「はぁいみなさんこんにちは」
「「「こんにちは!!」」」
「んん。今日もみんなが≪ポジティヴで元気いっぱい≫で何よりだねぇ。トネリくんも見習うようにー」
「…………はい」
バシバシと襲い来る背中の痛みに耐えていると、目の前の子どもたちがキャッキャと笑う(ついでに同僚のサブトレたちもにやけている)。いつも通りいじられ役に回っているオレだが、今日はそんなことにかかずらっていられるほど精神にゆとりがない。
痛みが本物であることを自覚し、目の前……というか、自分の視界の右に存在する二人の人物が幻じゃないことを再認識する。オレの視線がそっちを向いたことを察したのか、それとも先ほどからソワソワしている子どもたち(そして同じくサブトレたちも)の思いを汲んだのか、我がヴィクトリー倶楽部のチーフは笑顔で宣言した。
「はいではね、なんと今日はサプライズでね。トレセン学園のカワカミプリンセスさんとそのトレーナーさんがトレーニングに参加してくれます。ハイ拍手ー」
「「よろしくお願いします」わー!」
「「「キャー―――!」」」
オレも一緒に叫びたい。
子どもらの様な黄色い悲鳴ではなく、「どうしてこうなった」という困惑の悲鳴だが。
≡≡☆
話は一週間前、桜花賞の一週間後に遡る。
自分の夢がかなわぬと知った喪失感からか、オレは中央トレーナーの資格勉強すら覚束なくなっていた。一週間ほど「博打で有り金全部溶かしたような顔」(by友人記者のランマル)だったが、そこはもういい歳した大人だ。子どもたちの指導にも身が入らないようではさすがに申し訳が立たない。心の底に残った未練を辛うじて「見ないふり」し、若きウマ娘たちへの責任感で平常心を取り戻そうとしていた。
そんな矢先にスマートフォンの着信音。
ディスプレイに現れた「ワカミヤトレーナー」の文字に思わずたじろぐ。
事故後のやり取りで連絡先を交換していたが、その際のやり取り以外には鳴らなかったメロディ。――それがなぜ今? 自分が何かをやらかしてしまったのでは? そもそも、自分が理不尽な嫉妬心を抱えている対象でもある彼女と、まともに会話できるだろうか。なにかの弾みでおかしなことを口走ってしまわないだろうか――頭の中で目まぐるしく言葉が飛び交うものの、待たせるわけにはいかず反射的に通話ボタンを押す。
短い挨拶を交わした後に、おずおずと腰の低い声が用件を伝えてくる。
『ヤマシタさん、ヴィクトリー倶楽部のサブトレーナーだとおっしゃっていましたよね?』
「え、えぇ。そうですけど……」
『折り入ってお願いがあるのですが……プリンセスを、トレーニングに参加させてもらえないか、そちらの代表の方に掛け合っていただけませんか?』
「は? そ、れは一体どういう」
『オークスに向けてのトレーニングは必須なんですが、レース直後は消耗があるのであまりハードに追い詰められなくて。それに、まだ体が緊張してて、桜花賞の際にドアノブを捻りつb――』
「は? それもどういうことです!?」
『ぃ気にしないでください! え、えぇと、そう、は、走りに硬さが残ってるんですよね! それで、リラックスした環境で走ることそのものを楽しむ余裕を取り戻したくてですね! 子どもたちに教えたりとか、一緒に併走したりとか、他者へのフィードバックの際に自身への落とし込みも同時に成しうるといいますか! そ、それで――』
などと、色々と気になることは多いものの、オークスに向けて必要だとかのトレーナーが判断したことなら協力したい。自分の嫉妬心が鎌首をもたげようとしたが、ことはプリンセス自身のコンディションにもつながるのだ。ファンとして彼女らを応援する気持ちまで萎んでしまったわけではない……と自分に言い聞かせ、オレはチーフに試しに話をしてみると返答した。
『ダメなら別の方法を試しますので!』というワカミヤトレーナーの心配は、「桜花賞ウマ娘がうちに? いいねぇ!」というチーフのノリノリの返答で杞憂に終わった。ヴィクトリー倶楽部出身のウマ娘が練習指導に参加してくれることはたまにある――サクラバクシンオーやサクラチヨノオー、サクラローレルなどは年に数回顔を出してくれるほどだ――のだが、今回のようなケースは珍しいと二つ返事で了承してくれた。確かに、今をときめくティアラ獲得者が練習に姿を見せるなど、所属する誰にとってもプラスの影響を与えるだろう。存在にときめきすぎて子どもたちがまともに練習できるのかはさておきつつ。
≡≡☆
ゆえに、まずは子どもたちの欲を満たさねば練習にもなるまい。
「聞きたいことがある人ー」
「「「「「ハイハイはいはいはい!!!!」」」」」
沸き立つ大音声に思わずしかめ面をこぼしてしまうが、純粋なファン感情からすれば突然のファンサービスでそうなるのも仕方がない――誰だってそうする。オレだってそうする――のだが。トレーニング時間自体限られているため、程よく打ち切れるようにまともな質問を持っていそうな子を選別しようとして、突然プリンセスが声を上げた。
「はい! そこの青いシュシュのあなた! ≪キラッとプリファイ!≫のプリンセスアクアマリンがお好きと見ましたわ!」
「ッそうなの! カワカミおねえちゃんすごい! アクアマリンがだいすきなの! や、やっぱりカワカミプリンセスさんも、プリファイすきなんですか?」
「もちあたぼーですわぁ! プリファイはわたくしの心のバイブル、姫としての道を示してくれた永遠の目標ですの! あとわたくしのイチオシはやっぱり初代プリンセスファイターですのよ――はい、次はそこの≪動物つかいプリファイ!≫のプリンセスレオパードさん!」
「すっげぇ! なんでおれがレオパードすきだってわかったの?」
「ふふふ、姫のプリンセス・アイにかかればお茶の子さいさいですわ。黄色いヘアゴムでちょこっと結んだ後ろ髪に、ヒョウ柄のリストバンドとくれば……!」
「「「おぉーーー」」」
Oh……まさかのインタビュイーからの逆指名により早くも波乱を見せ始めた。プリファイ自体未だ根強い人気を博しており、倶楽部内でも人気のコンテンツの一つだ。意気投合するのも無理からぬことだが……このままではプリファイファン交流会になってしまう。チーフは「元気でよろしい!」って顔で笑って立っているが、ワカミヤトレーナーは独走し始めたプリンセスを前に視界の端で胃の痛そうな顔をしている。どうにか場を修正しなければなるまい。
「あー……それで、レオパード大好きッ子は、桜花賞ウマ娘のカワカミプリンセス選手にどんなことをききたいのかな?」
「! そ、そうだ! おれ、はやくカワカミプリンセスせんしゅとはしってみたい!」
「あ、わたしも! すっごくはやいんだよね!」
「たのしみたのしみ! はやくはしろー!」
「まぁぁ……なんてエネルギッシュなプリンセスたちですの。姫、思わず涙がちょちょぎれましてよ……ッ。いいでしょう、いざ! 姫と一緒にプリンセス・ダッシュですわー!」
と、早くもトレーニングの流れに持って行けたのは、やはりウマ娘たちの走りに対する本能的な欲求だろう。誰もが言葉で聞き語るより、自分の足で語り合おうとする。それは幼少のウマ娘でも変わりない……脳裏に、あの公園での出来事がよみがえってくる。
少女たちの意欲に応じて他のトレーナーと準備を行った後、全員が用意されたコースのスタート地点に立つ。人数が多いので簡易ゲートの準備もなく、運動会の徒競走スタイルだ。今回は子どもたちのスタート、そしてプリンセス(と、ウマ娘のサブトレーナーも加わる)が5秒後にスタートする形でハンデを加えている。実力的にそれほど開きの無い子どもたちにとって、後ろからの圧を感じつつ走るというのはかなりの刺激になるだろう。
「では、位置についてぇ!」
せっかくなのでワカミヤトレーナーに号令をかけてもらう。幼いとはいえウマ娘、圧倒的強者を前にしてもなお滾る闘争心が空気をひりつかせ、普段から見ているオレたちトレーナーも含め、その場の全員がワクワクを隠し切れない。
「よーい――ドンっ!」
放たれた声。そして瞬間重なり合う、地面を踏み込む音。
一斉に駆けだした子どもたちが、真剣な目つきで前を行く。倶楽部で日々鍛えた脚は同年代の子たちよりも強く、しなやかで、ブレない。小さな体には体力がついていかないのでそれほど長いコースを走ることができず、まだ脚質を身に着けるという段階には至らないが、「速く走る」という点においてはどの子も真剣に努力し、運足法を身に着け、実践できている。程よい緊張感の中でしっかりとトレーニングの成果を出せていることに、倶楽部のトレーナーは満足げに頷く。
しかし、5秒の壁は厚いようで脆い。少なくとも未だ本格化には程遠いウマ娘たちと、ポテンシャルの最高潮に達しているウマ娘との差は、歴然だ。
「では……よーい、ド
地面が、抉れる音がした。
体のバネであるアキレス腱が唸り、前方に体を押し出す。ヒトにはできない低姿勢を強靭な上半身の筋肉が支え、やわらかな股関節屈筋が両脚を自由に広げる。大腿筋が破壊的な衝撃を吸収し、足裏が地面を掴んだ瞬間、ふくらはぎにあるハムストリングが爆発する。
事故の時にも見せた、飛ぶようなスタートダッシュ。
一歩、二歩、三歩……目で追いつけないほどの速さで足が跳ね、見る見るうちに先行組に追い縋る。一人、二人三人と追い抜かれては、子どもたちが悲喜こもごもの叫びを上げる。そして、引き離されていくウマ娘のサブトレーナーも、決死の形相が徐々に驚愕に染まっていった。
プリンセスの走りに、今までのレースで見たような強張りはない。
子どもたちの熱い思いに応じるように、その走りはただ純粋に前へ、前へと駆けていく。
勝ち負けの存在しない、速く走りたいという純粋な猛りのままに、前へ。
あの公園で見た幼い姿はそこになく。
されど、かつてと変わらぬひたむきさで。
「あぁ……やっぱり、きれいだな」
その走りを間近で見たオレの心は、こうもたやすく捕らえられる。
「ほんっとうに、奇麗で、力強くて……めちゃくちゃ、カッコいいなぁ……ッ」
彼女の選手人生にオレ自身が関わっていなくても。彼女のトレーナーになるという夢が潰えても……彼女の走りは、これからも進化していく。理想とする姿に一歩一歩近づかんとする彼女を、これ以上ないほど彼女を信頼する才女が支えている。それこそ喜ばしい限りじゃないか。この数日抱き続けていた彼女への心のわだかまりが、ほかならぬ彼女の走りによって解れていく。自分の夢がかなわないことなど、彼女の理想の実現と比してあまりに矮小だと力づくで納得させられた。
もう迷いはない。プリンセスのファンとして、これからも彼女たちを応援し続けよう。
あの青い瞳に自分が映らないとしても。
理想にたどり着く彼女の姿を、この目に焼き付けることはできるのだから……。
「……
目の前に、走り終えたプリンセスが近づいてきた。
ウマ娘の耳は、微かな声を確りと拾い上げた。
爛々と輝く青い瞳は、まっすぐにオレを捕えている。
「え、っと?」
「
ドクンと、心臓が跳ねる。
待ってくれ、と、心が叫びをあげる。せっかく、ようやく、ファンとして、憧れとして、踏ん切りがつきかけていたのに。
けれど、
「トネリさん、あなたは……ちっちゃいころに私を励ましてくれた、あの!」
喜色に彩られていく彼女の顔。
オレの決意は、わずか数分で瓦解することとなった。
プリンセスって公園でガキ大将を鎮めたり、お姫様に憧れる女の子を励ましたり、本当にいいお姉さんやってますよね。