白い天井が目に入った。次いで薬品の匂い。それと混じるコーヒーの匂い。
意識が混乱する。どうやら自分はベッドの上にいるようだ。身体を起こそうとして痛みに呼吸が止まった。
「――っ!」
必死で息を整える。私の横で抑揚のない独白が聞こえた。
「ひとは危機に遭ってはじめて本当の価値を自覚する。古代ローマの勇士達が己の武勲の証明に外敵を求めたのと同様に、人間の価値は試練の中にあってこそ輝きを放つ。それは当然、感染者の持つ異能にも同じことが云える」
視線を横に向けると、見知った顔がパイプ椅子のうえに鎮座していた。
「……センセイ」
白衣に包まれたその人物は、私が隔離地区に来てからの知り合いだった。
中性的な見た目と声は老人にも若者にも見える。年齢、性別、本名の一切が不詳。都市で最大手の医療会社『暁生命』の主席研究員であり、抑制剤を作り出した功績から『センセイ』と呼ばれていた。
センセイは私の呼びかけを意に介さず、独白を続ける。それが私の置かれた状況を説明していたと理解したのはしばらくたってからのことだった。
「きみの発現した異能は極めて特異だ。第六感とでも云うべき超感覚は数あれど、数百メートル先の死角からの狙撃を精確に予測できるものではない。可能性があるとすれば先代のザガロフ帝が保有していた未来予知ぐらいだろう」
センセイがいるということは、ここは隔離地区で唯一の病院として使われている暁生命の研究所なのだろう。私はまだはっきりしない頭を働かせて自分の居場所を把握する。
だが、ここがどこかよりももっと重要なことがあった気がした。必死で倒れる前のことを思い出す。銃声、そして倒れる友人の姿。
「レイは!? 私と一緒にいた子は……っ!?」
無意識に出した大声で身体中に激痛が走った。涙にぼやける視界の中でセンセイが愉快そうにこちらを見ている。なんとか呼吸を整え、再度同じ質問を彼女にする。
「私といた異邦人の少女はどうなりましたか」
「目覚めて最初にする質問がそれで良いのかい?」
「――どういう意味ですか?」
「きみにはもっと気にするべきことがあるだろう。誰がきみを撃ったのか、きみの身体はどの程度の容体なのか。おままごとでつながれた薄っぺらい人間関係がそれほど優先すべき事かね?」
怒りで視界が真っ赤になる。この人は初めて出会った時からそうだった。遠慮がどうのという話ではない。意図的にこちらの嫌がることをして反応を楽しむのだ。
数分間、病室には私の荒い呼吸音とセンセイがコーヒーをすする音だけが響いた。ようやく気持ちが落ち着き、3度目の質問をする。
「レイはどうなりましたか」
真っ黒な瞳が私を見つめる。私は無言で睨み返した。やがて興味を失ったように視線が外れる。
「生きているよ。きみと違って健康そのものだ。2日前に退院して管理局へと向かった」
ほっと胸をなでおろした。よかった、私は彼女を守ることに成功したのだ。
「そもそも純血の吸血鬼を害せる人間などほとんど存在しない。彼女に撃たれたのも麻酔銃のような物だったのだよ。きみが庇ったおかげで色々な界隈が迷惑を被ったがね」
「……そうですか」
じくりと胸が痛んだ。自分のやったことが間違っていたかもしれないという恐怖。それを悟られないよう、すぐに次の質問をした。
「私を撃ったのは誰だったんですか?」
「管理局の執行部だよ。そういえば彼らから見舞いが届いていたな。体調が戻ったら開けると良い。君ならあと1週間もすれば退院できるだろう」
「……ありがとうございます。あの――」
――私の身体は本当に問題なかったんですか?
その言葉を口に出す直前、脳裏に浮かんだのは倒れる前の風景だった。レイの魔術であの一帯は少なからず汚染されたはずだ。あの場にいた自分だけが都合良く、その影響をまぬがれたとは考えられなかった。なにせ直接的な魔術行使の対象になったのだから。
それでも、口から出かけた疑問の声は結局生まれることはなかった。
そもそも魔術が使われたことを管理局は把握しているのか。魔力汚染に対して病的な潔癖さを持つ管理局が、それを引き起こした相手にどのような対応を取るのかは想像に難くない。私の安全と引き換えに友人が追い詰められる可能性もあるのだ。
センセイは押し黙った私を、いつもの、感情の色を映さない無機質な瞳で見つめている。
「この街では時折、魔力に対する高い耐性を持つ感染者が出現する。例えば上位に位置する何人かの掃除屋がそれだ。彼らにとって魔力とは色のついたガスに過ぎないし、そもそも変異の進行を防ぐための抑制剤すら不要だ。それが何に起因するのかはいまだ解明されていないが、もし彼らの協力のもと、原因が特定されれば変異病による弊害はすべて払拭され、優位性のみが残るだろう。ハラヘラムの黒雲と同様に、感染者という概念自体がなくなるのだ。……きみが思い浮かべやすいもので言えば大狼もそのひとりだ」
別れの言葉すら言えずに家族と引き離されて泣きじゃくる寧子の顔、そして両親に拒絶された経験を諦観を滲ませながら語ってくれた友人の姿が思い浮かんだ。
「なんで、そんな人たちがいるならどうして助けてくれないんですか! そうすれば、私たちはこれ以上苦しまなくて済むのにっ……!」
「きみには……ふふっ、当事者意識というものが欠落しているな。一体だれが望んで人体実験の被験者になりたがる。だれが人型の怪物どもの尻尾を踏みたがる。彼らの絆は血よりも濃い。同じ試練を生き抜き、同じ敵を相手にしているのだから。もし彼らのひとりを捕まえてモルモットにしたとして、報復は速やかに、かつ徹底的に行われるだろう。それに管理局が許さないさ。掃除屋という言葉も存在しない黎明期、各組織にそれを禁じたのは管理局の代行者だからな。企業にしても成果が出るかも分からない実験を強行することはない。……ふふっ、しかし、他でもないきみの口からそんな言葉が聞けるとは」
あざけるような声を聞いてようやく理解が及んだ。今の話は私のことを言っていたのだ。
悪意に満ちた瞳が私を見下ろす。三日月のようにゆがんだ口元は実験動物に与える痛みをつぶさに観察していた。
「きみのしたいようにすればいい。管理局がそう定めたように。自らを切り売りして隣人を救うのも、ただいつも通りの特別な日常を過ごすのも自由だ。きみは『白木華』なのだから」
「……」
何も返事ができなかった。つい数分前に口にした理想をかなえるための犠牲を、私自身が受け入れられなかった。
センセイは一通り喋って満足したのか、ふらりと出ていった。
私は見立て通り、その1週間後に退院した。
×××
「やあやあ、お久し振りでごぜえやす。お元気そうでなにより。いえね、あっしも見舞いに行こうかなとは思ったんですよ。でもあからさまに怪しいじゃないですか、こんなみみっちい親父が女子高生の見舞いなんて。おめえどういう関係だって思うでしょ? ですから泣く泣く我慢してたわけですよ。世話になった皆さんに迷惑は掛けれやせんから。……しかし、まあ、本当にお元気そうですな。身体はもう大丈夫なんで?」
退院した後、事務所に寄ってからユライの家に来ていた。レイはまだ管理局の取り調べを受けているらしく、それなら先に目的の物を回収しておこうと思ったのだ。先に寄った事務所では所長に深く頭を下げられた後、武田さんから長々と説教を受けた。報連相をしろと散々言われていたのにも関わらず、単身で異邦人からの依頼を受けて危険な場所に乗り込んだのだから当然だ。私だけならともかく、私の隣で一緒に説教を受ける所長の姿に申し訳なくなった。
「はい、おかげさまで。それにどのみち面会はできなかったので気にしないでください」
「ん? そんなに酷かったんで?」
「いえ、どうも姉が心配して断っていたらしいんです」
そのくせ手配した姉自身は退院の日まで現れなかった。おかげで入院生活はひどく退屈なものになってしまった。
「はあ、シスターさんが。まあ、妹さんに余計な負担を掛けたくなかったんじゃないですかね。入院なんて滅多にあることじゃないでしょうし」
どうだろうか。そもそも入院自体は隔離地区に来てすぐにしたばかりなのだが、心配性な姉らしいと言えばらしいか。
「そういえばレイモンドのお嬢さんは一緒じゃないんで?」
「私より早く退院したみたいなんですけど管理局で取り調べを受けているようです」
「ずいぶん念入りにやるもんですねえ。一応様子は確認しといた方が良いかもしれやせんぜ。次の越境日まであまり時間がありやせんから、間に合わなかったら事だ」
ユライの言葉に頷く。実際、用事を済ませたら向かうつもりだった。
「ああ、すいやせん。もちろん妹さんがここに来た理由は承知してやすよ。ちょいと待っててくだせえ」
ユライは部屋の片隅から古ぼけた金庫を持ってきた。だがそれに関してもひとつ問題があった。渡されていた鍵を失くしてしまったのだ。金庫を開けようとしない私の姿から事情を察したのか、ユライは金庫を取り上げるとハンドルを回してあっさりと開いた。
「え?」
中から小瓶を取り出し私に手渡す。
「お嬢さんに渡してくだせえ。あっしが管理局に付いてくわけにもいきやせんから」
「それは良いですけど……。その、金庫の鍵失くしちゃったと思ったんですけど……?」
「ああ、これですか」
ユライは金庫の扉をパカパカと開け閉めした。懐から見覚えのある鍵を取り出し鍵穴に差し込む。
「あそこから戻るときに落ちてるのを見つけましてね。拾っといたんですよ」
そんな余裕があったのだろうか。魔獣どものひしめく屋敷の中で。それに管理局の部隊も迫っていたはずだが。
「ずっと気になっていたんですが、そもそもなぜ私物を盗まれるような事態になったんですか? 異邦人のあなたがチンピラに生命線を盗られるなんて考えられません。たとえ盗られたとしても、凄腕の盗賊であるあなたが取り返せないことも不自然です」
ユライは疑念の声に気まずそうに頭を掻いた。鼻をヒクヒクとさせてから、いつもとはうって変わった様子で、ポツポツと語り出す。
「怪しく思うのも当然ですわな。まず、なんで盗まれたかですが、これはあっしにもよくわからんのですよ。おっしゃる通り、こいつはあっしにとっての生命線です。管理には相当気を遣ってやした。ところがいつの間にか失くなっちまって、痕跡を辿ると行ったこともねえ反社のアジトにありやがる。まったく訳がわからねえ」
ユライは首もとに下げた魔道具をいじりながら言葉を続ける。
「ただ、妹さんの言う通り、取り戻すことはひとりでもできやした。それをしなかったのはひとえに面倒事が嫌だったからです。ああいった組織はメンツを大事にしやすから、万が一屋敷に入ったことがバレたらいつまでも絡んでくるでしょう。穏便にやるなら誰かに間に入ってもらうのが一番だ。どっかに仲介を頼もうと探してたところ、お二方が来た次第でさあ」
嘘を言っているような気配はしないが、まだ隠していることがある気がする。無言で問い詰めると、観念したように喋りだした。
「正直言って下心はありました。妹さんを一目見た時にびびっと来たんですわ、この人は出世するって。なにせあっしもこっちに来たばかりですから、少しでも色々な人とコネを作っておきたかった」
「びびっとですか」
「ええ。あっしもそれなりに多くの人間を見てきてやすからね。自信ありますよ」
そう言われて悪い気はしなかった。それにユライの現状を見ても納得のいく理由だったので追及は止めにする。
「もうひとつ質問してもいいですか」
「――ええ、どうぞ」
あっけにとられたようなユライの表情が気になったが、質問を優先した。
ユライから渡された純血のマドラーを触る。レイの話では小瓶は血のような液体で満たされているはずだが、今は空っぽだった。
「これの中身はどこに?」
「あー、流石にそれは言えやせん。でも中身がなかろうが公爵は気にしないと思いやすよ。もともとそのために持って来た物ですから」
「あっさり認めますね」
「お嬢さんには言わないでくださいよ。あっしのせいで親子仲が悪くなったら居たたまれねえ」
やはりユライは公爵からの依頼で動いていたのだ。すると中身がどこに消えたのかがなおさら気になる。どんな病も癒す霊薬だったそうだが。
「公爵はこちらにお知り合いがいらっしゃるのでしょうか」
「さあ、あっしにはなんとも。ただ、いてもおかしくはないと思いますぜ。こっちの人が想像する以上に、この街は異邦人がたくさんいますから」
「霊薬はそのうちのひとりに渡ったと?」
ユライはぴくりと耳を動かした。そしてこちらを真っ直ぐ見つめてこう言った。
「妹さん、本当にそれが知りたいんですか? あんた自身や世話になってる人が危険に晒されるとしても?」
あらためて問われるとそれほどでもない気がする。ただ、納得できないことがあると気分が悪い。
「仮にですよ。伝統と名誉を重んじるけちくせえ貴族が家宝を貸し出すとしたら、どんな相手だと思いやすか。まず間違いなく、自分のところと同等以上の力を持ってるか、持つ見込みがあるかのどちらかです。そんなところが足元を嗅ぎ回ってるネズミを見つけた時に躊躇なんてするでしょうか。悪いことは言わねえ。半端な好奇心で首を突っ込まねえ方がいい」
私はその言葉を聞いてこれ以上の追及を諦めた。もともとそこまで興味があったわけでもない。今後、その霊薬が渡った人と直接かかわることもないだろう。
「そういえば、ずいぶん物が増えましたね」
前回来た時と違い、ユライの家は物で溢れ返っていた。ただし、散らかっているという印象はなく、整理はしているが単純に増えすぎて置き場所に困っているような感じだった。前に見た用途の分からないガラクタも補充されている。
「いやあ、おかげさまで。調子が戻ったんで本格的に働き始めてるんですよ。妹さんも、もし手伝えることがあったらなんでも言ってくだせえ。出来る限り応えますんで」
部屋の様子から、誠実に仕事に打ち込もうとする姿勢が伝わってきた。胸の奥でもやもやとした気持ちが渦巻く。こちらに来たばかりの異邦人でさえ自立しているのに、自分はひとりで仕事を受けることさえできないのだ。
「ありがとうございます。また落ち着いたら、話を聞かせてもらっても良いですか? 向こうの事情を知っておきたいので」
「もちろんです。いつでもお越しくだせえ」