便利屋JK   作:フライドレッグ

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登場人物
白木 華(しらき はな)
…主人公で高校1年生。インターン活動中。
如月 琉乃蒼(きさらぎ るのあ)
…戸隠便利屋事務所の自称サバサバ系。酒飲み。20代前半。
吉田 一星(よしだ いっせい)
…戸隠便利屋事務所の新人。常に敬語でしゃべる。15、6歳くらい。
戸隠 雲仙(とがくし うんぜん)
…便利屋事務所の所長。メタボ気味。若者の教育に苦慮している。


清掃作業

 

 

 

 じりじりと強烈な日光がアスファルトを灼く。

 通行人の消えた大通りで防護服を身に纏った労働者たちが、腐臭の漂い始めたケダモノの死骸を次々にトラックへと積み込んでいく。

 隣では大勢の労働者に混じって、如月先輩と吉田くんがゾンビのようなうめき声をあげながらブラシ掛けに従事している。

 時刻はまだ正午になる前であり、長い苦難の時間は始まったばかりだった。

 

 

 

×××

 

 

 

「えぇっ!? 反省文は書いたじゃないですか!」

 

 如月先輩の抗議の声が事務所内に響き渡る。

 洋館での騒動から3日経ち、机の上に溜まっていた書類もあらかた片付け終わった頃だった。

 

 隣の席では珍しく机に座って書類仕事をしていた吉田くんが、所長に食ってかかる如月先輩を見てにやにやと気色の悪い薄笑いを浮かべている。

 

「それはまた別の問題だよ。如月くん、前回の清掃に参加したのはいつか覚えているかな?」

「え? えーと、たしか2週間前だったかなー」

「……1ヶ月以上前だよ。所長としては君が新しい仕事を見つけられるようになって嬉しいんだけどね。さすがに吉田くんが不憫だよ」

 

 そう言って所長が吉田くんの方を見ると、彼はすかさずにやにや笑いを引っ込め、如何にも真面目に働いていますとでもいうように机に向かっている様子を見せた。

 先輩は最初からその様子を見ていたが、仕事を押し付けたことに負い目を感じたのか、喉から出かけた罵声をぐっと飲み下した。

 

「そりゃまあ」

「今期は管理局からの依頼を重点的に受けるって決めたよね。キツイのはわかるけど、あと1ヶ月頑張ってくれないかな」

「――わかりました。やってみます」

 

 先輩がため息をつきながら、いかにも不承不承といった感じで承諾する。

 それに安心した所長は、一連の流れをちらちらと横目で盗み見ていた吉田くんに向き直った。

 

「じゃあ、そういうことだから。吉田くんもあと1ヶ月、よろしくね」

「えぇー! 俺もやるんスかぁ!?」

 

 大げさにのけぞって不満を露わにする吉田くんに対して、所長は大きなため息をついてから理路整然と宥めた。

 

「……あのね、そもそもこの仕事はきみの体力を鍛えるために貰ってきた仕事じゃないか。きみがやらなくてどうするんだい」

「そりゃ、そうっスけど」

 

 渋る吉田くんに対して所長が疲れたように頭を振り、彼にしては珍しく強引にまとめた。

 

「とにかく頼むよ。今日の分もいつも通りにね」

 

 私はふと思い立ち、机に戻る所長の後ろ姿に声を掛けた。

 

「所長。あの、私もついて行っても良いですか?」

 

 振り返った所長は不思議そうなものでも見るような視線で私を見た。

 

「書類の処理も一通り終わりましたし、私も体験してみたいと思ったんですけど……」

「特に面白い仕事ではないよ。それでも良いなら、ぼくとしてはむしろ助かるかなあ。先方にもなるべくたくさん人を寄こすように言われてるからね」

 

 所長は私の机を一瞥し、問題なさそうだと判断したのか相好を崩した。

 肩を落として準備を進めていた如月先輩から静止の声がかかる。

 

「ちょちょちょ。華ちゃん、良いの? めっちゃ臭くなるよ? 一星なんてそのせいで彼女に振られたんだからね?」

「言わないって約束したじゃないっスかぁ……」

「あ、やべ……」

 

 予想外のタイミングで失恋をカミングアウトされた吉田くんに事務所の面々から同情の視線が向けられた。

 私は気を取り直して先輩へと返答する。

 

「ここに来る以外に人と会う予定もありませんし、その点は大丈夫です。もし先輩が邪魔だっていうなら諦めますけど……」

「いやいや、そんなことは言わないって。でもまあ、たしかに社会勉強にはなるかもねー」

 

 やり取りを静観していた所長が吹き出す汗を拭きながら言った。

 

「体力仕事になるからキツかったら休んでね。それと必ず3人で行動すること。この前みたいなこともあるからくれぐれも気を付けてね」

 

 この前みたいなこととは、洋館での一件のことだろう。

 私たち3人は所長の忠告に思い思いの返事をして仕事場へと向かった。

 

 

 

×××

 

 

 

 私たちは管理局で防護服に着替え、作業場へと向かうバスに乗っていた。

 

 作業者に貸し出された防護服は潜水服に近く、ぴっちりと上下が一体になっている。魔力を完全に遮断するために生地もかなり厚目に作られていて、重量もそれ相応に重かった。

 なにより通気性が皆無で、まだ現場に到着していないのに蒸し風呂のような状態だった。そのうえ、防護服自体が再利用されているためか、濃縮された汗の匂いがこびりついていて鼻が曲がりそうだ。

 

 私は作業が始まる前からすでに後悔し始めていた。さすがは管理局斡旋依頼で不人気不動の1位(如月先輩談)をとるだけのポテンシャルを感じる。率直に言えば逃げ出したかった。怖いもの見たさに手を上げた2時間前の自分を殴りつけてやりたかった。先輩ももっと強く止めてくれればよかったのに。

 

「はい、これ。鼻に詰めてね」

 

 先輩から渡された物体を見つめる。一見してその物体は小さなマシュマロのようだった。

 困惑する私の目の前で、先輩たちは次々にそれを鼻の穴に突っ込む。私の手が止まっていることに気付いた先輩が鼻声で教えてくれた。

 

「これはねー、匂いを防ぐための鼻栓。さっきも言ったけど、清掃作業ってめちゃくちゃ臭くて気分悪くなるんだよね。防護服でも匂いは防げないからさー」

 

 鼻栓を鼻に詰め込んだ私を見て、先輩は満足そうに笑う。

 

「良いね。便利屋っぽくなったよ」

 

 詰め物で鼻を大きく膨らませた私たちは、傍から見るとかなり間抜けに見えるだろう。だが、それを揶揄するような無粋な輩はここにはいない。

 防護服に着替えた周囲の便利屋たちは、死地に赴くサムライのごとく真剣な表情だった。張り詰めた空気の重さに、私はこれから行われる作業の過酷さを肌で予感した。

 

 酔いに必死で耐える私の耳に、後ろの方からひそひそ話が聞こえてくる。

 

「おい、聞いたかよ。B班の担当、『壊乱』らしいぜ」

「げぇ。そいつは気の毒になあ。あの人いつも派手にやるから片づけんの大変なだもんな」

「あっちは1日掛かりだろうな。その点こっちはいつも通り、執行部の仕事だから楽でいいぜ」

 

 どうやらそれなりの経験者が同乗しているらしい。彼らの会話の内容が気になったので、隣の先輩に聞いてみた。

 

「ああ、担当ってのはつまり、誰がケダモノを駆除したのかってことね。『壊乱』のおっちゃんはフリーの掃除屋では珍しく、ケダモノ駆除に熱心なんだけど、力任せにやるから現場が荒れるんだ。でもまあ、あたしたちの担当は執行部だから、今日はそんなに身構えなくても良いよ」

 

 吉田くんも話に乗っかってきた。

 

「1回目からあっちに回されたら普通はついてけないっスからね。ま、俺は初回から『壊乱』の担当だったんスけど」

 

 自慢気に胸を張る吉田くんに先輩が冷たい目で言った。

 

「あの時の一星がゲロ吐きまくって役立たずだったから、おやっさんも懲りたんだろ。別に誇るようなことでもなくね?」

 

 

 

×××

 

 

 

 バスを降りた先の通りには、子牛ほどもある動物の死骸が数えるのも億劫になるほど転がっていた。バスの中で聞いた通り、それらの死骸に大きな損傷は見られない。銃で撃たれたような傷跡があるだけだ。

 私はそのうちのひとつを抱え上げ、内臓や血がこぼれないように注意しながら手押し車へと積み込む。

 つづいて先輩と吉田くんが飛び散った血や内臓の痕跡が残る場所に放水し、ブラシで汚れを洗い流す。どす黒く染まった水が側溝へと流れていく。これらの流出物にも汚染魔力が含まれるが、この程度なら浄水施設で浄化できるため問題ないそうだ。

 先輩たちが清掃をしている間に、私はケダモノの死体を管理局のトラックへと運んでいく。昇降機でトラックの上にあがると、荷台にはすでに犬やら猫やら虫やら多種多様なケダモノの死骸が積み込まれていた。

 普段から多少は見慣れていたが、あまりにも大量にひしめく死骸の山を見て気分が悪くなる。これらはすべて処分場へと運ばれ、特殊な処理を経て無害化されるらしい。

 

 

 

 

 20年前、突如としてこの街に開いた大穴は時空間を歪め、未知なる異世界へと続いていた。

 のちにワームホールと呼ばれるこの大穴から出てきたのは、私たちの常識の通じない異世界の住民、異邦人と呼ばれる存在だった。一様に悪魔のような羽根と尻尾を持っていたことから、最初はコスプレ集団が来たのかと思われたらしい。

 当時の都市の住民が交流をとる暇もなく彼らは虐殺を開始し、抵抗する市民との間で紛争が起きた。

 これがいわゆる侵略戦争の始まりだ。

 行軍を開始した異邦人は未知なる兵器と技術を用いて抵抗する都市の防衛戦力を蹂躙した。

 当時の都市と異邦人の間の戦力差は大きく、都市の滅亡が危ぶまれたが、最終的にこの戦争は異邦人側の軍事物資が底をつき、彼らが異世界へと撤退したことで終わりを迎えた。

 2ヶ月におよぶ戦争で住民の3割が死傷し、ワームホールの出現した南区はほぼ全域が焦土と化した。

 

 ようやく平和を取り戻した人々は、堪え難い飢えと貧困、異邦人のもたらした汚染物質による伝染病や、ケダモノ――伝染病に感染して凶暴になった動物――の対処に追われることとなった。

 結局、当時の都市の統率者は汚染物質とそれに侵された人々の浄化を諦め、ワームホールを中心に巨大な壁を建てて封じ込めることにした。

 そうして今でも、壁の中へと追いやられた行き場のない住民は汚染物質のもたらす伝染病やケダモノと日々戦っているのである。

 

 

 

×××

 

 

 

「ひゃー、つかれたー」

 

 6時間に及ぶ清掃作業がようやく終わりを迎えた。

 行きと同じバスで管理局まで戻ってきた私たちは、局内のシャワーを浴びてすっきりしたところだった。

 周囲の労働者達も作業前とは打って変わって和やかな表情で談笑している。

 こういうのを喉元過ぎれば熱さ忘れるというのだろうか。現在は順番に手渡される給与を待っているところだった。

 

「しっかし、華ちゃんタフだねえ」

「タ、タフ、ですか?」

「そうそう。見なよ、一星なんか魂飛んじゃってるじゃん」

 

 槍玉に上げられた吉田くんは作業前の元気はどこへ行ったのやら、試合にこっぴどく負けた格闘家のようにうなだれていた。

 こちらの会話に反応する気力もないのか、ぴくりとも動かない。

 

「普通、最初の内はあんな感じになるんだって。あたしも回数こなして慣れただけで、やり始めは一星と変わんなかったしね。お化け屋敷の時も思ったけどさ、もしかして華ちゃんて相当鍛えてる?」

「いえ、特になにもしてませんけど」

「ふーん、じゃあ変異病の影響かねえ。この前の掃除屋みたいに」

 

 

 変異病とは異邦人によってもたらされた伝染病のことである。

 長期にわたって汚染に暴露された感染者は、体内で魔力と呼ばれる汚染物質を生成するようになり、最終的には先日見た老婆のような異形と化す。変異病のもたらす痛ましい最期は感染者と健常者、双方にとっての恐怖そのものだ。

 一方で変異病は感染者に恩恵をもたらすこともある。変異の途中段階で、感染者は特殊な異能に目覚めることがあるのだ。

 多くの場合はとるに足らないものだが、ごく稀に、常人とは隔絶した身体能力や念動力など、まさに超能力と呼ぶほかない異能を発現する。

 先日の掃除屋の常軌を逸した剛力はその最たる例だろう。

 

「そうかもしれません。あまり意識したことありませんでしたけど」

 

 あらためて思い出すと、春先に南区に引っ越してきてから身体の調子が良くなったような気がする。タイミング的には病院で変異病の宣告を受けてからだ。

 先輩の言う通り、自身の平均以上の身体能力は変異病の影響もあるのかもしれない。

 

 会話を続けている私たちのもとに体格の良い禿げ頭の中年が近寄ってきた。作業の開始前に仕事の割り振りを決めていた管理局側の清掃作業統括者だ。皆からはおやっさんと呼ばれている。

 

「おう、おつかれさん。次もよろしく頼むぜ。嬢ちゃんも、初めてにしては上出来だったよ。新人さんかい?」

「いやぁ、インターンってやつなんですけど、わかりますかね?」

「インターン? あぁ、職場見習いのことか。まだ正式に決まってないってんならウチに来ても良いんだぜ。嬢ちゃんみたいな若くて元気な子ならいつでも歓迎するからよ」

「ちょっと、引き抜きやめてくださいよ。こっちもカツカツなんですから」

 

 たしなめる先輩に、おやっさんはガハハと大きな笑い声をあげた。反応に困った私は愛想笑いを返しておく。

 

「なんだよ。一星のやつ伸びちまってんのか。だらしねえなあ」

 

 おやっさんの容赦ない一言に、うつむいていた吉田くんが顔をあげた。

 

「おやっさ~ん、無茶言わないでくださいよ~。そこの人たちゴリラですよ。ついてけるハズないじゃないっスか~」

「一星くん? 女の子に向かってゴリラは言い過ぎじゃないかな」

「先輩は女の子って歳でも……、いや、すいません。なんでもないっス」

 

 失言を自覚した吉田くんが素早く謝罪した。

 

「かぁー、若いのは元気だねえ。ウチの職員にも見習って欲しいよ」

「管理局はまだ人手不足が解消してないんですか?」

「この支部だけな。こっちに来るやつなんて最初から教会や警備隊を志望するもんだから仕方ねえんだが」

 

 たしかに局の中は年をとった人ばかりで、若手の姿は見えなかった。人材難に苦しんでいるのはどこも同じようだ。

 

「おっと、長くなっちまったな。これが今日の分の報酬だ。また頼むぜ」

 

 おやっさんは茶封筒を渡すと手を振って去っていった。

 

「なんか貫禄ありましたね」

「長いからね。たしかここの支部が出来た時からいるんじゃなかったかな」

 

 隔離地区の管理局は戦争の直後に設立されたはずだから、おおよそ20年間ここにいる計算になる。それだけいれば大抵のことには動じないだろう。

 

 先輩が大きく伸びをして言った。

 

「さてと。一仕事終えたことだし、とりあえず飯でも食べますか」

 

 

 

×××

 

 

 

 『もっちゃん』は管理局のすぐ側にある食事処である。新鮮なホルモンが看板メニューで、『安い、早い、美味い』の標語の通り、肉体労働を仕事とする男達も満足できるほど大量の食事が提供される。

 私たちが店の扉を開いたのは昼食を摂るのには少し遅い時間だったが、店内はまだ多くの客で賑わっていた。その中には、先ほどまで作業を共にしていた労働者の顔もチラホラと見られた。店の中は独特の臭気が漂っており、肉の焼ける煙で白くけぶっている。

 畳のテーブル席に座ると、先輩は慣れた様子で店の冷蔵庫から瓶を数本持ってきた。嬉しそうに蓋を開け、グラスに中身を移す。店主に注文を終えた吉田くんは、机にずらっと並んだ瓶を見て顔を引きつらせた。

 

「じゃあ、まずは華ちゃんの初仕事の成功を祝って、カンパーイ」

「乾杯」

 

 音頭もそこそこに、先輩はグラスになみなみと注がれた炭酸を一息で飲み切った。

 

「かぁー、うめえ!」

「先輩、禁酒したんじゃなかったでしたっけ?」

 

 嬉々として2杯目に移る先輩に向かって戦々恐々と吉田くんが尋ねる。

 

「ああ? 1ヶ月も止めたらそりゃもう禁酒だろ。それともなにか? 一星はかわいい後輩の門出を快く祝えないって?」

「い、いや、そんなことないっスよ。でもこの前みたいに暴れないでくださいね」

「わかってるわかってる」

 

 無愛想な店員が大量の肉を持ってきた。彼は机に転がる瓶と先輩の顔を見てわずかに眉をひそめる。

 先輩は店員の態度を意に介さず、上機嫌で肉を焼き始めた。

 

「ここの肉はめちゃくちゃ新鮮で美味いんだよねー。これ食べたら他のとこ行く気なんてなくなるから注意しといてよ、マジで」

 

 豪語するだけあって、焼き上がった肉はいずれも美味だった。中でもホルモンが美味い。ぷりぷりとした食感に濃い目のたれが良く合っている。

 感想を伝えると、先輩は嬉しそうに笑った。

 

「ここのは特別なんだよねー。なんてったって産地直送だからさ。鮮度が違うのよ、鮮度が」

 

 店内を見渡すと、黄ばんだメニュー札に混じって『産地直送、鮮度一番』と書かれたポスターが貼ってある。よく見ると下に小さく『お身体の弱い方はご遠慮ください』と書かれていた。ふと気になったことを目の前の酔っ払いへと尋ねてみる。

 

「ここのお肉って何のお肉なんですか?」

「え? あー、なんだっけな。まあいいじゃん、そういうのは」

 

 大したことを聞いたつもりはなかったのだが、先輩はあからさまにはぐらかした。不審に思って吉田くんの様子を伺うと、彼は黙って目をそらした。先輩方の雰囲気に不穏なものを感じ、この件に関しては気にしないことにした。

 追求を諦めた私の脳裏に、なぜか先ほどまで処理していたケダモノの死骸が浮かんできた。

 

「いやー。一星も成長したよね。今日の作業見てて思ったけどさ。ひとりで任せたのも失敗じゃなかったな」

「う、でも俺、後半バテちゃってましたし。白木さんや先輩に比べればまだまだっス。それに2ヶ月近くこの仕事やってるのに、初回の女の子に負けるなんて……」

 

 吉田くんがじっとりとした視線を向けてくる。

 私は彼にどう返せば良いか分からず、曖昧に笑った。

 私たちのやり取りを茫洋とした目で見守っていた先輩は、手に持っていた酒瓶を一気にあおると酒臭いげっぷを漏らした。

 

「まあそりゃ仕方ないさ。なんたってこの子は掃除屋にも目を掛けられてるからね」

 

 机に突っ伏していた吉田くんはその言葉に敏感に反応した。

 

「んなバカな。なんで掃除屋がこっちに来たばっかの女子高生のことなんか気にするんスか」

 

 いぶかしむ吉田くんに、如月先輩と受けた先日のお化け屋敷の件をかいつまんで話した。

 

「別に、ちょっと話しただけですよ。ライター忘れたって言ってたので貸してあげただけで……」

「いいや、あのプレッシャーの中で物怖じせずに受け答えできるだけ大したもんだよ。その気概が買われたに違いないね」

 

 頬の赤らんだ先輩は、私の言葉を真顔で否定した。

 しかし実のところ、私は件の掃除屋から先輩の言うような脅威を感じなかった。初めて会ったような気がしなかったのだ。

 だが、それがなぜかと聞かれると、自分自身の中に確たる答えを見つけられずにいた。

 

「それに初仕事であんな怖い思いさせた上に、だいぶ助けられちゃったしね。本当に反省すべきはあたしだよ。このところ上手くいってたから、自分でも気付かない内に調子に乗っちゃってたかなー」

 

 グラスを滴る雫を遠い目で見ながら、先輩は自責の言葉を漏らした。

 しんみりとした雰囲気がテーブルに漂う。

 自分が変に否定したせいだろうか。だが、変に自分のやったことを誇示するのも嫌だったのだ。別にこんな空気にするつもりじゃなかったのに。

 

 凝り固まった空気を壊すように、吉田くんがグラスを勢いよくテーブルに置いて沈黙を破った。

 

「ちょっと待ってくださいよ。それって所長から説教受けてたやつっスよね? 俺がひとりで死体清掃してる時に間近で掃除屋の仕事を見たとか不公平じゃないっスか!」

「いや、でも生贄は必要だったし」

「ひでえ!」

 

 それに、と吉田くんが唾を飛ばしながら回らない口を必死で動かす。

 

「先輩、ふ、振られたの黙ってるって約束したじゃないっスか!」

「あー、いや、それはごめん。口が滑っちゃった。でも、所長もタケさんも薄々気付いてたよ。あいつ先週からなんか変だって言ってたし」

「そ、そんなぁ……」

 

 予想もしていなかった情報にうなだれる吉田くん。追い打ちをかけるような推測が先輩の口から飛び出した。

 

「そもそもさあ、本当に匂いが原因だったのかねえ。だって管理局の洗浄は受けてるんだから、匂うにしても薬の匂いのはずでしょ? そんなの気にする人いないと思うけどなあ。本当はなんか他にやらかしたんじゃないの?」

「そんなことありませんよ! だってそれまでラブラブだったんですよ!? それが突然、『正直キツイ』って……」

「ら、らぶらぶって……」

 

 思わず漏れた呟きを意に介さず、吉田くんは机に突っ伏しておいおいと泣き始めた。

 普段にも増して情緒不安定な彼のグラスには、先輩が飲んでいるのとよく似た炭酸が注がれている。心なしか酒臭い。間違えて先輩の酒を飲んだのかもしれない。

 ちなみに彼は私と同い年である。

 

 匂いと聞いてふと思い浮かぶものがあった。

 

「ここのお店ってよく来るんですか?」

「ん? あぁ、大体、清掃作業の後はここで食べてくかな。安いしね」

「もしかして彼女さんが気にしたのって、消毒剤じゃなくて焼肉の匂いなんじゃ……」

「ええ? 流石にそりゃないっしょ。いくら一星でも、焼肉の後シャワーぐらい浴びるはず……」

 

 吉田くんがぱっと顔を上げ、呆然とこちらを見た。かと思えば、無言でうつむき、ぶつぶつと彼女の名前らしき単語を呟き始めた。どうやら図星だったようだ。

 

「うっそだろ、お前。マジかよ……」

「うおおおおぉっ! 朋美ィッ!! 俺が悪かったぁ! 許してくれぇぇ!!」

「いや、本当だよ。デートの前にシャワーぐらい浴びろや。完全に自業自得だろ」

「う……」

 

 先輩の容赦ない一言に吉田くんは再度机に突っ伏した。さすがに宥めるべきかと考えていたところ、隣のテーブルから思いもよらぬ助けが入った。

 

「まあまあ。それぐらいにしてやってくれや、嬢ちゃん」

 

 こちらに話しかけてきたのは、さきほどの作業で轡を並べた労働者仲間だった。赤ら顔でアルコールの匂いをまき散らし、すっかり出来上がっている様子だ。

 酔っ払い特有のうっとおしい訳知り顔で如月先輩へと話しかける。

 

「男ってのはな。理屈じゃねえのよ。時には獣のように、本能のまま赴く1匹の野獣なのさ。一星がそれを制御できなかったのは、ひとえにこいつが若いせいであって、決して取り返しのつかないことじゃないはずだぜ。嬢ちゃんだって数年前は色々とやらかしてタケさんに怒られてただろ?」

「そりゃーそうっすけど……」

「でも今じゃこの通りだ。細けぇこたぁ良いのよ。最後にみんな笑ってればハッピーてことさ。ほら、わかったらいつもの通り乾杯だ」

 

 先輩は清掃仲間のとりなしに、しぶしぶといった感じで矛を収めた。

 中年は慣れた様子で吉田くんのグラスに酒を注いだ。

 

「おっさん……」

「おめえもこんぐらいでへこたれるんじゃねえぞ。女ってのは蝶々だ。逃げてっちまわねえように大切に扱わなきゃいけねえ。いずれおめえにもわかるはずだ」

「おっさぁぁん……」

「あの……、」

 

 男だけの世界を作り出す2人に耐えきれず声を掛けていた。どうしても気になることがあったのだ。私はこちらを向いた酒飲み2人に思い切って疑問をぶつけた。

 

「いつも通りっていうのは……? まさかここに来るたびにお酒を飲んでいたとかじゃないですよね?」

 

 2人の笑顔が凍り付く。

 つまらなそうに肉を突いていた先輩が、吉田くんの顔を見て鬼のような形相になった。

 

「一星っ!! 未成年は飲むなって言ってただろうが!」

「だって、しょうがないじゃないっスか! 先輩たちが楽しそうに飲んでるから気になっちゃたんスもん!」

「じゃ、じゃあおれはこの辺で……」

 

 おっさんは形勢不利と見るや、如月先輩に羽交い絞めにされている吉田くんを置いて素早く撤退していった。

 

 私はその後、潰れるまで飲んだ2人を事務所へと送り届け、銭湯に入ってから学生寮に帰った。寮の同居人には、服に染み付いた匂いで焼肉に行ったことが一発でバレた。

 

 

 

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