ベル、子兎になる   作:キタムー

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第三部 兎ノ約束

ヘスティア達がロキによって館に連行されるのを見送ったリヴェリアは、料理場に赴いていた。

 

「リヴェリア」

 

「フィンか。今ちょうど——」

 

「神ヘスティアの件は聞いたよ。それより、少し話があるんだ」

 

「……話だと?」

 

温め直した粥を器に注いでいたハイエルフに、フィンはその話(・・・)を切り出した。

 

「あの子の正体についてなんだけど——」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「白髪で小柄のかわいい男の子がヴァレン何某と散歩してたって聞いたら、普通ベル君のことだって思うじゃないかぁ……」

 

「んな訳あるかい。そもそもなーんでドチビんとこの眷属()とうちのアイズたんが、仲良く散歩するっちゅう発想になんねん」

 

応接間にて、魔剣を没収されたヘスティアは、正座しながらさめざめと涙を流していた。

 

「それは……色々あるんだよ。それにロキだって見てたじゃないか。アポロンの『神の宴』で、ベル君とヴァレン何某が仲良さそうに踊ってたところを!」

 

「……そーや、めっちゃ危険要素やったやん!?ちゃんと見張っとけや!」

 

「分かってるさ!分かってるんだけど……ベル君が昨日の朝に何も言わずに出ていってから行方不明なんだよ。恩恵も変だしさぁ……もう心配で心配で」

 

グスグスと鼻を啜るヘスティアの言葉に、ロキは引っかかるものを覚えた。

 

「恩恵が変、やと?」

 

「そうなんだよ。消えたわけじゃないんだけど、なんだか封印されてるみたいに気配が薄いんだ」

 

「場所は分かるんか?」

 

「分からない。でも、()には行ってはないと思うんだ。勘だけどね」

 

渋い顔で言葉を交わす神達。

そこへ、フィンがやって来た。

 

「待たせたね……やっぱり入れ違いだったか」

 

「ん?入れ違い?」

 

「ああいや、気にしないでくれ。……とりあえず、神ヘスティアとリリルカ・アーデは椅子に座ってくれるかな?」

 

「え、いいのかい?」

 

「た、助かりました……うっ、やっぱり足が痺れてます」

 

今の今まで冷たい床に正座していた一柱と一人は、困ったように笑うフィンに促されるまま、ロキの向かいのソファーに腰掛ける。

すると、フィンはヘスティア達に向かって深々と頭を下げた。

 

「神ヘスティア。まずはこの団を預かる者として、謝らせてもらいたい。今回はすまなかった」

 

「ど、どうしたんだいパルゥムくん?」

 

「フィン?何を言うとんの?」

 

「昨夜アイズを問い詰めて発覚したんだけど……あの子どもは、ベル・クラネル本人で間違いない」

 

「「はぁ!?」」

 

まさかの展開に、部屋が驚愕で包まれる。

 

「なんでも、謎のポーションを飲んで幼児化してしまったらしい。連れて帰って来た理由は……『魔が差しちゃって』だそうだ」

 

「計画がガバガバすぎて捕まった誘拐犯の動機みたいな理由だね……」

 

「妙に具体的……というか、まんま剣姫さまに当てはまってますね」

 

「……あかん。これが広まったら、アイズたんのイメージが崩れてまう……」

 

呆れ顔になるヘスティアとリリとは反対に、頭が痛そうな様子のロキやフィン。

形勢が完全に逆転していた。

 

「と、とりあえずベル君を呼んでくれるかい?そしたらボク達もすぐに帰るからさ」

 

「そのことなんだけど……少し待ってもらえるかな?」

 

「なんでさ!?」

 

「世話担当が『食事が終わったら連れていく』って言って譲らなくてね」

 

ベル・クラネルのことは伝えたんだけど……と困り顔で笑うフィン。

 

「そんなこと言われてもねぇ……」

 

「それに、僕としても幾つか聞きたい事があるし……お茶と茶菓子はいくらでも出すからさ」

 

「しょうがない!少しぐらい待ってやろうじゃないか!」

 

「……モーレツに嫌な予感がしますぅ」

 

食い物で釣られた主神を半目で睨みながら、リリは時間稼ぎをした世話担当とやらへ危機感を募らせるのだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

リヴェリアは、冷静だった。

 

(他派閥の、しかも団長を拘束し続けては問題になる)

 

目の前でおかわりのたまご粥を笑顔で頬張るベルを眺めながら、微笑する。

 

(それに、家族(ファミリア)の元へ返すのがこの子……いや、ベル・クラネルにとっても良いことなのだろう)

 

リヴェリアの心は凪いでいた。

胸の奥に芽生えかけていたナニカも、まだ取り返しがつく程度だ。

このまま引き渡してしまえば、それで終わり。

 

(お別れ、だな……)

 

リヴェリアは若干の寂寥を感じながら、ベルの頭をゆっくりと撫でた。

 

 

 

そして、現在。

 

 

 

「きゃー!きゃー!リリより小さいベルさまですー!」

 

「ベルくーん!うおぉぉぉぉお!ベぇルくーん!!」

 

 

リヴェリアの心は、荒れに荒れていた。

 

 

「え、えっと、お姉さん達は……」

 

「君の家族さ!」

 

「むぐっ!?く、くるしい……!」

 

抱きつくのはいいとして、何故それほど胸を押し付けるのか。

教育に悪い、という母親目線の問題点ばかりを気にして、ヘスティアの胸が大きすぎるから、という至極単純(シンプル)な理由に思い至ることができない。

 

(くっ……落ち着け。彼らは他派閥だ。私が干渉すべきではない……)

 

文字通り、神の与える試練によって一瞬暴走(ヒートアップ)しかけた心を、なんとか押し留める。

彼女は、平静を取り戻した。

 

「帰ったらー、一緒にお風呂に入ってー、一緒におねんねしようねっ!」

 

「ぼ、僕!おふろは一人ではいれますから!」

 

「だめですよー。うちのお風呂は広くて、危ないんですから!」

 

「そうそう!裸を観察——もとい、安全のために、見守っていてあげるヨ!」

 

「ひえっ」

 

ゾクゾクッと背筋を震わせながら、顔を真っ青に染めるベル。

そして目の端に涙を浮かべながら、助けを求めるようにリヴェリアの方へ顔を向けた。

 

 

瞬間、ブチッと。

リヴェリアの中で、自制心(何か)が千切れる音がした。

 

「神ヘスティア」

 

「ん?どうしたんだい、ハイエルフ君?」

 

カツカツと足早にヘスティアのもとへ近づき、強制的に少年を引き剥がす。

 

「あー!何をするんだ!?」

 

「……ベル・クラネルが元に戻るまで、私たちが預かろう」

 

「……どうしたんだい、リヴェリア?」

 

「り、リヴェリア?自分、急に何言うてんの……?」

 

顔を引き攣らせるフィンとロキ。

ヘスティア達も、目を吊り上げて反論する。

 

「ハイエルフ君!?急に割り込んできて何様なんだ!?」

 

「そうですそうです!部外者は引っ込んでいてください!」

 

その場の全ての者の目を一身に集めるハイエルフ。

しかしリヴェリアは、彼ら彼女らの圧力に対して毅然とした態度を貫きながら、ベルの肩に優しく手を置いた。

 

「部外者ではない。私は……私は、この子の母親だ!」

 

「「……な、なんだってぇー!?」」

 

「リヴェリアが壊れおったぁ!?」

 

部屋が、二度目の驚愕で包まれた。

 

「りゔぇりあ、さん?」

 

「ベル、今から私の事はお母さんと呼べ」

 

「えっと……お母さん?」

 

「ちょ、パルゥムくん!君の部下だろう!?なんとか言ってやってくれよ!」

 

困惑する少年に刷り込みを始めた暴走妖精(リヴェリア)を指差し、抗議の声を上げるヘスティア。

フィンは、頬に汗を流しながら(ほが)らかに笑った。

 

「んー……悪いけど、僕からもお願いしていいかな?」

 

「ブルータス!お前もかー!?」

 

まさかの刺客にさらに目を剥くヘスティアへ、フィンは眉を八の字に変形させてみせる。

 

「いや、リヴェリアの事は僕も初耳なんだけど……実は少し気になることがあってね。神ヘスティア、ベル・クラネルの恩恵(ステイタス)が今どうなっているか、調べてもらえるかい?」

 

「へ?恩恵を、かい?」

 

「リヴェリア」

 

「……了解した」

 

リヴェリアは渋りながらも、団長命令であるため仕方なくベルの服をめくり、背中を露出させる。

そして少年の綺麗な白い肌に触れたヘスティアは、目を見開いた。

 

恩恵(ステイタス)が、無くなってる?」

 

「本当ですか!?」

 

「……いや、違う。これは……たぶん、ベルくんとボク達の生きている時間がズレているんだ」

 

「ど、どういうことですか?」

 

ベルの背中を触診しながら僅かに神威を解放したヘスティアは、全てを見通す超越存在(デウスデア)の片鱗を垣間見せながら頷く。

 

「……うん、間違いない。ベルくんの体と世界の間に、時間の境目ができているんだよ。だから『過去』を生きるこのベルくんは、ボクの恩恵を持っていないんだ」

 

「それって……リリ達のベルさまは、『今』のベルさまは大丈夫なんですか!?」

 

「わからない。でも、『今』を生きるボクが、まだベルくんの恩恵を感じることができている。ならたぶん、時間のズレをどうにかできれば大丈夫なはずさ」

 

それに、と続けながら、ヘスティアは更に神威を解放した。

 

「小さな経路(パス)が残ってる。これを上手く使えば……」

 

ヘスティアの神意に従って、将来女神の眷属となる少年の背中が、暖かな赤色に発光する。

神々の恩恵は、時間の壁程度で繋がりを完全に断絶できるような代物ではない。

それも、今回は世界の摂理に反して不自然に現れた時間の壁だ。他の神が絡んでいそうな気配すらある。

ならば、同じ神であり、立場的には優位な主神(ヘスティア)が、恩恵にある程度干渉できるのは道理だった。

 

光が収まると、少年の背中に守り火の紋章(マーク)と一列の文字が浮かび上がる。

それを覗き込んだリリは、首を傾げた。

 

「なんだか文字が少なくないですか?」

 

「……うーん、発現できたのは【発展アビリティ】だけみたいだね。まあ気休め程度にはなるさ」

 

神威を収め、ベルの背中を見て難しい表情を浮かべたヘスティアは、フィンの方へ振り返る。

 

「それで?これがボクのベル君を捕まえておきたい理由なのかい?」

 

「捕まえる、というより、保護が正しいかな。神ヘスティアとアイズの話から考えると、ベル・クラネルは恩恵(ステイタス)を弱体化、最悪無効化できる魔法薬を飲んだ、ということになる。ついでに直近の記憶や経験を全て消す、厄介な副作用付きの薬をね」

 

勇者(フィン)の脳裏を過ぎるのは、第一次人工迷宮(クノッソス)攻略。

迷宮内で神の恩恵を失った『彼女ら』を見捨てるしかなかった『絶望』だ。

一人の少女の心を壊しかけたあの出来事は、今もなお、団員達の心に癒えない傷を残している。

 

だから。

フィンは、あの『絶望』の再演を引き起こす可能性を見逃す事はできない。

 

「……『闇派閥(イヴィルス)』の残党がいないとも限らないし、そんなものの情報は、ここで止めておきたいんだ」

 

勇者の固い決意をなんとなく感じ取ったヘスティアは、僅かにため息を漏らした。

 

「……ロキ、分かっているんだろう(・・・・・・・・・・)?本当に良いのかい?」

 

「ダメや、と言いたいところやけどなぁ……もう手遅れやし、フィンの言っとる事も一理ある」

 

仕方ない、と首を左右に振るロキ。

ヘスティアは、ガックリと肩を落としながら、目を瞑った。

 

「……しょうがないか。ベルくんもハイエルフくんに懐いちゃってるみたいだしね。でも、代わりにベルくんを元に戻すのには協力してもらうぜ?」

 

慈愛の神(ヘスティア)は余程のことがない限り、子ども達の手を振り払わない。

だから、妖精と勇者(こどもたち)の願いに、ため息を吐きながら許可をだすしかなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

「——そういうわけで、ベル・クラネルをウチで預かることになった」

 

「……随分とややこしい事になっとるようだのう」

 

団長室に呼び出されたガレスは、フィンから経緯を全て聞き、深くため息をついた。

 

「それで?団員達にはどうやって説明するんじゃ?」

 

「……説明はしない。というか、できないだろう?」

 

男女問わず団員達の憧れであるアイズが子どもになったベル・クラネルをお持ち帰りしてきた、などという特大の爆弾(ビッグニュース)を投げ込めば、阿鼻叫喚の地獄絵図になるのは必至だ。

少なくとも数人は『確実に消せる今の内に……』と己の獲物(武器)を研ぎ出すだろうし、そこにリヴェリアが義母になるという核爆弾が追加されれば、妖精(エルフ)達が一斉に歌い(詠唱し)始めかねない。

 

「……隠し切れるかのう」

 

「んー……今この事を知ってるのは僕たちとロキ、あとアイズだけだから……まあ、何とかなるんじゃないかな?」

 

「そのアイズが問題だろうに。あやつ、隠し事は極端に苦手じゃろう?」

 

「ああ。だから言質さえ取られなければいいと伝えておいた。まあ数人は察するだろうけど……疑惑が確信に変わらなければ、どうとでもできるからね」

 

後で何人か協力者を用意するつもりだし、と不敵に笑うフィン。

しかしガレスは、古くからの友人(フィン)のその笑い方に違和感を感じた。

 

「元気がないのう。何かあったのか?」

 

「……やっぱりバレちゃうか」

 

笑顔の仮面を取っ払い、疲れた顔で頭を抱えるフィン。

 

「……一番の問題は、ベル・クラネルがうちにいる、という事自体なんだ」

 

「なぜじゃ?」

 

「ロキによると、神フレイヤがベル・クラネルを狙っているらしい」

 

ガレスは、今年最大のため息をついた。

 

「……とことん面倒な事になっとるのう」

 

「ああ。……これから忙しくなると思うから、覚悟しておいて欲しい」

 

「分かっておる」

 

どんどん強くなっていく親指の疼きを感じながら、フィンは現実逃避するように窓から外に目を向ける。

新月の夜は、まるで嵐の前であるかのように静かに更けていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

それからは、色々な事があった。

 

酒場で行われた歓迎会で、ベルがフィンにポーカーで十連勝したり。

 

それを聞いたロキが、未成年立ち入り禁止のカジノへ幸運の白兎(ベル)を連れて行こうとして、リヴェリアに撃墜されたり。

 

罰として掃除係(スイーパー)を任されたアイズが、ダンジョンに興味を示したベルを勝手に連れて潜ったり。

 

猪人(オッタル)が単身でロキファミリアに乗り込んできて、危うく抗争に発展しかけたり。

 

他にも様々なことが起こり、幹部(フィン)達だけでなく、一般団員達もオラリオ中を駆け回る羽目になった。

 

 

 

そんなこんなしている内に、ベルがやってきてから、二週間が経とうとしていた。

 

「リヴェリア」

 

「ロキか」

 

「……何しとるんや?」

 

「ベルがたまご粥を食べたがってな」

 

「そ、そうか……」

 

鍋をゆっくりとかき混ぜるリヴェリアの姿を眺めながら、ママやなぁ、という言葉をなんとか飲み込むロキ。

最近は、リヴェリアママ〜とからかっても、余裕の笑みで流されてしまっていた。

 

「それで、何の用だ?」

 

「あ、そやそや。あの子を戻す薬ができたらしいで」

 

「……そうか」

 

かき混ぜながら、塩をひとつまみ鍋に投入するリヴェリア。

話を聞きながらも、作業を止めるつもりは無いらしい眷属に、肩をすくめたロキは気にせず話を続ける。

 

「それで、リヴェリアには先に伝えとくけどな?……薬を飲むと、あの子のロキファミリア(うち)で過ごした記憶は、ぜーんぶ消えるで」

 

「っ!?」

 

鍋をかき混ぜる手が、止まった。

 

「ミアハんとこの眷属()も子どもになっとったっちゅう話は聞いたやろ?先に元に戻ったその子も、なーんも覚えとらんかったらしい」

 

「……どうにかならないのか?」

 

「どうにもならん。そういうふうに決まってしもうとるんや」

 

「どういう事だ」

 

火を止め、鋭い目を向けてくるリヴェリアの圧を受け流しながら、ロキは人差し指を立てる。

 

「ええか?当たり前やけど、【白兎の脚(ラビット・フット)】にはロキファミリア(うち)にいた記憶なんてない。せやけど、もしあの子を元の時間……『過去』に帰すと、『今』の【白兎の脚(ラビット・フット)】に無かったはずのあの子の記憶が生まれてまうんや。そうなると、『過去』と『今』に矛盾ができてまう。下界の子らがよくタイムパラドックス、とか呼んどるやつやな」

 

話は続く。

 

「下界はそれを許せへん。何としても帳尻合わせをしようとするやろーな。んじゃあ、下界にとって辻褄合わせるために、一番手っ取り早い方法は何やと思う?」

 

「……あの子の記憶を消すことか」

 

「そういうことや」

 

少年(ベル)の記憶を消すのは、リヴェリアや零能のロキでは手を出せない『下界そのもの』だ。

どうしようもなく状況は詰んでいる、とロキは断言する。

 

「今夜、アミッドたんとドチビ達んとこにあの子を連れていくことになっとる。……今のうち、別れの挨拶をしとくんやで?」

 

「……了解した」

 

感情を読み取らせない、完全な無表情で頷くリヴェリア。

別れの時は、もうすぐそこまで来ていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ベル、粥ができたぞ」

 

「ありがとう、お母さん!」

 

食堂でリヴェリアを待ち構えていたベルは、席について皿を覗き込み、歓声を上げた。

 

「わー、おいしそう!いただきます!」

 

ヘスティアファミリアの元へ顔を出しに行った時に学んだ、極東の文化だという食前の挨拶を律儀に行い、スプーンを手に取る少年。

そして、皿に目を向け——すぐにリヴェリアへと視線を戻した。

 

「……お母さん、なんでげんきないの?」

 

「っ……」

 

見抜かれた、とリヴェリアは己の未熟を恥じる。

少年の関心は、既に自分に向いてしまっている。

いま粥を食べるように言っても、少年はこの最後の食事を楽しめないだろう。

仕方ない、とリヴェリアは深く息を吐き出す。

 

「……大事な話がある」

 

そして、リヴェリアは全てを打ち明けた。

ベルがここに来るまでの経緯を、子どもでも分かるよう、簡略化して。

その間、ベルは沈黙したまま話を聞いていた。

 

「——と、そういうわけで、私達は今夜でお別れしなければならない」

 

「ここがみらいで、ぼくはむかしにもどらなきゃいけない……でも、それなら、ぼくが大きくなって、またおらりおに来れば会えるんだよね?」

 

大人でも混乱する話を正確に把握できたのは、頭の柔らかい子ども故か。

縋るような声音で核心を突いてきた少年に、もはやベルの顔を正視することが出来なくなっていたリヴェリアは、少し俯いたまま頷いた。

 

「会えるとも。……だが、ベルはその時私の事を忘れているだろう」

 

「……どーゆーこと?」

 

「……消えるそうだ。オラリオへやって来てから今日までの、お前が蓄えた記憶が。全て」

 

「え……」

 

絶句するベルの脳裏に『あの日』がよぎる。

祖父を失った、あの日を。

失って改めて、今までに無いほど痛感した、もう戻らない家族の温かさを。

 

「そんな……そんなのやだよ!お母さん!」

 

ベルは直感的に全てを理解した。理解した上で拒絶した。

自分の意思に関係なく、記憶を消去され、今日までの『出会い』を無かったことにするなんて、許容できるはずがない。

 

「みんなを忘れたくない!ぜんぶ忘れたくないよ!かーどであそんだことも、だんじょんに行ったことも、このおかゆだって!」

 

「……それでも、堪えるしかないんだ」

 

「お母さんはそれでいいの!?僕、お母さんのことも忘れちゃうんだよ!?」

 

「……っ!!」

 

息子の痛切な叫びに。

 

「私も、嫌に決まっている!」

 

今の今まで押し殺していたリヴェリアの感情が、爆発した。

 

「……ベルが元に戻ったとしても、大きくなったお前に一足早く会えるようなものだと納得していた!楽しみですらあった!しかし、それも許されないなど耐えられるはずがないだろう!?……だが、仕方ないんだ。私では……私たちでは、どうしようもないんだっ……!」

 

何が下界の意思だ。クソ食らえ、と、声を震わせながら世界を呪うリヴェリア。

 

自分以上に感情を発露させる妖精の姿を見て、涙を流していたベルは、ゴシゴシと目元を拭う。

そしてニッコリと、下手くそな作り笑いを浮かべた。

 

「……じゃあ、約束!」

 

「……なんだと?」

 

小さな小指をリヴェリアに差し出して、ベルは目を潤ませながら、もう一度笑った。

 

「僕はぜったい、ぜーったいお母さんのことを忘れないから!いつか思いだすから!……だからお母さんも、僕に会いにきて!」

 

それは守られる事のない、残酷な約束だ。

子ども故に、その約束が、(くつがえ)しようの無い未来でリヴェリアを苦しめ続けることになると、心優しい少年は気づかない。

 

「約束、か……」

 

健気に差し出された小指を見つめるリヴェリア。

約束をすれば、少年が天寿を全うするまで己は苦しみ続けるだろう。

そしてここでベルを諭し、約束を回避してしまえば、どうせ消えてしまう少年に縛られる事はなく、苦しむこともない。

ならば、母親(リヴェリア)が選ぶ道はただ一つだ。

 

「……ああ、約束しよう。ベルに会いに行く。何度でも、お前が私を思い出すまでな」

 

少年が【白兎の脚(ラビット・フット)】に戻った時、確実に己との記憶は失われてしまうだろう。

その記憶が復元されることは、永劫無いかもしれない。

それでも、芽生えてしまった母心(ナニカ)は無くならないと、確信しているから。

リヴェリアは、少年の小指に己の小指を絡ませた。

 

「……それを食べ終わったら、皆に挨拶しに行くか」

 

「わかった!はやく食べるね!」

 

「いや、ゆっくりでいい。味わって食べろ」

 

「はーい!」

 

少し冷えてしまった粥に、スプーンを突っ込むベル。

ゆっくりでいいと言ったにも関わらず、パクパクと粥をかき込んでいくベルの頭を撫でながら、リヴェリアは全てを包み込むような、優しい笑みを浮かべた。

 

 

そして、その日の深夜。

少年は、過去へと帰っていった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

三日後の朝。

バベルの広場の木陰で、『白兎の脚(ラビット・フット)』の二つ名を持つ第二級冒険者、ベル・クラネルは、ボーッと座っていた。

そこへ。

 

「ベル・クラネル」

 

「へ?……ってうわ!?り、リヴェリアさん!?」

 

「なんだ、その幽霊にでも遭遇したかのような反応は」

 

「す、すみません……」

 

リヴェリアが現れた。

 

「隣、いいか?」

 

「ど、どうぞ」

 

ベル・クラネルから一人分だけ間を開けて、座る。

そして、カチコチに固まっているベル・クラネルに視線を向けた。

 

「調子はどうだ?」

 

「え、えと、順調です」

 

「そうか。良い事だ」

 

 

沈黙。

 

 

「……り、リヴェリアさんは、今日はなんでここに?」

 

「弟子を鍛えるためだ」

 

「それは……もしかして、レフィーヤさんですか?」

 

「そうだが……よく分かったな?」

 

「はい。ご本人からリヴェリアさんのお話をよく聞いていますから」

 

「……なるほどな。ベル・クラネルは何故ここに?」

 

「荷物番です。バベルの入り口で春姫さ——仲間の一人がポーションの瓶を全部割っちゃったので、リリ達——他の仲間と新しく買いに行ってて」

 

そう説明しながら、そばに置かれた大型のバックパックを指し示すベル。

 

「……災難だったな」

 

「い、いえ。よくある事なので」

 

「よくある事なのか?」

 

「あはは……」

 

 

再度沈黙。

 

 

「……世間話は苦手か?」

 

「い、いえ、苦手ではないんですけど……やっぱりリヴェリアさんとお話しするとなると、つい緊張しちゃって」

 

「そうか……別に緊張する必要は無いぞ?むしろ私はタメ口でも良いんだが」

 

「いや、流石にタメ口は……」

 

「……そうか」

 

三度目の沈黙。

 

(やはり、ロキの言っていた通りだったか……)

 

分かっていた事とはいえ、ベル・クラネルの反応に、自分を覚えている様子は見て取れない。

予見されていたその事実に、しかし予想以上に落胆を覚えたリヴェリアは、早々にその場を立ち去ろうとして——

 

 

「……最近、夢を見るんです」

 

 

ポツリと、ベルが呟きを落とした。

 

 

「子どもの僕が、緑の髪の女性とお粥を食べる夢なんです。顔は見えないんですけど、凄く綺麗な人で……子どもの僕はいつも見惚れていました」

 

僅かに目を見開くリヴェリア。

そんな彼女の様子にも気づかず、ベルは独白を続ける。

 

「それで、僕はその人を『お母さん』なんて呼ぶんです。……僕はおじいちゃんと二人暮らしだったはずなんですけど」

 

そう言って、ベルは苦笑した。

 

「……なぜ、私にその話を?」

 

「わかりません。ただ、何となくリヴェリアさんには、この事を言わないといけない気がして……」

 

困ったように人差し指で頬を掻くベル・クラネルに、少年(ベル)の面影が鮮明に重なる。

そして、密かに息を呑むリヴェリアに向かって、同一人物だから、では片付けられないほどに少年(ベル)の気配を漂わせながら、ベル・クラネルは思いっきり破顔した。

 

「忘れないって、約束したから」

 

「っ!?」

 

今度こそ、リヴェリアは硬直した。

何故、という言葉が喉につっかえて出てこない。

記憶が全て、完全に消えるという全知零能の神達の予測は、確実なはずだった。前例もあった。

ならば、万に一つの例外も無いはずであった。

 

しかし、予測を下した神々は知っていた。

ロキは知っていて、いらぬ期待をさせてはいけないと、敢えて言わなかった。

下界は、自分たちの全知を超えていく『未知』で溢れていると。

 

「……えっと、急に変なお話をしてすみませんでした。僕、行きますね!」

 

『少年』の気配を消したベルは立ち上がり、フレーメン反応を起こした妖精に深々とお辞儀をすると、バックパックを背負って、買い出しから帰ってきたらしい仲間達の元へと駆けて行く。

リヴェリアはそれを呼び止めることも出来ず、呆気にとられた顔で、遠ざかっていく大きなバックパックを見送った。

 

 

 

妖精一人が残された木陰に、静寂が訪れる。

驚愕を咀嚼しきれず、未だ己の内で荒れ狂う感情を落ち着かせるように大きく息を吐き出したリヴェリアは、ふと、ある事を思い出した。

 

「……アイズが、時々稽古をつけてやっているんだったか」

 

それを『子ども達の戯れ』と形容してしまうことから、今の自分が変な精神状態(テンション)になっていると自覚しつつも。

リヴェリアは、ほのかに笑みを浮かべた。

 

「遠征が終わったら、覗きに行ってみるか」

 

 

涼やかな風が、笑みで持ち上がった頬を撫でていく。

オラリオは、今日も平和だった。

 

 

 

 

 

 

『ベル、子兎になる』——完——

 




ここで物語はいったん完結とさせていただくのですが、今後は番外編としてカットした日常回を投稿していく予定です。
何話投稿できるか、どのくらいの分量になるか、どれほどの頻度で投稿できるかは全て自分のひらめきにかかっているので分かりません。
気長に待っていただけるとありがたいです。

ここまでお付き合い頂き、本当にありがとうございました!
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