もしも好みに合うワインを見つけてしまったときは、そのワインに合うチーズを探すとき、やはり君は幸せな時間を知ることができるだろう。
「えぇ……? お店、畳んでしまったのですか? だって、それじゃあ……生活のほうはどうするつもりなんですか。食事や衣類の洗濯なども込みでの家賃だったのでしょう?」
「はっはっは! クレッテ、お前、誰にモノを言っている。故郷を離れ仕事一筋100年以上、ライトエルフの中年男性に生活能力なんてあるワケないだろ! こんなこと、常識で考えればわかりきってるだろうが」
「あぁ、言われてみればそうでしたね。ボクとしたことがつい取り乱して、そんな簡単なことを失念していました。いや〜、ははは」
「……エルフだし、そういうモンだってのは知ってるが」
もしも種族間の対立戦争が勃発したら、エルフたちの国は手を出してはならないと言われている。何故ならば、ライトエルフもダークエルフも他種族を追い出した時点で滅ぶことが確定するためリソースの無駄遣いになるからだ。
コレはただの比喩表現であり、それだけエルフという種族は自身の興味や関心に触れないモノに対して大雑把という話。少なくとも、火の神の末裔として枝分かれしたと言われていることから豪胆さと義理堅さを頼りにされているサラマンドの冒険者・ロズビフはそう思っていた。
しかし目の前で雇い主である呪術師・フリットと、その知人らしきダークエルフの青年との会話の内容と温度から冗談ではなく本気であり得るかもしれないと呆れてしまっている。
護衛としての賃金は1度だって遅れたこともなければ渋られたことも無いので、本当の意味で生活能力が皆無というワケではないのだろうが、少なくとも期待するのは間違いだなと確信できた。
それはそれとして、これからどうしたものかという問題はロズビフ自身も同じ立場である。肝心の雇い主は知人のダークエルフと一緒にギルドハウスだかクランハウスだかの裏手のほうへ消えてしまったので、下手をしなくても話が盛り上がれば明日の朝まで会えないかもしれない。
歓楽街では様々な
しかし、つい先日のこと。その宿屋がとある商人のクランに丸ごと買収されてしまったので彼らには寝泊まりできる場所がない。もちろんベテランの冒険者であるロズビフにはそれ相応の貯蓄も伝手もあるので、その気になればすぐにでも代わりの宿屋を見つけることはできるのだが……フリットから当面の護衛依頼ぶんの報酬は前金で支払われているので勝手な真似をするワケにはいかない。
時間を潰そうにも周囲は廃墟。露天商の組合かなにかの集団が色々と準備を進めているようではあるのだが。
「そこのおにーさん、ヒマならウチのお店でまかないでも食べる?」
「店? なんだ、潰れたギルドかなにかだと思ってたが、中でメシ屋でも営業してんのか?」
「まだまだ準備中でいつ開店になるかはわかんないけどね。で、料理の実験台になってくれる人なんて何人いてもいいからって店長が。もちろん用事があるなら無理強いはしないけど」
店の質は、従業員の立ち振舞にも現れる。
毛並みの整ったネコ耳としっぽ、そして清潔な給仕服。男性客と、一部の崇高な趣味を持つ女性客を釣り出すために雑な色気を振り撒くよりは好ましいデザイン。
少しクセのある喋り方ではあるが、全身から活力を感じるあたり本人の気質がそうなのだろう。取り敢えず雇用主ばかりが景気の良さを語り従業員は不満を抱えてやる気が売り切れているような店ではなさそうだ。
「そう、だな……雇い主を置いて表通りまで戻るワケにゃいかねぇし、エルフ同士の世間話ってヤツは簡単には終わらねぇだろうからなぁ。面白そうだし、その実験台ってヤツ、引き受けさせてもらうとすっかね!」
「ん。1名様、ご案内。あ、一応言っておくけど、おにーさんの好みの料理が出るとは限らないからね? もちろんこれは“商売”じゃなくて“善意のご協力”だからお金、取らないけど」
「構わねぇよ。自分でメシを選ぶと結局、いっつも同じモンばっかり食っちまうからな。タダ飯ついでに座れる場所を貸してくれるってんだ、文句なんざ言わねぇさ」
護衛の視点から見ても状況は悪くない。周囲に視線を動かせば、露天商たちの中でも荒事に備える役目を担う者たちの中から数人分の同情らしき苦笑いを向けられる。きっと彼ら彼女らもエルフ同士の昔話などに巻き込まれて辟易した経験があるのだろう。
そしてこれだけ閑散とした場所であれば、ここだけ明確なコミュニティが出来ているのであれば、怪しい人物が近寄れば必ず誰かが反応する。護衛依頼を受けた冒険者同士が同じ場所で休息をとるとき、お互いに時間をずらして食事をするのは暗黙の了解に近い。素晴らしきは相互扶助の精神、自分だけが楽をしようとした自称ベテランの扱いについては察して知るべし。
純粋な興味から、入店したロズビフの顔が自然とあっちこっちにゆっくり動く。大衆向けの料理屋の広さではないが、雰囲気は間違いなく自分たちのような気楽な腹ペコを狙っている心地良い適当さ。内装から判断するに、どうやら冒険者ギルドのハウスだったらしく、体格の大きいサラマンド的にゆったり座れるスペースがあるのも評価点。
カウンターの奥。調理を担当しているのはヒューマンの青年とスノウヘアの少年、それとハウンドテールの少女。動きや立ち位置からしてメインの料理人であるヒューマンから指導を受けてピコピコ忙しなく動くウサ耳に対して、犬娘のほうはいくらか技術を身につけ信用されているのか作業の一部を任されているようだ。
料理を運んでいるのはヒューマンの男とキティステップの少女。開店前にしてはチラホラと人がいるのは外にいた露天商たちの────荒れた土地で新しい生活を始めようとしているなら開拓者とでも言ったほうが似合いそうだが、これもご近所付き合いのようなものか。
ただ、厨房の片隅で他の店員たちと同じ服装のまま、サラマンドやオーガでもなかなか選ばない巨大な斧を抱え口を開けて居眠りしているスノウヘアの少女だけはちょっと立場がよくわからない。料理屋で武器が手放せない、ならモンスターを食材として仕入れる担当なのか? だとしても休憩するならもっとちゃんと横になれる場所でいいだろ。
「店長。こちら、開店準備にご協力していただける冒険者。ちなみに雇用主の方は不幸にもこのタイミングでクレッテさんと世間話に花を咲かせているとか」
「燻製部屋の課題を見つけて改良しなければ、とテンションが上がってるこのタイミングで……よりにもよって、って感じですね。いらっしゃいませ、まだ店名も決まっていない料理屋ですが、真心込めておもてなしさせていただきます」
「おぅ、世話になるぜ。それで……その、美味そうな鶏肉を食わせてくれるって期待していいのか? 良い色してんな、そこそこ深い階層のモンスターみたいだが」
「いえ、こちらのお肉は短距離ドードーのお肉ですよ。冒険者の皆さんであれば1度は討伐したことがあるかと思います、推奨レベル3前後の浅い階層のモンスターです」
「……コレが? 短距離ドードーの肉? 中距離ドードーとかじゃなくて? それにしては」
「目的が違えば戦い方も変わります。冒険者の方々にとって、モンスターは経験値や魔石が目的でしょう。私たちにとっては可食部が目的なので、まぁ、肉質を気にした狩りになるというワケですね」
「あー、ハイハイ。依頼の素材に合わせて倒し方を変えるって、そりゃ確かに冒険者にとっても普通のことか。しかし……コイツが、このやたらと綺麗な薄紅色の肉が、あの短距離ドードーとはねぇ」
ロズビフの知る短距離ドードーの肉ではない。彼の知るそれはもっと赤黒く、料理人の手にある肉のように鮮やかなピンク色などしていない。いや、下手をすれば……否、下手をしなくても進化したモンスターの肉と見比べても食欲をそそる色合い。
少し、考える。レベル70を超えるロズビフにとって短距離ドードーなど経験値にしても魔石にしても旨味のない獲物だが、倒し方を工夫すればこれほどまでに上質な肉を手に入れることができるとなれば、それはそれで別口の旨味がタップリである。美味い肉は雑に焼いて塩で食べるだけでも美味いのだから。
「もしよろしければ、お酒も飲まれますか? 麦酒、葡萄酒、米酒、あとはウメ酒に、変わり種では白葡萄酒とリンゴ酒などもご用意できます」
「ウメ酒はまだ飲んだことあるが、白葡萄酒にリンゴ酒ってのは?」
「言葉通り、白いブドウだけを使った透明な葡萄酒と、リンゴと蜂蜜を使って仕込んだ琥珀色の甘みの強いお酒です」
「ほーん? 蜂蜜、蜂蜜かぁ……そう、ハチミツね」
酒好きの種族に名を連ねるサラマンド、最初に口にするのは成人の儀式で振る舞われる蜂蜜酒である。子どもが産まれた年に仕込まれる15年モノの蜂蜜酒の味は、人生の区切り目の記憶と深く結び付く想い出の味なのだ。
大抵の場合は母親や姉が材料となる蜂蜜とレモン、綿毛になる前のタンポポの花といった素材を集め、父親や兄がそれを仕込む。この作業だけは王族や貴族などの上流階級の人間たちも他人任せにしたりはしない。休憩時間に下世話な話でゲラゲラ笑い合っていたタオル頭の中年が実は宰相だった、なんてことも普通にある。
そんな体験を無事通過してきたロズビフにしてみれば、蜂蜜を使ったリンゴの酒があると言われれば試さずにはいられない。
そして大抵のサラマンドは酒の味を覚えることで辛党として育つのだが、100人に3人ほどの割合で同時に甘い物を好む者も出てくる。甘い酒、実に好都合。
「じゃあ、そのリンゴ酒とやらをひとつ、試させてもらうとしようかな」
「はい、かしこまりました。それでは、カウンターでもテーブルでも、お好きな席をどうぞ」
反応が薄い。
これは味覚が甘口のサラマンドを知っているな。なるほど、向こうのテーブルにいるギルド運営本部の制服を着た3人組の女はそういうことか。信用されるだけの知識と経験と、あとはなんらかの付加価値があるなら料理も期待できるだろうとロズビフは店内を見回し────窓際の広いテーブル席を選んだ。
護衛任務の都合が第一なのはもちろん。しかし私情としてこういう席でゆったり食事を楽しみたいという気分も小さくない。臨時でパーティーを組んだときは別として、基本的にテーブル席をソロの冒険者が占有するのはマナー違反とされている。もっとも、周囲からの信用を失っても良いのであればその限りではないが。
しかし店内が閑古鳥、とは違うが開店準備期間らしく客も関係者ばかりであれば気にすることも無い。いまだけの、偶然転がってきたささやかな贅沢ぐらいは許されるのだろう。床と一体化しているソファーのような椅子もまた、ギシギシと心配になる音を気にせず体重をしっかり預けることができる。
「おまたせ。リンゴ酒と、おつまみのチーズ。料理はもう少し待っててね」
「……貴族向けの店だったりすんのか? ココは」
曇りも歪みも無い大きめのガラスのコップ、いや、確かにこれだけ綺麗な作りをしているならわざわざグラスと言い換えたくなる気持ちもわかる。中にはこれまた綺麗な丸い形の氷がひとつ。透明度の高さは氷魔法スキルがよほど高いか、もしくは魔力の使い方が巧いのか。
嫌味のつもりはない。ただ素直な感想がつい口から漏れただけ。そのあたりの機微を察してはいるのか、給仕係の少女は特に気にした様子もなく琥珀色の酒で満たされたボトルを傾けている。清潔感のある真っ白なタオルを使い、直接手が触れないようにしているのも無駄に高級感の……圧力? とまでは言わないが。
注がれる指差し2本ぶんの酒。
まずは味見をしてみろ、ということか。
「どれ。…………ふぅん」
葡萄酒がブドウの味ではなく葡萄酒の味がするように、リンゴから作ったというこの酒もまたリンゴの味ではない。それでも麦酒や米酒とは趣きの違う香りは感じる。蜂蜜の甘み、程よい渋み、喉や鼻を通り抜けるアルコール特有の辛みのようなもの。
美味い、が。コレは普通の酒とは別物だというのがロズビフの第1印象である。つまりは食事と一緒に水の代わりのようにガブガブ飲むのではなく、ゆっくりと味わう大人の────そう、酒に酔うことを楽しむ“成人”ではなく、酒を飲むことを楽しむ“大人”の酒。
適量を嗜むのなら、これもまた。それはそれとして美味い酒であり好みに合う酒でもあるのでもう少し欲しいところだと給仕係に顔を向ければ、こちらが要求するよりも先にボトルからグラスへリンゴ酒が注がれている。
冗談ではなく本当に、いよいよ貴族向けの料理屋なのではないかと疑いたくなる。上流階級向けの店ではそういうこともある、と話に聞いたことはあるが、客におかわりを言わせない気配りなんて大衆向けの食堂には必要のないスキルだろうに。
ペコリ、と静かに頭を下げてボトルだけは置いていく。3杯目からあとは自分で好きなように飲め、という意思表示。つまり、このボトルに残ったぶんまでは店長からの奢りということか。これは良い、実に素敵な心遣いである。
(さて……どうすっかな。どうせ料理も頼んで、いや頼んでないけど出てくるワケなんだし、酒だけチビチビやってるよりチーズも食ってみるか……? でもなぁ、こんな上等な酒にチーズ食っちまうのも……もったいないっつーか。それとも、このチーズもなにか手の込んだ仕事がしてあるってコトも────ある、な。コイツぁ)
ひと口サイズの四角に切り揃えられたチーズをひとつ、つまみ上げた指先に油分のベタつく感触が無い。だからといって完全に乾燥しているということもなく、力を込めれば適度に硬いチーズのしっとりとした気配が纏わりついている。
何気無く、くるりと返して見れば切断面が見当たらない。大きな塊を切り出したのではなく、ひと口サイズに切り分けたモノになんらかの仕事を施したということ。古くなったチーズは黄色からくすんだ木の色に変化していくが、そうではないことぐらいはわかるのだが。
チーズのひと口などたかが知れている。
だが好奇心から、あえて半分だけかじる。
(ん……サクッと割れたな。歯にベタつく感じはない、ってか焼いた肉の皮の部分みたいなパツンッとした感じに似てるようなそうでもないような? 味は完璧にチーズそのものだが、この匂いは、なんかどっかで────あぁ、思い出した。弟が産まれたときに、オヤジと一緒に蜂蜜酒の仕込みを手伝ったときの酒蔵だ)
薄暗い木造の、柱と樽が並ぶ空間をほのかに照らすロウソクの頼りない明かり。湿っているような、それとも乾いているような、しかし大量の蜂蜜とレモンが運び込まれたことで甘い香りで満たされていたような気もする。
詳しく思い出せるようで、細かいことはなにも覚えていない不思議な感覚。ただひとつ、休憩時間に大人たちが食べていた、やたらと美味しかった魚の干物がこうした味だったような気がする。それがなんの魚でどんな形をしていたのかは忘れてしまったが、味と香りがチーズに重なるように浮かび上がってきた。
そこに、リンゴ酒を含むように。チーズの塩味と酸味がリンゴ酒の甘みに溶け出す。まるで少しお高い菓子を食べているのかのような、舌の上にしっとりと重みを感じる甘みである。
カラン、コロン……と窓から入り込む日の光ごとグラスの中で氷を遊ばせながら残りを口の中に放り込んだ。保存食として、携帯食として食べることが多いロズビフは料理屋で積極的にチーズを選ぶようなことはなかったが、こういう楽しみ方であればいつでも歓迎したいぐらいであった。
こうも気分が変わると酒の注ぎ方も変わる。どうせ自分で自分の世話をするのなら、景気よく器を満たしても変わらんだろうという考え方のままでは面白くない。給仕係がそうしたように、だが少しだけ欲張って、指差し3本分ほどを注ぐ。これがいい。いま、自分は酒を楽しむという余裕を楽しんでいるのだから。
「そのチーズは、店主殿が酒の肴になるようにと燻製にしたものだ」
「燻製? チーズを? そりゃまた贅沢なことをする。しかし燻製なんてそんな簡単に作れるもんなのかね?」
「それはワシにもわからん。だがまぁ、店主殿の口癖は“食って美味ければそれが正解”だからな。手伝いはしたが、ワシには虫除けや乾燥の作業との違いがわからなかった。その違いに気付けた者が上流階級に売り込みを掛けたのかもしれんなぁ」
「虫除け、ね。つまりは煙でガンガンに炙ったりしたってことか。そりゃ酒蔵のニオイに似てるってなるワケだ。で、その違いのわかる料理屋がダンジョン産の鳥肉でメシを作ってくれたってことだな?」
ニヤリ、とヒューマンの中年男性が笑う。
挑発的だが相手を侮るそれとは違い、こちらをワクワクさせてくれるタイプの笑い方。
「お待たせしました。蒸し鶏2種だ。キュウリとトマトが添えられているほうが味噌を使った甘口のソース、もう一つの小鉢のほうは……見ての通り、赤い爪を使った辛口のソースだ。ライスやパンが欲しくなったら遠慮なく申し付けてくれ。スープも2種類、用意してあるぞ」
「うむ。食ったこともねぇメシが見ただけで美味そうもなにもねぇだろ、って過去の発言を取り消さにゃならんな。味の想像はできなくても美味そうな予感ってヤツ、案外あるもんだなオイ」
千切りにされたキュウリと半円のトマト、それらの野菜に立て掛けるように並べられた短冊状の蒸し鶏。モンスターの血液は通常、解体するまでの時間経過で魔力となって霧散する。しかし処置を雑にすれば色合いが悪いのはもちろん血生臭さは残ってしまう。つまり黒の混ざらない薄いピンク色だけで揃っている肉であれば、そのあたりの処置も丁寧に済ませてあるという証明になる。
もう一つの小鉢の中身も蒸し鶏らしいが、こちらは見るからに辛そうな赤い色。味噌を使ったというトロリとした甘口のソースと違い、こちらはサラサラとした赤色に木の実らしきものを刻んだモノが混ぜてあるようだった。単純に調味料を水で薄めてかさ増ししたのではなく、鳥肉の表面に見える光沢のあるまだら模様から察するに油を使っているのだろう。
辛党でもあり甘党でもある酒飲みのロズビフとしては赤い爪の蒸し鶏料理も気になるところだが、まずは甘口のソースのほうから食べてみるべきだろうとフォークを手に取る。
サラマンドが辛味に強い種族なのはその通りだが、口の中が香辛料まみれになれば別の料理の味がわかりにくくなるのは他種族と変わらない。
まずは、お試し。倒し方、捌き方で肉の味に違いが出るとして、それが自分でも判別できるのかどうか。少なくとも鳥肉を蒸した料理なら大きく好みから外れることもないだろうと、味噌のソースを避けて蒸し鶏だけを口に運んだ。
(鳥肉だな。特に、なにか特別な味がするワケでもない、塩茹でにした鳥肉と同じ味だ。だが美味い。血の味は全然しねぇし、臭いも……コレ、リンゴ酒のせいで気付かなかったが米酒使ってんのか。ほんの少しとはいえ贅沢だな。だが……うん。いいニオイの、ウマい鳥肉だ。少し柔らか過ぎる気もするが、そこは好みの問題だな……うん、美味い)
これを進化モンスターである中距離ドードーの肉だと言って食べさせたとしたら、間違いなく大抵の冒険者は信じるだろう。討伐方法を含めた下拵えの違いか、それとも蒸すときに米酒を使ったからか。なんにせよシンプルな調理法で明確に美味さの違いがわかるのだから、これは料理人の創意工夫がそれだけ素晴らしいということだ。
そのまま食べても美味しい蒸し鶏が、この味噌で作られたという甘口のソースとやらでどう変化するのか期待も高まるというもの。わざわざ千切りにしてあるならキュウリも一緒に食べてみるか? いや、それはあとで試すとしよう。まだ、たった一切れ味見をしただけで皿の上には蒸し鶏はタップリ残っている。今日は料理を楽しむ日なのだと、ロズビフは蒸し鶏に少しだけ味噌をつけて試してみる。
豆の塩気。塩や醤油ほどまっすぐ刺さらないその味は、冒険者にとって馴染みのある味付けではある。少しでもキャパシティを節約したい、しかし食事は少しでもマシなものを食べたいというワガママを叶えるとき、持ち運びやすい味噌は腸詰めと並んで人気である。
だが口当たりは全くの別物。豆の粒を丁寧に磨り潰してあるらしく菓子に使われるクリームのように滑らかな舌触り。そこに感じるかどうかギリギリの刺激もまた、サラマンドにとっては日常的に扱う赤い爪の辛味。そして、あえて甘口ソースと呼ぶ由来であろう────蜂蜜の甘みがじんわりと感じられた。
グラスの中で遊ばせていたリンゴ酒を含む。味噌とリンゴ、普通に生活していれば決して組み合わされることのない食材。だが悪くない。蜂蜜という共通点があるからか、それとも単に好みによるものかは食べている本人にもわからないが。美食家を名乗る者たちとっては美味しいに理屈が必要なのかもしれないが、冒険者であるロズビフにしてみれば自分が美味しいと思えるなら客観的な相性など心底どうでもよい。
蒸し鶏と味噌の甘口ソースの旨みは確認できた。と、なれば……千切りのキュウリや半円の輪切りトマトも一緒に食べてみたいと考えるのも冒険者の
(……おぉ? キュウリと一緒に食っても美味いだろうとは思ったが、リンゴ酒の感じ方がなんつーか。ただ飲んだときにはそこまで思わなかったリンゴっぽい匂いを感じるような気が……? キュウリとリンゴなんて野菜と果実だし、似てるトコなんて水分が多いことぐらいしか思い付かねぇんだが。こういうのを、酒と料理を楽しむって言うんだろうな。ハハッ、案外……面白ぇなコイツはよ)
料理をひと口、酒をひと口。気が付けば甘口ソースの蒸し鶏は皿の上から消えていた。美味い料理が無くなった、食べきってしまったことを惜しみつつリンゴ酒をグラスに注ぐ。もちろんボトルごと渡されたからといって欲張るような真似はしない。今日は気取り屋を演じたい気分なのだから、最後までそれを続けなければもったいない。
子どもが半日でも1日でも飽きもせず棒切れを振り回して遊んでいるように、すっかり楽しくなってしまった手癖で氷をカラカランと鳴らしながら、今度は小鉢の中で真っ赤に染まっている蒸し鶏を観察してみる。もっとも、料理の知識に乏しいロズビフでは鳥肉が赤いということ以外サッパリなのだが……知識が無くても感性が美味しそうだと教えてくれるだけでも楽しいものだ。
刻まれた木の実などが落ちないよう、向きに気を付けながらフォークでさくり。
(ちゃんと辛いのに、ちゃんと鳥肉の味がする。これはパンよりライスのほうが合いそうだな。あとは麦酒か。ま、今日はこのままリンゴ酒で楽しませてもらうがよ。……うん、酒場でたまに食うナッツ類だなコレは。バリバリとした歯応えと香ばしい感じが鳥肉にも辛口のソースにも合う。イイな、赤い爪の辛味とナッツの香ばしさ。これも組み合わせってヤツか? 後を引く、って言えばいいのか……ヤバいな、こりゃ酒が無くならない限り延々と食えるタイプの美味さだぞ)
呑兵衛にとっては天敵といっても過言ではない組み合わせ。香辛料の刺激と香ばしい食感。しかも本体は肉である。これがギトギトの脂を麦酒で流し込むような食事であれば、そのうち腹が膨れるか口飽きするかで終わり何処も見つかるのかもしれない。だが米酒の香りで上品に蒸された鳥肉と唇を濡らす程度に楽しむ果実の酒ではフォークを置くタイミングが見当たらないではないか。
まぁ。辛いものは辛いらしくサラマンドだからこその感想なのかもしれないが。ギルド運営本部の女性職員たちも同じ料理を食べているようだが、涙目になっているところに別の給仕係が大慌てで籠盛りのパンとミルクを運んでいる。
それでも美味しさは別なのか、小鉢を下げてもらうようなことはせず賑やかに食事を続けることにしたらしい。素人でもこの辛口ソースの蒸し鶏には相当な量の赤い爪が使われているのは想像できるのだ、きっと食べてる最中も辛味でヨダレが止まらないのではないだろうか? 美味しそうな料理を前に、ではなく美味い料理を食べながら、というのも変な話ではあるが。
しかし────パンである。
ライスも頼めると言われている。
どちらを頼んでも正解だと確信できる。パンを適当に割って、甘口の味噌のほうに添えられていたキュウリやトマトの残りと、この辛口ソースの蒸し鶏をまとめて挟んで食べてもきっと美味いと確信できる。
あるいは、真っ白なライスの上に辛口ソースをたっぷり纏わせた蒸し鶏を乗せてから、甘口の味噌を適当に混ぜてもいい。こういう行儀の悪い食い方というものは絶対に美味しいと相場が決まっているのだから。
(ここはライスを……いや、我慢だな。開店してからでも、なんなら、こうして縁ができたならまた顔を出してもイケるかもしれん。食材として持ち込みとかするなら邪険にはされねぇだろ。フリットの旦那との契約次第だが、まぁ大丈夫だろ。エルフは興味無いことに関しては良くも悪くもいい加減だし)
◇◆◇◆
最後に酢漬けの野菜と緑のお茶を貰い、食事で思わぬアタリを引いた心地良い浮遊感の中でロズビフは店を出た。プロフェッショナルとして気持ちの切り替えは一瞬で完了するが、こういうときに
細巻きのひとつぐらい、吸い終わるまで待ってくれる雰囲気ではあるのだが……護衛任務を受けることの多いロズビフはタバコをあまり好まない。腹一杯で動けないということもないのだからと、軽く身体を動かして無言で感謝を伝えれば、その意図を正しく受け取った同業者たちが軽く視線を合わせて店内へ。向こうが先に、あの料理人の出す食事の味を知ったのだ。ここで待たせるほど捻くれてはいない。
休憩に入った露天商たちの護衛チームに代わり、気怠そうな態度の奥で静かに周囲を探ってみれば。
「なんだかなぁ。どうしてこう────気配の消し方も知らねぇヤツに限って不用心なんだか。5人、レベルは一番高いヤツでも3か4くらいか。ハッ。雑魚狩り専門のザコとは、なかなか体を張ったギャグの巧い連中じゃねぇの」
立地条件。人の出入り。周囲の状況。不特定の人間がエリアを出入りしている。こうして条件を並べるだけなら確かに悪くないかもしれない。
だが武器を持った者たちの動線があの料理屋を起点にしていることに気が付いていないようでは悪事の下見としてはお粗末に過ぎる。
商人ギルドの人間ではなくギルド運営本部の人間が出入りしているあたり、エリアの中心としての役目を任されている可能性は高い。ならば、下手に手を出せば治安維持組織だけでなく闇ギルドからもねらわれるリスクがあると……想像できないから下手な悪巧みをしているのだろうが。
ロズビフは別にあのヒューマンの料理人に雇われたワケではない。だが、またお越しくださいと誘われている。作ってみたい酒や試してみたい料理も沢山あるから、もしも良ければまた遊びに来てくださいと誘われている。依頼はなにも受けていないが、知人として招かれているなら知人として気を利かせるくらいはしてやってもいいだろう。
とは、言うものの。あの侍の男を始め、従業員だけでも余裕で返り討ちにできる気はするのだが。そうでなくても2階のほうから自分より遥かに格上の気配も感じていたので尚更である。
連中は運が悪かった? 違うな、楽に稼ぎたいなら頭の使い方を覚える必要があった。危険のニオイに対して敏感でなければいけなかった。目的のために必要な能力を持たない者は淘汰される、それだけのことだ。
コキッ、と首を鳴らし……たまには金の動かない仕事も良いだろう。そんな傭兵らしからぬ考え方すら面白がるように、ロズビフは雇い主が姿を見せるまでのんびり待つことにした。そのまま店主の好意に甘えて夕食まで世話になり部屋を借りることになるとも知らずに。
昼飯の後なら飯テロ扱いされんでしょ。知らんけど。