感想、評価共にありがとうございます!
その二つを貰うのが自分の中の目標でありモチベーションだったので、もうほんっとうに嬉しいです!!
お父さんが好きだった。
背が高くて、力持ちで、たくさん褒めてくれるのが好きだった。
外に遊びに行ったとき必ず肩車をしてくれた。そこから見えるいつもと違う景色が、何より胸を躍らせた。
お母さんが好きだった。
優しくて、いい匂いがして、たくさん抱きしめてくれるのが好きだった。
夜寝る前にお姉ちゃんと一緒に絵本を読んでもらう時間が、毎日の何よりの楽しみだった。
お姉ちゃんが大好きだった。
温かくて、傍にいるだけで安心して、ずっとずーっと何をするにも一緒だった。
泣いているといつも見つけてくれて、痛いところに絆創膏を貼ってくれた。大丈夫っていう優しい声に、ボクはいつも救われていた。
それがボクの世界だった。
心地よくて安心できる、たった一つの居場所だった。
それはずっとそこにあるものだと思っていた。一生、変わることのないものだと思っていた。
夜中、大きな声で目を覚ましたことを覚えている。
お父さんとお母さんが言い争って、食器が割れるような音を聞いたのを覚えている。
怖くて、涙が止まらなくて、お姉ちゃんに抱きしめられながら眠ったことを今でも覚えている。
世界が壊れてしまったのはいつだっただろう?
この世界が、簡単に壊れてしまうものだと知ったのはいつだろう?
約束も、祈りも、願いも、自分の心を慰めるためだけのものだと理解したのはいつだっただろう?
「ねえお父さん、お母さんとけんかしちゃったの?」
「ああ……」
「仲直りしないとだめだよ?」
「ああ……」
「……お姉ちゃんと、また一緒に居られるよね?」
「ああ……」
「ぜったい、約束だよ?」
「……ああ」
お父さんに連れられて新しい家に住むようになったときか?
「これから一緒に暮らす、新しい家族だ」
「ずっと寂しがってたろ?仕事でずっと一緒に居てやれなかったもんな」
「これからはもう大丈夫だ。新しいお母さんと仲良くしような!」
お父さんが新しいお母さんを連れてきたときか?
「どういうこと!?前の女と会ったって!!」
「ち、違う!そんなつもりは無かったんだ!これにはその、アイツも理由があって……」
「言い訳なんて聞きたくない!!アンタら親子を拾ってやったのは誰!?この家で一番稼いでいるのは誰!?なんで私を怒らせるようなことをするの!!」
「も、もう二度としない!会いに行かないって約束させる!アイツはいい子だから、何も悪くないんだ。僕が目を離したから……だからっ!」
お父さんがお母さんに殴られているのを見た時か?それとも―――
「今日は大事なお話があるの。聞いてくれる?……うん、いい子ね」
「今まで、何度も寂しい思いをさせちゃったわね。お母さんね、ちょっと反省してるの」
「寂しい思いがあるから、勝手に家を出て行っちゃったりしたのよね。うん……うん、大丈夫アナタはもうそんなことしないって分かってるわ。アナタはいい子だものね」
「それでね、お話っていうのは――ほら、お母さんのお腹触ってみて?……ふふっ、まだちょっと分からないかしら」
「……お母さんね、妊娠してるの。ふふっ、ビックリした顔。ええそうよ、これからアナタはお兄ちゃんになるの」
「ずっときょうだいで暮らしたいって言ってもんね。ねえ歩弥、嬉しいわよね?」
何もかも奪われ続けたこの世界で、たった一つだけ残された特別な繫がりさえも、侵されようとしていると知ったときだろうか?
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「……うん、この分だと何も問題なさそうだな」
「ありがとうございます」
放課後、その日はクラス担任の先生に面接の練習に付き合ってもらっていた。
「事前に用意していたものも淀みなく答えられているし、変化球にも言葉を詰まらせてないし堂々としたもんだ」
「いえ、先生の日頃のご指導のおかげです」
「そういうとこ含めて、完璧だな須能」
皮肉かそれとも本当に褒めているのか、初めての面接練習のわりにどうにも緩みすぎている。
まあ先生は受験するわけでもないし、これからの未来がかかってる此方と比べて気安いものかもしれない。
とはいえこういう自己PRには自信があったし、こんなものなのかもしれない。
「しかし、本当にあの学校でよかったのか?お前の成績ならもっと上の学校の推薦も……」
「いえ、あの学校でやりたいことがあるので」
「……ま、そう言われちゃ敵わねえな」
学校なんて羽丘から近いかどうか以外の理由なんてねーよ。心の中で毒づく。
「今日はありがとうございました。では、失礼します」
「おう、気いつけて帰れよ」
鞄を持って教室を出て向き直り、一礼をして扉を閉める。
「……ふぅ」
余計な時間を食った。別にどうしても今日やらなくければならないわけじゃないだろうに。
とにかく、早くいかないと。今日は大事な日なんだ。
「あ、会長もう面接の練習終わったんですか?一緒に帰りましょーよ」
「もう会長じゃないし、君とは帰らない」
話しかけてきた後輩を適当にあしらい学校の玄関口を出る……前に一度ガラスに自分の姿を映す。
髪に乱れはなく、余計な整髪料もつけていない。靴も汚れはなく、足の先から頭の先まで服装に乱れはない。
改めて襟元を閉め、眼鏡の位置を直す。
「あれあれ?なんか気合入ってます?もしかしてデートとか?」
「ああそうだ。じゃあな、加藤」
「えっ?えっ!?マジで!?」
後ろで後輩の五月蠅い声が聞こえてくるが無視して学校を後にした。
放課後の学生の人波に揉まれながら電車に乗り数十分、目的の駅で降りる。
人ごみは嫌いだ。人の密集した場所も嫌いだ。けれど利便性には敵わない。
うんざりした気持ちで一度駅の構内のトイレの中に入り、鏡に自分の姿を映す。
「……はぁ…酷い顔」
眼鏡をケースにしまい込んで鞄に入れ、一度水で顔を濡らす。
ハンカチで顔を拭い、この短時間で乱れてしまった髪を手櫛で直す。
そして改めて、鏡の前で笑顔を作る。
最終確認終わり。疲れた顔なんて見せたくない、気分を上げていこう。今日は久しぶりに姉さんに会える日なんだから。
『あと五分くらいで着く』
そうメッセージを送り、駅を出る。
眼鏡はケースにしまい込んだままだ。自分は別に目が悪いわけじゃない、けれど普段……家や学校で他人と顔を合わせるときは常に眼鏡をしている。外すのは、こうやって姉さんと会うときだけだ。
別に俺も好きでしているわけではない。必要だからそうしているだけだ。
俺と姉さんは、両者の家族の合意無しに会うことを禁じられている。俺の家族が許可を出すことはないことを考えれば、実質的に会うことを禁じられていると同義だ。
だからと言って俺がそんな下らん口約束に付き合うつもりは無い。しかし、かといって勝手放題好きにして姉さんと会っていることがバレてしまえば、大事になるのは目に見えている。
そこでこの眼鏡というわけだ。これは所謂変装の一つだ。そんな程度でと思われるかもしれないが、これで案外気づかれないものだ。何せ普段眼鏡をしていない人がおしゃれで眼鏡をかけているのではなく、普段常に眼鏡をかけて過ごしている人が外して普通に外を歩いているのだから。最近はマスクをする機会も多いので猶更気づきにくいだろう。
前は髪型もワックスをつけてがっつり変えていたけれど、姉さんが俺の髪を触りたがるからワックスをつけるのはやめてしまった。……固めた髪を触った姉さんの、あの残念そうな顔は今でも忘れられない。
まあこの眼鏡だけで今まで外で知り合いに声を掛けられた経験はないし、ちゃんと効果があるなら問題はないだろう。
軽い電子音と振動に意識を引かれ、スマホの外面に目を向ける。
メッセージが届いていた。文字は無く、敬礼をするキリっとした顔つきのコウテイペンギンのスタンプが送られてきていた。
自然と頬が緩んだ。
目的地の公園に着くとすぐに姉さんを見つけられた。
鮮やかな黄色の葉を茂らせる大きなイチョウの木の下、そこで姉さんはしゃがみ込んでいた。
「葉っぱ、綺麗だね」
隣にしゃがみ込み、姉さんの頭に乗った落ち葉を一枚手に取る。
突然声を掛けられて驚いたように肩を跳ねるが、相手が俺だと分かると安心したように微笑んでくれた。
「ごめんね、待たせた?」
「ううん。葉っぱ見てたから」
「もう少し見てく?」
「……ちょっとだけ、いい?」
「いいよ。燈の気の済むまで」
姉さんは、ずっと昔から何一つ変わらない。
好きなものを集める収集癖も、驚いたときに肩を震わせるその姿も、胸を温かくするその笑顔も。
俺は……どうだろう?昔と同じところなんてあるのだろうか?
「燈、これとかどう?」
すっかり口に馴染んでしまった呼び方で声を掛ける。
大手を振ってお姉ちゃんとは呼べないから仕方ないけれど。
「あっ……いいね。じゃあ、アルと交換」
姉さんは昔と変わらない呼び名で俺を呼ぶ。
「俺は別によかったのに……ありがと」
差し出されたイチョウの葉を交換し合い、姉さんはいつも持ち歩いている袋の中に、俺は財布にしまい込んだ。……帰ったらラミネート加工をして保存しておこう。
「今日は、どこに行くの?」
「最近できたカフェ。コーヒーゼリーが人気らしいよ」
葉っぱ集めには満足したらしく、姉さんが立ち上がるのにつれて俺も立ち上がる。
俺が来る前から暫くはここにしゃがみ込んでいたんだろう。俺は姉さんの髪や服に触れ、軽く整えてあげる。姉さんは抵抗することなくそれを受け入れている。
「ん、よし。じゃあ行こっか」
「うん」
姉さんは頷くとともに、当然のように俺に手を差し出す。
思えば、これは昔からずっと変わっていないかもしれない
躊躇なく下から手を取る、どちらともなく指を手繰り寄せ、絡ませ合う。
体を寄せ合い手を繋ぎながら、俺と姉さんは公園を後にする。
周囲からの好奇の目を感じるが、どうでもいいことだ。寧ろそういう勘違いしてくれた方が違和感がなくていいだろう。
今日は二週間ぶりのデートだ。
この下らない嘘だらけの生活で、ただひと時の自分が自分らしく居られる時間。
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下調べした時よりずっと多くの人が居て心配だったが、少し待つだけですぐに席につけた。本当はテラス席の方が街路樹が見えてよかったけど贅沢は言えない。
姉さんが頼んだのはメロンソーダと器に乗ったソフトクリーム、俺が頼んだのはブレンドコーヒーとチーズケーキ。二人して名物のコーヒーゼリーは頼んでいなかった。……まあどうでもいいか。
「俺の推薦貰った高校、羽丘の近くなんだ」
「そうなんだ。じゃあ、一緒に登校とかできるかな……?」
「それは……ちょっと難しいところもあるかもだけど、放課後だったら学校の近くで待ち合わせて遊びに行けると思うよ。こうやって偶にじゃなくてさ」
「そっか、それは……嬉しい」
姉さんは安堵と喜びの入り混じった顔で笑ってくれた。
「高校生になれば、バイトもできるようになるし今よりもっと自由に行動できるようになると思う。そしたら、燈ともっと一緒に居られるよ」
「……アルも高校生ってことは、あれからもう十年も経つんだね」
「十年。そうか、もうそんなにか……」
こうして時間を数字にして表すとゾッとするような長さに思える。
姉さんと家族として暮らしていた時間よりもずっと長く、こんな生活を続けていたなんて……全くそんな実感は湧いてこない。
ただ苦痛に耐える日々だった。姉さんの居ない世界は、汚くて、醜くて、ただ生きているだけで苦痛を感じる。そんな場所だった。
そこで十年も過ごして来て、今こうしてつかの間の幸せを感じられているのは、間違いなく姉さんのおかげだ。これから先の未来に希望が持てるのは、姉さんが居てくれたからだ。
「取り合えず、このまま順調に受験も終われば1月には自由な時間も取れると思う」
「一月……待ち遠しいな」
「…………好き」
「えっ?わ、私も……好き、だよ?」
小さな手でメロンソーダの入ったグラスを持ち小さく笑うその愛らしさに、思わず限界化した声が漏れてしまっていた。
姉さんと一緒にいるとどうにも頭の中のネジが緩んでしまうのを感じる。
ああ、これくらい何も考えずに生きていたい。
「冬休みもどこか行く?」
「……!行きたい……!」
「今度はどこ行こっか?冬だし温泉とか、スキーとかも悪くないかな」
「大阪の水族館」
「えっ?ま、また?」
「あ……前と同じは、やっぱり……駄目だよね」
しゅんとした表情で俯く仕草に思わず胸がギュッとなる。
もう少し意地悪したくなる気持ちと、申し訳ない気持ちが半々。……やっぱ嘘、姉さんに意地悪するような奴は許さん。
「いや、いいよ全然。冬場の方がペンギン元気にしてるだろうし、前と違った楽しみ方出来るかも」
「……!えっとね、えっと……あの水族館、12月の後半くらいにイベントがやってるんだ。オウサマペンギンのペンギンパレード……!」
しゅんとした表情から一変して、目を輝かせて早口でその水族館についてPRしてくれる。
その水族館のイベントガイドか何かやってるんだろうかと思うくらいの詳しさだった。
水族館に行くこと自体は嫌じゃない。というか、全然俺も好きだ。夏に行った時も楽しかったし。だけど……流石に大阪は遠い。せめて横浜くらいにしとかない?と言いたくなるが、決して口には出さなかった。
とはいえ、姉さんがこんなにも推してくるならそう悪い気分じゃない。新幹線とか入館チケットの手配とか面倒だけど、まるで見てきたことの様に楽しそうに語る姉さんの姿を見れば、『また頑張るか』とそう思わせてくれた。
「やっほーともりん!奇遇じゃん」
「ひゃあっ!!」
それは、何の予兆もなく現れた。
此方から見えてない完全な死角から姉さんの肩を掴む、やたら馴れ馴れしいピンク頭の女。
「もう水臭いなー、こういう場所来るなら私も誘ってよね」
「えっ、えっ!あのちゃん?なんで?」
「たまたま寄ってみたらともりん見つけたから。あ、相席いいです……か……?」
そのピンク女がこちらを見て、間抜けにも口を開けて固まっている。
何を呆けているんだこいつは。普通逆だろ、俺と姉さんは驚いていいけどなんで話しかけてきたお前が驚いているんだ。
……っていうかなんか見覚えある気がする。羽丘の制服だから、姉さんの知り合いなんだろうけど。
「えっ、誰?燈の友達?」
口汚くなる心の声は漏らさずにごく自然な疑問を口にする。
しかし、その女は俺の質問には答えずにじろじろと俺の全身を品定めするように見ている。
姉さんも完全に困った顔をしているし、とりあえず追い払おうかと思ったとき――パンと女が音を鳴らして両手を合わせ
「ごめん、お邪魔だった?」
申し訳なさとニヤつき半々の表情でそう言った。
一瞬空気が凍りつき、その何とも言えない間に俺は思わず笑ってしまった。
姉さんはぎゅっと目を瞑り、顔を赤くして否定する仕草を見せていた。
「んふ、ん゛ん゛。そういうんじゃないですよ」
とりあえず弁解しようと口を開けば、口から空気が漏れてどうしても笑ってしまい、強引に咳払いで誤魔化しながらそう言った。
姉さんの反応を見るに、多分それなりに仲のいい友達なんだろうとは予想できる。というか、そうじゃないとこの女もこのシチュエーションで話しかけてきたりしないだろう。顔見知り程度の仲でこれだったらやばすぎる。
「俺は、あー……」
一瞬、姉さんの方へ視線を向ける。
目が合うと姉さんは小さく二回頷いて、大丈夫だと伝えてくれた。
なんか口が軽そうだし少し躊躇われたけど、姉さんがいいというのならそれに従うほかない。
「燈の弟なんですよ」
そう、久しぶりに人に伝えた。
周りに伏せていた関係をただ言葉にしただけなのに、不思議と清々しい気分だった。
「なるほどね~!!」
ピンク女は手の平に拳を打つという大げさな動作で納得を表現する。
「いやーまさかと思って焦ったよー。あ、座ってもいいよね」
「えっ?あっと……いいんだよね燈?」
「う、うん。どうぞ」
いや全然よくないけど。
本当はそう言いたがったが、姉さんの友達なら無碍に扱うこともできず受け入れるしかなかった。
「私、千早愛音って言いまーす。名前聞いてもいい?」
「はい。俺は……歩弥って言います」
頼むから空気を読んで早めに帰ってくれないかな。
そんな俺の願いも虚しく、千早愛音と名乗った女はメニュー表とにらめっこを始めてしまった。
「忙しない人だね」
「うん。いっつも、こんな感じ」
皮肉のつもりで言った言葉に、姉さんは何故かちょっと嬉しそうに同意した。
……まあ、姉さんが楽しいんならいいけど。
俺は微妙な気持ちで温くなり始めたコーヒーを啜った。
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千早愛音は第一印象通りの騒がしく明るい人だった。
大げさで感情豊かで、姉さんとは同じ学校以外にまるで共通点を見いだせないタイプの人物。
どういう経緯で知り合ったのか不思議だったけれど、同じバンドだと聞いて全て納得した。姉さんのライブは何度も見に行ったことがある。千早さんの姿を見た時の妙な既視感はそれだろう。
日頃から姉さんからバンドの話はよく聞いてる。
中学の時もバンドをやっていたけど、千早さんはその時のメンバーとは違うらしい。
高校に上がったばかりの頃は塞ぎ込んだ姿を見せることも多かった。また新しいバンドを始めると聞いたときは『よく考えた方がいい』とやんわりと止めるよう提言したけれど、あの時より明るく前向きになったことを思えば、今のバンドはよっぽど居心地がいいんだろう。
千早さんはそんな風に姉さんが前を向けるようになった切っ掛けの一人なんだと思う。
こうして目の前にしてみれば、それも納得できる。
姉さんと違う歩幅、違う趣味、違う好み。そういう人だからこそ、通じ合えるものもあるんだろう。
俺も何か楽器を弾けるようになるべきだったかな。なんて、ありもしない自由を想像してしまう。
バンド活動をしたいなんて考えたことはないが、姉さんとそういう時間を共有できるのは素直に羨ましく思えた。
しかし、羨望はあるが嫉妬はない。
俺だけでは、姉さんにしてあげられることにどうしても限界がある。
弟として、家族として、幸せな時間を作ってあげることはできても、友達との時間はまた全然違うものだ。
姉さんには俺みたいに窮屈な世界で閉じこもってほしくない。もっとたくさん、楽しい思い出を作って欲しいと思ってる。
だから千早さんには感謝こそすれ、嫉妬などの負の感情は全然なかった。………まあ、今日はちょっとタイミング悪いとは思ってるけど。
大分予定とは違ってしまったが、姉さんが喜んでいることには違いはなかった。
姉さんが嬉しいと俺も嬉しい。それだけで今日は十分いい日になったんじゃないだろうか?
「ねえ何で――」
千早さんが何かを言いかけた時、それを遮るような電子音が鳴る。
ポケットの中の振動に気づき画面の電源をつける。そこに表示された文字列が、俺はまだあの世界と地続きの場所にいることを思い起こさせてくる。
「……ごめん」
燈に目を向けると、『気にしないで』と首を振って微笑んで見せた。
けれど、その微笑みの奥にある寂しさに気づかないような俺ではない。
そうさせたのは自分だということに、どうしようもない苛立ちを感じてしまう。
「え、もう帰るの?何か用事?」
「そんな感じです。千早さんもすみません、こんないきなり。二人はゆっくりしていってください」
千早さんにも申し訳なく思う。最初は『なんだこの女、空気を読め』と思っていたけど、今ではすっかり敬意を払うべき相手だ。
机に置かれた、俺と姉さんと後から来た千早さんの二つ分の伝票を手に取り席を立つ。これはどうか謝罪と礼と思って欲しい。
「じゃあね。愛してるよ、姉さん」
こっそり早口でそう呼び、姉さんの頬に顔を寄せて別れの挨拶を済ませ、会計のレジへと向かった。
「ちっ……面倒くさい」
会計を手早く済ませ、苛立ちのままに舌打ちをしながら目的の場所へと向かう。
こんなに不愉快な気持ちになったのは流石に久々だった。
もっと一緒に話したかったという名残惜しさはあった。しかし、そんな甘えであの大切な時間を壊すことはあってはならない。
これは必要経費だ。そう思いながらケースにしまい込んであった眼鏡をかける。
『ごめんね、お母さん予定が入っちゃったから歩弥が迎えに行ってあげて』
それが、送られてきたメッセージだった。
いつだってそうだ。あの女が、いつも俺から幸せな時間を奪っていく。
夕暮れ時、学生のみならず社会人の帰宅ラッシュの波にのまれ、最悪な思いで電車を乗り継ぐ。
今住む家の最寄りの駅で降りる。
そこから家へは向かわずに、ある場所へと足を向ける。その慣れた足取りにまた、苛立ちが積もる。
その場所に近づくにつれて、車道を挟んでぼんやりと見えていただけの人影がはっきりとし始める。
小さな子供がこちらに向けて大きく手を振っている。俺はそれに小さく手を振り返す。
子供が此方に駆け寄ろうとするのを、すぐ隣にいた大人の女性が肩を掴んで止めていた。俺は駆け足でその二人の人がたっている方へと近寄った。
「すみません先生。今日は母が迎えに来るはずだったんですが、急用ができたみたいで」
「いいえー、お母さまもお仕事大変でしょうから。それにほら――アリスちゃんもお兄ちゃんが来てくれた方が嬉しいみたい。ね?」
「お兄ちゃん!!」
姦しい声で走り出し、その子供は俺の腰回りに腕を回して抱き着いてくる。
二つに結んだ金髪を振り乱し、その顔を俺の腹の下あたりに擦り付けてくる。
不快感を露わにしない様に口の中の肉を噛む。
「うふふ、今日はお兄ちゃんが来てくれて嬉しいね?」
「うん!せんせいにはあげないからね!」
その寒々しいやり取りに、俺は貼り付けた笑みを返す。
「ねえだっこして!だっこ!」
「……おんぶは嫌?」
「やーだ、だっこして!」
一瞬先生の方へと目を向けるが、それを諫める様子もなくただニコニコと微笑まし気に笑っている。
分かってる。誰も助けてくれやしないよな。
その子供の両脇に手を入れ、顔の高さまで持ち上げる。
アリス、そう呼ばれた子供は何が楽しいのか無邪気に笑う。
ふわりと風に揺れる緩いウェーブを描く金色の髪に、甘えたようなたれ目。何一つ自分と共通点の見出せないそれが、瞼を持ち上げ目を開く。
ああ、なんて
はっきりと黒色を主張する長いまつ毛の下には、大切な人とまるで同じ色をした、淡い飴色の瞳があった。
その瞳に映る自分の姿を見ないように目を背け、アリスを抱き上げる。
俺の首に腕を回すその汗ばむほどの熱い体温と、鼻先を擽る甘ったるいお菓子のような匂いに一層吐き気がこみ上げる。
それを顔に出すことはない。
先生に、抱き上げた腕にアリスの荷物を引っかけてもらい、礼をしてその場を後にした。
見えなくとも、俺の腕に抱きあげられたそれが後ろの先生に手を振っているのは伝わった。
「今日ねアリスね、おだんご作ったの!」
「……そう」
「他にもね―――」
アリスの言葉にただ機械的に、相槌を返す。
周りからは仲のいい兄妹に見えているのだろう。……そう振舞っているのだから当たり前だ。
けれど、俺だけは知っている。この子供の悍ましい正体を。
こいつは
完全に取り除く以外に、治療する方法など存在しない。
この壊れた世界で、たった一つの心の拠り所さえ脅かす。
ただそこにあるだけで、俺を不幸にする存在。
ああ、こんなもの生まれてくるべきではなかったのに。
胸の奥がじくじくと痛む。
俺はその痛みを悟られぬよう、貼り付けた笑顔でアリスの背を撫でた。
名前:須能歩弥
年齢:14歳
身長:176cm
誕生日:11月22日
好きな食べ物:おにぎり(具無し)、サンドイッチ(卵のみ)
嫌いな食べ物:冷たいスープ全般
趣味:大切な物をファイリングすること。
備考:実の姉である高松燈のことが好き。好きすぎる。崇拝にほど近い愛を抱いている。
千早愛音のことは姉の友達だと思っている。それ以上でも以下でもないが、のちに大変なことになる。