二人は同じ血を流す。私はその間に挟まる。   作:愛宕饅頭

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最近シリアスが多いから短めの緩い話をと思って書き始めたんですが、全然短くないです。
もしかしたら短編描くの苦手なのかもしれない。
いつか2000文字くらいの短編が複数入った小話集みたいなのも書きたいですね。


閑話,触れて知る

 

羽丘女子学園。中高一貫の女子高。

男の自分には直接的な関係は無いものの、姉さんの通う学校であり愛音さんの通う学校でもある。

その学校の校門の前に、俺は居た。

 

「…………ふぅ」

 

立派な校門を前にして一先ず呼吸を整えることから始まる。

緊張で体が固まるタイプではないが、それでもこの目の前の姦しい空気に対しての心の準備は必要だ。

既に下校時刻なのだろう。校門を通り帰宅しようとしている女子生徒の奇異の視線に晒される。まあその反応も当然だ、明らかにこの場に不釣り合いな学ランの男が校門の前に立っているとなると嫌でも目についてしまう。

何も悪いことをしているわけでもないのに、どうにも居た堪れない気持ちになってしまう。

 

「早く来てくれ……」

 

スマホを開き、先日作られたばかりのグループチャットを開く。

『着きました。待ってます。』そう文字を打ち込んで送信しポケットにしまい込む。

 

「はぁ……」

 

このため息も今日で何度目だろう?

今日も今日とて愛音さんに呼び出されたのだが、今回は一ついつもと違う指定があった。

いつもなら駅で合流、或いはすでにファミレスや喫茶店の中での合流が主だったけれど、今回はこうして迎えに来て欲しいと念押しされた。

どういう思惑があるのかは知らないが、強く拒絶する理由もなかったので、こうして俺は言われた通りこの羽丘まで足を運んでいた。

 

日に日に、自分のガードというか基準値が緩くなってしまっているのを感じる。

ほんの少しでも、今の家族に姉さんと会っているということを気取られたくないために様々な対策を講じていた。

こうして姉さんの通う学校に迎えに来るなんて、今までなら絶対にしなかっただろう。少しでもリスクがあるのならやめておこうと考えていたはずだ。

互いに遠慮して月に一度か二度くらいしか会うことは無かったのに、これで今月姉さんと会うのは何度目だろうか?

 

よくない傾向。

これはただの油断だ。……そう分かっていても、こう易々と釣りだされている理由は簡単だ。

姉さんに会いたい。ただそれだけの思いに、俺は抗えない。愛音さんもそれを分かっているんだろう。

 

再びため息を吐きながら眼鏡をしまおうと鞄からケースを取り出す。

 

「眼鏡」

 

完全に気を抜いていたところに声を掛けられ、肩が跳ねる。

 

「ビックリした……来てたんだ。ごめん、全然気づいてなかった」

「私も驚かせてごめん」

 

いつの間にかすぐ傍まで姉さんが来ていた。

姉さんの気配を見逃すだなんて俺らしくもない。……最近色んなことがありすぎて疲れているんだろうか?

眼鏡を外し、軽くレンズを拭ってケースに仕舞う。

 

「目、悪かったの?」

「いや……ただのファッションだよ」

 

特に誤魔化す必要は無いだろうと思い、そのままを答える。

一応は普段の生活と姉さんの前でのメリハリをつけるための変装を兼ねているけれど、一々そこまで言う必要は無いだろう。

 

「眼鏡してるの、初めて見た」

「そういえば、初めて見せたっけ」

 

確かに日常の自分とのスイッチの切り替えとして眼鏡をつけているからか、姉さんにつけている姿を見せたことは無かったのかもしれない。

 

「あのちゃんも、学校ではあんまりつけてないけど、たまに眼鏡かけてる」

「そうなんだ。……そういえば前、あんまり目がよくないって聞いた気がするな」

 

実際につけている姿は……どうだったっけ?

なんか見たことある気もするけど、あんまり気にしないからか覚えていない。

 

「……ところで、その愛音さんは?」

 

辺りを見渡してみるがそれらしき姿は見当たらない。

俺の記憶が確かなら、姉さんと愛音さんは同じクラスだったはずだ。それなのに、どうして一緒じゃないんだろう?

 

「あのちゃん、ちょっと待っててって言ってた」

「そっか。じゃあ、待とっか」

 

あの人が俺を呼び出したくせに勝手な人だな、とは思うものの姉さんと二人きりになれるのなら願ったり叶ったりだ。

なんなら急用ができて、このまま姉さんと二人で喫茶店とかに行くことになっても全然構わないのだが。

そんなことを考えていると、自分の手元に強い視線を感じる。

 

「じー……」

 

鞄に仕舞おうとしていた眼鏡ケースを、姉さんが食い入るように見つめている。

 

「……そ、そんなに気になる?」

「うん」

「じゃあ、どうぞ」

「いいの?」

「ただのアクセサリーみたいなもんだから。別に大した値段の物でもないし」

 

そこまで気になるのならどうぞどうぞと、ケースを開けて眼鏡を差し出す。

姉さんはおずおずと手を伸ばすと

 

「はい」

 

ケースの中の眼鏡を取り出して俺に手渡し、ケースを手に取って目を輝かせていた。

 

あ、そっちなのね。

 

心の中でツッコミを入れるが、確かに姉さんが興味を持ちそうなのはそっちだよなとすぐに納得する。

姉さんが収納道具に異常な執着を示す性格というわけでは勿論なく、そのケースに描かれているイラストが気になったのだろう。

ケースの上面に描かれている2羽のペンギンとそのヒナのイラストを、姉さんはまじまじと見入っていた。

 

「これ……もしかしてガラパゴスペンギン?」

「さすが。よく分かったね」

「うん。一目見てフンボルトペンギンの仲間だなって分かってたけど、首元のラインが二本だからマゼランペンギンかなって思ってた。けど、嘴の根元から目のあたりにかけてピンク色の模様があるし、喉元の黒のラインがスプレーがけしたみたいにもやもやの灰色っぽく表現されてるから、もしかしてって」

 

この短時間ですさまじい観察眼と考察力だ。

 

「いっしょに描かれてるヒナは、二羽の番の赤ちゃんなのかな」

「多分ね」

「実際に見て、それを絵に描いたのかな」

「そこまでは……どうだろう」

 

ケースを買ったのは自分だが、そこに描かれているイラストがどんな経緯で描かれていたかまでは把握していない。

 

「これ、すっごくレアだね」

 

興奮した面持ちの燈の姿に、思わず顔が綻ぶ。

この眼鏡ケースは普通に市販されている商品で、一点物のオーダーメイドというわけではない。当然、姉さんが言う『レア』という表現もそういう意味ではない。

このケースに描かれているガラパゴスペンギンという種は、ペンギンの中でも非常に希少な種にあたる。そもそもの絶対数が少ないのもあるが、その生息域が非常に珍しい。ガラパゴス諸島にのみ生息し、ガラパゴス諸島に生息しているということはつまり、赤道周辺の熱帯海域に住むペンギンというわけだ。これは現在観測されているペンギンの中で、唯一熱帯海域に住む種ということになる。

絶滅危惧種に指定されており、日本の水族館では見ることも叶わない。当然ながら、俺も姉さんも実際に見たことは無い。

つまるところ、ペンギンの中でも大分マイナー寄りの存在がこのガラパゴスペンギンなのだ。

世の中には、ペンギンのイラストを用いた商品というのは山のように存在している。が、大抵の場合はオウサマ、コウテイ、アデリー、イワトビあたりが描かれていることが殆どだ。見た目も特徴的で可愛いし、日本の水族館で見に行くこともできるというのも大きいだろう。

そんな中で、ガラパゴスペンギンが描かれた商品はなかなか珍しいと言えるだろう。

そういう意味で、姉さんは『レアだね』と言ったのだ。実際、自分がこのケースを選んだ理由も『珍しいな』とぼんやり思ったのが手に取った理由でもあった。

 

……我ながらとんでもなくマニアックな話をしている気がする。

自分は特別ペンギンが好きというほどではないけど、姉さんが好きなモノだからか自然と詳しくなってしまった。

 

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

一頻り見つめて満足したらしく、眼鏡ケースを手渡される。

 

「また一つ、今まで知らなかったアルのことが知れた」

「……燈」

 

互いの本心に触れあったあの日以来、姉さんはよくこれと同じことを言う。

何だかむず痒い……いや歯痒いというべきだろうか?

俺という人に触れてみたいという姉さんの思いを嬉しく思ってしまうのと同時に、俺は今までそんなにも姉さんを不安にさせてしまっていたんだなと情けなくも思ってしまう。

 

最近、考えてしまうことがある。

俺は姉さんの為に何ができるんだろうか?と。

今まで、全身全霊をかけて姉さんの幸せの為を思って行動してきた。姉さんの気持ちを一番わかってあげられるのは自分だと本気で思っていたし、姉さんの望むことなら何でもしてあげたいと思っていた。……けど、結果的にそれらは姉さんを傷つけることになってしまっていた。

 

いつだって俺という人間はシンプルだった。

どれだけの苦痛や困難があろうと、また姉さんに会うことができるということだけが希望だった。

姉さんの為に色んなことをしてあげたい。そう考えることが、俺にとってただ一つの生きる理由だった。

それ以外の何かを考えたことは無かった。……いや、そんな余裕は無かったというべきなのかもしれない。俺自身も、その必要性を感じたことは無かった。

 

でも、それじゃあ駄目だったんだ。

その振る舞いは、姉さんを追い詰め不安にさせてしまっていた。

 

姉さんの為に何かをしてあげたいというこの想いが空回りなら。重荷なのだとしたら。

これから俺はどう振舞っていけばいいんだろう?

この世の何より愛おしい人の為に、俺はもう何もしてあげられないんだろうか?

 

そんなことを、考えるようになってしまっていた。

 

「ごめーん!お待たせー!」

 

思わずしんみりと思い詰めてしまっていた時、丁度よくピンク色の声が届いた。

はぁはぁと息を荒くしながら額に汗をかくその人の両手には、目を疑うような大きさの紙袋が提げられていた。

 

「あのちゃん、すごい大荷物」

「思ったよりいっぱい貰っちゃって、これも私の人徳かも?なんて」

 

曰く、次のライブの衣装の参考にするために演劇部やファッション研究部やらから、余った布や使ってない服なんかを貰ってきたらしい。

ライブにそんなに凝った衣装が必要なのだろうかという疑問は湧いたが、一先ず飲み込んでおいた。

 

「じゃあ、取り合えず行きましょう。さっきから視線を集めてますから」

「あー!そうしたいのは山々なんだけどなー!重たくって肩も痛いし、これ以上持ってると指もつりそうだし、どこかに心優しい親切な人はいないかな~!」

 

あまりにもワザとらしい言葉の後、憚ることなくちらちらとこちらに視線を向けてくる。

そこで俺はようやく理解した。何故この日に限って珍しく迎えに来てだなんていう要求をされたのか。

初めからこの人はこのつもりだったんだろう。

 

「はぁ……」

 

本当に仕方のない人だ。

 

「あのちゃん。それ、私が持つよ!」

 

皮肉の一つでも言ってやろうと思っていた自分の口が開くよりも先に、姉さんが動いていた。

やる気十分とでも言いたげな表情で、むんっと拳を握っている。

 

「ともりん優し~!さすがは私のこい――」

「ちょちょちょっと!俺が持ちますから!」

 

しれっとそのまま姉さんに手渡そうとした荷物を、慌てて愛音さんから奪い取る。

 

「私も半分持とうか?」

「いや、大丈夫だよ。そんなに重くないから」

 

量が量なので嵩張って持ちにくくはあるが、それほどずっしり重いという感じではなかった。

 

「アル、そんなに持ちたかったの?」

「……そうだよ」

 

姉さんに大荷物を持たせて自分は手ぶらだなんて絶対に嫌だ。

そんな思いが全てだったが、そう言うとまた姉さんに気を遣わせたと思われそうだったので、やむなく荷物を持ちたい人になることにした。

そんな俺を見て愛音さんは『優しいねー』なんて姉さんと頷き合っている。きっと愛音さんは、俺の意図を察しているだろうに。白々しい人だ。

ここまでの流れも、この人にとっては予定調和だったのかもしれない。なんだかまんまといいように使われてしまったような気がする。

 

……ま、別にいいんだけどさ。

 

そうして並んで歩く二人の後ろを、少し遅れてついて歩いた。

 

 

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「いい加減、一つステップアップしてみてもいいと思うんだよね」

 

3人での帰り道、愛音さんが突然そんなことを言う。

 

「ステップアップって?」

 

当然の疑問を姉さんが投げかける。

 

「色々あるけど~……歩弥君が私に敬語使うのやめるとか」

「はぁ……」

「全然乗り気じゃなさそー」

 

俺の気の無い返事に、愛音さんがムッとした顔を向ける。

 

「それって必要ですか?」

「むしろ初歩の初歩でしょ!仲良くなる第一歩でよくやらない?もう他人じゃないんだしさ」

「他人……まあ恋人は確かに、他人ではない……か?」

「ともりんには全然普通に喋るでしょ?」

「それはそうですよ。今更そんな仲じゃないですから」

「私にも今更じゃない?」

「う~ん……」

 

言われてみれば、今更と言えば今更なのかもしれない。

曲がりになりにも恋人で、俺自身もこの人に対して気を許していると言ってもいいと思う。

別に敬語で喋ることに拘りがあるわけではないし、変えて欲しいと望むのならそうするべき……なんだろうか?

 

「嫌、なの?」

「嫌ってわけじゃないけど、敬語の方が慣れてるから難しいなって」

「慣れてるって、普通逆じゃない?」

「そう言われても、家でも敬語なので」

 

普通だったら砕けた口調が普通で、相手によって敬語を使い分けるのだろうけど、俺の場合は日常の殆どの場面で敬語だ。

それこそ、姉さんとアリス相手以外にはずっと敬語で通してきている。

そんな生活をかれこれ10年近く続けてきたので、パッと切り替えるという方が難しいものがある。

 

「えっ!そうなんだ……なんかお家厳しいって話だったもんね」

「まあそんな感じです。一応善処はしてみますけど、別に敬語だからって今更遠慮してるわけじゃないって分かってるでしょう?」

「うーん……それもそっか」

 

意外にもあっさりと納得してくれる。

愛音さんにこうして指摘されてみるまで、自分の中で敬語とそうじゃない線引きのことをあんまり考えたことがなかった。

確かに愛音さんにはまだ敬語を使っているけど、それでも大分砕けて喋れている方だと思う。いつかは姉さんに話しかけるみたいに、愛音さんに話しかける日が……来るのだろうか?あまりイメージが湧かないな。

 

「じゃあアル君は――」

「ちょっと、何サラッと耳馴染みのない呼び方してるんですか」

「むぅ、バレちゃったか」

「バレます。バレバレです」

「私のこともあのちゃんって呼んでいいからね」

「呼びません」

 

相変わらず隙あらば距離を詰めようとしてくることに余念の無い人だ。

 

「そういえば、ともりんが『アル』って歩弥君のことニックネームで呼んでるけど、人の事をニックネームで呼ぶの珍しいよね?」

「うん。昔、私たちのお母さんがそう呼んでて、私も真似してそう呼ぶようになったんだ」

「へー、そうだったんだ」

 

懐かしい話だ。

今では俺のことをそう呼ぶのはもう姉さんだけになってしまった。

 

「歩弥君的には、『アル』と『アル君』どっちがいい?」

「どっちも嫌です」

「えー?ともりんはいいのに?」

「燈だけの特別な呼び方なので」

「じゃあ他にはー『あるるん』とか」

「絶対嫌です」

「『あーる』……『るーや』……『アル坊』……う~んなんか違うかな」

「他のお願いならいくらでも聞きますから。今まで通りでお願いします……」

 

愛音さんの背筋が痒くなるようなニックネームの羅列に辟易としながら、深くため息をつくのだった。

 

 

===========================================================================

 

 

程なくして、駅前までたどり着く。

いつもならここで愛音さんと別れて、姉さんと一緒に電車に乗って姉さんを家まで送っていた。

しかし、今回はそんないつも通りとはいかない。

 

「ごめんね、家までつき合わせちゃって」

「いえ、持つと言ったのは自分なので」

 

そう、その日は愛音さんから大量の荷物を任されていた。

別に駅で別れるときに荷物を突き返すこともできたけど、そんな無責任なことはできなかった。

姉さんと一緒に帰れないのは少し残念だけれど、こればっかりは仕方ない。

 

「ともりん、ちょっと寂しそうだったね」

「胸が痛みます」

 

名残惜しそうに『またね』と言って別れた姉さんの姿が脳裏に浮かぶ。

姉さんも着いて来たがっていたけれど、流石に遠慮してもらった。

姉さんと愛音さんの帰り道は正反対。姉さんまでついてきたら、そこから来た道を戻って姉さんを見送って、また来た道を戻って駅を経由して自分の家に帰るというかなりの遠回りになってしまう。

今日はアリスを迎えに行く必要はないはずだから時間をそれほど気にしなくてもいいけれど、それでもその順路では遅い時間になってしまっていただろう。

 

「ともりんと歩弥君、今日はアレしてなかったね」

「アレって?」

「ほらあの、ほっぺにちゅってする奴」

「あれは……あんまり燈からはしてくれないんですよ」

「そうだったの?なんか慣れてるみたいだったし、いっつもしてるんだと思ってた」

 

いつもしてるというのは強ち間違いではないけれど。

 

「俺がするのは慣れてますけど、されるのはあんまり慣れてないですよ」

「なんか意外かも。っていうかいつ頃からそうなの?高松家では普通だったり?」

「いや……多分4,5年前くらいからだと思います」

 

覚えている。

切っ掛けは初めて姉さんにキスした日の事だった。

怖くて苦しくて、胸の中をぐちゃぐちゃにかき回されたみたいに気持ち悪くって、姉さんがそこに居るって確かめないと気が狂ってしまいそうだった。

初めて姉さんの唇に触れたその日、どうしても別れたくなくってずっと姉さんの手を握りしめていた。

それでも別れないといけなくて、何度も姉さんに『大丈夫だよ』って言って貰っていたのを覚えている。

俺を姉さんの特別な人にして欲しかったんだ。またねという別れの約束さえ、他の誰との別れより特別に思って欲しかった。

だから俺は、その時別れ際に姉さんの頬にキスをして手を離したんだ。

 

中学に上がるより前の事なのに、自分でも驚くほど鮮明に思い出せた。

冷静に振り返ってみると、少し恥ずかしい気もしてくる。でも、あの出来事のおかげで自分はアリスが生まれた後も精神を保てていたと言ってもいい。

姉さんにとって誰より特別な人になれたという思いが、俺を支えてくれていたのは間違いない。

 

そういえば、最近はキスもチークキスも全然していない気がする。

姉さんの方から求めてくることも全然ない。

姉さんにも恋人ができたからだろうか?それとも、俺も愛音さんと付き合っているからか?

そんなことをしなくても、愛音さんが居るから満たされている。そういうことなんだろうか?

 

……もしそうなら、きっとそれはいいことの筈だ。

歪だったものが、普通の形に落ち着いてくれたのだ。

俺がそうさせていた。俺の不安の発露で、姉さんを変えてしまっていただけなんだ。

 

そう分かっているのに、それを寂しく思ってしまうのは……きっと俺が我儘なだけなんだろう。

 

「―――なんだけど……って聞いてる?」

「すみません。聞いてませんでした」

「もう……考え事?」

「そんな感じです」

「悩み事なら相談乗るよ?」

「……大丈夫です。人に聞いてもらうようなことでもないですから」

 

姉さんにとって、自分と同じくらい特別な人になっている愛音さんに嫉妬してるなんて、そんな面倒くさいこと本人に言えるわけがない。

 

 

 

「着いたー」

 

そんなこんなで雑談を交えて歩き続け、愛音さんの自宅の前に着く。

愛音さんの住んでいる家を見たのはこれが初めてだ。案内されたその場所は、普通の住宅街の立派な一軒家の前だった。

 

「お疲れ様。今日はありがとね」

「いえ、これくらいなら……いつでもどうぞとは言えませんけど」

 

それほど大変だったという思いは無いけれど、それなりの重量のもの持ち続けていたせいか、流石に少し肩が凝ったような感覚がある。

 

「よかったら上がってく?」

「遠慮しておきます」

「えー、ちょっとくらい良くない?」

 

てっきりただの社交辞令だと思っていたら、本当に一度家に上げるつもりだったらしい。

自分の家に誰かを招くなんて、自分にとってみれば裸を見せることと同等の拒否感なのだけど、その辺は完全に住んでいる環境の違いだろう。

 

「本当に上がっていかない?」

「行きませんってば」

「恋人の部屋見てみたいとか思わない?」

「全然思いません」

「……そっか」

 

どうしてこの人はそんなに俺を家に上げたがっているんだろう?

 

「…………」

 

何故か愛音さんは困ったように口元に手を当てて押し黙っている。

 

「愛音さん?」

「え?あ、何?」

「何って、こっちのセリフですよ。……そんなに持ちたくないなら、部屋まで運びましょうか?」

「いやいやいや!全然ここまでで十分!ありがとね!」

 

そう言いながらも、荷物を受け取ってくれる気配がない。

この状況、果たしてこれ以上自分に何が出来るというのか。

愛音さんの様子といえば、何故か眉根を寄せて何かを考えているようだった。

 

「あの――」

 

流石に痺れを切らしもう一度此方から声を掛けようとした時だった。

 

ちゅっ

 

何か温かいものが頬に触れていた。

それと耳慣れない音が、ほぼ同時に聞こえた。

その場には、嗅いだことのないシャンプーの匂いだけが残されていた。

 

「じゃ、じゃあまたね!おやすみ!」

 

そう言うや否や、ひったくるように荷物を奪い去り、玄関の奥へと引っ込んでいった。

取り残された自分は、頬に手を当て呆然と立ち尽くすのみである。

 

不意打ちだった。

 

瞬きをする、ほんの一瞬だったように思う。

愛音さんが背伸びをして顔を近づけていた、そんな一瞬だけが思い出せる。

 

思えば、あんなにも自分のことを部屋に上げようとしていたのは、荷物持ちをさせたお礼をと考えていたんだろうと思う。

そんな思惑を察せずに、いつも通りこの人は自分とは全然違う考え方だよなと呑気に思っていたものだ。

 

「顔、赤かったな」

 

去り際の、早口で捲し立てて逃げた彼女の表情が目に焼き付いている。

それは今までそれなりに付き合いを続けてきた恋人の、初めて見た本気の照れた表情……だったのかもしれない。

 

ぼんやりと定まらない頭のまま、ふらふらと帰路に着く。

 

その間、いつかの初めてデートした帰り道のことを思い出していた。

あの時は軽口の様に『ともりんみたいにしてくれないの?』なんて言われた気がする。

自分はその時には『まだそんな仲じゃないでしょう』と断っていた。

そんな冗談を言い合えるくらいには、打ち解けられたんだなと感慨深いような気持ちになっていたことを覚えている。

 

あれから、まだ一度も手すら繋いだことが無かった。

当然、キスもしたこともない。ハグもしたこともない。

彼女の温もりに触れたことは、そういえばまだ一度も無かったのだ。

 

彼女はそういうスキンシップに慣れている人だと勝手に思っていた。

今までの距離感が、そう思わせていたんだと思う。

だが実際は、先ほどの通りだ。

たかが別れの挨拶。その行動を一つ起こすために躊躇い、焦り、羞恥に頬を染めていた。

 

今更だ。

恋人として付き合い始めて、一か月以上たった今になって初めて知ったことがあった。

 

愛音さんは、もしかしたら可愛い人なのかもしれない。

 

肩にのしかかる鈍い痛みをすっかりと忘れ、そんなことを考えていた。

 

 

===========================================================================

 

 

その日の夜、千早愛音がチークキスは実際に頬にキスをすることではなく、寸止めで音を鳴らすだけでよかったと知り身悶えしたのは、言うまでもない。

 

 

 

 

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