二人は同じ血を流す。私はその間に挟まる。   作:愛宕饅頭

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前回の話の終盤を大分修正したので、よければそちらも見ていただけると幸いです。(10月15日に更新)


閑話,夢を見る

 

君が消えてしまう夢を見る。

朝起きて目を覚ますと、君が居た思い出が全部なくなってしまう夢だ。

誰に話しても君を覚えている人は一人も居なくて、お母さんだって不思議な顔で『弟なんていないでしょ』って笑われる。

家の中で昔の写真を探し回るけど、どこにも一つも君が映ったものは見当たらない。

怖くなって外に出るけど、君がどこに居るかも分からなくってすぐに迷子になる。

約束したのにって私は叫ぶ。いつどこに居ても、どんなに離れていても一生一緒だって私が約束したのに、君の足跡一つ見つけてあげられない。

どんなに声を上げても、何度名前を呼んでも返事は帰ってこない。

段々怖くなって君のことを必死で思い出そうとするけど、私は君のことを全然知らない自分に気づくんだ。

やがて私は足を止める。胸に手を当てて考える。

 

ああそうか、君は初めから居なかったんだ。

 

そう納得して、安心して私は家に帰るんだ。

優しいお母さんとお父さんの居る家に、一人で帰る。

 

「……また同じ夢」

 

そんな夢を見て、目を覚ます。

ひと月に一度くらい、忘れた頃にこんな夢を見てしまう。

君が居なくなってから……アルと離れ離れで暮らすようになってから、ずっとこんな調子だ。

 

無意識に布団の中をまさぐるけれど、当然のようにそこに他の人はいない。

少し汗ばんでしまうくらい暖かくて、離してってお願いしても離してくれない甘えん坊のあの子の姿はない。

……当然だ。もう一緒に暮らさなくなって何年も経つんだから。

未だに君の面影を追っている。まだ私は、君の居ない朝に慣れない。

 

「……おはよう」

「ん、おはよう燈」

 

リビングに行くとお母さんが新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。

今日は土曜日だから、お義父さんはまだ寝てるんだろう。

 

「朝ごはん、パンと牛乳でいい?」

「うん」

 

いつも朝ご飯はお米を食べるけど、起きてくる時間がバラバラになりがちな休みの日はパンを食べることが多い。

 

「リンゴも剥いたけども食べる?」

「うん」

 

お母さんが用意してくれた朝ご飯をもそもそと口に運ぶ。

卵ペーストのサンドイッチ。ハムもレタスもない、ただ卵が入っただけのサンドイッチ。自分の中でサンドイッチといえば真っ先にこれが思い浮かぶ。

……アルが大好きだった味だ。

 

ちらっとお母さんに目を向ける。

少し疲れた顔をしていた。私が見ていることに気づくと、どうしたのって顔で優しく笑ってくれる。

私のよく知る、大好きなお母さん。

 

いつからか、お母さんの口からアルの名前を聞くことはなくなった。

お母さんがいつもアルって呼んでたから、私も真似してそう呼んでいた。……今、あの子をそう呼んでいるのは私だけ。

まるで忘れてしまったみたいに、まるで初めから居なかったかのように、お母さんはあの子の居ない毎日を普通に過ごしている。

 

変な気分だった。

まだ私だけが、あの夢の続きを揺蕩っているような……そんな気分になる。

 

どっちが夢だったんだろう?

私の隣でたくさん笑って、泣いて、この世界を明るく彩っていたあの子は居ないの?

それとも本当は今これが夢の中で、今に目を覚ませば同じ布団であの子が私に甘えているのかな?

 

ああ、きっと私だけだ。

この世界で私だけ、あの時……あの子と離れ離れになった日から、私だけが取り残されてしまっている。

 

私が普通じゃないから。

 

机の上に置いていたスマホが震える。

勝手に画面の明かりがついて『10時〇×公園で待ってる』という文字が表示される。

私はお母さんに見られないように、こっそりとスマホを手元に手繰り寄せる。

 

「こら、食べながら携帯見るのは行儀悪いよ」

「ご、ごめん」

 

連絡はまた後で返そう。

気持ち早くご飯を食べ進める。

 

靄がかかった視界が晴れる。

眠気に引きずられていた意識が目覚める。

 

私は知っている。

あの子は夢の中だけにいる幻想なんかじゃないって。

誰もが居ないふりをするけど、確かに今もこの世界に生きている。

 

この世でたった一人、私と同じ血を流す姉弟として。

 

 

=============================================================================

 

 

「外に出るとやっぱり暑いね」

 

冷房の効いた科学館から外に出ると、むわっと体に纏わりつくような熱気が充満していた。

 

「もう6月だもんね……」

「これより暑くなるなんて考えたくないな」

 

隣にいる少年が目を細めて空を見ている。

空は分厚い雲に光を遮られながらも、太陽は容赦なくその熱気を地上へと降り注ぐ。

 

その日は科学館に来ていた。

10時に公園で待ち合わせをして、移動がてら喫茶店で軽く昼食を食べてから、先ほど科学館でプラネタリウムの上映がありそれを見終えたばかりだ。

 

私の隣に立つ少年に目を向ける。

私の目線が丁度彼の胸元、鎖骨あたりになる。

見上げてようやくその顔が見える。紫がかった灰色の髪に、飴色の瞳。どちらも私と同じ色をしていた。

 

私と目が合うと、ふっと優しく微笑んで

 

「どうかした?」

 

って聞いてくる。

私は何でもないよって首を振る。

 

須能歩弥。

昔から変わらない名前だけれど、今は互いに違う家族と暮らす血の繋がった弟。

14歳の中学生で、来年には高校生になる。

 

アルは、随分と変わってしまった。

まるで太陽みたいに明るく笑うあの子は居なくなっていて、お母さんみたいに優しく笑うようになった。

怖がりで泣き虫だったあの面影はすっかりと見えなくなった。

背筋をピンと伸ばして立ち、怖いものなんてないっていう風に堂々と前を向いて歩く。

私よりも小さかった男の子が、今では見上げるほどに大きくなっている。

 

別々に暮らすようになって9年以上が経つ。

時間は残酷だ。

私の知らない場所で、私の知らない時間を過ごし、私の知らない顔ばかりを見せるようになった。

会うたびに大人になっていく君に、もう少し子供でいて欲しかったと思うのは私の我儘なんだろうか?

もう少しだけ、私の知るあの子でいて欲しかったと願うのは……きっと私だけがあの頃と何も変わらないままだからだろうか?

 

私の目の前に手を差し出される。

まるでそうすることが当たり前みたいに、私がする行動を待っている。

 

いくつも変わったことがあるけれど、変わらないものも一つあった。

 

私はその手を握る。

すっかり私よりも大きくなった手。その大きさを確かめるように指と指を絡ませる。

ただ触れ合って傍に居るだけでじっとりと汗をかいてしまうほどの熱気だったけれど、私はその手を離すつもりは無かった。

私と手を繋ぎたがるのは、変わってしまってばかりのあの子の昔と変わらない癖だったから。

 

「手、おっきくなったね」

「そうかな?……そうなのかも」

 

よく分からないとアルは呟く。

私はアルと手を握るのが好きだ。もう誰も口にしなくなったあの思い出が、夢じゃなかったって思えるから。

 

そうして私たちは歩き始める。

 

「最近、忙しい?」

「全然時間作れなくてごめん」

「ううん、謝らなくてもいいよ」

 

アルとこうやって出かけるのは実に一ヵ月ぶり。

中学に上がったくらいからいつも忙しそうにしていて、上手く予定が合わない日が続いていた。

本音を言うともっと、毎日でも会いたいくらいだったけどそんな我儘は言えない。

 

「その……私が手伝えそうなことってある?勉強、とか……あんまり自信ないけど」

「あはは、大丈夫だって。ちょっと前まで大変だったけど、最近余裕ができてきたくらいだから」

「……無理、してない?」

「してないよ。心配してくれてありがと」

 

そう言って、笑ってみせる。

知っていた。きっと何も言ってくれないんだろうなって。

アルは私に隠し事をすることが増えた。問い詰めても、絶対に大丈夫だって言う。迷惑をかけたくないからって困ったようにまた笑うだろう。

きっと私が頼りないからだ。自分でも分かってる、私にできることなんて限られてるから。

そう分かっていても……何も教えてくれないのは少し寂しい。

 

「……プラネタリウム、よかったね」

 

暗くなってしまった私を気遣うようにそんな話題を投げかけられる。

 

「燈はよく来るんだっけ?」

「うん」

「誘ってもらわなかったら、多分一生来てなかったかも」

「そう……だったの?」

「絶対そう。水族館も、植物園も、一人だったら絶対行ってないし興味も持たなかったと思うよ」

 

その話には少し驚く。

私は昔から水族館は大好きだったし、家族皆で行った覚えもある。

あの頃のアルだって楽しんで……いや、そういえばあんまり覚えてない。自分が楽しむことでいっぱいいっぱいで、あの子がどんな顔をしてたかって上手く思い出せない。

 

「……もしかして、あんまり好きじゃなかった?」

「ううん、逆。俺こういうの好きだったんだなって教えられた。燈のおかげでね」

「え?」

「自分のことに付き合わせてばっかりって思ってた?」

「……うん」

 

だってそうだ。いつもアルは、私の行きたいところに行こうって言うから。

ふと見上げると、互いの視線が重なった。

繋がり合う指先に少し力が籠る。

 

「春も夏も秋も冬も、俺一人だとどうでもいいモノばっかりなんだ。でも、燈が居ると違う」

「春は一緒に桜を見に行きたいし、夏は一緒にかき氷を食べに行きたいなって思うし、秋だったら紅葉が楽しみになる。冬だったら……雪が降ればいいのになって思う。……寒いの苦手だけどさ」

「燈が一緒に居てくれるだけで、俺はこの世界のことが少しずつ好きになれる」

「今日また、俺は好きなことが増えたんだ。それは全部、燈のおかげ」

 

そう言って君はまた、優しく微笑む。

ズルいなって思ってしまう。そんなことを言われたら、また私は甘えてしまう。

アルは変わった。昔と違うその大人っぽい笑い方は、私はちょっと苦手だ。

優しく笑いかけられるたびに、胸の奥の方が苦しくなる。昔は全然そんなことなかったのに、君が笑うと痛くて苦しくって……切ないって思ってしまう。

きっと、私が普通じゃないからだ。

 

「ねえアル――」

 

繋いだ手とは違う、もう片方の手でアルの頬に手を伸ばす。

もっともっと近づきたいとつま先を伸ばす。

指が髪先に触り、手の平にその肌のぬくもりを感じる……その間際に冷たいものが私の頬に触れる。

 

「え……雨?」

 

そう言うが早いか、ぽつりぽつりと周囲の音が変わっていく。

 

「あれ?天気予報だと降らないって見た気がしたんだけど……」

 

二人が立ち止まって空に目を向けている間にも、雨音が獲物を追い立てるように強くなっていく。

パッと繋いでいた温もりが離れた。それに名残惜しさを感じるよりも早く、私の頭の上から覆うような影ができる。

 

「あっちの公園、屋根があるから雨宿りしよう」

 

アルは自分の上着を脱いで、私が濡れないようにその上着を被せてくれていた。

 

「思ったより雨強くなってるかも……ちょっと走れる?」

「う、うん」

「窮屈だけど、許してね」

 

上着越しに私の肩を掴み、誘導されるように走る。

自分が濡れていることには何も言わない。まるでそうすることが当たり前ってみたいに。

お礼とかいろんな言葉が浮かんできたけど、それを言葉にするよりも先に私たちは小走りで近くの公園の屋根付きベンチの下に避難した。

 

 

「濡れてたり、汚れてたりしてない?」

「うん……えと、ありがとう」

「どういたしまして」

 

雨宿りした先で、私はベンチが濡れてないことを確認してから腰掛け、アルはすっかり濡れてしまった自分の上着を畳んでいた。

 

「うわ……早めに移動してよかったかも」

 

時間が経つほどに一層その雨脚は強まっている。

一時的な通り雨かどうかはまだ分からないけど、雨具も無しに飛び出していけるような天気じゃない。

 

「折り畳み傘とか持ってる?」

「ごめん、持ってきてない……」

「そっか、うーん……ここって近くにコンビニあったっけ?」

 

ハンカチで髪の毛を拭いながら、アルはスマホの画面を見ていた。

多分地図を見ているんだろう。

 

「……座らないの?」

「ん。ああ、俺濡れてるから大丈夫」

「…………」

「あ、ちょっ引っ張らないで……」

 

強引に腕を引っ張って隣に座らせる。

そうでもしないと遠慮したままだっただろうから。

ぴったりと傍に張り付き、私の肩が彼の腕に触れる。

 

「濡れるよ?」

「……嫌じゃないから」

 

そう言いながら、隣に座る彼の肩にもたれ掛かる。

 

「もう少し、雨の音を聴いていたいな」

「……そうだね。別に急いでないし、休憩しよっか」

 

観念したようにスマホをポケットにしまう。

 

雨が止む気配はない。

公園には他の人の気配は一つもなかった。

周囲の雑踏すらかき消すほどの土砂降りの雨音が、世界を一つの音に塗り替える。

暑くなってきたね、なんて話をしていたばかりなのに少し肌寒さを感じてしまうようになった。

……だからだろうか?いつも以上に傍にいるその体温が心地よく感じてしまうのは。

 

「6月って、こんな感じなんだね」

「……知らなかったの?」

「ああいや、ごめん今のちょっと馬鹿っぽかった。なんだろ……こうやって何もしないでさ、雨の音だけ聞いて過ごすことなんてなかったから。新鮮な感じなんだよ」

「アルはせっかちだから」

「それは……そうかも」

 

別々に暮らすようになって、ただ会うというだけのことが私たちの中でいつの間にか特別になっていた。

月に一度か二度。たったそれくらいの短い時間だから、せめてその日だけは特別なものにしようって張り切ってた。

私もそうだけど、この子は特にそうしようっていう気持ちが見て取れた。

いつもそうだ。頑張り屋で、一人で何でもしようとするから。

 

「もっと、ゆっくりでいいよ。何もしていなくても、二人で居られるだけで特別だから」

「……うん。俺も同じ気持ち」

 

何もせず、ただ二人で雨の音を聞く。

水と冷たさに沈む世界の中で、この場所だけが温かい。

まるで世界で二人きりになってしまったような、そんな錯覚をしてしまう。

 

アルの手の上に私の手の平を重ねる。

少しだけ指を丸めて、私の指と触れ合わせてくる。私もそれに応えるように、指に少しだけ力を込めた。

 

小さい頃には、想像もしていなかった。

ただこうして傍に居て、触れ合えるだけで幸せになれるだなんて。

普通の姉弟のままだったのなら、そんなことを思わずに過ごしていたんだろうか?

朝おはようって挨拶をして、一緒に朝ご飯を食べて、二人で歩いて学校に行く。そんな何でもない普通の日が、決して届かないくらい遠い場所にある。

私は未だに、君の居ない朝に慣れないままだ。

お母さんも今のお義父さんも大好きだけれど、君の居ない日常はまるで微睡の夢の中に居るみたいにぼやけて見える。

きっと私が、何も変われないままだから。

 

「……好きだよ、アル」

「……俺も、燈を愛してる」

 

こうして言葉で二人の気持ちを確かめ合うようになったのは、離れ離れで暮らすようになってからだ。

たくさんのことが変わっていって、知らない事ばかりが増える君のことを少しでも近くに感じられるように、私はそれを言葉にして確かめる。

 

「ねえ……」

 

傍に居て、離れないでいて。

そう願いながら視線を上に向ける。

まるで示し合わせていたみたいに、私たちは同時に互いの顔を見ていた。

 

それ以上は何も言わなくても伝わった。

 

眼を閉じれば、唇に柔らかい熱が触れていた。

ただ触れ合わせているだけで、頭の奥がパチパチする。

きっとそれが、普通じゃない事だって私にも分かってる。

 

いつからだろう?

ただ傍に居てくれるだけでよかったのに。

 

いつからだろう?

二人で同じ時間を過ごしているだけじゃ満たされなくなってしまったのは。

 

いつからだろう?

こうして触れ合っていないと、君が確かにそこに居るって分からなくなってしまったのは。

 

「……ん」

 

どちらの物とも分からない吐息が重なり合う。

 

胸の中が安心感で満たされる。

どんなに離れていても、ずっと一緒だと思ってた。

この心は繋がってるって思ってた。

 

君が変わっていくたび不安だった。

私のことをお姉ちゃんって呼んでくれなくなったとき、私は寂しかった。

互いの苗字も変わって、私の知らないことでも何でも知っているようになった。

無邪気に笑わなくなって、辛そうにしてても泣いてくれなくって、自分のことを何も話してくれなくなった。

私はずっと怖かった。君が知らない人になってしまったみたいで。

 

それでも一度だけ、私を頼ってくれたことがあった。

四年くらい前だ。『今すぐ会いたい』ってそれだけのメッセージが送られてきて、私は君に会いに行った。

君は私を見つけるとすぐに私を抱きしめた。苦しくて、体に指が食い込むくらい強く体を抱きしめられた。

その体はずっと震えていて、君はずっと泣いていた。

理由は話してくれなかったけど、何かに怯えているようだった。

『大丈夫だよ』って私はその背中を撫でてあげた。

暫くすると、少し落ち着いたみたいで私の体を離してくれた。

そうして、私の目を見て君は言った。

 

『全部忘れてしまいたいんだ』

 

何もかも変わってしまったはずの君が、子供の顔で泣いていた。

いつも大丈夫って笑う君が、大粒の涙を流して苦しんでた。

 

私はそれを見て、一緒に悲しんであげるよりも先に嬉しいなって思ってしまった。

慰めの言葉をかけるよりも先に『綺麗』って言葉が零れてしまっていた。

自分がズレてるって自覚はある。でも、やっとその時思い出したんだ。

 

世界で一番大切な人の、涙を流すその表情にどうしようもなく心を惹かれてしまう。

今までずっと抱えてきた違和感が、目の前の君と漸く一つに溶け合って、私の大好きな君はまだそこに居るんだねって思えたから。

 

『俺を、燈の特別にして』

 

何をすればいいかなんて分からなかった。

ただ、自然と二人は同じことをしようとしていた。

この世の何より愛してるって伝える方法を、それしか知らなかったから。

それは普通じゃないと分かっていたけど、嫌だとは思わなかった。寧ろ嬉しかったんだ。言葉にせずともそうしてあげたいと思えて、二人が同じ気持ちで繋がり合っているような気がして。

 

それ以来だ。

君のことを思うと、胸がぎゅーって切なくなるようになった。

君が消えてしまう夢を見るようになった。

訳も分からず不安になって、君の顔が見たくてたまらなくなって、あの温もりをもう一度感じたくなってしまう。

 

まるで病にかかってしまったみたいだ。

 

「……雨、止まないね」

 

どれだけの時間、唇を重ねていただろうか。

触れ合っていた温もりが離れ目を開くと、君は思い出したように外を見ながらそう言った。

 

「ずっと止まないままでいい」

 

未だに、雨の匂いを嗅ぐと辛い別れの日を思い出す。

今もまだ、クライシックのことはずっと深く心に影を差したままだ。

けれど、今だけは。この雨に、ずっとそこに居て欲しいと思った。

 

私はまた、その肩に体を預ける。

とくんとくんと、自分の胸の鼓動が感じられるくらいに私の胸は高鳴っていた。

 

「ずっとこのまま……一緒に居られればいいのに」

 

叶わないと知りながら、私は願望を口にする。

 

「……そうだね、本当にそう」

 

噛み締めるように君は言う。

お互いに、それは無理なことだって分かってた。

 

私たちは間違いなく、同じ気持ちで繋がっている。

どんなに離れて暮らしていても、この思いだけは偽れない。

全てのことを自分一人で決められたのなら、絶対この手を離したりしないのに。

 

知っている。

私たちが一緒に居ると悲しむ人が居る。

私たちが一緒に居ると知られれば、壊れてしまうものがある。

 

その何もかもが、どうでもいいって思えたなら楽だったのに。

 

いつのまにか、雨音が小さくなり始めていた。

遮られていた周囲の雑踏が耳に入るようになる。

二人だけの世界から、ままならない現実へと少しずつ引き戻されていく。

 

「……止みそうだね」

「……うん」

「次はさ、あえて雨の日に出かけてみる?二人で傘さして、散歩して……紫陽花とか見つけてさ」

「……ちょっと楽しそう」

「でしょ?そんでまた今日みたいに、二人で雨宿りして静かに雨の音に耳を傾ける。次はそういう日にしよう」

 

アルはよく未来の話をする。

私の今の寂しさを見通してるみたいに、安心させるように言う。

 

「今日はもう終わるけど、また次があるよ。……燈が付き合ってくれるならだけど」

「絶対、約束する」

 

私が小指を差し出すと、アルは少し困った顔をして同じように小指を出してくれた。

 

約束を交わす。

まるで幼いころと同じように。

 

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何度も同じ夢を見る。

あの時、あの子が居なくなってしまう時の夢だ。

 

ずっと後悔してしまっていることがあった。

 

まだあの時は、自分たちにこれから起こることがよく分かっていなかった。

このままずっと家族が離れ離れになってしまうなんて想像できていなかった。

だから、私はお母さんに言われるがままに頷いていた。

自分で何かを考えるより、お母さんの言うことの方が正しいって思ってたからだ。

 

でも、あの子は違っていた。

 

『ねえ、アルもお母さんと一緒に居たいよね?お姉ちゃんも一緒に居るんだよ?』

 

お母さんはあの子の手を握り、優しい声で訊ねていた。

あの子は私の顔を見て、お母さんとお父さんの顔を交互に見た。

そうして、首を振ったんだ。

 

『行かない。お父さんがかわいそうだから』

 

高潔にも、あの子ははっきりとそう言った。

 

私の胸の中に残る、最後に見たあの子の姿だった。

あの時の私は、ホッとするような思いだったと思う。

自分では何も選ばなかったくせに、誰も一人ぼっちにならないで済んだって思ってた。

 

今なら思う。

私はあの子に言ってあげるべきだった。

あの子が傷つき変わってしまう前に、私の知らないところで苦しまないで済むように。

 

私と一緒に居よう。

 

そう言って手を伸ばしてあげればよかった。

私があの子と一緒に居ることを選んであげるべきだった。

そうすればきっと、二人は変わらずに一緒に居られて……今あるこの罪悪感を抱かずに済んだだろうから。

 

私はあの日のことを、何度でも夢に見てしまう。

 

 

 

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