ユライの自宅から歩くことしばし、嶋田組の屋敷に来ていた。
そう、『屋敷』だ。正直なところ、反社組織の拠点としてはもっと小さい規模を想像していたので当てが外れた。決断を早まったかもしれない。
「つきやした。ここが嶋田組の根城でさあ」
異邦人のふたりは平然としている。1度来ているユライはもとよりレイも特に委縮していないので、この程度の建築物はあちらでは普通なのかもしれない。
「顔色が優れないけど大丈夫でして?」
労いの言葉に無言でうなずいた。まさか吸血鬼に顔色を心配される日が来ようとは。
「じゃあ、ちょっくら話してきやす。お二方はすこし待っててくだせえ」
ユライが玄関に近付き二言三言喋りかけると、スーツを来た守衛は鋭い目つきで私たちを値踏みした。今更ながら私もレイも教会の人間だと一目で分かるような特徴がない。ひとりは街歩きの高校生といった服装だし、もうひとりはこの気温で黒コートという怪しさ満点の装いである。もし証明しろと言われたらどうしよう。
だがそんな心配も取り越し苦労だったようだ。守衛はインカムに短く報告すると門を開き、ついてくるよう促した。
ユライが私たちだけに聞こえる音量で嬉しそうに言った。
「いやあ、予想以上ですね。やっこさん前は暖簾に腕押しだったのが教会の名前を出しただけでこの対応でさあ。最初からそうしとけって話ですがね、まったく」
やがて中庭にある大きな蔵に到着した。守衛は扉の鍵を外すと私たちを中へと促す。
「ガキどもが持ってきた物はここに入っている。あんたたちが探してる物が何かは知らんがさっさと探して出て行ってくれ。言っとくが関係ないもんまで持っていくなよ。出る時に確認するからな」
「へえ。そりゃあもう、もちろんでごぜえます」
ユライの軽薄な言葉を聞いた守衛は、小馬鹿にしたように鼻を鳴らして出ていった。
蔵の中は埃臭く、雑然としていた。奥の方に積まれた物は完全に埃に覆われており、長い年月を過ごしているようだった。
ユライは持ち込んだ鞄の中から懐中時計のようなものを取り出すと熱心に弄り始めた。それはレイが家宝を探すために使っている探知機によく似ていた。
「驚きましたわ。盗人風情がまともな魔針盤を持っていようとは。それも我が家の家宝と同じように盗み出した物なのかしら?」
レイがユライに向かって刺々しい言葉を投げかける。ユライを睨みつけるその顔は不快感を隠そうともしていなかった。
「なにを言って……」
ユライはその言葉を聞いて訝しんだように見えた。が、すぐに納得したような呆れかえったような、なんとも言い難い表情をした。
「……そういうことですかい」
「しらばっくれるおつもり?」
「その前にひとつ教えてくだせえ。お嬢さん、あんた御当主に断ってこちらに来やしたか?」
「そ、それがあなたになんの関係があるのです」
そもそも密入国しているくらいだ、相談などすればその時点で止められていただろう。思わぬ言葉に狼狽するレイに向かって心底面倒くさそうにユライは言った。
「あのですね。なんだってわざわざ大陸随一の大貴族に盗みに入らなきゃならねえんですかい。あっしになんのメリットもないでしょうが」
「それはもちろん――」
続く言葉が出てこない。考え付かなかったようだ。
「そもそも『首狩り公爵』なんておっかねえ渾名が付いてるあんたの親父さんが盗人風情に遅れをとると思いやすか? 2ヶ月もありゃ、あっしなんてとっくに殺されてやすよ」
「で、でも、お父様は『ユライは大陸でも有数の腕利きだ』って常々言ってましたもの」
ユライは深いため息をついた。疲れ切った顔でレイに諭すように語りかける。
「んなもんリップサービスに決まってるでしょうが。そういうの好きでしょう、あの親父。大したことでもないのに勿体つけて話したりって。お願いですから大事なことはちゃんと話し合ってくだせえ」
レイは口をパクパクとさせていたが、やがて返す言葉がないことに思い至ったのか、ムッツリと口を引き結んだ。
「ユライさんは彼女の父親と面識があるんですか?」
「あー、悪いですがそれには答えられやせん。一応プロですんで」
その返答自体がある種の答えのようなものだった。つまり盗まれたという前提事態が間違っていたことになる。
いいや、そうではない。この場をやり過ごすために出まかせを言っている可能性もあるのだ。だが、さきほど家宝を返せと言われたとき、ユライは驚きも焦りもしなかった。まるでそうなることを初めから分かっていたかのように。
ユライは押し黙った私たちを残してガラクタの山の中を漁ると、しばらくして古びた小石を見つけ出した。一見して価値があるようには見えないそれを大事そうに握りしめると、鞄から出したひもで器用に縛って首からつるす。
「それがあなたの探していたものですか?」
「ええ、そうです。これが月の小石っつうもんです。笑っちまうくらいこぎたねえでしょう?」
指で弄っている内に石の色は灰色から黒へと徐々に染まっていく。十数秒経つと石は幾分か値が付きそうな水晶へと変わっていた。
「魔力が溜まるほど濁るんですが、全部吸い切るとこうして真っ黒になるんです。盗まれた時はこんな感じだったんですが、パッとしない見た目になったせいで置いてかれたんでしょうね。闇市に流れてたら取り返すのも難しかったんで不幸中の幸いってやつでまさあ」
ユライは服の中に石をしまい、傍らの鞄を拾い上げた。
「さ、出やしょう。いつまでもこんなとこにいたら病気になっちまう」
そこでそれまでずっと考え込んでいたレイが声を上げた。
「ひとつ、教えていただいてもよろしくて? あなたがあっさりと返したのは、最初からその予定だったからということなのでしょうか」
ユライは頭を乱暴に掻き、ため息をついた。
「ご想像にお任せしやす。ただ、お嬢さんは親父さんのことをもうちょっと信じてあげても良いと思いやすよ」
先に出ていったユライを見送り、レイは気落ちしているように見えた。自分のやって来たことがすべて無駄だったのかもしれない。なにより、父親に認められるための行動がむしろその意に反していたかもしれないのだ。ナーバスになるのも当然だろう。
「レイ、行こう。ユライさんが嘘をついてる可能性もあるんだし、ここで気にしてもしょうがないよ。それに例えやってきたことが無駄だったとしても、レイが家宝を取り返したってことには変わらないんだからきっとお父さんも認めてくれるよ」
「そうかしら……。いえ、そうですわね。きっとそうだわ。ありがとう、華」
レイは私のへたくそな励ましに気丈に振舞うと礼を言った。
×××
幾分迷いの晴れた顔のレイと外に出る。蔵に入ってから随分時間が経っていたようで、外はすでに暗くなっていた。周囲に私たち以外の人影は見当たらない。
「おかしいですわね。守衛さんがいませんわ」
扉の傍で私たちを待っていたユライが深刻そうに声をかけてくる。
「お二方、ちいとまずいかもしれやせん。風に混じって嫌なにおいが漂ってきてやす。守衛もいねえ。急いでここを離れたほうが良いでしょう」
「変な臭い?」
しばらく埃まみれの場所にいたせいか、ユライの言う匂いは感じとれない。
「血とケダモノの匂いです。行きやしょう。手遅れでなけりゃ良いんですが」
「煙……」
レイの言う通り屋敷の方から何条もの煙が上がっていた。
「あっしが先導しやす。離れないでくだせえ」
出入口へ戻る途中、微かに獣の遠吠えと銃声が聞こえてくる。ユライが言ったような血の匂いと獣臭さも徐々に鼻につくようになってきた。
緊迫した状況下で、私は奇妙な既視感に襲われていた。だが、既視感の原因を突き止めるよりも早く状況が動いた。
「あんたたち、どこに行くつもりだぁ?」
「守衛さん?」
道を曲がった先に私たちを案内してくれた守衛が立っていた。目の焦点が合っておらず、ふらふらと挙動が定まらない。一見して普通の状態には見えなかった。
「近づいちゃいけやせん。脇を抜けます。刺激しないように付いて来て下せえ」
「お~い、待てよぉ。一緒に楽しくなろうぜぇ。たくさんもらったんだぁ」
「あれは……」
守衛の差し出した極彩色の薬剤に強烈な嫌悪感が湧き上がった。見慣れたそれは自身が隔離地区に来ることになった原因であり、友人がすべてを失いかけた元凶でもあった。高揚感と高い中毒性、なにより変異症を発症・悪化させる薬。弛緩した顔でそれを掲げる守衛の瞳は末期罹患者の特徴である発光する赤に染まっていた。
「うぅっ……!」
守衛が突如座り込み、身体を震わせ始める。
肉が裂けるような不快な音。
身体が風船のように膨張し、着ていたスーツが破ける。あらわになった肌からは太い体毛が生え、大きく開いた口は耳まで裂けていく。瞬く間に、人ではない何かへ変わっていく。
数秒後、そこにいたのは狼人間のようななにかだった。薬の過剰摂取により急激に変異したのだ。
「なにやってんですか! 早く逃げてくだせえ!」
ユライの声に我に返る。だが、それは遅すぎた。変異を終えた魔獣がこちらに向かって猛然と駆け寄ってきたのだ。
ユライが私たちと魔獣の間に割って入り、進行を妨害する。鈍い音がして、突き出された魔獣の右腕が地面に転がっていた。不思議そうに右腕のあった場所を見つめている魔獣だったが、異音とともに切断面が膨れ上がり、十秒も経たぬうちに先ほどよりも巨大な腕が生えてきた。
ユライが短刀を握りなおす。一度の接触でその刃は大きく欠けていた。
「ち、なまくらが……。お二方、先に逃げて下せえ。こいつはちと面倒そうだ。あっしも切りのいいとこで離脱しやす」
「わかりました。お気をつけて」
ユライをその場に残し、帰路を急ぐ。足が震えて転びそうになる度、レイが支えてくれた。突如として降って湧いた生命の危機に心臓が痛いくらい脈打っている。
私の頭の中でここ数日の記憶がぐるぐると回っていた。裏組織、柳沢、促進剤、横流し。所長の『警察と教会の動きが不透明だ。近いうちに大きな騒動が起きるかもしれない。くれぐれも気を付けてくれ』という助言を思い出す。
これがそれだ。促進剤に関わっていた敵対組織として嶋田組が摘発されたのだ。それに抵抗した嶋田組が道連れ覚悟で組織的な薬物投与による強化を行った。なんとも運が悪いことに、私たちはまさに騒動の起きる寸前に渦中に飛び込んでしまったのだろう。
やっとの思いで門の付近に到着したが、そこにはすでに先客がいた。さきほどのとよく似た3頭の魔獣だ。道中で薄々分かっていたことだが、どうやら嶋田組全体が促進剤の影響を受けてしまったようだ。戻ろうにも敷地は獣どもの鳴き声で満たされている。逃げ場所は前方にしかなかった。
だが、私の脚では奴らをかいくぐって逃げることはできない。目の前が真っ暗になった気がした。
「まずいですわね。あそこを抜けなければここから出られませんわ」
「無理だよ、3頭もいる。もし突破できても追ってこられたら逃げ切れない」
ふ、とレイが遠い顔で笑みを浮かべた。何かを思い出して懐かしんでるように見えたその顔はすぐに真剣な表情へと変わる。
「わたくしが足止めしますわ。心配しなくてもあなたよりずっと足が速いから、あなたが逃げ切った後にすぐ追いつけます。いいこと、後ろを振り向かずにまっすぐ走るのよ」
「……わかった。約束ね。絶対に追いついてね」
「ええ。約束しますわ」
自分が足手まといになっていることは明らかだった。だからこそこれ以上彼女に迷惑をかけられない。具体的にどうやって足止めをするのかは聞かなかった。3頭もの魔獣を抑止するのは常人には不可能だ。ならばきっと普通でない手段を使うのだろう。禁じられている『魔術』を。
本当なら止めるべきなのだ。彼女ひとりだけなら逃げられるのだから。私を救うために魔術を使えば首輪の機構で彼女が死ぬ可能性もある。それでも私はその事実から意図的に目をそらした。
魔獣どもがこちらに気付く。レイと目を合わせ、私は走り出した。
「………!!」
恐怖をこらえて必死で足を動かす。こちらに向けて飛び掛かろうとした獣たちがつんのめるようにその場に倒れた。目の端に捉えた彼らの足は、地面から突き出た赤い杭によってその場に釘づけにされていた。
うなりを上げる彼らの傍らを通り抜け、遂に私は勝手口へとたどり着いた。倒れこむように扉を開け、ようやく安全な場所へと――
「え?」
大きな衝撃とともに横へと吹き飛ばされた。
ぼやける視界で必死に周囲を見渡すと、見慣れた魔獣がいくつも目に入ってきた。そして倒れて動かない人々の姿。
何のことはない。すでに魔獣どもは外に出ていたのだ。だから屋敷の中にそれほどいなかった。
そして残された希望も潰えた。ほとんど自由にならない自分の身体は腹部が大きく裂けていた。血とともに見たこともない臓器が目に飛び込んでくる。どうやらさきほどの衝撃は待ち構えていた狼人間の1匹に飛び掛かられた時のものだったらしい。
血で濡らした前足を舐めながら、捕食者がゆっくりと近づいてくる。生臭い息が顔にかかり、ギザギザとした犬歯は目と鼻の先まで迫っていた。獣のよだれが滴り落ち、私の胸元に染みを作る。腹部の痛みよりも滴るよだれの生暖かさを強く感じるのが不思議だった。
近づく死の足音を聞きながら、私は忘我の彼方で不鮮明な風景を垣間見ていた。
――銃撃、鮮血、倒れ伏す金髪の少女――
意識が現実に戻る。覚悟していた衝撃はいつまでたっても襲い掛かってこない。いつの間にか私の前にはここ数日で見慣れた少女の姿があった。いつも着ていたコートは見当たらず、肩を怒らせている。豊かな金の髪は血で赤く染まっていた。
彼女が手を大きく横に振る。それで終わりだった。たむろしていた魔獣は一瞬で全身を血の杭に貫かれて沈黙した。
強大な魔術の行使によって濃密な魔力が周囲にまき散らされる。振り返った彼女の姿は普段と少し違っていた。爪と犬歯が大きく伸び、真っ赤な瞳は有り体に言って常人離れしている。
「ごめんなさい。あなたを守ると誓ったのに。待っててください。すぐに治療しますわ」
レイが私に近寄り、傷口に手をかざした。傷口が徐々にふさがり、血とともに失った体温が戻ってくる。
「…なん……魔…術……ダ…」
掠れた声で魔術を使わないよう必死に伝える。このままでは彼女が首輪に殺されてしまう。私の言っていることをなんとなく察したのだろうか。彼女は私を安心させるように笑った。
「問題ありませんわ。友人を救うため、そして誓いを果たすためなら手段は二の次ですもの。それよりも自分の心配をしなさい。あなた、普通の人間だったら死んでてもおかしくなくてよ」
――なぜ彼女は、打算でしか接してこなかった私にここまで親身になれるのだろう。異邦人でさえ他人のために命を懸けられるのなら、私は――
朦朧とした意識の中で私を介抱する彼女の姿に強烈な既視感を感じた。この光景はさっき見た幻覚にそっくりだった。極大の悪寒。
キラリと目の端に光るものが見えた気がした。私は回復した力をふり絞ってレイに抱きつく。彼女と自分の位置を入れ替え、地面に押し倒した。
「華?」
身を貫く衝撃。遠い銃声が遅れて聞こえてくる。
「華!?」
零れ落ちる意識をかき集めて彼女を強く抱きしめた。彼女がこれ以上危険を冒さないように。無事にあちらに帰れるように。
駆け寄ってくる靴音。怒号。私を呼ぶレイの声。つなぎとめていた意識はそこで失われた。