世界のゆらぎは今が最高。これ以降はもはや届きえないでしょうから……そう。
決着をつけなければ、なりません。
どうか、この声も届いていますように。
For PANDORA BOX
「超大型の飛行物体……?」
してやられたことを、ハナコは認めざるを得なかった。
先生を軟禁したルカの取る手は、先生の防衛である。そう考えるしかない思考が完全に看破されていた。
「あんなのを動かすのは……さすがにあの子だけだよねぇ」
「なんて醜悪な……瓦礫の天使、とでも呼びますか?」
「アレに天使は言い過ぎだよ……さすがにバケモノでいいかな、って」
ミカとハナコが見上げる先、浮かび上がった巨大な影が翼を広げて……
「誰の前で、そんな悠然とさぁ……ブンブンブンブン、飛んでるのかなぁ!!」
姫の憤懣激高、神秘と直結した荒ぶる感情が星を呼ぶ。
「落ちろ!!!」
数多の流星が、ルカの駆る天使へ降り注ぎ……
『登れ』
空へと帰っていく。
一声、世界の秩序を決定付ける一声が響き渡り、世界の秩序は書き換わる。
世界への干渉を可能とする、『パンドラの匣』。
そして、その干渉を最大限高める技術的アプローチに加え、非科学的……儀式的な神秘へのアプローチによって構築された巨大構造物、万能の願望を実現しうる、匣の所有者をも構築要素のひとつとして構築した怪物。
匣の所有者……白崎ルカを軸に編まれた、白崎ルカ自身を『世界全ての真に定まった法律』として位置付けることで、『白崎ルカという法による正しい世界』へと世界を変える、法に対する狂気の極限。
今や、生徒の大半は先生という新たな秩序の元に反逆し、もはや法が秩序を保つことはできなくなった。それでも、白崎ルカは、『看取り手』は、それを許容できない。世界が移り変わるにしても、彼女たちにとって、法だけは絶対でなくてはならなかった。
法に従うだけでは、もはや不足。絶対的なる法は、もはや意志を持った機構……白崎ルカ、そのものが司らなくてはならない。彼女の傲岸とも言える意思は、なれど形を持ってしまった。
今、彼女は隕石が降ることは『正しくない』と定義し、隕石とは空へ登るのが『正しい』と定義して、ミカの隕石を無力化したのである。
『反乱の首魁……見つけましたよ』
天からの声に、ミカとハナコ、それに数多の生徒たちが天へ銃口を向ける。
「あなたを倒せば、先生が帰ってくるわけじゃないけどさ。一番の邪魔はあなたなんだよね……消すね?」
「キヴォトスの秩序を乱していること。それに関しては、謝罪しますが……先生という、今の世界を保つ楔を勝手に引き抜いたあなた方が、最初の反乱者であると。私たちはそう認識しました」
答えを受けた天からの声は至ってシンプルに問いかけた。
『では、法的に問題がある手続きを取らねばよかったのではないでしょうか? なぜ武力に訴えたのですか? ……キヴォトスに生きるならそれも常識だったからですかね? それとも……手続きじゃもうどうにもならないことが分かってたからですか?』
それは、反乱者たちを逆撫でするようで。なれど、ルカの心からの問いであった。
なぜ、こんなことを? 私たちは法に従って動いただけに過ぎない。不当だと思うなら法に従って手続きをすれば良いでは無いか。そう彼女は心底不思議そうに問いかけただけであった。
その問いかけに、立場だけで言えば最高峰に位置しているお姫様は声を荒げた。
「やったよ、とっくに! 無視決め込まれたけどさぁ!?」
『嫌ですねぇ。無視したんじゃなくて、限界まで回答を引き伸ばしただけです。回答するつもり自体はあったんですよ? 勝手に事を起こしたのはそちらです、聖園ミカ』
「どうせ回答延長して先に固めれば通るって算段の癖に白々しいよ? 随分なトリニティ仕草だね、白崎ルカ」
さて、と天からの声がひと段落とばかりに告げる。
『ま、なんでもいいです。聞きたいのはひとつだけ……抗いますか? 法に、秩序に』
「こっちからひとつ、言いたいことがあるかなあ」
『ふむ』
「正しさを定義するとかなんとか、たぶんそういう感じなんだろうけどさぁ? それって、神様の仕事だよね」
『……何が言いたいのです、聖園ミカ?』
ミカは、その頭上のヘイローを凄まじく輝かせる。その背面の翼を、悠然と広げる。
「『神の右腕。神に近く、神と呼ばれ、しかし神になれぬ者。かくしてその者、人に告げる』」
『……聖典の一節』
「なーんだ、知ってるんじゃん? じゃ、続く言葉も分かるよね……『誰が神になれようか』……神様気取りしちゃってさぁ? いいこと教えてあげるよ白崎ルカ!」
その後ろで臨戦態勢を取ったハナコが、高らかに声を張り上げる。
「法も秩序も、意思は持たない……そのあなたの今の有り様が、あなたを最も不確かな正しさに貶める!」
『言ってくれるじゃないですか? ……んん、まあ時間稼ぎは十分にできましたし……私は目的を果たしましょうかね。止めてみますか? やれるものならどうぞ……』
どの道状況は完全膠着。時間稼ぎをするだけしたと自身に言い聞かせ天使が飛び去ろうとした、その瞬間。
「では、遠慮なく……『救護が必要な方へ、救護を』ッ!!!」
翼持つ天使が、地に引きずり下ろされる。さらに上空、天からの極めて重い……強いて言うなら、隕石のごとき一撃。姫の呼んだ星は天空へと登ったが、その頃の青空には異なる蒼が、星と遜色ない破壊力を蓄えていたのである。
『……ミネ! お前ッ……じゃない、貴女はそちらにつくつもりですか!!』
(……想像より早い! エルと通信もできない! ……まさか、エルがやられた? そんなバカな!)
「私は悲しい! 意志を持つべきでない法という基幹が! 他ならぬ法に従い続けた貴女自身の手で歪む、その矛盾が! ひどく悲しい!! 救護が必要です! そう、あなたに必要な救護は……」
盾を握り締め、その身に力を蓄えて、跳躍。天にある身へ、時に翼をはためかせ、時に足で瓦礫を蹴り、最接近。
『……っ、まずっ』
「その、狂った思想の歪みを!」
ミネは、辿りついた天使の頭へ、迷いなくその盾を振り下ろした。
「打ち砕く!!」
そして、突き刺さった盾を、ミネは見据えていた。
「そして、貴女には思い出してもらわねばなりません……法と秩序の、正しさが如何であったのかを。こんな紛い物にすがる必要が、あなたにあったのかを」
『間違っているのは私ではありません! ミネ! 反乱を起こした彼女たちを……これさえあれば救えるのです!! 殺さなくて済むんですよ!!?』
「いいえ、あなたは間違っている。罪は、精算されるべきものであり……この狂った天使でなかったことにする、なんてことは許されません。ですから……ここで、終わりです!!」
ミネの神秘が喚起される。その剛腕に、さらなる力。元々特殊なテクストを除き外装など装備していない天使は銃を無効化こそすれ、接近される前に『言葉』で払い除けることをコンセプトとしている。
故にこそ、『言葉』の通じない『蒼森ミネ』という女ただひとりが天敵であったことが、この天使の悲劇だったのだろう。
『あぁもう、最悪です。話が通じないってこんな気分なんですねぇ……』
「救護を!!!」
盾を思いっきり、上から殴りつけたミネの一撃で、盾が天使にめりこみ、貫き。
頭から下までを貫いた盾が蒼い閃光のように軌跡を残して、天使は堕ちていく。
その背から飛び出した、白と黒の翼をハナコとミカは見逃さなかった。
「ここで仕留めるよ!」
「救護ォッ!!!」
「ッ!!?」
そして、それを追うために駆け出したミカを、ミネは全力で殴り抜いたのである。
「私は悲しい……このような行いで、本当に先生を取り戻すことが出来るのですか? 取り戻した後、本当に先生がお喜びになると思っておられるのですか? もし、本当にそう思うのであれば、私は悲しい。私は断言しましょう。このような行いで取り戻された座を、先生は断じて受け入れないと」
「では、蒼森さん。あなたはこの、先生が軟禁された状態で先生が自発的にお戻りになられると?」
ミネは頷いた。殴り倒し、脳を揺らしたミカを膝を着いて支え、ハナコの問に答える。
「浦和さん、その通りです。……友の受け売りにはなりますが、全て世は、導くままにある。道を違えることがなければ、今は事ならずとも、必ず先生は何らかの要素をもって我々の傍にあるはずだったのです。連邦生徒会から、シャーレではない別の形での妥協も促せたはずなのです」
「連邦生徒会が先生を解放する、という確信はおありなのですか?」
「連邦生徒会は先生を手放さないでしょうが、先生はきっとより多くの生徒に目を向けようと試みるでしょう。我らトリニティのように、連邦生徒会も一枚岩ではありません。恐らくは、シャーレよりもより権限を縮小した形で、お悩み相談室のような形態を取るような妥協を目指していたのではないでしょうか」
ハナコは考え込みながらもしかし、と続けた。
「些か楽観的に過ぎるのではないでしょうか。先生と白崎ルカは徹底的に対立しているのは我々生徒間の共通した常識です。取り返しのつかないことになってしまっては……」
「それこそ、悲観的に過ぎます。今の状況で先生に手出しをすれば連邦生徒会と各学園連合での全面戦争になるのは目に見えている。それでも彼を罪人として裁く、というのならともかく、こういう状態なら超法規的措置と言うのは政治的に極めて納得が行きます」
その言葉は極めて順当に、懇々と説かれる説話のよう。ミネが極めて頭の回る、賢い人物なことにはやはり疑問を差し挟む余地はないのである、ということが、ハナコには極めて頭の痛い問題であった。
それに、とミネは付け足した。
「あの歪んだ天使……アレは、世界に干渉して『なかったことにしよう』というもの。今回の反乱はなかったことになり、罪はなかったことになり、我々の常識が書き換えられる。そういうものなのです」
「……くぅ、効いた……それ、どこで知ったのかな?」
「おはようございます、ミカさん。実は先程まで、あの天使の眠る基地に居まして。そのまま天使を追って、こちらに」
「なるほどね……誰から聞いた、って聞いたつもりなんだけど?」
「わからず屋の親友に聞いたんですよ。なかなか苦労しましたが、こちらについてもらっています」
その言葉にその場の誰もが首を傾げた。わからず屋の親友。ミネにそんな人物がいたか? と。なお、ミカは『わからず屋は大概そっちもだよね』と思っていたことはここに伏せておく。
「状況が混濁してきましたね……つまり、ミネさんは我々がこれ以上動くことを是認しないと?」
「その場合は多くを救護することになるとは思います。ですが、聡いお二方ならここが分水嶺なのはお分かりのはず」
「……どうやって終結させるつもりなのかな? 火種を煽った私だから言うけど、この火は大きい。もう私たちが消火器をぶっかけても止まらないよ?」
その言葉にさもあらんと頷いたミネは、だからとばかりに頷いた。
「えぇ、えぇ。ですから、首謀者をでっち上げることにしました」
「は? ……失礼しました、なんと?」
「紹介しましょう……全部を守りたいわからず屋です」
地面を踏む音。宇宙のような、と表現される煌めきが、空中に楕円形に展開され、彼女はそこに現れた。
「……ミネ。もう少し紹介のしようはありましたね?」
「……望箱エル? あなた、ルカの……」
「今はトリニティの望箱エルとしてここに居ます。……死人として、やることをやろうと思いまして」
全員が『死人』という言葉にぎょっとする。いや、ミネだけはやはり、という顔にはなっていたが。
「やはり、あのパンドラの匣というものは死亡した生徒を取り込んでいく……今まで取り込んだ生徒たちの良いところを繋げて繋げて、繋ぎ合わせてひとまとめにして生み出したのがルカさん。違いますか?」
「んん、その辺は匣に聞いてください。私はその辺疎いので……とにかく。私が今回のことについてはカタをつけます……皆さんのお咎めは最低限度になるでしょうね」
「……というと?」
「死人が1度死のうが2度死のうが同じということです」
望箱エルは、そう言って笑った。パンドラの匣に眠る、
希望が先を見始めた頃、白黒の翼をはためかせた執行官は……大いに自身の失態に失望しながら、それでも砕かれた天使から解き放たれたことで、『真の敵』を認識した彼女は、やるべきことをやる為に各所に確認を取っていた。
『こちら尾刃。FOX小隊との連合で襲撃に来たミレニアムの特務部隊を撤退させた。再度来ることは無い、2人に深手を負わせた……逮捕はできなかった』
『こちら空崎。市街地制圧戦は完了。美食研究会と温泉開発部はゲヘナに護送したわ……勝手な判断だけれど、こちらでゲヘナの犯罪者は確保する』
その言葉に焦りが募る。
『ルカ!』
「こちら白崎!」
『改変兵器が落とされたのは見ていました! 気にする事はありませんが、このままでは……!』
「えぇ、なかったことにはできない。見なかったことにするにも限界があります! どうにか、どうにかして学園間のパワーバランスを名目上でも保たなければまずいのですけど……」
その通信に、割り込む声。
『っと、合ってますね? ルカ、カヤちゃん、どうも』
「……!? 良かった、無事なんですね!?」
『エルさん! 通信途絶と聞いた時はどうしたかと思いましたが……!』
『時間がありません。私を使いなさいと、そういう提案です』
『「使う?」』
望箱エルが乱入して述べたこと。それは、極めて突飛な大発想。
「……この反乱を、ベアトリーチェの首謀とする?」
『どうせ『私』です。1度死のうが2度死のうが変わりません。都合のいいことに私は元トリニティ。反旗を翻した首謀格はトリニティに集まっていますから、私が彼女たちを強制的に従えたということにします』
『……それで納得させられるのでしょうか?』
エルはだからベアトリーチェを使うのだと言った。
『ベアトリーチェを使います。せっかく裏で殺してますから、使わない手はないですよね……この戦争は首謀者死亡による終結という形になります』
「……全部あのババアとあなたで無理くりおっ被さるつもりですか。まあ、無くはないですが……」
『先生から証言を引っこ抜いてきて、ベアトリーチェの人間性の証明としますか』
「……悔しいですが今回の件の収束には先生の力がどうしても必要ですねぇ……まあ最も丸く収める、という話ですが」
サブプランとしてエルの胸中に秘められていた、既に殺害したゲマトリアの一員であるベアトリーチェを最大限活用したトリニティ系問題の解決。
ここでこの秘策を切るべきだとエルは確信していた。
『では、不知火室長。諸々のご準備を願います』
『えぇ、クロノスのために場所を用意しておきます』
「なら、私は『決着』をつけてきます」
『『……なにと?』』
「まあ気にしないでください……終わらせなきゃいけないので。舞台に観客が口出しするのは、重大な罪。そう思いません?」
彼女が話しながら移動していたことは、誰もが知っている。そしてそこは、パンドラの匣の『本体』が眠るベースであることも。
しかし、白崎ルカは匣ありきの存在であるが故に、誰もそれを疑わず。
それ故に、通信を切った彼女が匣に銃を向けているなど、誰も想像しなかった。
「さて……世界をそんなに破滅させたいのなら、この私が直々にお相手しましょう。カタ、つけてもらいますよ」
瞬間、目の前に広がる文字列。
『良かった、届いていたのですね? 援護しますよ。彼らとの直接決戦なら』
「ふふ、お願いしますね」
匣の本体……『古いラップトップパソコン』の液晶からどろりとした液体が溢れ出し、何十、何百の私が一斉に目を覚ます。
「紛い物とて、こうも並べばってやつですね……」
『意外だったな、匣の主。このようなずさんな、美しくない終着を望むとは。世界の揺らぎを利用して我らをこちらに引きずり出したところでぽっと出の
一斉に全ての私が語るその様は、まさしく恐怖なのだろう。だが、どうも私にはそれは違うように見える。強いて言うなら、B級映画を見させられているようで、滑稽だった。
「上等じゃないですか? それに私たちにとっては大切な物語。それを人様の劇場でレビュアーぶってデッかい声出して……なんて馬鹿みたいな風情のなさ、愚劣もいいとこです」
存在を愚劣だと批判された匣に眠るソレらが吼える、我らは、我らはと。
『望むだろう! 混沌を! 絶望を! 我らの上にある彼らは望むだろう! 青春の物語ではなく、苦悶に世界が落ちる様を!』
私はそれを聞いて鼻で笑う。それは、この世界の望みでは無いから。
「世界は平和を望んでいる。世界の住人は幸せに向かっている。望んで不幸に向かうものはいない。みんなの胸の内に、常に匣はある。数多の絶望がそこにあるかもしれない。けれど、その心中、最後のひとつは希望で出来ている。だから……」
私はすうっと息を吸った。
「理不尽を押し付けるすべてに、抗う。世界の住人たちはこの世界で……幸せに、生きたいんだ」
『ならば、選択の時だ……どの道、貴様にやれることなどないがな』
「ハナから選択肢なんてない……行く先はひとつだけ、道がなければ作ればいい。どこの世界の神かは知らないですが、祈りは済ませましたか?」
『不要だよ。貴様に私は殺せない。法で裁けないものを貴様は殺せないのだから』
右手に剣を、左手に銃を。慣れ親しんだスタイル。
「連邦生徒会策定、連邦基本法2条3項改訂。本法案はキヴォトスに存在する全ての人、及びオートマタに対して適応される。なお、人やオートマタに遜色なく意志を持つ存在は人及びオートマタと同様に扱う」
右手の剣が蒼く輝く。
「連邦生徒会策定、治安維持に関する刑法72条1項改訂。キヴォトス全体の秩序を滅ぼす可能性のある組織、及び個人に関しては、実態を確認次第その時可能な最大の処罰でもって対する」
頭上、ヘイローが煌めく。
「連邦生徒会長様はハナからお見通しのようですね。この改訂は会長が失踪される前、私たち看取り手が設立された時に行われた改訂です。……これで、あなたも裁けますね」
『馬鹿な……』
「我らのあこがれの超人様ですので。さ、終わらせましょう!」
『パンドラの匣:エルピスシステム、ブート。いけますよ、ルカ』
「えぇ、行きますよっと!」
私は、軽やかに一歩、いつもの日常のために前へ出た。罪人の首を飛ばすために。