白木 華(しらき はな)
…主人公で高校1年生。インターン活動中。
如月 琉乃蒼(きさらぎ るのあ)
…戸隠便利屋事務所の自称サバサバ系。酒飲み。20代前半。
お化け屋敷 その1
ズル……ズル……
薄暗い屋敷の中、使い古されてはげたカーペットの上を何かが引きずるような音が響いている。あたりは薄暗く、なにかが腐ったような酸っぱいにおいが漂っていた。通路の途中に置かれた燭台には埃が被っており、しばらく使われた形跡はない。
音の発生源はひとりの年老いた男だった。ギラギラとした目と鷲鼻が印象的だった。男は巨大な荷物を引きずって運んでいた。さきほど仕入れてきたばかりのそれは男が妻に与えるための食事だった。老いた象のような艶のない肌に浮かぶ汗と荒い呼吸が運搬作業にかかる運動量の大きさを示唆していた。
やがて男は部屋の前で立ち止まる。男の訪問を待っていたかのように、閉められた扉の奥でかすかに床が軋むような音がした。男はゆっくりと3度、扉を叩いた。すこしの沈黙の後、それに答えるように重量物が床を打ち据える音が3度響いた。それを確認した男がゆっくりと扉を開き、部屋の中へと入っていく。
内部はきれいに片づけられていた。元々置かれていた家具は部屋の隅へと追いやられ、そこら中に張られた蜘蛛の巣が存在感を主張している。部屋の奥に張られた一際大きな蜘蛛の巣に寄りかかるように、巨大な蜘蛛が陣取っていた。
男は行儀よく待っていた妻の姿を認めてかすかに目を細め、持ってきた荷物をその足元に放り出した。すぐに妻がそれに近寄り、食事を始める。生々しい咀嚼音とともに体積が減っていく荷物を見て、男は満足そうに部屋を出た。
妻が食べる量は日に日に増えており、食糧の供給が追いついていなかった。男は成功者であり、これまでの人生で蓄えてきた人脈や資産を用いて獲物を融通してもらっていた。しかし、約1ヶ月前に仕入れ先で問題が起きたため自力で狩りに出るほかなくなってしまった。
男は玄関まで戻ると慣れた手つきで獲物の所持品を漁り始めた。携帯端末は踏みつぶし、金品は除外する。所持品のほとんどをズタ袋に放り込んでいくが、やがてその手が止まった。
男が震える手で鞄から掴みだしたのは文庫本サイズの聖書だった。裏面には持ち主の名前が書かれている。そしてそれは男がさきほど妻に与えた獲物の名前と一致しなかった。
教会関係者にだけは手を出さないこと。それがこの街に住む人間の共通認識であり、男の平穏な生活を守ってきた最大の教訓だった。
男はまるで感情が抜け落ちたような顔で聖書を眺めていたが、やがて唾を飲み込むと慌ただしく屋敷を出て行った。
×××
「お化け屋敷ですか?」
「そう! 華ちゃん色んな仕事経験したいって言ってたじゃん? どうかなって」
事務所にはときおり武田さんが新聞をめくる音が響いている。普段上座でキーボードを叩いている所長も外出していて、室内は閑散としていた。
私は顔を上げて目の前の人物と目を合わせた。肩のあたりで雑に切られた茶髪、あまり肉付きの良くない身体に覇気のない瞳。身体の前で手を合わせてこちらを窺う如月先輩からはかすかに煙草の匂いがする。
むうん、と考え込む。
彼女が不真面目な人だということは短い付き合いの中でなんとなく分かっていた。勤務中にパチンコ情報誌を見たり、爪を弄ったり、煙草を吸ったりと、まともに仕事をしていなかったからだ。
そんな彼女の熱心な申し出はことさらにうさん臭く響いた。提案自体は願ってもないものだったので猜疑心を口に出すことは控えたが。
「良いですけど、いつですか?」
「もちろん、これからっしょ。いますぐ出発、レッツゴー!」
「え……、清掃作業入ってませんでしたっけ?」
「そんなことより後輩指導のほうが大事でしょ。細かいことは良いから行くよー」
私が承認するや、先輩はすぐに荷物をまとめ出した。普段の怠惰な態度はどこへ行ったのか、突っ込みを入れる暇もない。
そこで私はようやく、自分が如月先輩が面倒な仕事から逃げるためのだしにされたことを理解したのだった。
「タケさん、行ってきまーす」
「おう。気ぃつけてな」
さっさと支度を整えた如月先輩は、事務所奥のローテーブルで煙草を吸っていた武田さんに元気良く挨拶をして出て行った。
如月先輩にならって出発の挨拶をした後、遅れないように急ぐ私を武田さんは生暖かく見送ってくれた。
×××
「開店前のお化け屋敷の体験ですか」
「そうそう。珍しいよねー、こんなところでお化け屋敷を開こうだなんてさ」
折り悪く所長が車を使っていたため、目的地までは徒歩での移動となった。
結構な距離を歩く羽目になったのに先輩はご機嫌だった。やはり面倒な仕事から逃げられたことが嬉しいのだろう。私がインターンに来てから2週間、先輩はあの手この手で清掃作業を避けていた。
「けっこう報酬良いですね」
けっこうというよりもかなり良い。資料には相場の2倍近い金額が書かれている。
「でしょ。しかも即日払いだし」
先輩が自慢気に鼻を鳴らす。
金払いが良く、楽な仕事。私たちのような便利屋や定職を持たない労働者にとってこれほど条件のいい依頼は滅多にない。残りの問題点は依頼主の信用性ぐらいだ。
「先輩、ちなみにこの仕事ってどこから回って来たんですか」
「ふっふっふ。……実はこれ、ネットサーフィンしてる時に見つけたんだ。あたしらで枠埋まったっぽくて、取り逃がさなかったのはマジでラッキーだったわ」
「え、管理局とか所長からもらってきたんじゃないんですか」
「違うんだなー、これが。ほら、タケさんもよく言ってるっしょ。一流の便利屋は自分で仕事を見つけるもんだって」
「それは武田さんだから言えることであって、20歳そこそこの先輩には当てはまらないと思いますけど……」
先輩は心配を口にした私に向かってカラカラと笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。華ちゃんが思ってるほど悪い人なんていないよ。もっとおおらかに生きたほうが楽っしょ」
「先輩はもう少し細かい部分を見たほうが良いと思います。昨日の書類も、日付の欄を間違えてましたよ」
「あははー。華ちゃんが気付くか試したのさ。いやあ、優秀な後輩を持てて幸せだなー」
「今週に入ってもう3回目ですけど」
じろりと睨みつけると、如月先輩は慌てたように顔を背け、鳴らない口笛を一生懸命吹いてごまかした。コミカルな仕草に、引き結んでいた私の唇は知らずのうちに緩んでいた。
しばらく歩いた後、目的地へと到着した。
「着いた着いた。へえー、けっこう雰囲気あるねー」
「南区にこんな古い建物が残っているなんて……」
資料を元にたどり着いた場所は都市の南区のとある1区画だった。
古い年月を感じさせる目の前の洋館は、20年前の戦争で更地になったこの地域にしては場違いなほど立派なものだった。
「気合入れて建てたんじゃない? これだけでかい建物が残ってたらさすがに話題になるでしょ」
「そういうものですかね」
「そうそう。この街に変なことなんていくらでもあるんだから気にするだけムダ。じゃあ行くよー」
先輩は私の疑問を適当に流して古めかしい門の手前に置かれた真新しいプレハブ小屋へと入っていく。私は釈然としないものを感じながらもそれについていった。
小屋の中は狭く、粗末な椅子がいくつか置かれていた。
窓際の長机の上で焚かれているお香から、甘ったるいような、どこか落ち着かない香りが漂っている。
一番奥の椅子に老人がひとり座っていて、私たちを出迎えてくれた。
「依頼を受けた方ですね。ようこそいらっしゃいました」
枯れ枝のような細い体にギラギラとした目が印象的だった。
昔見たホラー映画に出てくる、犠牲者を呪いの館に誘いこむ執事を思い出した。お化け屋敷の案内人としては非常に雰囲気がある。こんな場所にわざわざ開くことといい、形から入るタイプだろうか。
老人にすすめられ、粗末な椅子に座る。
彼の話をまとめると、大雑把にこんな感じだった。
・テストユーザーとして新規に開くお化け屋敷を体験して感想を教えて欲しい。
・複数のチェックポイントを順番通りに回って戻ってくるのがルートである。
・臨場感を出してもらうため、携帯端末の持ち込みは禁止である。
・戻ってきた時にアンケートを書いてもらい、報酬を渡す。
・屋敷内部はそれなりに広いため、迷わないよう地図を持っていくこと。
等々。
「もう何人か中に入ってるんですか」
説明を聞き終わり、先輩が質問した。
言葉通り、いくつかの椅子の足元には先客のものと思われる荷物が置いてあった。
「はい。ですが屋敷は広いので、鉢合わせになることはないと思います。ただ、もし前のお客様と遭遇しても、なるべく会話等はお控えください」
「あー、たしかにネタばれとかされたら興ざめですもんね。わかりました。あともうひとつ、携帯置いてくってのはちょっと……」
「申し訳ありません。ツアー中に電話等されますと雰囲気が壊れますので」
先輩は渋い顔をして粘ったが、依頼主が折れなかったため通信端末は置いていくこととなった。
しばらくして、先輩が親指を立てて見せた。足元のリュックには競馬新聞やパチンコ情報誌に混じって乱雑に携帯端末が突っ込まれている。
私たちは依頼人に小さく頭を下げてから小屋の出口へ向かった。
その時、大きな音を立てて小屋の扉が開いた。
入ってきたのは灰色の髪の背の高い女だった。肉食動物を彷彿させるしなやかな体躯に雑に後ろでまとめた尻尾のような長髪。切れ長の瞳に使い込まれた槍のような独特の雰囲気。
彼女は鋭い目で横にのけた私たちを一瞥し、まっすぐに奥へと向かっていった。
×××
橙色の陽光が小屋を出た私たちの顔を横向きに照らす。いつの間にか夕暮れ時になっていたらしい。肝試しには好都合な時間帯だろう。
隣で先輩が大きく息をつく。
「いやー、ヤバいね。今の人と鉢合わせないと良いけど」
「お知り合いですか?」
「直接の面識はないよ。でも――」
その先は聞き取れなかった。突然扉が開き、小屋の中から先ほどの女性が出てきたからだ。
彼女は突っ立って話し込んでいた私たちに目もくれずに屋敷の門の前まで歩いていくと、懐から煙草を取り出して咥えた。しばらくポケットをまさぐっていたが、目当ての物が見つからなかったのか、大きく舌打ちすると私たちに向かって話しかけてきた。
「おい。あんたら、ライター持ってないか?」
どうしよう。
先輩はあまり関わらないほうが良いようなことを言っていたが、話しかけられたのに無視するのは流石にまずいだろう。
こっそり隣を伺うと、先輩はいままで見たことがないくらいガチガチに固まっていた。
これでは対応できないだろう。私は意を決して声を上げた。
「マッチならありますけど」
ポケットから戸隠便利屋事務所の名前が入ったマッチ箱を出して彼女に渡す。
彼女はそれを受け取ると、嬉しそうに紫煙をくゆらせ始めた。事務所で先輩や武田さんが吸っているものとは比べ物にならないほど強い匂いが鼻についたが、不思議と嫌悪感は抱かなかった。
「ありがとな、嬢ちゃん」
「そちらはもう入るんですか?」
「ああ? いや、まだ説明も受けてねえからな。じいさんに小屋ん中で煙草を吸うなって追い出されちまった。おめえがくっせえお香なんか焚いてるからだろうが」
「ふふ」
野性的な見た目の割に人の意見はきちんと聞く性分らしい。外見と内面にギャップを感じて思わず笑ってしまった。気に障っただろうかと慌てて彼女を見るが、怪訝な顔を返された。
「中でなんかあったら呼んでくれよ。火ぃ貰ったぶんは返すからよ」
「ありがとうございます。その時は頼みますね」
たかがお化け屋敷の体験なのだから、なにもないと思うが。
門の前にガニ股で座り込んで携帯をいじり始めた彼女を横目に、私たちは洋館の敷地へと足を踏み入れた。