「もー……噓でしょ……」
もう何度目の更新かもわからない今世紀最大のため息とともに、自室のソファでクッションに顔を埋める。
「なーんでばっちり撮れてるかなぁ……」
机の上に放り出されたスマホには、ほんの数時間前に取ったばかりの動画映像が一時停止で映し出されている。
一人の少年と一人の少女の秘密の逢瀬、その内容が克明に記録されてしまっている。
この時ばかりは自分の撮影能力の高さを恨めしく思ってしまう。
二人の情事を見てしまい逃げ出した私は、家に着くと一旦お風呂に入ってご飯を食べて体調を整えた。
化粧水と乳液で肌の潤いを万全にし、アロマを焚いて気分を落ち着かせ、そして何度も深呼吸をしたのち、いざスマホのカメラロールから映像をもう一度確認した。
そして、今に至る。
「もう……なんなのぉ……意味わかんなぁい……」
ぶちぶち文句を言いながら、一時停止した状態のまま動画をスクロールで動かしながら流す。
あまりにも鮮明に取れてしまったその映像、実際に再生すると音が流れてきそうで怖くってこんな見方をしている。……まあ実際に音が入ってるとすれば私の呼吸音くらいだろうけど。
「噓でしょ?なんでぇ……?」
さっきから小一時間、まったく同じ言葉しか発していない。
とはいえこれは無理もないと思う。
友達がちゅーしてるってだけで大分インパクトあるのに、友達が弟とちゅーしてるなんて信じられるわけもない。
「ってか、ちゅーなんて可愛いもんじゃないよこれ……」
もう思いっきりキスしてる。
がっつり唇はむはむして、口も開けて、舌も伸ばしてるでしょこれ。
「ううっ!ふー……ふー……休憩挟まないと見てらんない……」
一旦スマホの画面を落とし、胸を押さえて天井を仰ぐ。
あまりに刺激が強い映像なので、こうでもしないと見ていられないのだ。
「夢じゃないし、見間違いでもないし、フェイク映像ってことにしてくれないかなー……」
今しがた自分が動画を撮った映像。誰が編集するのかと言えば自分なわけで、そんなことをしていない以上、この映像はプレーンなあの時あの瞬間の紛れもない現実だった。
ご丁寧にカメラロールには日付と時間もばっちり見られる。これ以上ないほどにこの映像が実際にあったことだと証明していた。
こうして一度落ち着いて……いや落ち着いてるかは怪しいけど、ちゃんとした光源の下で改めて映像を見直したけれど、見間違いようもなくあの姉弟だと再確認しただけだった。
あのカフェで見た。和やかに笑いあい、思わずほっこりしてしまうような絆を感じさせたあの姉弟だと。
「もうなんなの……嘘でしょ……」
再び同じ独り言がループし始める。
意味が分からない。とにかくもうその一言に尽きる。
どうしてあんなに仲が良い姉弟が、こんなことをしなければいけないんだろうか?なんで――
「……なんでって、好きだから……なのかなぁ……」
思いつくのはごくシンプルな理由。
友達が好きな人との逢瀬でキスをする。ただそれだけのことなのかもしれない。
恋をするのは誰だって自由だ。ともりんだって、歩弥君だってそれは例外じゃない。
けれど、ただ恋をしたというだけのことで済ませられない関係があの二人にはある。
血の繋がった実の姉弟であり、互いが違う家族を持つ二人。そんな二人の関係性が、事態を非常に複雑にしてしまっている。
自分の中の兄弟関係サンプルは多くはないけれど、流石にこれは異常だと思う。
絶対よくない……と思ってしまうけれど、それは私の勝手な感覚なんだろうか?
ふと思い立ってタブレットを手に取り、文字列を検索する。
「……ん、あった。……やっぱそうだよね。離婚して別々に暮らす他人になったとしても、血縁上の関係までは変わらない。こういう場合も二親等以内の親族に含まれるから、婚姻はできない」
近親相姦という生々しい文字列に嫌になり、タブレットを閉じる。
まあ一応あれはまだキスだけだからそれには当たらないけど、それ以上は……そこまで考えて慌てて頭を振る。友達同士のそういうことを想像するのはまだ抵抗がある。
一先ず今は証拠のある事実だけを整理しておこう。
ともりんと歩弥君が姉弟ってことが嘘だったとしたら、すべての問題は解決する。
実は他人同士なのに、姉弟だと周囲に偽っているとか。……無理がありすぎ。
あの仲の良さで、あそこまで徹底して周囲に関係を隠そうとしていることを考えれば、血の繋がった姉弟という話が嘘だとはとても考えられない。そんな嘘をつくメリットも感じられない。
あの二人は互いを姉弟だと認識している。それは間違いない。
キスをする理由……はこの際どうでもいい。
あの時の状況を整理してみる。
ともりんはあの時、忘れ物を取りに帰ると言って私たちと別れた。私たちには『先に帰ってて』と言った。今思えば、あれは体よく私たちを引きはがして一人であの場所へ向かう理由付けだったんじゃないかと思う。
店員さんの口ぶりからして、元々あの時間にともりんは一人であの音楽スタジオに向かう予定だったんだ。
それを偶然、私の思い付きで追いかけてしまって、たまたま顔見知りの店員さんだったから部屋を教えてもらって、私はそれを目撃した。
「……運良すぎ?いや、この場合は悪すぎ?」
ともかく、あの逢瀬を私に知られてしまったのは完全に想定外だったんじゃないだろうかと思う。
あの時点で、あとからゆっくり後を追いかけてくる相手がいるなんて思うわけないし、店員さんが部屋番を教えるっていうのも普通は考えない。
つまり、ともりんはあの逢瀬を誰にも知られないように手回しをしていた。そういうことになると思う。
「だから多分……悪いことだって、よくない事だって思ってる……ってことでいいんだよね」
少なくとも、人に知られたくないことだと思っての行動なんだと思う。
スマホを手に取り、動画をスクロールする。
少しは慣れてきたのか、今までよりしっかりと画面を直視できている。そこで、ふと気づいたことがあった。
「……え?泣い……てる?」
今まで口元ばかりに目が行って気づいてなかったけれど、ともりんの目尻から一筋の涙が流れていることに気が付いた。
ともりん、もしかして嫌だったりしたのかな?
なんだかんだ言って歩弥君も思春期の男の子だし、そういう欲求があってもおかしくない。
強く迫られて断り切れず……みたいな?……流石に邪推かな?
なんでなんだろう?
二人はどんな気持ちで、こんなことをしてるんだろう?
今までとは別の理由で疑問が浮かび、心がかき乱されるような気持ちになる。
「ああもう……わけわからーん……」
再び大きく息を吐き、項垂れる。
どこまで悩んで考えようと、私は結局当人とは無関係な部外者だ。
はっきり言ってこんな第三者が出しゃばってどうにかなる範疇を超えてしまってる。
こんな場面を見てしまったのなんて完全な事故なわけだし、見て見ぬふりをしてあげるのがあの二人にとっても有り難いことなんじゃないだろうか?
「……でもこんなの見ちゃって今まで通りなんて無理じゃない?」
もうこれは完全にこちらの心の整理の問題だ。
勝手に事故を起こしたのは私だけど、だからと言ってこのまま一方的に私だけがこのもやもやを抱えているなんてとてもじゃないけど耐えられない。
これは私の考えで私の感覚だけど、あの二人がこんな関係を続けるのは絶対によくない事だと思う。
余計なお節介の押し付けなのかもしれないけど、こんなことを続けても二人は幸せになれないって思う。
半分意地だ。ともりんには、大切な友達には、こんなことを続けてほしくないって私が思うんだ。
その情動の勢いのまま指を動かし、歩弥君へのメッセージを作成する。
『あなたのお姉ちゃんのことでお話があります』
そう打ち込み、ふと冷静になる。
いやいや、何を話すっていうのよ。ちゅーしてるの見ましたっていうの?それともお姉ちゃんとちゅーするのやめなさいって?
っていうか今更だけど、私のやってることやばくない?人のプライベートをストーキングして、しかも盗撮。あれ、もしかしてやばいのってこの姉弟じゃなくて私?
「よし消そう」
ピッと指で画面をスライドし、なかったことにする。
そのほんの数十秒後、手の中のスマホが着信音とともにヴァイブレイトする。何の気なしに画面を見て、そこに映し出された文字列に戦慄してしまう。
『どんな内容ですか?聞かせてください』
簡素で簡潔な文章。問題なのはそのメッセージを送ってきた送り主。それが、歩弥君だったということだ。
全身から冷や汗が噴き出す感覚。
私は震える指先でメッセージを確認すると、私が先ほど書いて消したつもりだったあの文字に既読がついていた。ついてしまっていた。というか、送信してしまっていた。
「………嘘でしょ……やらかした……」
クッションに顔を突っ伏し、もう何度目の更新かもわからない今世紀最大のため息を大きく吐き出した。
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「すみません、待ちました?」
「う、ううん。全然だよー」
待ち合わせ時間五分前、まるで誂えたかのようなテンプレートな言葉を交わしあう。
あれから……この場合のあれというのは私がショッキングな光景をこっそり見てしまってからという意味。
あれからすぐ後日。次の日の放課後、彼が通学の時によく使っているという駅で、私と彼――須能歩弥君と待ち合わせていた。
もう我ながら、何でこんなことになってしまったんだと気落ちしてしまう。
「ここ結構人多いから不安でしたけど、すぐ見つかってよかったです」
「そ、そうだね!」
「人ごみの中待たせちゃって、平気でした?」
「全然全然!会って話そうって言いだしたのは私の方だから」
歩弥君の普通の良識あるやり取りに、一層気が重くなる。
こうして会うのは二度目だけど、細かい気配りができる子だなと改めて思う。……そんな子が
「……?何か、気になりますか?」
「う、ううん。とりあえず移動しよっか」
じっと顔を見つめていたのが気になったのか、困ったようにはにかんだ笑みを見せる。
こうして改めて対面する歩弥君は、初めて会ったときと大きく印象は変わらない。
余裕があるというか、異性に対しての慣れみたいなものを感じさせる。言葉も動作も淀みがなくて、丁寧で品があるっていう表現が似合う。
そしてやっぱり、あのレンズ越しに見た彼と同じ人だとは思えなかった。
とりあえず駅から移動し、あらかじめ調べておいた場所へと向かう。
「……ここって、カラオケ…ですよね?」
「うん」
「あの、今日って燈のことで話があるんですよね?」
「出来れば個室の方が良いかなーって、ほらちょっとプライベートな話になりそうだから」
「あー……分かりました。俺もそっちのほうが助かります」
一瞬歩弥君の顔つきが険しくなったけど、すぐに表情を戻し先ほどまでの調子で言葉を返す。
私の含みのある言い方で、姉弟関係のことを話すのだと察したんだと思う。……まあ実際はそれより一歩進んだ話なんだけど。
手間取ることなく受付を済ませ、指定された部屋へと移動する。
しっかりとした作りの扉、外部へと音の漏れない防音室。カラオケルームだから当然だけれど、誰かと一対一で入るとなんだか普段とはちょっと違う感じ方がある。……というか、男の子とサシでカラオケなんて初めての経験かもしれない。そんなイベントをこんなタイミングで消費するなんて……ちょっともったいなかったかも。
「……それで、わざわざこんな場を設けてまで話したいことって何なんですか?」
机を挟んで向かい合う。
歩弥君は先ほどまでとは違い明確に声色から棘のようなものを感じさせた。
明らかに、今までとは纏っている空気が違う。
「バンドのことだったら、残念ですけど俺はあんまり力になれませんよ」
「う~ん……まあとりあえずさ、なんか空気重たいし一曲歌わない?」
「いえ、結構です。……その反応、やっぱり俺と燈の関係のことで何か言いたいんですよね?」
今まで見たことのないピリピリとした雰囲気に思わず冷や汗をかく。
薄々気づいてはいたけど、ともりんの名前を出してから明らかに態度が変わっている。怒ってる……とはちょっと違うかもしれないけど、明らかに不快感を滲ませている。
話す内容が内容だから、こっちにも心の準備というものがある。もうちょっと普通の雑談をして話しやすい雰囲気を作ってからと想定してたから、ここまで詰められるとは思ってなかった。
「……もし俺と燈のことでお節介を焼こうって考えているなら、はっきり言って迷惑です。その気持ちだけで十分ですから。燈もきっと同じことを言うと思います」
はっきりした言葉で拒絶の意思を伝えられる。
多分、今まで似たような切り口で話を振られたことがあるんだろうなって対応だった。
きっと私が思うよりもずっと、周りからの好奇の目を感じてきたんだろうと思う。言ってしまえば私もその一人なわけだし。この二人の境遇は、何とかしてあげたいなって
こんな場を設けてまで、殆どノープランだった自分が恨めしい。
明日の私、何とかしてくれ!と思っていた昨日の自分を叱ってやりたい。
……でもここで、はいそうですかって納得するつもりも、さらさらない。
ああもう!なるようになれ!!
「とりあえず、この動画見てくれない?」
「動画……?」
スマホの画面を歩弥君の方へ向け、意を決し再生ボタンを押した。
「………ッ!?」
血の気が引いた顔、とは正にこのことだろう。
今まで彼の態度にあった余裕や慣れといったものが一瞬で鳴りを潜め、動揺を隠しきれていない。
流石にこの現場を動画で収められているのは想定外だったようだ。
最後まで再生する必要もない。途中で動画を止め、改めて歩弥君の目を見据える。
「偶然、見ちゃったんだよね」
「…………」
トントントントン、と指が机を叩く音が聞こえる。
歩弥君は口元に手を当て、眉間に皺を寄せている。
考えている、言葉を選んでいる、そんな様子だ。
「……ストーキング、盗撮、そのうえ強請り。姉さんの友達だと思って油断していました。こんなことならちゃんと過去も洗っておくべきだった」
「は?ゆ、強請り?ちがっ……」
「今更いい子ちゃんぶらないでくださいよ。こんな場所まで用意して」
豹変した態度の歩弥君から明確な敵意のある目で睨みつけられる。
あ、もしかしてそっちが素?っていうかなんか変な方に話が転がってない?
「それで、幾らで売ってくれるんですか?その動画」
「いやいやいやいや!私お、お金とかちょっと!そんなつもりじゃないし!」
「……家族に迷惑かけたくなのはお互い一緒でしょう?盗撮に恫喝、その年で前科持ちになるつもりですか?」
「はあ!?だから違うって言ってるじゃん!」
「チッ……じゃあなんですか?金でもない、母さんに取り入ろうってわけでもない。何が欲しいっていうんですか?このまま互いに痛み分けなんて千早さんも望んでないでしょう?」
なんか、とんでもない勘違いされてない?
お金とか、お母さんとか、どういう意味?
いや、でも確かに冷静になってみると私の今の状況やばくない?何も考えてなかったけど、複雑な姉弟関係をネタに脅してるって思われても無理はない。っていうか絶対そう思われてる。
まずいまずいまずいって。
ここにきて完全にノープランなことが裏目になってしまっている。
どうやって説得しようとか、どういう理由でこういうことしてるの?とか、そういう方向で話が進むものだとばかり思ってた。
まさかこんな大事になるなんて予想してないってば!
とにかく冷静に考えをまとめないと。
今のこの状況のこと、公にされて困るのはどっちかというと私の方だ。私のやったことは、グレーどころかほぼ黒。警察の厄介になるのは私の方だ。
けど、ちょっと気になる言い方もしていた。
『家族に迷惑かけたくないのはお互い一緒』
『痛み分けは望んでない』
多分だけど、歩弥君にとって一番避けたいことは
だから私を処罰するという考えより先に、取引という手段を取ろうとした。
理由は多分……自分の家族か、ともりんの家族の為なんだろう。
今の状況、私にとって凄くまずい。
けど、取引って言い方なら私の要求も通るんじゃない?
お金なんてこんな形では欲しくないし、別に二人の家庭を壊したいわけじゃない。
ともりんと会うのをやめて欲しいわけでもない。寧ろ、離れ離れなのは可哀そうだなって思ってた。
じゃあ、ちゅーするのやめなさいって言う?……そんな口約束に意味ある?
私は二人の関係の不健全な部分を改善したいのであって、仲違いして欲しいわけじゃない。
それこそ、私は歩弥君とも仲良くできたらって思ってる。
もっとこう穏便な形で、歩弥君の意識を変えられるような何かがあれば―――
「あっ、じゃあ私と恋人になってよ」
ナイスアイディアが浮かんだと思い、そのまま口にしてしまう。
言ってから、自分がとんでもない要求をしてしまったことに気づく。
人の弱みを盾に関係を迫るなんて最低すぎじゃない!?なんかどんどん悪行を重ねてしまってる気がするんですけど……。
歩弥君に別に好きな人ができれば自然に解決しそうなのにと思ったことが発端で、この取引を思いついたときは『これで丸く収まりそうじゃない?』なんて軽く思っていたけど、普通に取引に乗っている時点で強請りと何ら変わらない。
「今のやっぱ無――」
「いいですよ」
「はえ?」
「それで燈に……家族に迷惑が掛からないなら、喜んで千早さんの恋人でも彼氏でもなってあげます」
決意のこもった眼で、私と真っすぐ目を合わせてくる。
まるでこれから死地へ向かう兵士や武士の様に、覚悟を秘めた目で。
「……」
ビックリするくらい、何も言葉が出てこなかった。
何か色々選択を間違った気がするとか、こんなつもりじゃなかったのにとか、様々な言葉が思い浮かぶ。
だけど今から『やっぱ無しで』と言った方がさらに事態は悪化していくだろうと想像できた。
だから私は
「よ、よろしくね。
「はい。これから仲良くしましょう、
もうどうにでもなれと手を差し出し、固く握りあう。
引きつった笑いと、貼り付けた笑み。
盛大にすれ違った思いが、まるで予想外の着地点を見せた。
それが私と歩弥君の、本当の関係の始まりだった。
ここまでが実質プロローグです。
本当はここまで一話の予定でしたが長すぎたので分割しました。