誰も助けてくれないのなら、彼らに助けを求めなければいい。未来予知の異能で犯人を直接知ることができないのなら別の方法を使えばいい。この街には金で動く人間が山のようにいるのだから。
南区で最も巨大な賭博場、ベガスと呼ばれているそこは背伸びをする北区の富豪の子供から一攫千金を夢見て入りびたる賭博中毒者まで、ありとあらゆる客を受け入れていた。
きらびやかに飾り付けられた店内は、派手な色で獲物を誘う食虫植物のようだった。身の程知らずの女子高生や、見るからに怪しげな出で立ちの2人組もあっさりと受け入れられた。
財産のすべてを換金してここに来ていた。狙うのならルールが単純な賭博が良い。入口からすぐ手前にある台に目を付けた。ダブル・アップ。伏せられたカードの色を当てるだけという面白みに欠けるゲームの台にはまったく客がいなかった。
暇そうにしていたディーラーがこちらに気付いて笑顔の仮面をかぶる。私がテーブルに置いたチップの山を目の端で素早く確認する。瞳の奥では、カモからどの程度巻き上げるのが適当か計算しているようだった。
確率から考えればこのゲームに勝者はいない。勝率は綺麗に50パーセントで、勝てば2倍、負ければ0だ。常識的な状況なら、このゲームによってどちらかが大きく勝ち越すことはないはずだった。
交換したチップをすこしずつ賭けていく。ディーラーの伏せた札を見て、赤と黒どちらかのマークにチップを動かす。
勝ち、負け、負け、負け。慎重に試行を繰り返した。今はまだ、ゲームの勝敗は重要ではない。
私はかつて経験した頭の裏側を覗くような感覚を躍起になって探す。まるで霧の中を歩いているようだった。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
気付けば手元のチップは最初の三分の二ほどになっていた。
私は心配そうなディーラーからハンカチを受け取り、鼻を拭う。黒い布はべっとりと赤く染まった。
その様子を見て問題なさそうだと思ったのか、ディーラーは台にお香を置いた。嗅ぎなれない匂いに混じるかすかな興奮成分に気付いたが、あえて見過ごした。
客を思いやる善良なホストの仮面の下では肥大した欲望が上客を逃すまいと必死に頭を働かせていた。
(……やっぱり駄目か)
予想はしていた。これまでも自分の異能は思い通りにならなかった。センセイの助言通り、抑制剤を絶ったのに一向に支配できなかったのだ。だからこそ予防策を持ってきていた。個人的な好き嫌いは脇に置くべきだ。
心配げに私を見つめるレイを安心させるように頷き、私は覚悟を決めた。
懐から極彩色の錠剤を取り出して噛み砕いた。微かな苦味と共に頭の中の霧が晴れていく。爽快な気分だった。かつて味わった酩酊感と全能感。ふわふわと揺れる世界の中で周りのすべてが味方になってくれたような不思議な気分。それらが逃げてしまわないうちに決着をつけなければならない。
勝負を賭ける。手元のチップのすべてを掴み取った。狙い通り、こちらが自棄になったとでも思ったのだろう。目の前の捕食者のほんの少し曲がった口の端から、その濃密な欲望を感じ取る。
台の上に置かれる札。鮮明な光景が見える。流れていく光景にしたがって、チップを赤に動かした。
ディーラーの表情がかすかに強張る。開示された札は予想通りだった。
次々にチップを動かす。全力の賭けを続ける。勝利をもぎ取るのはもはや雑草を刈り取るよりも簡単だった。
確率的にありえない状況を目の当たりにして、ディーラーの顔が面白いくらいにゆがんでいく。チップの山はすでに平均的な南区の労働者が10年かけても貯められない額まで膨らんでいた。
楽しかった。この上なく愉快な気分だった。汗でびっしょりと濡れた捕食者の顔も、野次馬どもの羨望に塗れた眼差しも、すべてがおかしくてたまらなかった。
(お姉ちゃんはこんなもののために働いていたのか)
ひどくむなしかった。こんなものが何を指しているのか、自分でもよくわからなかった。
ディーラーの表情が変わった。もうすでに、目の前の青年も引き返せない場所まで追い詰められている。インチキ紛いに幸運な少女から盗まれたカジノの資産をすべて取り返さなければ、彼は上司にケダモノの餌にされるだろう。
カードの山を切りなおす。ディーラーの顔から、私はこの勝負が最後になることを悟った。
慎重に、これまでよりも長く未来を見る。この手の人間が追い詰められたときにどう振舞うか、分かり切ったことだったから。
カードが台に置かれる。躊躇なくチップを黒に動かした。ディーラーの顔がかつてないほどの緊張に強張る。彼が札をめくるその瞬間に私は――
「――ポワレ。そこまでだ」
横から響く突然の制止の声。札をめくろうとしていたディーラーの手が止まる。
私の予想通り、その袖口からはもう1枚のカードがのぞいていた。だが、無粋な横槍によってゲームは止められた。
「素晴らしい幸運をお持ちのようですな、お嬢さん。よろしければもっと面白いテーブルに案内しましょうか?」
目の前に立った偉丈夫はガラス玉のように白く濁った右目でウインクした。
×××
案内された部屋は簡素な作りだった。分厚い壁、出入口はひとつだけで窓もない。とても来客を迎え入れるための場所には思えない。部屋の角に置かれた観葉植物と、古めかしいブラウン管テレビだけが唯一の癒しだ。
このカジノのオーナーを名乗った男は部屋の奥側にあるソファーに腰を下ろし、私たちにも座るよう促した。
「……とても面白い場所には思えないけど」
「申し訳ありませんね。普段はひとを呼ぶような場所じゃないんです。ただ、秘密の話をするにはもってこいでね」
オーナーが葉巻に火をつけた。キツイ香りのそれを美味そうに吸い始める。どこかで嗅いだ特徴的な匂い。かつて出会った掃除屋が吸っていたのと同じものだ。
「今回の失敗のおかげで、彼は強大な苦難に挑戦する権利を得られました。もっとも、それを乗り越えられるかは彼次第ですが」
さきほどポワレと呼ばれたあのディーラーのことを話しているのだろう。言葉の内容の割には興味の薄そうな表情が気になったが、それも私たちにはどうでも良いことだった。
かすかに視界が揺らぐ。促進剤の成分が切れかかっているのだ。心配して肩を支えてくれるレイの存在をありがたく思う。用件は速やかに済ませて撤退すべきだ。目的はほぼ達成しているのだから。私は懐からポプリを取り出して気分を落ち着かせた。
「……あなたのせいで私たちは勝ち星を逃した。その補填はどうするつもり?」
オーナーはその言葉に答えず、ソファーの脇から巨大なトランクを持ち上げて私たちの座るテーブルの上に置いた。
軽快な音とともに蓋が開かれると、中には先ほど賭けていた額の3倍近い金銭が収められていた。
「なんですかい、こりゃあ」
「私からの誠意だよ、野良犬くん。きみたちが当然のように勝ち取っていたはずのものだ」
「なぜわざわざこんな場所まで連れ込みましたの? あのまま勝たせてくれれば良かったのではなくて?」
オーナーはレイの言葉を馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「我々にも外聞があるんですよ。幸運な少女が小銭を手にしただけなら賭場の宣伝にもなりますが、賭け金が西区に家を建てられるほどの大金となれば明らかにおかしいでしょう。一応クリーンな遊び場を目指しているので客が寄り付かなくなったら困るんです」
それに、と白く濁った瞳で私を見やる。その目にどこか憐れむような色を感じ取った。
「あなたたちではそれを使いこなせないでしょうしね。返したくなったらいつでもここに持ってきてください」
「……どういう意味ですか」
「言葉の通りですよ。便利屋を雇うのでしょう? それをバラまいて。まともなのが捕まるとは思えませんな」
「……なぜそれを」
オーナーは胸の前で指を組んで私を見つめる。その左手に人差し指と親指しか残っていないことに気付き、ぞっとした。
「……ひとつ、賭けをしませんか? あなたが求めているものを用意しています。さきほどのお遊びよりはよほど熱くなれると思いますよ」
受ける理由がない。必要なものはもう手に入った。これ以上リスクをおかす意味がない。
こちらの考えていることを読み取ったのだろうか、オーナーは長方形の物体を机に置いた。真っ黒で、中心にふたつの円がある。
「なぜ『解体屋』の情報が出回らないのか知っていますか? 警察や管理局が現場の証拠や監視カメラのデータを全部持って行ってしまうからです。ここで起きた2件も同じように軒並みさらわれていきました」
長方形の物体を軽く振る。
「残ったのはこれだけです。前時代的なビデオテープがひとつ。捜査員もまさか、こんなオンボロが現役だとは思わなかったのでしょう。あなたが勝てばこの中身をお見せします」
「……そのなかに事件のデータが入っているのですか」
「正確には犯行の映像ですな。通報の前に避難させておいたのです。いずれ良い取引材料になると思いまして」
口の中が乾く。これまで追い求めていたもの。この男の話が本当なら目の前にあるものは事件の大きな手がかりになる。促進剤によるバッドトリップが調子を狂わせ始めていたが、こんな機会を逃せるはずがなかった。
「こっちは何を賭けるんで? あんたが欲しがるようなものは持っていないと思いやすが」
「賭け金は始まってから提示しましょう。気に入らなければその時に降りれば良い。ただし」
オーナーはレイとユライを順番に指差した。
「おふたりは別の部屋で待機していただく。参加するのはお嬢さんひとりだけです。妙な手出しをされてはかないませんから」
×××
ふたりきりになった密室で、オーナーは部屋の奥の金庫から持ち出した手錠と拳銃を机の上に置いた。
リボルバー式の拳銃は前時代的でこの街には似つかわしくなかった。そもそも拳銃程度の火力では魔獣やケダモノには通用しない。これは人間を殺すためのものだ。
「この貴重な機会をどう活かすべきか。私はずっと考えてきました。そして思い至ったのがこれです」
オーナーの言葉に違和感を覚える。まるで私が来ることを見越していたかのような言動。しかし、そんなことはありえないはずだ。
「さきほども言った通り、いつ降りるのも自由です。そこに私が口を挟むことはない」
「……賭けるのは?」
「賭けていただくのはあなたの指です。この拳銃には6発の弾丸が入っている。私は小指から順に好きなタイミングで発砲する。あなたはそれを避ければいい。発砲後、当たったかどうかに関わらず次の指に移ります」
「6発……?」
それでは1本足りない。私の疑問に答えるように、オーナーは自分のこめかみをトントンと指で叩く。
醜悪な発想。軽い代償だから大丈夫だと思わせて最後にズドンか。問題ない。負ける気はしなかった。
「6発撃ち切るまで何も無しというのもつまらないでしょう。あなたが勝つたびに好きな質問をしてください。1ゲームにつきひとつ、嘘偽りなく答えましょう」
「そんなもの必要ない」
「なら今日の昼食でも聞いてください」
「……その手錠は?」
机に置かれたもうひとつの物体を目で問いかけた。
「参加の意思表示です。あなたがもう止めたいという時に痛みと恐怖で喋れなくても困るでしょう。それを外せば、勝負から降りたとみなします」
私は無言でそれを左手に着けた。無骨な外観にひとつだけはめられた水晶がミスマッチだった。手錠のもう一方は机の足へとつけられた。
「ではまず小手調べと行きましょうか」
銃口が差し出した左手の小指に載せられる。ひやりとした感触が肌に伝わり、心臓が跳ねた。
対面するオーナーは動揺する私の様子を見つめている。正常な左目は愉快気に、光を失った右目は恨めし気に見えた。
息を整える。薬は飲み直していた。頭の裏側を覗くような感触に耐え、予知された通りに左手を引き抜いた。
一拍遅れて響く銃声。
木製のテーブルに黒光りする銃弾がめり込んでいる。ほっと息をついた。
視線を戻すと、目の前の男は値踏みするようにこちらの顔色を観察していたが、こちらの視線に気付き、わざとらしい笑顔を浮かべた。
「さすがですな。1回戦目はあなたの勝ちだ。さあ、なんでも聞いてください」
逡巡する。素直に最初に気になったことを聞いた。
「あなたは私たちを知っているようだった。それはなぜ?」
「あなたは有名人ですから」
答えになっていない。無言で問い詰める私に向かって、オーナーは苦笑いして言葉を続ける。
「言葉通りの意味ですよ。この街であなたのことを知らない組織はモグリだ。管理局、教会、警備隊、警察、商鋼連合から暁生命まで主要な組織の幹部は皆、あなたのことを聞かされています。その来歴から能力に至るまですべてを」
意味が分からない。説明をする気があるとすら思えなかった。だが、そんな私の目をオーナーの白く濁った右目が覗き込んだ。
「この街はいかがですか? ザガロフの姫君よ」