便利屋JK   作:フライドレッグ

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決別

 

 

 

「ひとつ、お願いをしてもよろしいでしょうか」

 

 再び表情を消した修道女が頭上から私に囁きかける。

 私は顔を上げて彼女を見上げた。

 

「あなたの血をいただけませんか? そうすればこの場に集まった同胞300人は別のことに命を使えます」

 

 狂信者の強い使命感に捕らわれた瞳が私を正面から見据えて引きずり込もうとする。

 

「無論、我々とて犠牲が惜しいというわけではありません。ただ、彼女は心優しい方ですから、無為な犠牲は好まないはずです。生き返った時の彼女の心情を考えればあなたに協力していただくのが1番良いのです」

「……わかった」

「ありがとうございます。では、これを」

 

 再度さきほどの短剣が差し出される。私はそこで、彼女から手渡されたそれをいつのまにか落としてしまっていたことに気付いた。

 私は鉛のような身体を立ち上がらせて、差し出された短剣を受け取った。

 奇妙な熱量が肌に伝わる。

 

「あなたの血を彼女の胸にかけてください。魔力が十分な量に達すれば魔術が発動するはずです」

 

 言い終わると、ユルキナは懐から取り出した真っ赤な石を代行者の胸元に置いた。

 それを見届けた私は、渡された短剣で浅く左手首を切り裂いた。かすかな痛みとともに血の雫がこぼれ出る。それはみるみるうちに濁流となった。

 赤い宝石の上に血が流れ落ちる。私の魔力が、犠牲者たちの魂と混ざりあって彼女の胸の上で解けた。はじけるように拡がっていく赤色で、白い装束と棺の空白を埋めていた花が瞬く間に汚れていく。

 それはすぐに棺桶の中から溢れ出して、床に描かれた魔法陣の線を伝って周囲一帯を淡い赤色に染め上げていった。

 

 私は深紅に沈んでいく彼女を見て言い表せない虚脱感を味わっていた。

 私の血肉と姉の守ってきた街の住民の魂が棺を包んでいく。脱力とともに私に訪れたのは、献身による贖罪行為がもたらした深い安堵の念だった。

 

 ユルキナはその様子を満足げに見ると、集まってきた信者にその場を任せ、聖堂から静かに立ち去って行った。

 

 魔法陣から発せられる赤い輝きが徐々に強さを増していく。心臓の鼓動のように一定の周期で輝きが強まっていく。幻想的な赤色が五体を投げ出す信者たちの姿を浮かび上がらせる。

 

「……ああ……我らが救世主よ…………」

 

 やがて魔法陣の刻まれた地面のあちこちから幾つもの赤い手が生えてきた。それは代行者の眠る棺を何重にも覆い隠して巨大な深紅の繭となった。

 それと同時に魔法陣から発せられていた光がぴたりと止まる。聖堂の内部は繭による光だけでぼんやりと照らされた。

 

 繭から発せられる拍動が聖堂内の大気を震わせる。徐々に強くなる振動によって繭の外殻にいくつもの亀裂が入っていく。生じた裂け目から漏れ出る強い光が、炎のように罪人たちの顔を炙りだした。

 

 

 断罪の炎が私の中の微かな記憶と理性を呼び起こす。

 

『炎が黄金を証明するように、苦難は英雄を証明する。簡単な道を進もうとしても結局は上手くいかないんだよ。だから何が言いたいかって言うと、私が帰ってこなくてもお風呂ぐらい入ってほしいんだけど……』

 

 困ったように笑う彼女。幼い日の私は、温かなぬるま湯から引っ張り出されることを嫌がった。姉といることだけが唯一の正解だと信じていた。今もそのときと同じだ。罪悪感がもたらす苦痛に耐えきれず、彼女を叩き起こそうとしている。

 私はようやく、取り返しのつかない過ちを犯してしまったことに気づいた。

 

 

 深紅の殻がひとつ、またひとつと剥がれ落ち、淡い燐光となって消えていく。

 繭の内部にいる存在が徐々に私たちの目にも明らかになってきた。それは下半身を抱えてうずくまる天使のように見えた。

 

 最後のひとつが剥がれ落ち、暗い空間に溶けていった。

 渇望していた瞬間。

 繭から生まれ出たのは確かに姉だった。

 

 姉の顔をした化け物だった。

 

 

 

×××

 

 

 

 天使の背中から二対四枚の羽が立ち上がる。それは聖堂を覆っていた屋根を消し飛ばして夜空に向かって大きく広がっていく。頂点に坐する満月を掴もうとするように高く、高く。

 彼女が顔を上げ、上半身を起こす。天翼から漏れ出る燐光と満月の光がでたらめな造形をあらわにした。それの上半身は人間だったが、下半身は得体のしれない青黒い触手に覆われている。

 腹のあたりから縦に一筋の線が入り、大きく開いた。生まれたのは何本もの牙からよだれを垂らす、巨大な顎だった。

 

 夜空を覆う深紅の羽から輝く鱗粉が舞い落ちる。教会の敷地全体が炎で包まれたような茜色に染まっていく。集まっていた信者たちの顔がまどろむような表情へと変わった。

 恍惚とした表情でゾンビのように歩み寄る彼らを、化け物は触手状の下脚で片っ端から捕えて腹の顎へと詰め込み始めた。ナイフのような鋭い歯でよだれを垂らしながら肉も骨も丸ごと咀嚼する様は醜悪そのものだった。

 

 狂乱する下半身とは別の生物のように、彼女は静かに目を閉じて空を見上げている。閉じられた瞳からは幾筋もの血の涙が流れ出ていた。

 

 

 この世の終わりのような光景だった。呆然とただ眺めることしかできない。誰かの悪夢を見せられていると言われたほうがよほど納得できるような現実味のない光景。

 

 ちがう。この悪夢は私が選び取った現実だ。

 

 

 ユライの声が聞こえてくる。これまで聞いたことのない緊迫した響きだった。

 

「サイアクだ。ファンブルしやがった」

「……おねえちゃんは……?」

「もうあそこにはいません。あれは強大な器に入り込んだ怨霊の塊、魔獣よりもよっぽど性質が悪いもんです」

 

 ユライは犬歯を噛み締めて恐怖の眼差しを送っている。

 かつて見たことのないその表情は事態の深刻さをこれ以上ないほど端的に表していた。

 彼は膝をついて見上げる私に乱暴に短剣を渡してきた。

 

「妹さん、これを使ってくだせえ。あんたの血で蘇ったのならあんたにだけは害意を示さないはずだ。あんたの手で彼女の棺桶に釘を打つんです」

 

 この短剣でなにをどうしろというのか。

 脳が理解を拒絶した。言っていることの意味が解らない。それでも彼の言葉をまとめるのなら……

 

「……もう一度……お姉ちゃんを殺せって言うの……?」

「あれはもうあんたの姉貴じゃありやせん。単なる化け物だ。このままじゃこの街が丸ごと滅んじまう!」

 

 それでも良い。姉の顔に殺されるのなら本望だ。ふさわしい終わりを迎えられる。

 何も返せなかった。いままで受けてきたものを、その10分の1も返せなかった。ただもらったものを無自覚に食いつぶすだけだったのだ。

 せめてその罰を彼女の顔をした怪物から受けたかった。罰してほしかった。愚かな自分自身を。

 

 どろどろした後悔の念が私を柔らかに包んでいく。もう立ち上がる気力は無かった。

 

 激しい衝撃とともに視界が吹き飛ぶ。

 ユライに殴られたのだと気付くのには時間がかかった。これまで聞いたことのないほど大きな怒声が私の心を蹴り飛ばした。

 

「あんたの姉貴が作ったこの街を壊しちまう気ですか!」

 

 いくつもの顔が浮かんできた。事務所の面々、便利屋仲間、同級生。さきほど別れたばかりのレイの泣き笑い。胸が締め付けられるように痛む。

 それらすべてが、姉の顔をした化け物によって完膚なきまでに破壊されていく未来を幻視した。

 

 

 誰かの囁き声が聞こえた。

 

『いつかきっと、華ちゃんやみんなが笑顔で暮らせるように』

 

 

 熱いものが幾つもあふれ出て頬を濡らした。

 彼女が残したもの、そして私が積み上げてきたものは立ち止まることを許さなかった。

 震える全身に力を入れて立ち上がった。

 傍らに転がる短剣を拾い上げる。

 あらかたの食事を終えて、聖堂という殻を破壊し始めた怪物を直視する。

 

 よろめく足を必死で前に運ぶ。

 

 化け物がこちらを向いた。

 巨大な顎が威嚇の音を上げ、青黒い触手が私に殺到する。不思議なことにそれは、当たる直前で自分から進路を変えていった。

 血の涙を流しながら彼女は最後に笑った。

 

 

「うわああああぁぁっ!!」

 

 

 腕を広げて迎え入れる彼女に抱きつくように突進する。

 大きく振りかぶった短剣を眉間に突き刺した。

 あっけないほど簡単に、さしたる手ごたえもなく持ち手の部分まで埋まる。

 

 

『よくできました』

 

 

 淡い燐光とともに彼女は空に溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

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