※警告! 本話より残酷な描写、暴力表現、陰鬱展開が続きます
帰郷
日はすでに落ち、周囲は静寂と闇に包まれている。冬が近づき気温もぐっと下がる中、私は久しぶりに隔離地区を離れて実家へと続く道を急いでいた。
というのも、今日の定期検診でセンセイから問題なしとの評価を受け、ようやく一般管理区域への外出を認められたのだ。春先に変異者認定されてから実に8ヶ月ぶりの帰省である。姉には帰る旨を連絡していたが、返事はまだきていない。仕事が忙しくて確認できていないのだろう。まだ私が家にいた頃と同じように、今日も遅くまで帰らないのかもしれない。
ひとまず家の様子を見て、それから買い物に行こうか。自分自身のことに疎い姉だから、きっと碌なものを食べていないはずだ。冷蔵庫に食べ物が入っているかすらあやしい。久しぶりに料理を作ってあげればきっと喜んでくれるだろう。
姉は昔から仕事一辺倒で、ほとんど家にいないこともあり、食事はもっぱら私が作っていた。彼女は気配りはうまいのに、それ以外のことに関してはまるで駄目な人だった。
以前私の誕生日にたまたま仕事が早く終わり、姉が料理をしたことがあったが、出てきたのは見た目は普通なのにとても味見をして作ったとは思えない代物だった。それ以降、姉に包丁を持たせたことはない。私が何を出してもおいしいおいしいと言って食べるので、おそらく味に頓着しない性質なのだろう。
「あっ、雪……」
暗い空から白い物が振ってくる。つい先日まで友達や事務所の先輩と紅葉狩りだなんだと言っていたのだが、もう季節は冬なのだ。高校1年生として過ごす時間も何ヶ月と残されていない。思えばこの1年間は色々なことがあった。
いままで住んでいた場所から引き離され、変異病患者として隔離地区で暮らすこととなった。新たな学校では薬に溺れる友人を追って裏組織の取引を調査し、木崎警部とともに摘発した。変異病によって将来の道が限られたことから、インターン生として便利屋事務所で研鑽を積ませてもらった。
最初はまともにひとりで仕事をこなすことも出来なかったが、レイの1件で度胸が付いて様々な依頼をこなすようになった。それなりに顔も売れているし、これならば当初の予定通り、近いうちに姉から独立して恩返しをすることができる。すべてが順風満帆とは行かないが、去年の自分に比べれば大幅に進歩したはずだ。きっと姉も、今の私を見て安心してくれるだろう。
懐かしい道を通り抜け、ようやく目的地へと到着する。久しぶりの我が家は記憶に残っている姿のままだった。
「あれ?」
リビングの窓から煌々と明かりが漏れていた。もしかしたら姉がもう帰ってきているのかもしれない。だとすれば返事がなかったのは私からの連絡に気付いていなかったからということになるが、抜けている姉らしいといえばらしかった。
あるいはただ電気を消し忘れて仕事に向かったのかもしれない。
×××
「ただいまー……」
玄関の扉を開けて発した帰宅の言葉は尻すぼみになった。
玄関からリビングに続く床には土足で踏み入ったような靴跡がいくつも付いていた。靴を脱ぐ場所には綺麗に揃えられた姉の靴と、もう一足、見覚えのない女物の靴が置かれている。
生唾を飲み込んだ。扉を抑えていた手をゆっくりと外す。カチャリ、と小さな音を立てて扉が閉まった。外界から遮断された玄関には静寂が満ちる。
心臓が締め付けられるように痛む。必死で息を吸った。靴を履いたまま、物音を立てないようにゆっくりと廊下を歩く。
進むほどに、鉄錆の匂いが鼻につく。リビングに置かれた時計の音が徐々に大きく聞こえてくる。
ゆっくりと、永遠のような時間をかけて、リビングの扉にたどり着いた。電灯の明かりはいつも通りで人影は見えない。人の気配はしない。
耳が痛くなるほどの静寂。自分の心臓の音だけが響いている。むせかえるほど強い鉄錆の匂いが扉の隙間から漂ってきている。
音が出ないよう、慎重にドアノブに手を掛けた。じっとりと湿った掌から異常なほどの冷気が伝わってくる。息を殺して扉を開いた。
リビングはペンキをぶちまけたように汚れていた。普段テレビを見る時に座っていたソファーやローテーブルが壁際に寄せられ、カーペットの上に広げられたブルーシートになにかが置かれている。手前の食卓に遮られて全容が見えない。
私は床に広げられたものを確認するために、ティーカップの置かれた食卓をゆっくりと回り込んだ。
目に入ってきたのはバラバラになった人体模型だった。
手足を丁寧に分割され、標本のように横たえられている。胴体は開かれ、内容物を露わにしている。
鉄錆の匂いはそこから漂っていた。
(あれ……?)
奇妙なことに人体模型の胴体には見覚えのある傷跡があった。背中から胸にかかる火傷の跡。姉とまったく同じもの。
かつて一緒にお風呂に入っていたとき、恥ずかしそうに触らせてくれたことを思い出す。
ふらふらと近付く。まだ重要な部分を確認していない。切り離された球体はあちらを向いている。
膝をつき、シートの手前に置かれたそれに手を伸ばした。切り揃えられたやわらかな黒髪が掌に触れる。ゆっくりと持ち上げ、こちらを向けた。
「あっ……」
見慣れた顔が、そこにあった。静かに目を閉じた穏やかな表情。
そういえば、ずっと一緒にいたのに、寝顔はほとんど見たことがなかった。帰ってくるのはいつも夜遅くだったから。記憶の中の彼女はいつも笑ってくれていた。だから夏の1件で見慣れない表情がたくさん見れて嬉しかったのだ。それに彼女の職場を見れて近づけた気がした。だから、わたしは、いつだって本当は彼女が、彼女のことが大事で、だから迷惑を掛けたくなくて、それで家を出て、でもそれは――
(――ちがう、これは現実じゃない。これは夢、きっと予知夢だ。だから大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだい)
――バキッ!