キヴォトスに生きる   作:山葉

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一人の大人として

 

 シャーレ、射撃場。

 

 腰のホルスターからハンドガンをドロウ。同時に右足を半歩後ろに下げて体を斜めに向け、軽く前傾姿勢になり、軽く腰を落とし、銃を握ったまままっすぐ突き出し、サポートハンドを曲げてホールドする。射撃姿勢、モディファイド・ウィーバースタンス。

 

 二五メートル先の静止ターゲットをフロントサイト越しに覗く。少し的がぼやける。そしてトリガーを指の腹で引っかけ力を籠め――発砲音と振動が響く。

 

「当たらんか」

 

 銃弾は的の中心から大きく外れ、端っこに穴を空けていた。

 

 中野は慎重にハンドガンをリホルスターする。グロック――シャーレ就職に際し、連邦生徒会から支給された銃だ。十五だか十七だか番号があるらしいが、とにかく扱いやすいハンドガンらしい。

 

 今はあの日、シロコに教わった撃ち方の練習をしていた。だがこれがなかなか上手くいかない。彼女曰く、トリガーを引く時に力が入りすぎているらしい。手首や腕までガチガチにしてしまってそれが狙いをブレさせるのだとか。要するに緊張のしすぎだ。だが、一般的な日本人として二十年を過ごした中野にとって、銃の扱いはある意味で重圧でもある。徐々に慣れていく他ない。

 

 シャーレの職員となったあの日、支給されたものが他にもいくつかある。

 

 一つはスマホ。何の変哲もない端末で、須く連絡用だ。モモトークには、先生とシロコを含め数人の生徒の連絡先が登録されている。

 

 そしてもう一つは、今、中野が着用している、シャーレの職員としての制服だ。白い。上から下までまあ白い。けれど汚れの付きづらい素材で作られているらしく、その心配は少ないようだ。すぐに拭いたりはたいたりすれば、日常の些細な汚れは取れる優れモノだ。

 

 そして最後に、中野には十万円が入った銀行口座が与えられた。先生が事情を話して用意してもらったそうだ。このおかげで、給料日までの間、自分のものを自分で揃えられるようになった。が、決して多い金額ではないので、もっぱら食費として使っている。先生との夕食の費用もこれで出している。

 

 それと、これは中野というよりシャーレへの支給だが、ヴァルキューレの中古車が下ろされた。警察車両としての塗装は剥がされ、代わりにシャーレの紋章と名が塗装されている。ありがたいことにATだ。

 

 ところが先生はあまり積極的に使うつもりはないらしく、ほとんど中野のものになっていた。しかしそれではもったいないので、D.U.地区内で、車でないと行きづらい場所での仕事の時には、中野が先生の送り迎えをすることになった。

 

 仕事の方は順調で、今や生徒や先生のサポートがなくとも支障がなくなったし、専門的な知識が要求されるものを除いた書類仕事を請け負うようになった。日に日にシャーレ全体の仕事量が増えているのは気になるが。

 

 ともあれ、仕事面でも生活面でも、中野は着実に順応していた。とはいえ課題もある。

 

 一つは、以前、ユウカの時にあった例の視線のことだ。これについては依然として改善の目途が立っておらず、またシャーレは右を見ても左を見ても見目麗しい女性しかいないため、一回の男子学生としてはなかなか生殺しのような感覚があった。それもあって否応にも鼻の下が伸びる。今日までにいったい何度、眉間を抑えたことか。

 

 そして一つはキヴォトスという社会そのものに対する理解の不十分さ。起床から始業までの時間に書籍を漁ってはいるものの、しかしそれだけではその地域の風土を理解しえない。もっと体験的に知る必要性を感じていた。

 

 というのも、中野には、シロコと薄暗いビル間の不良少女を見た時から、考えていることがあった。それは、不良たちの更正と社会復帰の支援だ。

 

 日本時代から考えていたことだが、ここキヴォトスの社会保障や福祉は皆無に近い。それに加え、生徒たちの身分と口座は各学園と紐づけられている。そのため、停学や退学になると身分と財産を失うことになる。日本法的に言えば、社会権と財産権の剥奪だ。となれば、当然、不良たちはまともな仕事に就けないからブラックマーケットに流れるし、そこで財産を得た所で正規の口座にそれを保存できないから、自衛のために緊張を強いられるし、それでも奪わる時はあっさりとやられる。最悪な循環が出来上がっていた。

 

 これを調べて中野が抱いた印象は、アメリカだった。要するに、下の層は早々に切り捨てて上の層を遇することで、結果的に国を強くする。その思想に由来するかどうかはわからないが、キヴォトスにも通じるものがある。

 

 しかし実際のところ、アメリカのようにGAFAが台頭し、それらが各自治区の発展に寄与しているかと問われれば、どうもその気配はない。となれば、キヴォトスにとってこのやり方は、いたずらに治安を悪化させるだけの悪策としか思えない。

 

 だから中野は、キヴォトスに日本的な刑事政策を根付かせようと考えた。

 

 そして今日、そのことを先生に報告、提案する。けれど現時点では単なる問題提起にしかならない。具体的な内容を詰めることは中野一人ではできなかったし、できるとも思っていなかった。

 

「先生、ハスミさん」

 

 午前九時、すでに仕事を始めていた先生と、今日の当番の羽川ハスミへの挨拶はそこそこに切り出した。

 

「どうしたの、そんなに畏まって」

 

「すごく大事な話なので、今はこの感じで行こうかと思いまして」

 

「大事な話?」

 

「はい」中野はクリアファイルから数枚の紙を取り出した。「こちらをご覧ください。ハスミさんも」

 

 二人は中味を黙して読み込む。

 

「社会に出て企画を提案したことはないので、ザッカーバーグよろしく、とりあえず行動しろの精神でこの提案書を作りました。

 あくまで、これは問題提起です。現在のキヴォトスを故郷と比較して課題を指摘しただけです。エビデンスレベル*1でいえばレベル六や五*2なので、はっきりいって出来は最悪です。ですが、生徒思いの先生や、実際に治安維持組織で活動するハスミさんであれば興味を示してくれるだろうと」

 

 先生は明るい表情でうんうんと頷く一方で、ハスミは肯定も否定もしなかった。

 

「情けないですが、これより具体的なことは俺だけでは力不足です。予算も統計も実際の制度も法整備も知識も経験も何もかも。

 なので、今の俺に必要なのは議論をしてくれる相手です」

 

「では、中野さんは、私たちに相談相手になってほしいと?」とハスミが言った。

 

「その意味もありますが、先生もハスミさんも多忙なのは知っています。今の状態で議論したっていたずらに時間を浪費するだけです。俺が欲しいのは、組織的な協力を仰ぐ機会のセッティング。例えば、先生には連邦生徒会、ハスミさんにはトリニティとこれを提言する場を設けて欲しく思います」

 

 中野は執務室に響くのではないかというぐらいに鼓動が鳴った。社会人経験のない人間が、社会人の真似をしようとしているのだ。これでいいのだろうか、どうすればいいのだろうかと不安になって手足が震える。冷や汗も噴き出る。

 

 ハスミはそんな中野の様子を見て、まだ右も左もわからなかった頃の自分を思い出した。

 

 何をするにもこれでいいのかと、先輩たちにそんなこともわからないのかと思われるかもしれないと考えるだけで不安になって言葉を呑み込んだあの時の自分。

 

 彼は年上。けれど外の話を聞くと、自分たちのような仕事をするのはまだ数年先のことだという。つまり今の彼は、昔の自分とそう変わらない。それが、たしかに不出来だが、それでもはっきりと分からないと言って、協力を乞うてきた。これは立派なことではないだろうか。

 

「お話はわかりました。とても興味深いと思います。それに、環境が大きく異なるとはいえ、実例があると説得力が違います。検討する価値はあると、私も思います。是非、協力させてください」

 

 一気に緊張が解れた。

 

「よ、よかった……」

 

 先生については反対するわけがないだろうとわかっていたが、ハスミはどう思うかわからなかった。というのも、まずこの提案がまだまだ未熟であることと、初めて会った時のことがあったからだ。

 

 初対面の時、ハスミの色んなところがでかいことやあのスリットの色気に心の底から驚き、またまじまじと見てしまったのだ。隠す気もない堂々としたものだったと、後から先生に教えられた。もちろん、すぐに平謝りをした。ハスミの怒気が高まるのを感じたから土下座もした。この時は先生が間に入って収めてくれたが、以来、自分に対する態度が厳しいように感じていた。自業自得とはいえ、気まずかったし、肩身も狭かった。

 

 そうしたことがあったため、中野はハスミに嫌われたと思っている。だから手厳しく指摘されるのではないかと恐れていた。だから彼女の言葉を聞いて、ほっとして胸を撫でおろしたのだ。本当の正念場はこれからなのだが。

 

「ですが、一つ疑問があります」

 

 中野はスッと立ち上がって姿勢を正した。

 

「はじめからトリニティを参画させる意図を教えてください。先にD.U.で成果を出して、それをもって提案した方が良いのでは?」

 

 たしかに、人を説得する時に先例を示せることの利点は大きい。だが、中野は、そんな悠長なことはしてられないと考えていた。

 

 まず前提として、この政策は、土台作りだけでも多くの時間と資金を要する。つまり、余裕が必要だ。そしてまた、トリニティは今後、その余裕が失われる。エデン条約編だ。その前には基礎を終わらせなければならない。

 

 加えて、エデン条約編がいったいいつのことなのか判然としないことも中野を焦らせた。ストーリーの前後関係から、夏以降の話であろうことは予想できる。しかし一年後というわけでもないだろう。おそらく、あと半年あるかどうか。

 

 こういったことについて、実務経験はない。どんな段取りで、どれだけの予算で、どう手段を講じるべきか、全て知らない。だがそれでも時間がないことはわかる。とにかく急ぐべきだ。

 

 そしてこれは、ゲーム知識だからそっくりそのまま語るわけにはいかない。

 

「キヴォトスといっても、各自治区で風土がかなり違いますよね。ゲヘナとトリニティの違いがいい例です」

 

 だからこそ仲たがいをしている。

 

「ですので、一つのデータでは足りません。比較対象が必要です。そしてそれは、なるべく同時期に同じやり方で比較できるようにしなければ、少なくとも統計資料は意味を成しません」

 

 例えば、日本、アメリカ、フランスの犯罪統計の数値を単純比較することはできない。なぜなら、それぞれの国で犯罪の構成要件が異なるからだ。噛み砕いて言えば、何をもってして犯罪とするかという基準が違うのだ。

 

「それぞれの差異を明らかにし、理解することは問題を解決するにあたってとても重要です。そのプロセスを踏まない評価など、取るに値しない単なる印象論です」

 

 これは、自戒でもある。そして同時に、思い込みの激しいハスミに向けた言葉でもある。彼女はゲヘナ憎しが強すぎるし、故に偏見がある。そして後に桐藤ナギサの猜疑心を煽った。それを思えばこれぐらいの小言は許されるだろう。

 

「わかりました。ですが、トリニティでも行うとなるとティーパーティーの承認が必要です。そのために面会するにしても、すぐにとはいかないでしょう」

 

「ええ、なのでそこまでは求めません。ハスミさんからティーパーティーに報告してくれればと。もちろん、今の内容のままじゃお話しにもならないので、もう少し自分で準備しますし、連邦生徒会の評価を聞いてから判断するのが良いとは思います。いかがでしょう」

 

「その方が私としても助かります」

 

「ありがとうございます。では、先生、連邦生徒会へのアポ、お願いします」

 

「うん、任せて!」

 

 早速、先生は七神行政官に連絡をする。一方で中野はハスミと向き合う。

 

「ふう……息がつまりそうだった」

 

 言うとハスミは少しむっとした。

 

「そんなに威圧的に見えましたか」 

 

「ああいや、そうじゃない」中野は慌てて否定する。「これは俺が気負いすぎているってだけだ。先生はともかく、ハスミはもっと厳しいもんだと思っていたから」

 

「それはつまり、威圧感があったということですね」

 

「あっ、いや」

 

「ふふ、冗談です」

 

 ハスミは口に手を当てて朗らかに笑った。

 

「先ほども申し上げましたが、先例があることの意味は大きいと捉えています。環境が違っても効果があるかどうかは、これから検討すればいいだけです。

 そしてなにより、正義実現委員会の一員として、秩序安寧のためであれば、できる限りのことをするのは当然のことです。例えそれが、徒労に終わろうとも」

 

「それは、頼もしいな」

 

 言って、中野は執務室を後にする。

 

「できることは、しないとな」

 

歩きながらスマホの連絡帳を開き、電話をかける。

 

「や、久しぶり。いきなりだけど、頼まれてほしいことがあるんだ。いいかな?」

 

 

「うぷ……おえ……」

 

 連邦生徒会のおわす高層ビル、サンクトゥムタワー。そのとある化粧室の洗面台で、中野はえずいていた。

 

 今日、いよいよ、連邦生徒会に自身の提案をする。その時が刻一刻と差し迫まっている。それに怯懦し、身体の震えが止まらない。横隔膜が肺を圧迫する。

 

 今の自分でもできることはしてきたつもりだ。だがそれでも、いわば国政府とも呼べる連邦生徒会を納得させられるほどの完成度になったとは思えない。頼みの根拠といえばかつて見た地球という資料の記憶。犯罪白書も、国の政策も、必要なデータは全て、世界という壁の向こう側にある。

 

 キヴォトスのことであればいい。だが比較対象である地球の具体的なデータがない以上、大部分は抽象的にならざるをえない。仕方のないことではあるが、致命的でもある。

 

 それとなくユウカに予算がどれぐらい必要になるかを訊いたら、まず間違いなく億単位は必要とのことだった。わかってはいたが、会計の専門家に言われるといっそう重く感じた。

 

 化粧室の扉がノックされる。

 

「中野くん、大丈夫? そろそろ行かないと」

 

 口をゆすぎ、少し乱れた身だしなみを整える。

 

「大丈夫。今出る」

 

 扉の目の前にいた先生は、とても心配そうだった。

 

「顔色が悪いよ。辛いなら、私に任せてもいいんだよ?」

 

「そういうわけにもいかない。発案者が欠席することは礼を失する」

 

「でも」

 

「いいんだ、先生。教え子の挑戦だと思って、見守ってくれ」

 

 先生は中野の手を取り、まっすぐに目を見た。

 

「わかった。でも、無理はしないで」

 

「大丈夫だ、きっと」

 

 そう自分に言い聞かせた。

 

 会議室の末席。中野は先生の隣に座って、会議の様子を静観していた。

 

 中野のプレゼンのためだけに連邦生徒会の幹部が集まったわけではない。そんな暇はないが、定例会議と、そこでの治安の協議は欠かせない。中野はその時になってようやく発言権を得る。

 

「それでは次は……シャーレの、中野享吾さん」

 

「はい」

 

 中野はスクリーンの前に立った。

 

「みなさんはじめまして。中野享吾と申します。本題に入る前に謝辞を述べさせてください。

 シャーレの職員として雇ってくださり、ありがとうございます。どこの馬の骨とも知れぬ人間に、このような身分をくださったおかげで、今、こうして健康に日々を過ごせています。

 改めて、深く感謝申し上げます」

 

 中野は深くお辞儀をする。

 

「それでは本題の、不良生徒の救済処置の必要性についてお話しします」

 

 まず先に、根拠となる具体的なデータが、外の世界と断絶されていることで入手できないこと、そのためある程度、抽象的な話になってしまうことは断っておかなければならない。また、ゲヘナは特殊すぎるため除外すること、外の人間は銃弾一発で死ぬため、銃の取り扱いはかなり厳しく、その使用には制限が大きいことは念頭に置かねばならない。

 

 キヴォトスにおいて銃の発砲というのは実に軽い行為だ。もちろん、意味もない発砲が危険行為であることは共通認識だが、それでもやはり軽い。その件数の多さから日本で例えるなら、窃盗が感覚としては近いだろうか。具体的には、虚空に向かって一発だけ発砲することは、日本でいえばうまい棒一本を万引きするのとそう大差ない。

 

 どちらにも共通して言えるのは、ピンからキリの犯罪行為が行われるには何かしらの背景があることが多いことだろう。中には愉快犯的に行為に及ぶ者はいるし、キヴォトスでは日本の窃盗以上にその割合は高い。とはいっても、その数は全体の三割を超えない。逆に言うと、残りの七割以上には更正の余地がある。

 

「その実態を測るため、実際にブラックマーケットに行ってアンケート調査を行いました」

 

「いつの間に……」と先生。

 

「すまん。だがホシノとシロコに護衛として付いてもらったから、安全対策はしたつもりだ。

 この調査は資料に記載された各種犯罪の項目とそれぞれの動機について質問をしたものです。そのサンプル数は二三十。統計学では母数の大きさにかかわらず、四百以上のサンプルがあれば基本的には有意なデータになるそうですが、これはその半分。おまけにランダマイズされた調査でもありません。情報の妥当性に劣ることは認めます。が、決して参考にならないわけではないと思います。十分に有意です」

 

 不良生徒たちにした質問はいたってシンプル。これまでにどんな犯罪をして、どんな理由があったのか。

 

 その結果、二三十人全員が窃盗および銃の取り扱いに関する法律に違反したことがあると答えた。そこからさらに、重犯罪は十五。薬物所持および使用が二八。詐欺が四十。そして、

 

「売春は、六九。三割です」

 

 会議室にいる全員が顔を顰めた。

 

 ブラックマーケットは犯罪の温床であるが、よく見ると細かい村社会の集合体である。その規模はまちまちであるが、多くの場合、共通しているのは、それぞれに独自の掟があり、得てして身分の提示が求められる。つまり、ここでも身分証は大事な就労道具だ。

 

 しかし、学生という身分を追われた不良に身分証はなく、必然、ブラックマーケットでも仕事に困る。彼女らはその村社会の隙間にたむろし、一つの無法地帯を形成する。その中でよく行わるのが、窃盗の次には売春だった。しかも正規の風俗店ではない。それらは村社会の内側にあり、掟によって身分を提示できない、しかもあからさまに生徒である彼女らを、村社会は歓迎しない。結果、立ちんぼの少女たちの列が出来上がる。

 

 聞き込み調査によってわかったのは、多くの少女たちはやはり経済的困難から非行に走っていること。また、他に理解者も居場所もなく、流れ着いたその場所で仲間を求めていた。傷の舐め合いと、その傷を大人に掘り返され、それに共感され、慰められる――洗脳じみたマインドコントールが裏にあるように見えた。

 

「この結果から、彼女たちに心身共に休まる環境と、適切な教育があれば更正するでしょう。それによって治安が改善されると予想できます。

 これは故郷の話ですが、少年法という法律があります。十八歳以下の少年少女たちには、通常の刑罰とは異なる処置を定めたものです。

 これは未成年の更正可能性を認め、健全な社会復帰を促すことを目的としています。ですが、キヴォトスの法は、まるで大人に対するそれです。おまけに弱者切り捨てのような事後処理。これでは、矯正局という特別予防効果*3を自ら放棄しているようなものです。

 失礼を承知で言います。ここにいる皆さんを含め、すべての生徒は子どもです。能力は故郷の高校生よりも圧倒的に高い。けれど、多くの生徒の精神性はそう大差ありません。未熟なままです。そんな十代が、何の支援もなく立ち直れるものですか!」

 

 突き放された子どもはどんどん悪い方へと進んでいく。かつての自分も経験したことだった。

 

「ですので、不良生徒たちの救済を行うことを提言いたします」

 

 しばらくの沈黙が中野を圧迫する。

 

 聴衆の反応は三通り。先生を筆頭に前向きな様子の数人。それよりも若干数が多い渋い表情の者。そのどちらともとれない多数。

 

「一つ、よろしいですか」

 

 誰よりも先に口を開いたのは、三つ目のグループの、七神行政官。

 

「目的と理念はわかりました。それについては賛同もできます。ですが、資料の通りのことをするのであれば、多くの予算と人員が必要とされることが容易に想像できます。それについての試算はないのですか?」

 

 鼓動が早くなる。

 

「それについては、申し訳ありません。用意できませんでした。参考になるかわかりませんが、具体的なことは言わず概要をミレニアムの会計にそれとなく訊いてみたところ、億単位での予算が必要になるだろうとのことでした」

 

 心の中で祈る。こんな内容でも、どうか、どうか――

 

「先生は、どう思われますか」

 

「私は中野くんに賛成。彼の言う通り、外の世界はそうやって治安を改善させようとしているし、一定の成果もあるからね」

 

 リンは少し考え、

 

「検討する価値は十分にあると思います。足りない部分は今後調整すればいいかと」

 

 その言葉を聞いて中野は、大きく息を吐いてその場にしゃがみこんだ。

 

「よかったあ」

 

 誰からも顔が見えないように深く俯いて。

 

 その後、つつがなく会議は終わり、会議室には先生と中野、そしてリンが残った。

 

「ありがとう、七神行政官。いや、代行と呼んだ方が適切か?」

 

 中野は手を出し握手を求めたが、リンはそれには応えない。元より期待はしていなかったが、ゲームの印象通りではあった。やたらめったらとこういうことをする人物ではないだろう。それに、にべもないし冷徹であるが、その実冷酷ではないことを中野は知っているつもりだ。

 

「どちらでも構いません」

 

 しかしまあ、この人の前にいると自然と背筋が伸びる。これがエリートの風格や威厳というものか。

 

「私からもお礼を言わせて。ありがとう」

 

「そこまで感謝されるようなことではありません」

 

「そんなことはないよ。少なくとも、中野くんにとってはね」

 

 先生とリンが横目で中野を捉える。

 

「会議の前、すっごく不安になったの。手足が震えてた。ちょっと吐いちゃってたみたいだし」

 

「なるべく抑えたはずだが」

 

「ずっと扉の前にいたからね。聞こえちゃった」

 

 中野はため息をつきながら額を抑えた。

 

「なんのために人気のない場所を選んだのか……」

 

 そんな様子の中野に、リンは淡々と語りかける。

 

「それは気負いすぎです、中野さん。もちろん、そうすることが理想的ではありますが、我々でも常々できるとは限りません。抽象的な案がここで出され、それから検討し形にしていくことはよくあることです。それに今回は、別の場所での実績もあるとのことでしたので、なおさら価値があるのではないかと思います」

 

「えっじゃあ今までの心労は」

 

「杞憂だった、ということです」

 

「そうかあ」

 

 なんだか複雑な気もするが、とりあえず一歩進んだ今、そんなことはどうでもよかった。

 

 リンはちらりと時計を確認した。

 

「では、私はそろそろ」

 

「うん、ありがとね、リンちゃん」

 

「その呼び方はしないでください。

 中野さん。この件について、これからどうしていくのか、詳細は後日に連絡します。それまでに知っていることをお伺いすることもあると思います」

 

「ああ。その時は精一杯に協力しよう」

 

「よろしくお願いします。それでは失礼します」

 

 会議室を後にするリンが扉の向こうに消えてから、中野と先生は顔を見合わせた。そしてにっこりと先生に笑顔を向ける。

 

「先生、もしかして、わかってました?」

 

 中野は最近ユウカから教わった「笑顔で威圧」をする。

 

「何のことかな?」

 

「俺がここまで気負わなくてもよかったこと」

 

「そ、そんなことないよ?」

 

 先生の視線が横にそれる。

 

「先生? 俺、会議前に心配してくれたの、ほんっとに、とっても嬉しかったんですよぉ」

 

 ゆらゆらと詰め寄る。

 

「あわわわ」

 

「なああんで言ってくれなかったんですかねええええ!」

 

 先生のぷにぷにな耳を強く引っ張る。

 

「うわああああ成長の機会だと思ってえええ!」

 

「知るかあ!」

 

*1
根拠の序列のこと。レベル6〜1まである

*2
レベル6…経験や専門的な知見に基づく解説。レベル5…事例研究。いずれも妥当性や信憑性は低い。反対に、レベル2…無作為比較対象実験RCTなど。レベル1…レベル2までの論文等をメタ分析して得られた知見など

*3
犯罪者自身が再び犯罪行為を起こさないように教育矯正を行うこと




 分割投稿(1/3)です。
 この後書きを書いている時点ではまだ本話が完結できていないのですが、書き溜め量が二万字を変えたので出してもいいかなと。
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