水で征せよアカデミア   作:わこうど。

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Wave Motion

 

 

 

「──よし、じゃあ早速やろっか!」

 

「っす。お願いします、先輩」

 

 

──翌々日。

 ︎︎雄英体育祭まで、残された時間はおよそ一週間と数日。

 

 相澤に提出した申請書が無事に受理され、使用が許可されたUSJ──つい最近、ヴィランの襲撃を受けたばかりのこの場所に、俺は再び足を踏み入れていた。

 ︎︎オールマイトの戦闘で破損しているはずのドームや地面はしっかりと修理されており、当事者でなければ、ヴィランの襲撃があったとは思えないほど綺麗な様子が広がっている。

 

 そんな俺と向き合っているのは、自身のヒーローコスチュームに身を包んだ三年の波動先輩だ。準備運動として、互いに入念なストレッチを行いながら、開始の合図を待つ。

 

 本来であれば、火災エリアにて“大波”の個性を用いた水分収束範囲の拡大トレーニングを予定していたのだが──現役の三年生と模擬戦ができる機会はそうそう無い。

 ︎︎ならばこちらを優先すべきだと判断し、予定を変更した。幸い、別日にもUSJの使用許可は取ってある。訓練時間が足りなければ、その時に補えばいいだろう。

 

 

 それにしても、職員室で注意事項や施設設備の操作について説明を受けていた際の、あの一幕──。

 ︎︎最後に波動先輩が迎えに来てくれた時、ちらとこちらを見た相澤の、あの何とも言えない目つきは一体何だったのか。

 

 事情を聞く前に、やたらとテンションの高い先輩に腕を引かれ、そのまま話は流れてしまったが……妙に引っかかっている。

 まあ、上級生と個人的に繋がりがあるという点に意外性でもあったのだろう。クラスメイトの様子を見ていても、学年をまたいで交友関係を築いている者はほとんどいないようだったし。

 

 

「最終下校時刻まで、あと2時間くらいはあるけど……最初はどうする? とりあえず、一回戦ってみる?」

 

「そうっすね。細かい内容は、それ次第って感じで良いんじゃないですか」

 

 

 ︎︎連絡先を交換した日の夜。

 俺は波動先輩と、ほんの少しだけではあるがメッセージのやり取りをした。

 ︎︎出身地や趣味など当たり障りのない話だったが、しかしその中で特に話が弾んだのは、お互いの“個性”についての話題だ。

 

 

 彼女の個性は”波動”──自身の活力をエネルギーに変換し、それを衝撃波として放つ能力だという。

 ︎︎何とその応用で、単なる攻撃だけでなく、自身の身体や物体を空中に浮かせることもできるらしい。

 

 スマホのメッセージだけでは具体的なイメージが湧きにくかったが、実際にどんな風に使いこなすのか、いま目の前で見られることを今日はとても楽しみにしていた。

 

 

 かく言う俺の個性も、系統としては彼女といくつかの共通点を持っている。

 ︎︎“浮かせる”というよりは、“吹き飛ばす”の方が適切な表現かもしれないが、俺も自身や物を空中に浮かべることができるし、水を大量に使えば、広範囲への制圧攻撃だって可能だ。

 もちろん、俺と波動先輩の個性の能力の本質はまったくの別物だが、それでも参考になる点は少なくないだろう。

 

 

 そんな俺たちが今立っているのは、相澤やオールマイトがヴィランと戦った、USJの中心広場だ。

 ︎︎その中央に据えられた噴水を挟むように互いに距離を取り、波動先輩の合図で模擬戦を始める段取りとなっている。

 

 

──すぐ近くには水難ゾーン。立地としては申し分ない。

 

 水分は豊富にある。個性の出力も制御もしやすいだろう……とはいえ、油断などできるはずもない。

 

 相手は俺よりも遥かに場数を踏んできた、プロヒーローを志す三年生。雄英のカリキュラム的にも、既に仮免許を取得していることはまず間違いない。馬鹿正直に真正面からぶつかって簡単に勝てるような相手ではない。

 

 ︎︎だからこそ今は挑むだけだ。

 ︎︎波動ねじれ──格上の実力者に、胸を借りるつもりで。

 

 

 

「──スタート!」

 

「──はぁぁぁぁっ!!」

 

 

 甲高く透き通った声が空気を震わせるのとほぼ同時、視界の先で噴水の水面がわずかに揺れた。

 その瞬間、俺も即座に個性を発動する。

 

 正面には大きな噴水。その向こうにいる彼女の姿は水柱に隠れて見えない。

 ︎︎だが、こちらの初動は既に完了している。

 

 まずは地面すれすれを這うように、左右へそれぞれ放った極細の水流が、滑らかな弧を描きながら噴水を回り込む。

 加えて、わずかなタイムラグも与えずに──上空から一気に振り下ろした、極太の水柱。

 

 それはまるで天から落ちる滝のように重く、速く、一直線に叩きつける。三方向同時、時間差無しのスタートアタック。

 

 

──ドゴォンッ!

 

 

 地響きのような重低音が広場を揺らし、濡れた地面にひび割れが走る。

 ︎︎だが、その衝撃の中に、波動先輩の姿や気配は感じられない。

 

 ”決まった!”などと甘い期待はしていない。手応えはあったが、それだけだ。

 

 噴水との距離を取りながらバックステップ。着地の一瞬を利用して、水の力を足元に集め──そのまま空中へと跳躍する。以前、葉隠や尾白を抱えて飛んだ時と同じ動作。

 

 ︎︎だが今回は単独。より鋭く、より速く。

 空中から戦況を俯瞰する。視界をぐるりと巡らせると──、

 

 

「わ、凄い早いね一水くん! ちょっと服濡れちゃったよ!」

 

「ッ……!」

 

 

 声と同時、視線の端。左後方──先ほど水流を回した方向とは逆、死角だった位置。そこに浮かんでいたのは、どこか楽しげな笑みを浮かべた波動先輩の姿だった。

 

 白と青のヒーローコスチュームが、滴り落ちる水と共に煌めいている。舞い上がった水滴が天窓から差す陽光を反射し、彼女の姿をまるで幻のように揺らめかせていた。

 

 

「、っおおおおっっっっ!!!!」

 

 

 その姿に見惚れる暇はなく、俺は反射的に、空中で身体をひねらせた。視線と重心を一気に反転──左後方、死角にいた波動先輩を正面に捉えると同時に、水を足元から巻き上げて解き放つ。

 

 ぶち抜くような勢いで直進する流水。

 ︎︎鋭利な矢のように空気を裂き、一直線に彼女を貫こうとする──が、

 

 

「──んふふっ♪」

 

 

 波動先輩は、その場で軽くステップを踏みながら身を翻した。

 まるで踊るような滑らかな身のこなしで、俺の水撃を難なく回避すると、すぐさま右腕をこちらに向ける。

 

 その腕には、目に見えるほどに“捩じれた”エネルギーが巻きついていた。淡く発光する渦が、螺旋を描いて震えている。

 

 

捻れる波動(グリングウェイブ)!」

 

 

 それが放たれた瞬間、空気が一変したように感じた。

 空間を強引にねじ曲げるような振動と圧力が周囲に押し寄せ、視界の端がわずかに歪む。触れただけで弾き飛ばされると直感できる、強烈な波動が俺のいた空間を襲う。

 

 

「ッ……!」

 

 

 瞬時に判断し、足元の噴射を利用して更に上へと飛び上がり、個性を解除。今度は天井に向けて手を挙げて、同じように噴射した。その反動を用いて即座に急降下──自らの体重と噴射の推力を合わせるようにして地面へ着地する。

 

 強烈な風圧が髪を逆立てる中、俺のすぐ背後、さっきまでいた空間に破壊的なエネルギーが突き抜ける音が響いた。

 

 

──だが、それだけでは終わらなかった。

 

 通常なら確実にドームの壁面、あるいは出入口辺りを破壊していたはずの余波が、そこには存在しなかった。

 

 ︎︎代わりに、渦巻くエネルギーの流れが途中で緩やかに方向転換し、隣接する水難ゾーンの深部へと吸い込まれていくのが見えた。

 

 

「(……途中で制御した、のか?)」

 

 

 全開の威力を発揮したにも関わらず、施設に大きな被害はない。波動の軌道を即座に変え、安全な方向へと逃がした彼女のその制御力に、思わず息を呑む。

 

 ただ強いだけじゃない。

 ︎︎状況を見極め、技の威力を保ったまま”被害”だけをそらすその精密さ──。

 ︎︎これが、雄英高校ヒーロー科三年生の実力か。

 

 

「いきなり大技かよ先輩!」

 

 

 叫びながらも、内心では唸っていた。

 

 あれだけの攻撃を放ちつつも、施設に被害が及ばないよう即座に調整できるなんて──俺には到底真似できない芸当だ。けれど、だからこそ挑む価値がある。

 

 

 ︎︎未だ宙に浮かぶ波動先輩の姿を見据え、再び足元から個性を発動させる。

 水が爆ぜる音と共に、膝下から跳ね上がった水圧が推進力となり、俺の身体が勢いよく宙を駆ける。一直線に、彼女めがけて跳び上がった。

 

 だが、その動きはあくまで囮。

 跳躍と同時に、波動先輩の背後──死角にあたる位置へ、極太の水柱を撃ち込んだ。狙いは一つ。攻撃ではない。宙に浮かぶ彼女の体勢を崩すための、牽制としての一撃だ。

 

 不意を突いたつもりだった。しかし、

 

 

「──おっ、と」

 

 

 波動先輩は、驚きもせずに一瞬だけ肩を引いた。

 そして、まるでそこが“見えている”かのように、片手を背後へと翳す。直後、彼女の手から螺旋状の波動が一閃。

 

 俺の放った水柱に直撃し、真っ向から衝突──だが拮抗することもなく、まるで質量ごと消し飛ばすかのように水は空中で霧散した。

 

 反応の速さもさることながら、後方の攻撃に対してこの冷静さ。さらに特筆すべきは、振り向きもせず片手だけで波動の出力を調整していたという事実だ。

 

 ︎︎真正面ではなく背後という条件で、俺の一撃の強度を瞬時に見抜き、必要最小限の力で打ち消した──それは、経験と感覚の積み重ねがなければ到底できない芸当だった。

 

 

「(チッ……さすが三年。バケモンじみてる)」

 

 

 だが、俺も手を止めなかった。

 彼女の注意を背後に引きつけたまま、さらに体勢をひねって急接近する。

 右へ、わずかに逸れながら彼女の正面へと入り込む。

 

 その腕──エネルギーを纏った、まるで爆ぜる寸前の導火線のような腕。リスクを承知で、俺は超至近距離にまで肉薄すると、恐れずに彼女の右手首をがっちりと掴む。

 

 そして、左手を捻るようにして開放した。

 

 

「……ッ!」

 

 

 放たれたのは、全力の流水。

 拳の付け根から、螺旋状に圧縮された水が、極限まで絞り込まれた噴射となって解き放たれる。

 狙いは波動先輩の腹部、中心の重心──空中での体勢を乱し、動きの主導権を奪う一撃。

 

 

 ︎︎間違いなく当たった。

 噴射によって弾かれるように離れていく波動先輩の姿を目で追いながら、俺はすぐに体勢を整えて滞空したまま距離を取る。

 

 ︎︎……だが、それだけだった。

 彼女の身体は流れるように空中で姿勢を修正し、まるで何事もなかったかのように軌道を保ったのだ。その顔に動揺の色は微塵もなく、むしろこちらの狙いを受け止めたうえで、対応の引き出しを持っていることを無言で示しているかのようだった。

 

 

「(マジかー……)」

 

 

 直撃したことに確信はある。

 ︎︎だが、そこからの修正が異常に早い。噴射による衝撃を利用するかのように、波動先輩は空気を切って浮遊を続けている。

 

 腹部に受けた一撃の感触は確かだったはずだ。けれど、彼女の表情からは痛みや不調の兆しは見られない。

 今のは、試されたのは俺のほうだった。

 

 

「なかなかやるね、一水くん! 当たるとは思ってなかったよ~」

 

 

 波動先輩が、空中で軽く身体を翻しながら笑った。

 白と青のヒーローコスチュームが陽光を受け、滴る水と一緒に煌めく。その姿は、さながら波間を跳ねる魚のような軽やかさすら感じさせた。

 

 

「でもね──やっぱり、ちょっと動きが読めちゃうところもあるかな?」

 

「……そうですか。じゃあ、次は読まれないようにしますよ」

 

 

 口ではそう言いつつも、こちらもわずかに笑みを浮かべていた。まだ俺の息は全然上がっていない。集中力はむしろ増している。感覚が研ぎ澄まされていく中で、戦いの中にある“対話”のようなものを、俺は確かに感じ始めていた。

 

 光が揺れる。

 その瞬間、ふいに波動先輩が空中で両手を広げた。

 

 

「──じゃあ、ここで一旦おしまいっ」

 

「……えっ?」

 

 

 拍子抜けするほど、あっけらかんとした口調だった。

 けれど同時に、先ほどまで感じていた圧力がふっと霧散するのを感じた。個性の放出を完全に停止し、ゆっくりと地面に降り立った。

 

 ︎︎どうやら、彼女のほうから区切りをつけたらしい。

 

 

「これ以上やると、どっちかが本気出したくなっちゃいそうだもんね~。これは単なる“準備運動”だし」

 

 

 なるほど、と納得する。

 ︎︎確かにこの戦いは、本格的な模擬戦じゃない。お互いの力量を測る、ほんの肩慣らし──それ以上でも、それ以下でもない。

 

 しかし、それでも。

 

 

「短い準備運動にしては、刺激的でしたよ……十分に」

 

 

 一歩を踏み出しながら、俺は彼女の方をジッと見る。

 

 

「燃えてきました、先輩。改めて今日はよろしくお願いします」

 

 

 波動先輩が目を細め、楽しげに頷いた。

 

 

「じゃあ今日は一緒に、もっともっと熱くなってこっか! プルス・ウルトラ、だもんね!」

 

 

 風が抜ける。水の雫が、遅れて石畳に落ちる音。

 二人だけのUSJには、静けさと熱気が同時に残っていた。

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

──雄英体育祭の開催が相澤先生から知らされたのは、一週間前のことだった。

 

 それからの日々は、どこか空気の密度が変わったかのように感じられた。

 ︎︎廊下を行き交う生徒たちの表情には自然と熱が灯り、交わされる言葉の端々に火花が散る。教室に差し込む光すら、どこか鋭さを帯びているように思えるのは、きっと気のせいではない。

 

 数日後に迫る本番を前に、雄英全体が高ぶっていた。

 闘志。焦燥。静かな誓い。期待。

 それらが校内のあちこちで混じり合い、まるで透明な熱風となって吹き抜けていくのだ。

 

 A組の面々も、そんな雰囲気に触発されたかのように、放課後の自主トレーニングに力を入れ、授業の合間には黙々とノートを開いて自己分析に勤しんでいた。

 ︎︎

 そして、俺もまた例に漏れず、訓練に訓練を重ねている。

 

 

 今の自分にできること、できないことを見極め、少しでも多くの引き出しを手元に揃えるために。

 

 限られた時間をただ消費するのではなく、研ぎ澄まされた一秒として刻むために。

 その一環として最初に足を運んだ職員室──USJの使用許可を申請する、ただそれだけのつもりで訪れた場所で、俺は思いがけず彼女と出会った。

 

 波動ねじれ先輩。ヒーロー科三年。

 明るく、自由で、そしてとてつもなく強い。

 

 そんな彼女との訓練は、振り返ってみればわずか三日間。合計しておよそ六時間。短くも、しかして濃密な時間だった。

 

 

 そのひと時で得られたものは、単なる技術や動きの模倣ではない。個性の活かし方、間合いの見極め、戦闘における呼吸──すべてが教訓として身体と脳に染み込んでいる。

 

 別れ際は、名残惜しささえ感じた。

 だが、それ以上を望むのは筋違いだろう。

 波動先輩は最高学年の三年生として、彼女自身の戦いに臨む立場にある。彼女にも彼女の準備があり、それは俺の時間よりも優先して然るべきもの。

 

 たとえあれが数時間のやり取りであっても──俺にとっては、確かに意味のある交差だった。

 今はただ、先輩への感謝を胸に進むだけだ。

 

 

「ただいまー」

 

「ん、おかえり。今日も遅かったやん」

 

「トレーニングや、放課後トレーニング」

 

 

 玄関のドアを閉め、靴を脱ぐと、ふっと室内の空気に肩の力が抜ける。リビングからはテレビの音と、いつもどおりのお茶子の声。ソファに座って足を投げ出し、クッションを抱えながら気楽そうに過ごしている様子だった。

 

 Tシャツに短パンというラフな格好は、すでにシャワーを浴びた証拠だろう。髪は軽くドライヤーで乾かされたのか、ほんのり石けんの香りが漂っていた。

 俺もすぐに風呂へ行きたい気持ちはあるが、今日の自主トレはなかなかの密度だったせいか、まずはひと息つきたくなる。

 

 肩から外したカバンと、脱いだ制服のシャツをまとめて自室に放り込み、冷蔵庫からキンキンに冷えたスポーツドリンクを引き抜く。そのまま蓋を開けて、ごくりとひと口。冷たい液体が喉を滑り落ちていく感覚が、火照った身体を落ち着かせてくれる。

 

 ドリンク片手に、俺もお茶子の隣へと腰を下ろした。

 

 

「汗臭いんやけど……?」

 

 

 鼻をひくつかせてわざとらしく眉をしかめるお茶子に、俺は肩をすくめてみせる。

 

 

「うるせー、疲れてんだよ」

 

 

 ふざけたようなやり取りだが、気を許した相手とのこの距離感は心地いい。

 

 今日も、一人でのトレーニングだった。

 波動先輩との合同訓練は終わったが、あのときの六時間の実戦形式トレーニングは、俺にとって刺激的で濃密な時間だった。その手応えを反芻しながら、自分に足りないものを補う形で、今は黙々と個別メニューを消化している。

 

 ︎︎本来予定していた火災エリアでの訓練は、その後申請が受理されなかったが為に別の場所で行っている。流石に外で火を起こす訳にもいかないので、かなり規模は小さいが──各種運動場もUSJも待ちがかなり多いので、復旧初日から三日間も使えたのは幸運だったと思う他あるまい。

 

 

「ていうか、一水くんの方は調子どうなの? 本番いけそう?」

 

「問題なし。そっちは?」

 

「うーん……何とか?」

 

 

 お茶子の曖昧な返答に、思わず視線を向ける。ふわふわとした雰囲気に隠れてはいるが、彼女が真面目にこの体育祭に向き合っているのは知っている。けれど、明確な成果や自信をまだ掴みきれていないのかもしれない。

 

 

「おいおい、大丈夫かぁ?」

 

 

 俺が苦笑混じりにそう言えば、お茶子は気まずそうに笑った。

 

 

 雄英体育祭──プロヒーローの目に留まる、年に一度の最大のアピールチャンス。誰にとっても全力を尽くすに値する、いわば勝負の舞台だ。

 今年も例年通りのプログラムが組まれるならば、学年ごとに予選形式の競技が行われ、その勝者が進出する総当たり戦という流れになるだろう。形式はお決まりでも、そこに懸ける想いは生徒ごとに違う。もちろん、俺自身も例外ではなかった。

 

 USJでのヴィラン襲撃という異例の事態を受け、SNSでは開催そのものに対する批判の声も散見されたが──逆に言えば、あれを経て今の雄英は、かつてないほどの警備体制を敷いているという証左でもある。

 舞台の安全を整えるのは教職員の仕事。俺たちは、与えられたその舞台の上で、自らをどう見せるかに集中すればいい。

 

 職場体験でのヒーロー指名、さらには波動先輩が行っていたような実践的なインターン活動──そのすべては、この体育祭を経て繋がっていく道の先にある。

 単なる学校行事などではない、未来への助走だ。

 

 

 ……と、その思考の流れのまま、ふと別のことが頭をよぎる。

 

 

 「(そういや三年の部も気になるな。録画しとこ)」

 

 

 俺たち一年の部が終われば、すぐに教室へ戻ってホームルームがある。そのため他学年の試合の様子は、現地ではまともに観戦できない。

 けれど、やはり気になる。短い時間ながらも面倒を見てくれた波動先輩が、あの大舞台でどんな戦いを見せてくれるのか──それをこの目で確かめたい気持ちは、勝手ながらに抱いている恩もあるだろう。

 

 テレビの番組表を開き、録画予約の操作をしていると、不意に視線を感じた。

 何かと思い横を見れば、ソファに沈み込むように座ったお茶子が、クッションを抱えたまま、どこか言いたげな表情でこちらを見ている。

 

 

「……なんやねん」

 

 

 視線で促すと、お茶子はクッションに顔を半ば埋めるようにして、むくれたような声で呟いた。

 

 

 「……うーん。一水くん見てるといつも通り過ぎて。私が不安に思ってるの、馬鹿らしくなってきたなぁって」

 

 

 その言葉に、俺は肩をすくめて返す。

 

 

 「はあ? どこに不安要素あるんだよ。入学してからやって来たことをそのままぶつけるだけやんか」

 

 

 言ってしまえば当然のことだと思った。

 ︎︎けれど、お茶子はふにゃりとした小さな息を漏らして、さらにクッションに顔を押し付ける。

 

 

 「それはそうなんやけどぉ……。色々なこと考えて、ナイーブになっちゃうの!」

 

 「おまえアホなんやから、余計なこと考えんな」

 

 

 こちらも、あえて軽口めかしてそう返したつもりだった。だが──その直後。

 

 

 「えいっ」

 

 

 小さな声とともに、クッションが飛んできた。

 

 咄嗟に身をのけぞったものの、間に合わずに顔面にヒット。布の柔らかな感触と、ほんのりとお茶子の香りが鼻先に残る。視界の端で、お茶子が少しだけ笑った。

 

 

 「分かってる、分かってるよ。私も大丈夫。本番で当たったら容赦しないからね!」

 

 「ならええけど……衆人環視でゲロは吐かんでな」

 

 「うっ、そ、それは……た、多分……大丈夫?」

 

 

 不安げに首をかしげる様子があまりにも素直で、思わずため息が漏れた。

 

 呆れ半分、心配半分といったところだろうか。

 ︎︎三半規管の鍛錬くらいはしているはずだが、万が一ということもある。身内が全国放送で嘔吐するなんて本人以上に視聴者や俺が気まずくなる光景だ。せめてそうならないよう祈るほかない。

 

 とはいえ、そんな気遣いも空腹には勝てなかった。そろそろ腹が減ってきた。ひとまずシャワーを浴びて汗を流し、夕飯の準備に取りかかるとしよう。

 

 顔面に命中したクッションを軽く投げ返しながら、制服のシャツを脱ぎつつお茶子に訊ねる。

 

 

 「メシ、何がいい?」

 

 「んー、麻婆豆腐!」

 

 「はいよ」

 

 

 気楽な返事を投げて、風呂場へと向かう。その背中に、お茶子の気配がやんわりと寄り添ってくるようだった。

 

 






次回は体育祭です
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