タクシーは掃除屋を乗せて走り去った。そのまま酒盛りに行くらしい。足代が浮いたなと緊張感のないことを考える。目標に近付くほどに、なぜかどんどん現実味が失われてきていた。
車を降りてすぐ、教会本部の正門にひとり、シスターが立っていた。長い銀髪にすらりとした体付き。まっすぐにこちらを見据える様からは一点の後ろめたさも感じられない。
私は少ししてからそれがかつて姉の傍にいた人だということに気付いた。シスター・ユルキナ。あのカジノのオーナーが言っていた、姉の写真の出所。私たちが来るのを知っていたかのように出迎えたのは、オーナーからの連絡を受けたからだろう。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
彼女は私を見て言った後、ちらりとユライの顔を確認するとすぐに歩き出した。
その迷いのない振舞いに激しい違和感を覚える。
「……あなたはなぜ私たちがここに来たのか分かっているんですか?」
「代行者に会いに来たのでしょう」
あまりにも軽く発せられた言葉に黙り込む。
私に代行者を殺せる度胸がないと見くびられているのか? もしくは直接会えば説得できると思われているか。
どちらにしても私がやるべきことは変わらない。このどうしようもない負の連鎖を断ち切るだけだ。
彼女の後に続いて教会の中を歩く。
日の落ちた時間帯にも関わらず、それなりに人が残っている。みな、すれ違う私たちに待ちわびたものを見るかのような視線を投げかけてくる。かつて向けられた失望の視線とまったくちがうそれは、言いようのない気持ちの悪さだけを残した。
同じような道をぐるぐると回る。いくつかの建物を通り抜け、やがて巨大な聖堂にたどり着いた。普段大規模な礼拝に使われているであろう場所は、今は誰もおらずがらんとしていた。
建物の床一杯に巨大な魔法陣が描かれていた。奥まった場所、普段なら説教台があるところに棺がひとつ置かれている。ステンドグラスから漏れ出た月光が棺の中に眠る人物を静かに照らしていた。
「代行者はこちらに」
ユルキナがゆっくりと棺の淵を撫でた。その横顔は慈愛に満ち溢れており、棺に横たわる人物への深い敬意を感じさせた。こちらを騙そうとしているわけではない。つまり……
「……もう死んでたってことですかい」
「死んでるって、回復のしようがないじゃん」
「いいえ。死は終わりではありません」
がらんとした空間に彼女の力強い否定の言葉が響いた。
「20年前と違い、我々には『魔術』があるのですから。収穫した500人、そして今日この場にいる信者300人の命を捧げればきっと魔術は成功します。彼女は戻ってくるのです」
「……なら、なんで私をここまで案内したの。私の目的は聞いてるはずでしょ」
強い瞳が私を見据えた。かつて何度も経験した見覚えのある目。だれかと私を比べている視線。
「我々はあなたの選択を尊重します。彼女はあなたに資格があることを望んでいましたから」
ならなんでこんなに殺した! 選べというのならこんな行動を起こす前に私に言えばよかっただろう!
叫びだしたい気持ちを抑え、必死で息を整えた。こいつらがいかれてることなんて分かり切っている。理解なんてできるはずがない。それでも割り切れない感情が胸の内にくすぶっていた。
「……代行者にはこのまま眠ってもらう。後のことは私が引き継ぐよ」
値踏みするような彼女の視線に構わず、ゆっくりと棺に近寄る。
あと一歩の距離で彼女が懐から短剣を取り出した。反応して銃口を向ける私に、彼女は短剣の持ち手を差し出した。それは監視カメラの映像で見た、犠牲者たちを殺すのに使われたものだった。
「どうぞ、お使いください。あなたに送られるのなら彼女も本望でしょう」
ゆっくりと短剣を握った。生ぬるい熱を帯びたそれはやけに持ちにくかった。
彼女が離れていく。罠ではない。未来視で見える風景には致命的な出来事をいまだに存在していない。ただ代行者の存在にだけ、真っ黒なノイズがかかっている。
棺に横たわる代行者を見つめる。追い求めていたその人はたくさんの花に囲まれて静かに眠っていた。女性らしい丸みを帯びた身体。白い布がかけられており、顔は見えない。首筋を1週する縫い痕が気になった。
「脳を破壊してください。再利用できなくなるように」
ここまで来て止まるとでも思われているのだろうか。いくら優秀でも、この街に必要でも、800人の命と引き換えにすることはできない。なにより姉の望んだ平和な未来のために、目の前の存在は邪魔だった。
ゆっくりと歩み寄り、慎重にその顔にかけられた布を取り払った。
(……えっ?)
渇望していた顔がそこにあった。後悔、憤怒、憎悪、使命感。抱え込んだすべての感情が懐かしさによって漂白された。
「お姉ちゃん……?」
「やはり、覚悟はなかったのですね……」
低い声が耳朶を打つ。それは聞き覚えのある感情を含んでずっしりと私にのしかかってきた。失望の声だ。
「なんでお姉ちゃんがここにいるの!? おまえたちが殺したんだろう!」
「いいえ。彼女は病に侵されて命を落としたのです」
予想外の言葉に頭が真っ白になった。
彼女の視線は先ほどの物とは違っていた。まるで路上のゴミでも見るように私を見ていた。
彼女がゆっくりと近付いてくる。反射的に銃口を向ける私に構わず、彼女は棺の中から1枚の紙を取り出した。
否、それは手紙だった。懐かしい字を認めて私はそれを奪い取るように受け取っていた。
『――もし、私の死に原因を求めようとするのなら、それはやめてください。私は私の職務に殉じて旅立つだけなのですから。私の変異病は教会の活動の中で避けようがなく生じたものであり、そこにはだれの責任もありません。強いて言うなら避けられなかった私が悪いのです。両親もきっとそう思っているはずです』
「……なに……これ……」
ひどい内容だった。姉が書いたとは思えない、暗に教会を批判するような文章。ありえない。あの姉が他人に責任を転嫁するはずがない。
だがその字は見間違えようのないものだった。
「彼女が書き損じた遺書を拾い上げて保管していたものです」
分かっている。これは本物だ。そもそも教会の人間が教会を批判するような遺書を偽造する必要性がない。
ならこれはなんだ。なぜ姉は途中で破り捨てるような遺書を書いた。これを読むであろう私に何を伝えたかった。いいや、私の目からなにを隠そうとした。
「書いている途中で無理があると気付いたのでしょうね。慰問部でもない光里様が変異病を重症化させるなんてあり得ませんから。それこそ――」
「――教会に入る前から患っていたのでもない限り」
狂信者の目が私を見据える。さきほどまでの無機質なものではない。刺し殺すような怒気と、狂おしいほどの嫉妬の感情がメラメラと燃えていた。
「彼女は変異病によって命を落としました。我々はその最期を看取り、切り分け、保存しただけです。そして――」
いやだ。ききたくない。
「――そしてその病魔をもたらしたのはあなたです」
息が止まる。心臓がおかしな鼓動を奏でた。絞りだした言葉はまるで他人の口から出たもののように現実感がなかった。
「……ちがう……だって私が異能に目覚めたのは隔離地区に来てからで……」
「10年前、なぜ白木家が強盗に狙われるほどの資産を貯め込めたのでしょうか」
「……」
「彼らはある日突然賭場を訪れて、奇跡のように財をなしたらしいです。まるで未来でも見えているかのように」
賭場での既視感、そして再び胸を埋め尽くす罪悪感で心臓が張り裂けそうだった。
抑えつけられていた記憶が逆流する。真っ赤な色。勝利と、血肉と、憤怒の色。
ちがう、ちがう、ちがう! ただ喜ぶ顔が見たかっただけ。あんなことになるなんて知らなかった!
「彼らは南区の典型的な貧困層でした。それでも娘ひとりを育てるくらいなら可能だったでしょう。ひとりだけだったらの話ですが」
知っている。父さんも母さんも私に優しくしてくれた。お姉ちゃんだってたまにいじわるはしてきたけど、普段はなんでも私の言うことを聞いてくれた。幸せな4人家族。
「彼らが賭場に足を伸ばしたのはとりわけ食べ物に困った年でした。その年は南区で何百人と餓死者が出ました。路地裏には捨てられた子供の遺体が散らばっていたと記憶しています」
お腹が空いて我慢できなかった。家にある食糧が全部なくなってしまって、それでも飢饉が終わらないからって父さんが私の手を引いて家を出たんだ。キラキラした場所で、父さんも、周りのみんなも笑顔で、だから私も楽しくなって……
「彼女の両親は餓鬼と化した群衆に殺され、骨までしゃぶられました。彼女は常人なら死を選ぶような環境に追いやられ、ただ臥して情動を練り上げました。すべてを焼きつくす憤怒の炎を」
包丁で切って煮込まれた。殴って金を出せって。悲鳴をあげて許してくださいって言ったのに。あいつらは笑っておいしそうに切り取ったあれを見せびらかすように食べて。
お姉ちゃん、私を守って、私がいれば賭けに勝てるって。でも、お姉ちゃんはまるで玩具みたいに扱われて、ある時いなくなっちゃった。それで、次に会った時は……
「炎が黄金を証明するように、あなたのもたらした苦難は彼女の価値を十二分に証明しました。あなたがいなければ、彼女が代行者になることなどなかったでしょう。そういう意味では、私たちだけでなくこの街のすべての人間があなたに感謝すべきなのかもしれません」
ひと、ひと、ひと。みんな倒れて、殴り合って、動かなくなって。仲良くお金を数えてたのに、突然おかしくなっちゃった。まるでだれかが彼らの心に火を点けたみたいに。
聞こえてくる哄笑。狂ったような笑い声。ずっと一緒にいたひとの1度も見たことのない顔。こわれたように笑っていた。笑いながら泣いていた。
ボロボロになりながら私に手を伸ばした。傷だらけのまま強く抱きしめてくれた。私が、わたしがいなければ……こんなことにならなかったのに……
「この街のことなどどうでもいいのです。私たちの望みはただひとつ、彼女に報いること。非人どもを焼き払い、手を差し伸べてくれた恩人の望みを叶えること。そして彼女が私たちに願ったことはひとつだけ」
「あなたのしあわせです」
「あなたが決めてください。その責任が、あなたにはあります。我々はそのためにここにいるのですから」
焼き尽くされた風景の中で、真っ黒なひとがお姉ちゃんの後ろに立っていた。いつだって無表情なはずのその人は、(慈しむような)信じられないほど柔らかな視線をお姉ちゃんに向けていた。
私は抱きしめられたまま、ただ茫然とお姉ちゃんの声を聞いていた。
『……約束して。お願いだからもう2度と未来を見ないで。普通の女の子として生きるの。……私がそのための街を作ってあげるから』