私たちは姉から教えられた貧困街のあばら家に来ていた。そこはこれまで歩き回ってきた地域よりも更に治安が悪く、その中でも一際みずぼらしい建物が私たちの目的地だった。
「ここですわね」
探知機が目の前の廃屋を指し示しているのを確認し、レイは緊張をほぐすように深呼吸をする。
「ノックするね」
レイが頷く。彼女には私が求めない限り黙っていてもらうよう伝えておいた。話がこれ以上こじれるのはゴメンだ。
「……?」
返事がない。再度ノックして数分待つが、反応は返ってこない。
「チャンスですわ。ブツは間違いなくここにあります。あの盗人が出かけている今なら安全に取り返せますわ」
「話し合うように言われたでしょ。それにおねえちゃんから手渡しするようにも言われてるし」
姉から渡された紙袋を持ち上げた。何が入っているのかは分からないが、何度も念押しされたことから、余程重要な物が入っていると推測できる。
「で、でも、もしかしたら中で倒れてるかもしれませんわよ? チラッとでも確認したほうがよろしいのではなくて?」
「それは……そうかもしれないけど」
帰宅したユライと鉢合わせになるかもしれないが、少し見るだけなら大丈夫か。そもそもレイと姉の視点から見た彼の印象が違い過ぎる。どちらを信じるべきなのだろうか。いや、姉は人の良い面ばかり見るようなひとなので騙されているかもしれない。もしそうなら私が間違いを正さなければ。であればやはり中を確認しておいたほうが良いのか。
「じゃあ入るけど、勝手に物をあさったりしないでね」
レイが何度も頷くのを確認してから扉をゆっくりと開けた。
×××
「お邪魔しまーす……」
獣臭さがムッと鼻につく。薄暗い室内にはゴミが散乱していた。ちゃぶ台を挟んだ奥の窓際にベッドがあり、その上に茶色の毛むくじゃらの物体が鎮座している。室内に漂う濃厚な獣臭は古い毛布のようなそれから漂ってきていた。
「だれもいないみたいだね。やっぱり出直そうか。――あ、ちょっと!」
止める間もなく、後ろから乗り込んできたレイが室内を横切り、壁に立てかけられていた箒で毛布のようなものをつついた。レイを引っ張って止めようとしたところで、それがピクリと身動ぎした。
「……っつ!!」
レイが私を抱えて大きく後ろに飛びのく。もぞり、と毛むくじゃらが寝返りを打つように体勢を変えた。
私はそこでようやく、それが人であることに気が付いた。頭頂部に三角形のとがった耳、片方は噛られたように先端が欠けている。汚らしい毛布に見えたのは大きな尻尾だった。首輪に付けられた水晶が鈍い光を放っている。落ちくぼんだ鳶色の瞳が私たちを見つけ、シパシパと瞬きをした。
「……っぁあー、どちらさまで?」
しばらく水分を摂っていなかったようなしわがれた声だった。数舜の後、それが私たちに話しかけていることを理解した私はあらかじめ用意していた言葉を喋った。
「教会から来た者です。用事が2つあって来ました」
「はぁ」
気のない返事をする彼に姉からの手土産を渡す。紙袋を受け取り、中身を確認するように匂いを嗅ぎ始めた。
「もしかしてシスターさんからで?」
「はい。――あ、」
開けるなら私たちが帰ってからにしてください、と言う間もなく紙袋を開け、中から取り出した物を次々と食べ始めた。姉が見るなと念を押した袋の中身は、真ん中に穴の開いた甘い匂いを漂わせる菓子、すなわちドーナツだった。一心不乱に食らいつく姿に唖然としていると、一抱えはあったそれをあっという間に食べ終えてしまった。
「ふいー、食った食った。あ、すいやせんね。いま片づけますんで、ちょいと待っててもらえやすか?」
促されるまま外に出て数分後、家の中に戻ると散乱していたゴミは片づけられ、匂いもほとんど消えていた。着替えもしたのか、先ほどより幾分か小綺麗な彼は申し訳なさそうに私たちをちゃぶ台の前に座らせた。身なりもそこらの浮浪者が土方のあんちゃんにクラスチェンジしている。
「いやあ、すいやせん。茶もろくに出せねえで。それとシスターさんにはよくよくお礼を言っておいてもらえやすか?もちろんあなた方にも感謝してやす。おかげで寿命が延びやした」
ぺこり、と頭を下げて名乗る。
「ユライと申しやす。なにかお困りのことがあればお声がけくだせえ。安くしやすんで」
差し出された名刺には、口を大きく開けたポップなドーベルマンのイラストとともに『何でも屋 ユライ ★★浮気調査から今晩のメニューまで、なんでもご相談ください★★ 』と書かれている。肝心の連絡先や住所などの情報は一切見当たらない。
「それで、おふたりは教会からいらしたそうですが、シスターさんとはどういったご関係で?」
「私の姉なんです。たまたま教会に寄ったらこれを届けてくれって頼まれて」
「姉?」
ユライがいぶかしげな目で私を見る。鼻をひくひくとさせた後、しばらくの間物思いにふけっていたが、やがて得心したように大きく頷く。
「へぇー、妹さんでしたか。こんなこと言うと失礼かもしれやせんが、あまり似てませんねぇ」
「よく言われます」
実のところ、これまでにも同じようなことを言われてきたし、自分でもそう思っている。背格好から、目、髪、肌の色、そして性格まで、姉と私はまるで似ていなかった。一緒に暮らしていなければ家族だなんて信じられなかっただろう。
ちょいちょいと横に座ったレイから突かれる。さっさと本題に入れと言いたいのだろう。軽く咳ばらいをしてから、ここへ来た本来の目的を果たすことにした。
「えぇと、2つ目の要件についてなんですけど」
目の前のユライはニコニコと笑っている。これがいつまで続くものだろうか。あまり期待できそうにはない。
「ユライさんは異邦人ですよね?」
「へえ」
こちらが彼の素性を知っていたことに対して、特に驚く様子も見せず淡々と肯定する。
「おおよそ2か月前、こっちに来てすぐのときに困っていたところをシスターさんに助けていただきやした」
「なぜこちらに?」
「いやあ、実は」
ユライはそこで言葉を区切り、頬をかきながらバツが悪そうにした。
「仕事の関係で色々とポカをやらかしやしてね。向こうにいられなくなったんですわ。そんで心機一転、こっちでやってこうと思ったらこれまた障害が多くてですね。色々と無理がたたって寝込んじまったわけでさ」
「私たちもユライさんのお仕事の関係でここに来たんです」
「と、言いやすと?」
「こちらに来る前にレイモンド家から家宝をいただいたとか」
「おっしゃるとおりで」
あまりにもあっさりと首肯したため反応が遅れる。困惑する私たちにユライが続ける。
「なんたらの首飾りってやつですね。察するにおふたりはそれを回収に来たってところでしょうか」
「そのとおりです」
ユライはひとつ頷く。
「もちろんお返しするのはかまいやせん。ですがその前に、このちんけな親父の困りごとを聞いてはいただけやせんでしょうか?」
×××
「困りごと?」
しらばっくれるでもなく、まさか盗人が助力を求めてくるとは想像だにしなかった。
「ええ、その通りでございやす。実はあっしがこっちに来てから重大な障害に直面しやしてね。金や食い物、住む場所には困らなかったんですが、ひとつだけどうしても手に入らない物があったんですよ」
そこまで言ってからユライは私の隣に座っているレイに視線を移した。
「それが魔力でございやす。大方の異邦人が直面する事だとは思いやすが、あっしらにとって魔力がなくなるってことは空気が吸えなくなるのと同じくらいシンドイ。あっしも月の小石っつう魔力を貯めとくバッテリーみてえなもんを持ってきてたんですがね。仕事をしてる時に嶋田組だかってチンピラに盗まれちまったんですよ。――いえ、違いやすよ。月の小石は正真正銘あっしの物です。盗んだ物じゃありやせん。いや、元盗賊が盗まれるなんて嘘みたいな話でしょ。疑いたくなる気持ちもわかりやす。ただ、そこに関しては信じて下せえ。天地声明にかけてこの件に関しては嘘をつきやせん。……で、もちろんあっしも取り返しにいったんですが、嶋田組っつうのが意外とでかい組織みたいでして。あっしひとりじゃ話も聞いてもらえなくて困ってたんですよ」
「まさかそれについて来いって言うつもりじゃないですよね?」
ユライは大げさに驚き、感服したような表情を作った。
「さすがは妹さん! おっしゃる通りでまさあ。ほら、こっちのことわざにもあるでしょう? 三人寄れば文殊の知恵ってやつです。あっしひとりじゃ門前払いでも、お二方がついてきてくれりゃあ連中も無下にはできないはずでさあ」
それを言うなら三本の矢ではないだろうか。
「私たちがいてもなにも変わらないと思いますよ? 私は荒事に慣れてませんし、レイだってこちらの住人に危害を加えることは許されてません。私たちに頼るより腕自慢の便利屋でも雇ったほうがいいじゃないですか?」
「お二方は教会の関係者なんでしょう? ならなにも問題ないと思いやすけどね」
違うと突っぱねることもできたが、ユライの態度が協力的なのは教会に対して恩義を感じているからかもしれない。下手に否定するよりも誤解させたままのほうが家宝を取り返せる可能性は高いか。
「すみません。私、そのあたりの事情にあまり詳しくないんですけど、なにが大丈夫なんでしょうか?」
「ここいらの人間が教会関係者を袖にすることはないってことです。なにしろ、感染者への仕事斡旋やら配給やらで恩恵を受けている人間ばかりですからね。少なくとも話くらいは聞いてもらえるはずでさあ」
「もし聞いてもらえず争いごとになったら?」
「そうなったらおとなしく退散してくだせえ。お二方にそこまで危険を冒させる気はありやせん」
彼自身は取り戻せる可能性があるなら危険を顧みずに進むのだろう。でなければ魔力不足で死ぬだけなのだから。であればなぜ今になって動き出そうとしているのか。ユライが言う通り教会の権威を借りる目的もあるのだろう。
だがなによりも気力を取り戻したからというのが打倒ではないだろうか。姉の持たせた紙袋、あれの中身を食べた途端に飢え死にしかけていたユライが活力を取り戻した。つまり、あのドーナツには――。
「おね……姉からの届け物はなんだったんですか? あれを食べた途端に元気になったように見えましたけど」
「聖餅でやす。教会が魔力に困った異邦人向けに配ってるんでさあ。教会の世話になってた頃は断ってたんですがなかなかイケやすね」
「そんな物があるならわざわざ取り返しに行かなくても、それをもらってればいいじゃないですか」
「そりゃ一時的には良いかもしれやせん。実際あっしも頭下げようか考えてやしたし。でもずっとそのまま生きてくってのは無理ですぜ。なんてったって首根っこ捕まれてるようなもんですから、なにするにも顔色伺わなきゃいけねえだろうし、なに頼まれても断れねえ。飼い殺しですよ」
ユライは苦虫を噛み潰したような顔で巻かれた首輪を触った。死にかけても頼ろうとしなかったあたり、放浪気質は筋金入りなのだろう。もしかしたらこちらに来たのもそれが一因なのかもしれない。
「それって私たちに頼るのは大丈夫なんでしょうか?」
「教会の本山に頼るのとはまったく違いやす。重要なのはパワーバランスって奴でさあ。お二方にちょいと助けてもらうくらいならあっしでも恩を返せるでしょう?」
私は思わず鼻で笑い飛ばすところだった。
――盗人が恩返しとは、自分で滑稽に思わないものだろうか。まあいい、こいつの言う通りについて行って、問題が起きたらその時は容赦なく盗品を奪い返せば良いだけだ。お人好しの姉も嘘吐きは擁護できないだろう。まったく、彼女が穏便になんて言わなければもっと簡単に済んだのに。
「すこし相談して来ても良いですか?」
ユライが頷くのを確認して外に出る。扉が閉まった途端にレイが猛然と吠え出した。
「あんな盗人、信ずるに値しませんわ! さっさととっちめておのれの愚かしさを思い知らせてやりましょう!」
「気持ちはわかるけど、姉さんと約束しちゃったでしょ。争いごとはなしって」
「それはそうですけど……」
しかし姉はなぜユライの肩を持つのだろうか。もともと他人に優しい人だったし、他人の行動に口出しするようなことはあまりなかったはずだ。ユライは教会で数日間過ごしたと言っていたから、その間に恩を感じることがあったのだろうか。
もしくは、とユライのひげ面を思い出す。姉は彼をイケメンと言っていた。たしかに顔は整っているが、しかしあんな男に対して好意を抱くことはないはずだ。もしあのひげ面を義兄と呼ぶ日が来たら――。私はくだらない妄想にぶるりと身を震わせていた。
「私たちを教会の人間だと勘違いしている間は下手なこともしないはず。ちょっと話を合わせるだけで穏便に片付くならそれが1番だと思う」
「華がそう言うのでしたら……」
レイは不満そうな顔をしながらも賛同してくれた。
しかし、と私は懐に入れた携帯端末を触った。異邦人とともに裏組織の本拠地に行くことを所長に相談すれば間違いなく止められるだろう。彼は裏社会の動きが活発になっていることを警告していた。まさか私の向かう先でなにかが起きるとは思えないが……。
私は葛藤を抱えながらも扉を開く。
「おや、早かったですね」
「それ、なんですか?」
ユライは机の上に広げていた物を素早く鞄にしまった。一瞬だったが、ナイフやピンセット、爆竹のようなものから紫色の水晶やレイの持っている探知機に似た懐中時計のようなものも確認できた。
「で、決まりやしたか」
こちらの問いには応えずに何事もなかったかのように振舞う。突っ込んでも碌な答えが返って来なそうなので話を進めることにした。
「話を受けることにしました。ただし、ついていくだけです。先方との交渉はあなたがやってください」
「もちろんでまさあ! いやあ、ありがてえ。これでなんぼか希望が出てきやした」
ユライはいそいそと懐を漁るとこちらに鍵を渡してきた。
「そこにある金庫に入ってやす。あっしになにかあれば持って行ってくだせえ」
レイが部屋の隅に置いてある古ぼけた金庫に近寄り、探知機が激しく反応するのを確認した。探し求めた物を目前にして興奮に頬を赤らめ、こちらを見て何度も頷く。
「じゃあ早速行きやしょうか。お二方の時間をこれ以上いただくわけにもいきやせんしね」