちかづきましてよー!」
「ンなッちょ、まっ、ぢからづよ――ッ?!」
先ほどまでのボロボロだった幼女ではなく、理想を胸に前へ進み続けようとする猛姫がそこにいた。前のめりなあまり、褒められた喜びからか眼の前のオレに抱きついて首元をホールド。軽く意識を手放しかけるほどの剛腕がすでにこのときから片鱗を見せていたが、喧嘩の件と娘の雄叫びを聞きつけた母親が猛ダッシュで近寄ってきたので失神には至らなかった。拳骨を落とされたカワカミプリンセスは今度こそ泣きじゃくり、彼女の泣き声とあられのように降り注ぐ母親の謝罪とで一気に騒々しくなったものだ。
嵐のようだったその場を後にする母親に手を引かれながら、鼻をすするカワカミプリンセスは最後に振り返ってオレに手を振ってくれた。
ありがとう、と。
≡≡☆
「ありがとうございましたー!またねー」
「今日ね、今日ね!最後まで転ばずに走れたんだよ!それにね――」
「ねぇねぇおかあさん、今日の晩ごはんなにー?」
「じゃあ明日公園で10時ね。約束だからね!」
トレーニング後の紅潮した顔が夕陽で覆い隠されている。かなりの運動量をこなしたはずなのに疲れなど微塵も感じさせない、幼いウマ娘達が口々に元気な声を響かせている。手を繋ぐ父母や兄姉がその勢いに辟易と、または口元を綻ばせたりしながら帰りの道へと引いて行く。ふと、目があった子の1人が屈託のない笑顔で1言。
「トネリ
「あッ――あぁ、また、来週な」
向けられた挨拶に反射的に首だけで振り返ってしまったものの、痛みにひくつきながら笑顔を作る。
正月明け、新年1回目の《ヴィクトリー倶楽部》の練習風景も、それはそれは血気盛んなものだった。入院して体がなまったのか、ウマ娘たちの体力についていけなかった体がひどく重い。
子どもたちを見送る傍ら、使用したコーナーコーンやアジリティラダー、ドッヂボールの玉などを他のサブトレーナーと一緒に片付け……気づけばとっぷりと日も暮れていた。ひんやりと冷たい空気を肺にめいいっぱい吸い込み、特大の白い息を垂れ流す。
と、その背中めがけてバシンッと平手が一発。
「いやぁ今年も子どもたちが元気そうで何よりだねぇ。≪ポジティヴで元気いっぱい≫!は我が倶楽部のモットーの一つ! だというにクソデカため息を垂れ流す若い大人がいたんじゃ示しがつかんよー全く」
「チーフ……病み上がりに対してそれキッツいですって。それに若いっつってもこの前25になりましたし、なんだかんだアラサー――」
「50代のおっさんに向けて嫌味かなーこの子は!」
「痛い痛いイタイですって!スイマセン配慮に欠けてました!」
「若いのに気持ちで負けるてるんじゃないよ。ヴィクトリー俱楽部のモットーもう一つは!?」
「つ、≪強い気持ち≫……」
倶楽部のチーフトレーナーは、返事を聞いてうんうんと頷き返し、集めたコーンをひょいッと10個。気持ちでもフィジカルでも勝てる気がしないバリバリの体育会系で実は苦手なのだが、児童にもサブトレーナーにも寄り添い気持ちを汲んでくれる、面倒見の良い指導者だ。――名門・トレセンに何人もの児童を導いている名トレーナーで、オレの師匠だ。
ヴィクトリー倶楽部のモットーは、あの日のカワカミプリンセスを彷彿とさせるもので。――理想を追う上で気持ちが負けてはいけないと、オレは試験勉強の傍ら何度も、チーフやウマ娘児童たちの熱気に背中を押されたものだ。確かな実績を持つ理論や練習法を教わり、子どもたちを相手にそれぞれの体に合った実際的な指導法を学び、実践し……トレーナーとして、たくさんの経験を積ませてもらえたのは、ひとえにチーフのおかげだ。
「中央トレーナー試験3度目の不合格に続いて、交通事故に合い年末を病院で過ごすことになるという踏んだり蹴ったり蹴られたりなトネリ君ではあるが」
「傷口をえぐることに容赦なさすぎません?」
「そんな障害も乗り越えられればこそ、本当にどうしようもないと思える時、あきらめない強さを発揮できる。今年も精進したまえよ。目指せヴィクトリー!」
「だから叩かんでくださイッタぁ!?」
いいところに入った平手に悶絶する様をまわりの同僚が笑う。でもそれは茶化すような笑みではなく、チーフとのやり取りから檄を受け、気持ちを前に向ける笑みだ。
彼ら、彼女らの中にも、同じく中央トレセンの狭き門を潜らんと奮闘している戦友がいる。
もちろんこの俱楽部で子どもたちの成長に寄与することを誰もが誇りに思っているが、目指す未来は「まだ見ぬアスリートとの出会い」「ダービートレーナーとしての栄誉」など、ここではない
みんな、目指す
では自分の理想を誤認していた時は?
オレはつい最近まで、中央のトレーナーになり、自分の手でウマ娘を勝利に導くことがオレの理想だと信じていた。
だが、彼女のデビューを聞いた瞬間オレは違和感を覚えた。オレの理想は、周りの戦友たちと違って歪んでいるのではないか、と。
そして、見舞いに来たカワカミプリンセスとそのトレーナーを見て、確信に変わった。どうしようもなく気付かされた。
カワカミプリンセスは理想に向かって今なお突き進んでいる。レースの結果や、病室で出会った彼女とのやり取りを見るに、そのトレーナーも彼女の才能や思いを十分に引き出す素晴らしい逸材なのだろうことは納得している。
これからは1ファンとして彼女たちを応援しよう。
そう、心を新たに。
別の理想を。
自分に言い聞かせた言葉は、今もなお……空っぽになった胸の中で、空しく反響している。
各話で必ずカワプリとのやり取りを垂れ流す、が目標。
ところでウマ娘世界の倶楽部の先生ってコーチなのかしら、トレーナーなのかしら。悶々としながら一先ず進めていきます。