白木 華(しらき はな)
…主人公で高校1年生。初めての単独依頼に意気込んでいる。
レイチェル・レイモンド
…ザガロフ帝国公爵家の息女。華と同い年に見える。
調査は翌日の朝から行われた。警察署で依頼人と合流し、互いに軽く自己紹介をしておく。
「あらためまして。ザガロフ帝国レイモンド公爵家の息女、レイチェル・レイモンドよ。好きに呼んで頂戴。引き受けてくれたことは感謝しているけど慣れ合う気はなくてよ」
彼女は昨日と同様、真っ黒なフードをすっぽりとかぶっていた。暑さのピークを過ぎたとはいえ、気温はまだ30度を超えている。夏の日差しに倒れないかと心配になって声をかけた。
「それ暑くないですか? 服が他にないなら買いに行きますけど」
「大丈夫、問題ありませんわ。これはレイモンド家に伝わる由緒正しい外套ですもの。それに淑女がみだりに肌を見せるものではなくてよ」
彼女は問答自体が面倒くさいというように手を振った。
異邦人は私たちよりも遥かに強靭な肉体を持つ。彼女の顔が真っ赤に火照って見えても、私たちの常識に当てはめるべきではないのかもしれない。
問答はそこまでにして歩き出す。痕跡を求めて南下するにつれて、徐々に道が荒れ、建物もみすぼらしいものになっていく。
隔離地区の内部は、ワームホールに近付くほどケダモノの被害を受けやすくなり、治安も悪くなる。
もちろん例外も存在し、裏組織の根城となっている暗黒街はケダモノの被害を抜きにしても危険だし、逆にワームホールの直近にある越境警備隊の駐屯地は管理局本部よりも警護が行き届いている。ただ、ワームホールの近くは常にケダモノに破壊されるリスクがつきまとうため、まともな店や施設は大方、管理局南支部のお膝元に集中している。
私たちが向かっているのは、管理局や警察の監視から外れ、違法薬物の売買や人攫いが日常的に行われている危険地帯であり、そこに足を運んだ経験は私自身にもほとんどなかった。
×××
貧困街へと入り込んだ私たちの横を、本来であれば小学校に通っている年齢の子供が2人駆けていく。彼らは私にぶつかった後、謝りもせず曲がり角の向こうへと消えていった。
レイモンド嬢はその様子に、憮然として鼻を鳴らした。
「行儀が悪いですわね。親御さんは何を教えているのかしら」
「たぶん、彼らに親なんていないと思いますよ。ここはそういう所ですし」
彼女はぽかんとした顔で黙ってしまった。あまり気持ちのいい話ではないが、依頼人のために渋々と説明する。
「侵略戦争の被害の色濃い場所に住もうなんて物好きはいません。彼らはきっと親を亡くしたか捨てられたんでしょう。このあたりではありふれたことです」
如月先輩や吉田くんと同じような境遇だ。彼女たちは運よく安定した職に就けたが、大半の子供はそうではない。貧困街でどれほどの子供が成人まで生き残れるか、考える気にもならなかった。
私の言葉に彼女は少しの間考え込んでいたが、やがて納得したのかうなずいた。
「そう。ならあなたが可哀想な彼らに恵んだ物も無駄じゃなかったってことね」
「へ?」
――何を言っているのだろう。
今度は私が呆然とする番だった。意味が分からず狼狽する私を小馬鹿にするように彼女は言った。
「あら、気が付かなかったの? あなたのポーチ、彼らが持っていったわよ」
慌てて懐を確認すると、先ほどまであった小物入れが忽然と姿を消していた。彼らが去っていた道まで走り寄るが、とっくの昔にその姿は消えていた。
「そ、そんな。あれには今週の生活費が……」
――それ以外にも変異病の薬とか、必要な物がたくさん入っていたのに……。
絶望に打ちひしがれる私に依頼人から声がかかる。
「ねえ、取り返したいのなら手伝ってあげてもいいわよ」
「本当ですか。でもどうやって?」
彼女は自分の鼻を指差して得意げに笑った。
「あの子たちの匂いは覚えたわ。盗人は地獄の底まで追いかけられてよ」
×××
レイモンド嬢の先導でたどり着いたのは1軒の廃屋だった。天井には大きな穴が開き、壁は崩れかけている。とても人が住んでいるようには見えない。
「本当にここなんですか? あ、ちょっと!」
尻込みする私をよそに、彼女はさっさと建物の中へと入っていった。私はそのあとを慌てて追いかける。以前は扉のあったであろう場所を、生い茂った雑草に注意して通り抜ける。
中ではすでに彼女が小さな盗人を捕まえているところだった。
「な、なんだテメー! はなせよ、うわー!!」
レイモンド嬢は少年の抵抗を意に介さず、両足を掴んで逆さまに振る。ポケットからは針金やらパンくずが次々と落ちたが、その中には盗まれた財布入れはなかった。
これ以上何も出ないと見るや、彼女はスリの少年を地面に放り出した。
「あなたが盗んだものを返しなさい。今すぐに」
「はあ? なんでおれがやったってわかるんだよ。キョロキョロしてる時に落としただけじゃねーの? こんな場所でバカみたいにほっつき歩いてるから天罰が下ったんだろ」
小馬鹿にして笑う少年を冷たい目で睨みつけて彼女は言った。
「お友達にも同じように聞いてみましょうか。彼は素直そうに見えたし、きっと教えてくれるでしょう」
依頼人の脅しの言葉に、少年は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「カズヤに手出ししたら許さねえ! 1本でも指を触れてみろ、ぶっ殺してやるからな!!」
その時、壁の穴を通り抜けて先ほど見たもうひとりの少年が入ってきた。
「ただいま、兄ちゃん。食いもん買って来たよ――」
「逃げろ、カズヤ! コイツらはおれたちを捕まえにきやがった!」
戻ってきた少年は食料と私のポーチを抱えていた。
レイモンド嬢は見知らぬ侵入者に遭遇して狼狽する少年が動き出す前に素早く近付くと、容赦なく地面に引きずり倒した。力の抜けた彼の腕からポーチを取り上げ、私に放る。
「くそっ、弟に手を出すな! もし手出ししたら――」
言い募る少年をよそに、彼女はあっさりと解放した。少年は勢いのやり場を失って呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我に返って弟のもとへと駆け寄った。
私は私で、ポーチの中身を確認するのに夢中だった。
――ポプリ、ある。財布、ある。お金、半分。薬、ない。
仕送りのおよそ四分の一が使われてしまっていたが、姉から貰ったポプリが残っていたのでよしとする。しかし金よりも薬を優先して狙ったのか。少年たちの症状が進んでいるようには見えないが……。
「大丈夫そうかしら?」
私はたいして興味のなさそうな彼女の問いかけにうなずく。そして、こちらを睨み付ける少年たちに向かって親切心から忠告した。
「きみたち、薬が欲しいのなら管理局に行ったほうが良いよ」
「――そうだ! おまえら、あんな偽物で騙しやがって!」
「……偽物?」
知らず、冷ややかな声が漏れていた。
「おっちゃんがくれるのはもっと楽しくなる良いやつだ。おまえが持ってたのは苦いだけの偽物じゃないか!」
「……そう」
少年の返答に、私はそれ以上の交流をあきらめた。依頼人を促し、哀れな少年たちを残してその場を立ち去る。
「彼らはなにを言ってましたの? 薬ってあなたの持っていた変異病の抑制剤のことでしょう。本物も偽物もないと思いますけれど」
「……あまり気持ちの良い話ではないですよ。それでも聞きたいですか?」
気は進まなかったが、依頼人がうなずいたので仕方なく事情を説明することにする。
「隔離地区で薬といえばふたつあります。まずひとつ目が抑制剤です。私がポーチに入れていたのもこれですね。変異病の進行を抑える抑制剤は感染者に欠かせないものです」
レイモンド嬢は知っているとでも言うようにうなずいた。この辺りの事情はこちらに来る異邦人にも知れ渡っているのだろう。あるいは木崎さんや警備隊に教わったのかもしれないが。
「そしてもうひとつが、促進剤とかLSDって呼ばれてるものです。さっきの子たちが言ってた本物はこっちのことでしょう。興奮作用が含まれていて飲むと楽しい気分になりますが――」
目を閉じて深呼吸する。この先を説明するのには冷静さが必要だった。
「――問題は促進剤と呼ばれる理由です。これには興奮物質だけでなく、変異病の原因となる物質も含まれています。つまり、飲み続ければ遠からず変異病になります」
「な、なぜそんな物が存在するんですの!? 意味が分かりませんわ!」
「警察や管理局も躍起になって調査していますが、だれがなんのために、というのはまだわかってません。でも、促進剤のせいで一般管理地域でも感染者が発生しています。いつまでたっても感染者が減らないのはそのせいです。そして――」
――そして私もそのうちのひとりです。
×××
「ありがとうございました」
重くなった雰囲気を断ち切るように彼女に礼を言った。
先ほどからなにやら考え込んでいたレイモンド嬢は私の意図を察したのだろう。ことさら大げさに、気にしていないというように手を振った。
「ふん、別に良いのよ。私も盗人は許せない性質だから」
そういえば彼女も盗人の捜索でこちらに来ていたのだった。
「でも、少し不用心ではなくて? 本来はあなたがエスコートをするべきですのに」
「それは、そのとおりですね。すみません」
「――べ、べつに責めているわけではないのよ。疑問に思っただけで」
そうか、彼女は私がほとんど素人だということを知らないのか。彼女には悪いが、こういったことは早めに話しておいたほうが良いだろう。
「あの、実は私、こういうの初めてなんです」
「へ? 初めて?」
「はい。普段は机仕事をしていて、たまに手伝いで誰かについていくことはあったんです。でも、ひとりで依頼をこなすのはやったことがなかったので。だからもし駄目な部分があったら言ってください。頑張って直します」
「あ、ええ。そういう意味ね。そんなに気にしなくても大丈夫ですわ。最初に言った通り、ついてきてくれればそれで十分ですもの」
彼女は顔の前で手を振った。すでに何度かこの仕草を見ているが癖なのだろうか。
私は取り返したポーチを彼女に見せた。
「そういえばこれ、本当に見つけられるなんて思いませんでした。これもなにか特別な道具とか能力でたどったんですか?」
彼女は私の質問に得意そうに答えた。
「べつに、大したことなくてよ。あの子たち、あちこち傷を作ってたでしょう? その血の匂いをたどったの」
「へえ、すごいですね。まるで犬みたいです」
「い、犬っ!?」
私の率直な感想に、得意気な彼女の表情が崩れた。
思わぬ反応に余計なことを喋ったかとあせる。
「すみません! 決して馬鹿にする気はなかったんです……」
「う、さすがに犬扱いはダメよ。我がレイモンド家は狼人族ではなく、ザガロフ帝国でも誇り高ききゅ……」
「……きゅ?」
口上の途中で思い出したかのように口を止めてぱくぱくと動かしている。彼女は結局、続く言葉を喋らないことに決めたのか、焦った様子でその場を誤魔化した。
「なんでもないわ! とにかく、なにも問題はないのよ! それだけ!」
彼女は大声をあげてその場をズンズンと立ち去った。
×××
その後も調査を続けたが成果はあがらず、日が落ちたところでお開きとなった。
「そういえば、レイモンドさんはどこか泊まる場所の目星はついていましたか?」
「特に決まっていないわ。適当に入るつもりだったけど」
真夏に黒コートを着込んだ不審者がひとりで宿に泊まれるだろうか。よしんば泊まれたとしても、明日合流するまでになにかしら問題を起こしそうな気がする。
今日の調査で、彼女がこちらの常識をほとんど知らないのはよく理解できていた。
気は進まないが、今後の円滑な依頼遂行のためにも何日か付きっ切りで過ごしたほうが良いかもしれない。
「わかりました。では案内しますね」
「あらそう? そこまで言うなら任せますわ」
街の中心部へと戻り、隔離地区でも数少ないまともな宿にチェックインする。依頼人に鍵を渡すと神妙な顔をされた。
「あなたも一緒に泊まるの?」
「いえ。隣にいますのでなにかあったら呼んでください」
依頼人はあまり馴れ合う気がないらしい。貴重な機会だし、彼女達の世界について聞いてみたいことがあったのだが、もう少し後にした方が良さそうだ。
(今日は色々あったし、少しは仲良くなれたと思ったんだけどな)
「べ、別にイヤってわけじゃないのだけど……。まあいいわ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
言い淀むような彼女に別れの挨拶をして自分の部屋へと戻る。
ベットに倒れ込むとすぐに眠気が襲ってきた。普段の何倍も強いそれに身を委ねて私は意識を手放した。