便利屋JK   作:フライドレッグ

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登場人物
如月 琉乃蒼(きさらぎ るのあ)
…戸隠事務所の女性職員。常人離れした嗅覚の持ち主。
マザー・メイデン
…如月の前の職場の上司。迎神教会慰問部統括。女傑。


如月先輩の怠惰な1日

 

 

 

 最近ウチの事務所に若い女の子が入ってきた。正式に採用されたわけじゃなく、インターンというやつだ。なんでも特別支援校から応募があったらしい。

 

 

 

 後輩たちと焼肉を食べた次の日の朝、二日酔いで痛む頭を抑えながら家を出た。大家の爺さんはいつものようにアパートの通路で葉っぱを吸っている。この時期になると暖かいからと外でキメるのだ。邪魔だし臭いので止めて欲しい。

 脇を通り過ぎる際、嗅ぎなれた匂いに混じるアーモンドのような香りに気付いた。

 横目でこっそりと確認する。よだれを垂らして脱力する老人の目は仄かに赤い色を宿していた。

 

(ああ、こりゃもう駄目だな)

 

 私は1本電話を入れると、体中に染み付いた焼肉の匂いを落とすために銭湯へと向かった。

 

 

 

×××

 

 

 

(ジャンジャンジャカジャカ、ジャンジャンジャカジャカー)

 

 銭湯に行く途中で立ち寄ったパチンコ屋で、有り金のほとんどを飲み込まれてしまった。給料日が明後日でなければ内臓を売っていたかもしれない。定職さまさまだ。無理をいえば前借もできるのだから。

 5年前の自分はこんな生活を送ると予想していただろうか。仕事ばかりで忙しかったから何も考えていなかったかもしれない。

 

(そういえば、タケさん、大狼の話振ったら楽しそうにしてたなー。5年前のことだし、もしかしたら一緒に戦ったのかも)

 

 広い湯船につかりながら、のぼせる頭でつい先日の出来事を思い出した。喫煙室で煙草を吸っているときに、お化け屋敷で助けてくれた掃除屋が吸っていた煙草の香りが気になってタケさんに聞いてみたのだ。彼は懐かしそうに目を細めると、ポケットから彼女が持っていたのと同じものを取り出して見せてくれた。

 

『解毒、神経増幅、精神高揚。煙草っつうよりある種のカンフル剤みたいなもんだ。憧れても手は出すなよ。まあ、目が飛び出るほど高ぇから無理だろうがな』

 

 タケさんは好きだ。晴れた日の枯れ葉の匂いがする。事務所に入ってすぐにしごかれたが、あの人からは嫌な匂いが微塵もしなかった。どんな人間でも脅威を感じれば緊張と敵意の混じった酸っぱい匂いをさせるものだが、あの人は違った。達観しているのか、経験の成せるわざか。どちらにしても、死体漁りで生きてきた私には眩しい存在だった。

 多分、死ぬまで犬のように後ろをついていくだろう。賭博と酒、煙草もタケさんの真似から始まった。手本となった本人には心配そうな顔をされたが、どうせ長くもない人生で何を気にするのだろう。

 

 煙草を吸い始めた時は所長にも嫌な顔をされた。当初は事務所に3人しかいなかったので肩身が狭かったのかもしれない。

 

(所長も良い人なんだけど、なんか変な匂いがするんだよなー。雌犬のおしっこみたいな。あれ本人気付いてんのかなー)

 

 事務所の机には本人のものではない体臭があちこちに染み込んでいる。着ている服や持ち物も匂うがなにより弁当が臭い。変なものでも入っているんじゃなかろうか。

 

(娘さんの手作りって言ってたけど匂いが全然違うんだよなー。でもこういうことって下手に突っ込まないほうが良いだろうしなー。まあ、血のつながらない家族なんてどこにでもいるか。今の職場は気に入っているし、実害でなきゃいいけどなー。これが本当のパパ活ってやつかー、いやどっちかっていうとパパプレイ?)

 

 休み明けのことを考えて憂鬱になった。重労働は苦にならないが、嗅覚を絶たなければいけない清掃作業は自分にとって目を閉じろと言われるのと同じだ。

 作業の後に決まって酒を飲んでいたのはそのストレスを解消するためだが、後輩の手前、しばらくは自重するべきだろう。

 

(一星は馬鹿だよなー。でもあいつが1番長生きしそうなんだよなー。養ってくんねーかなー。むりか)

 

 のぼせてぼんやりとする頭でくだらないことを考える。

 負けた後のひとっ風呂は最高だった。給料日前にパチンコを打ったことへの後悔と、焼肉屋で染み付いた悪臭がきれいさっぱり熱い湯に溶けて消えた。

 

 どうやら彼女も同じことを考えたらしい。事務所のもうひとりの新人と湯煙越しに目が合った。

 気安く手を振ると、恥ずかしそうにぺこりと会釈を返される。ヒネたところのまるで感じられない振舞いに、新鮮さとともに途轍もない違和感を覚える。

 

(華ちゃんはなんでこんな擦れてないのかねー。世間知らずってレベルじゃないでしょ。いつか絶対ひどい男に引っ掛かりそうだよなー。支援校にいるから? でもあそこの知り合い何人かいるけどこんな感じじゃないしなー。……しっかし良い身体してんなー、なに食えばこんな風に育つんだろ。遺伝かね。尻も乳もタッパもでかいし、とても同じ人種には見えないなー)

 

 じろじろと舐め回すように見る。湯船にぷっかりと浮かぶサイズのそれは、慢性的な栄養不足に悩まされる隔離地区では滅多にお目にかかれない逸品だった。先日抱きかかえられた時に味わった感触を思い出して無意識に生唾を飲んだ。

 彼女はこちらの無遠慮な視線に気付かず、一緒に来ていた学友らしき人物と会話を始める。相手の特徴的な獣耳が注意を惹いた。

 

(うおっ、獣憑きじゃん。めずらしー。もしかして獣憑きの友達に守られてきたからこんな無防備なのか? うーん……)

 

 彼女たちは布団についた匂いがどうのと姦しく喋りながら、互いに身体を洗い始めた。隔離地区内でまず見ることはない、牧歌的な雰囲気が漂う。おそらく、華は昨夜そのまま帰って同居人に怒られたのだろう。

 

(そういや受け入れの時タケさんが滅茶苦茶推したらしいんだよなー。あの人の知り合いって少ないんだけど、どういうつながりなのかね)

 

 所長はもともと華を採る予定がなかったのに、タケさんの熱烈な推しで様子を見ることにしたらしい。戸隠事務所で1番強いのは戦場帰りの爺だ。ほとんどの事柄の最終決定権は彼が持っている。

 同じようにタケさんの推薦で入社した身としては彼女の採用の経緯に非常に興味があった。推しの理由を聞こうとタケさんに話を振ったが、結局は自分からごまかして聞けず仕舞いだった。彼にしては滅多にない拒絶の匂いがしたから聞くのを止めたのだ。興味本位で恩師の逆鱗に触るような真似はできなかった。

 

 

 私は友人といちゃつく後輩に手を振って浴場を後にした。

 

(あの熊耳触らせてくれないかなー。でもさすがに獣憑きになめた態度とって怒らせたらヤバいしなー。今度鼻の効く場所で遭えればワンチャンあるかなー)

 

 

 

×××

 

 

 

 家に帰ると大家はいなくなっていた。欠片ほどの残り香もない。もう2度と、彼がここに戻ってくることはないだろう。私は日々の安寧とともに今日の負け分をいくらか取り返せたことに安堵した。これで明後日までは食いつなげるだろう。

 

 死にかけの感染者や変異が間近の感染者を見つけた時、隔離地区の住民は教会に報告する義務が生じる。魔獣化による被害を防ぐためだ。

 危険だと判断された感染者は教会慰問部に回収され、情報提供者にはそれなりの報酬金が支払われる。回収された後の彼らがどうなるのかは、長年その道に携わってきた私でも知らなかった。

 

 

 夕日に照らされた通路に誰かが立っていた。見覚えのある修道服に懐かしい顔。記憶よりもすこし皴が深くなったか。以前の職場の上司が部屋の前に佇んでいた。

 

「元気そうですね、ノア」

「……お久しぶりです。マザー・メイデン」

 

 銭湯でのぼせていた頭が一瞬で冷却された。

 

 

 

×××

 

 

 

 彼女を家の中へと案内する。ごちゃごちゃとした床を掻き分けて、スペースを作った。

 マザーは背筋を伸ばしてペラペラの座布団に座った。染みひとつない修道服姿はゴミ屋敷となった私の部屋にひどく場違いだった。

 

「……もうすこし整理したほうが良いですよ。残される人が困るでしょう」

「すみません。どうも細かいことは苦手な性格で」

「教会にいた時は違ったでしょう。まったく」

 

 気まずさに彼女から目をそらした。反論する気は起きない。彼女に逆らって成功したことは1度もなかった。

 

(ひとつ言えば100倍になって返ってくるからなー)

 

「それで、今日はどうしたんですか?」

「戻ってくる気はありませんか」

 

 私はその言葉に黙り込んだ。退会したのは3年以上前だ。いまさら蒸し返される理由が分からなかった。

 

「率直に言えば人手が足りないのです。勧誘はしていますが、ほとんどもたない。あなたほど線引きが上手い人材は見つかりませんでした」

「……17班は?」

「あなたが抜けたすこし後に消滅しました。新しく配属された班長が変異の進行度を見誤り、慰問先で魔獣に喰われたのです」

 

 やっぱりかという思いが胸に浮かんだ。だから今朝報告した際も立ち会わなかったのだ。知った顔を見つけられなければ、否が応にも同僚たちの行先を想像してしまうだろうから。

 

「それはご愁傷様です」

「……やはりあなたは良いですね。みな、あなたのようにあっさりと切り替えられれば理想なのですが」

 

 ひとを薄情な人間のように扱うなと思ったが口には出さなかった。実際に悲しみはほとんどなかったから。微かに芽生えたそれも、寝て起きれば風化しているだろう。

 

「ですが、今の職場を気に入っていますので。申し訳ありません」

「そうですか。残念です」

 

 彼女はたいして気にした様子も見せずにそう言った。私はその淡白な反応に面食らったが、すぐに気を張りなおす。彼女から漂う微かな使命感の匂いは微塵も薄れていなかった。

 

「……新しい職場はどうです? あの死に損ないが錆びついていなければ良いのですが」

「武田さんと知り合いだったんですか」

「お互いこの街で長いですからね。じっとしていても耳に入ってくるものです」

 

 濁すような話題。マザーの本命はこれでもない。恩師の名を出せば警戒心が薄れるとでも思っているのだろうか。

 彼女は私の出した白湯で唇を濡らした。黙りこくる私の目をじっと見つめ、やがて観念したように首を振った。

 

「駄目ですね。あなたの異能は本当に優秀です。本題に入りましょう。最近あなたの事務所に入った少女がいますね。その様子を教えてくれませんか」

「なぜ、そんなことを気にするんですか」

「彼女の親族から頼まれたのです。妹の様子を教えて欲しいと。別に私があの人の望みを叶える必要はないのですが……」

「……そういうことでしたら――」

 

 その程度なら特に実害の出ることでもないし問題ないだろう。

 私はお化け屋敷で起きた事件も含め、後輩の普段の様子を思うままに話した。

 

 かつてないほど真剣な表情で私の話を聞いていた彼女は、日が暮れるすこし前に満足した様子で仕事へと戻っていった。

 

 

 

×××

 

 

 

(しっかしあの女傑が気にするひとか。華ちゃんの姉貴ってけっこう偉いんかなー)

 

 晩酌しながら先ほどの出来事を思い出していた。鋼鉄の処女の異名を持つ教会の上層部がわざわざ世間話のためだけに足を伸ばしたのだ。彼女のひととなりを知る身としては、驚きを通り越して気味が悪かった。

 多分に興味は湧いたが、詮索する気は起きない。あの女傑は必要とあれば顔見知りでも容赦なく切り捨てるだろう。大局的な判断を間違えてこなかったからこそ、教会の一部門を任されるほどの立場まで登り詰めたのだ。適当に生きているだけの便利屋とは見えている景色が違う。この街で長生きしたいのなら、余計なことに首を突っ込まないことが1番だった。

 

 

 私はいつものように、アルコールの海にとりとめのない思考と微かに残ったかつての同僚たちへの哀悼を溶かした。

 

 

 

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