ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」   作:空見ハル

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ソンネボーイに対する恐怖に足をすくめるウラヌスを引っ張り、西は海に出る。どこへ連れていかれるのかわからないまま長い船旅に溜息を吐くウラヌスだったが、航海の末に見えた景色に思わず声を上げる。


#2-7

「ねえトレーナー、今更だけどどこに向かっているの? もしかして、日本?」

「日本にはすぐ帰る。けれど、その前に寄るところがある」

 

 2週間半ほど海に揺られた船内で、私は船旅の疲れでぐでーっとなりながらトレーナーと話していた。”私が知らなければいけないもう一つの障害”とやらについて、トレーナーはまだ教えてくれない。

 

 おそらく大西洋をいく豪華客船は不便ではなかったけど、それでも船は船だ。一応体力を落とさないために甲板で走り込みをしたりした。勝負服代わりの男物の陸軍軍服にも慣れたものだ。

 あと……

 

「ウラヌス、暇だしターザンごっこでもするか!」

 

 と言って船の甲板の一部を貸し切ってロープを張り、トレーナーが裸ではしゃいだりしていた。どこかおかしくなったのかと思ったからとりあえず蹴っておいた。

 

 ヨーロッパの競技会を回り始めた時もそうだけど、トレーナーが何を思って私をここまで連れてきたのか未だに分からない。いったい、この海の向こうに何があると言うのか。

 

「お、やっと見えてきたぞ! ウラヌス」

 

 トレーナーが甲板から身を乗り出して叫ぶ。どうやら答えはすぐ分かるらしい。

 

 それを見て、私は風にたなびく杤栗毛を抑えながら叫んだ。

 

「自由の女神!」

 

 遠くに、緑の巨大な彫像が立っているのが見えた。持ち上げられた右手には自由の松明、そして左手には平和の象徴とされる板書を持つ、その姿はまるで新しい土地への歓迎者のようにも見えた。

 船が港に近づくにつれ、さまざまな船や人々の喧騒が耳に入ってくる。色とりどりの旗が風になびき、新しい音、新しい香り、新しい空気が五感をくすぐった。

 

 初めての、活気。

 ニューヨーク……アメリカだ。

 

 私とトレーナーはクライスラーと荷物を降ろし、再び走り出した。

 途中途中で町に寄り、大西洋とは反対側の太平洋を目指して走った。

 

 ”Los Angels”

 

 陽気な文字でそう書かれた看板に出会ったのは、ニューヨークに着いてから2週間後のことだった。

 

「ねえ、トレーナー!」

「なんだー?」

「もうあれから一カ月以上経ってるけど、本当にここで分かるの? 私が知らなければいけないことが!」

「ああ! もうすぐ見えてくるはずだぞ!」

 

 夜のロスの街は、シルバー・スクリーンの魔法と大衆文化の衝撃の中心であり、少し淀んだ空の下で絶え間なく脈打っていた。クライスラーのオープンカーの革製のシートにもたれかかり、私はトレーナーの運転でブロードウェイ通りをクルージングしていた。ネオンの灯りが通りを彩り、ジャズクラブの生音が路地から聞こえてきた。

 シネマもジャズも知らない私に、この街から何を知ることができるのか、全くと言っていいほど分からない。

 

「ほら、見ろ! ウラヌス!」

 

 クライスラーがウェスタン・ハイツの交差点を曲がったとき、トレーナーは叫んだ。私は助手席から過ぎ去る街の景色をぼんやりと眺めていた。トレーナーの声とともに私の目に飛び込んできたのは、真っ白で巨大な円形の建物の姿だった。

 巨大なアーチが空に映えており、その中央にはトーチのような塔がそびえ立っていた。建物の周囲では、多くの労働者たちが忙しく作業をしており、巨大なクレーンが建物の一部を支えていた。夜だというのに、街の喧噪に対抗するかのように重機のけたたましい音が鳴っている。

 

「! あれって……」

「ああ、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムだ」

 

 トレーナーはクライスラーをコロシアムの傍に止めた。トレーナーと並んで立ち、コロシアムを見上げた。

 

 目の前に広がるのは、圧倒的な大きさを誇るコロシアムの壮大な姿だった。

 工事のための作業灯が建物のアーチや柱に光を投げかけ、その影が地面に長く伸びていた。高くそびえ立つトーチの塔は、まるで古代の神殿のように目を引き付けた。

 

「なあウラヌス、”世界一のウマ娘”ってなんだろうな」

「……え?」

「ウラヌスが跳ぶ理由である”世界一”とはなんだろう?」

 

 コロシアムを見上げてしばらくして、トレーナーは私に問いかけた。

 

「どんなウマ娘になったら世界一なんだろうな。世界で一番高い障害を跳ぶウマ娘か? 世界で一番早いタイムでコースをクリアするウマ娘か?」

「それは……」

 

 何だろう。

 

 私は今まで、誰にも負けず競技会で勝ち続ければ”世界一のウマ娘”になれると思っていた。私をバカにしてきた奴らも文句の一つも言えなくなるくらい、見返すことができると思っていた。

 

 でも、実際にはどうなんだろう。いったい、世界一って……。

 あの覚悟を決めた眼をしたソンネボーイには、そのビジョンがもうあるのだろうか。

 

「私は、その答えが”ここ”にあると思っている」

「ここ……コロシアムに?」

「ああ。今から2年後の1932年。何があるか分かるか」

「……! もしかして!」

「ああそうだ、”オリンピック”だ」

 

 そうだ。1932年はオリンピックイヤー。

 その舞台がここ、ロサンゼルスだ。

 

 きっと今コロシアムで行われている大工事も、オリンピックに向けたものなんだろう。

 

 オリンピックといえば世界の競技の祭典。

 

 ……そうだ。

 

「思い出した!」

「うおっ、なにがだ?」

「私が実家のフランスを出た時のこと」

 

 そうだ。イタリアに来て、初めて競技会に出て、皆にバカにされて、トレーナーに出会って、ヨーロッパを転々として……目まぐるしい日々の中で忘れていた。

 

 私が最初に障害を飛越した日のこと。

 

 夏の日、いつものようにポストに入れられた新聞紙に載っていた記事。

 

 1928年 アムステルダムオリンピック。

 

 隣国・オランダのオリンピックに向けて書かれた記事だった。

 

 期待されていたフランスの名トレーナー・ピエールと、ウマ娘・パピヨンのコンビの写真。

 力強く、でも美しく、世界で活躍する人バ。

 

 素敵だと思った。かっこいいと思った。自分もいつかこんな風になりたいと思った。

 

『お父さん、お母さん、私、障害バ術のウマ娘になりたい!』

 

 両親の前でそう叫んだのは、新聞記事を読み終えてすぐだった。

 

 ”何を言ってるんだ。お前はうちの農家を継ぐんだろう?”

 

 ”バ術ってね、とっても大変だし危険なのよ?”

 

 両親は当然反対した。

 この実家の田舎で平和に暮らせるのなら幸せじゃないかと。

 昔から人よりも体が大きい私は軽快なスポーツマンになるのは無理だとも言われた。

 

 私はその日、一晩考えた。

 

 本当にこのままフランスの田舎で生を終えるのかと。

 こんな私は、新聞に載っているようなきらきらと輝くウマ娘にはなれないのかと。

 

 そんなことはないはずだ。

 

 体は大きいが体力には自信がある。むしろ体が大きいから歩幅は大きいし有利に違いない。レースウマ娘になれるほどではないけど、足だって遅くない。

 それならあとは、私の気持ちだけだ。

 

 夜中、私はがむしゃらに飛び出した。

 

 当然不安はあった。衝動的なものだと自分でも分かっていた。”当たり前”の人生への恐怖からくる、少女の時代特有の行動なのかもしれないとも思った。

 でも、それもこれも全部振り切って、私は走って、跳び越えた。

 

 実家の柵の障害、新しい人生へと向かうための最初の障害を。

 

 いつか、自分もあの記事のウマ娘……オリンピックに出ることができるような、ウマ娘になるために。

 

「……トレーナー、分かったかもしれない」

「お? ”世界一のウマ娘”についてか?」

「ううん、それはまだ分からない。”世界一のウマ娘”が何なのか。もしかしたら、それに明確な答えなんかないのかもしれないけど……」

 

 でも、一つだけわかったことがある。

 

「私の”憧れ”は、”ここ”にあったんだ」

 

 オリンピックだ。

 

「はは、やっぱりウラヌスは、オレに似ているな」

「そう?」

「ああ。オレもだよ。オレが知っている”世界”はここにある」

 

 トレーナーはコロシアムに手を伸ばす。まだ掴めないけど掴みたい夢がそこにあるんだと言うように。

 

「アムステルダムにはオレの恩師が参加していた。でもダメだった。ドイツにチェッコ、スペインにポーランド。フランスにスイス、オランダ。日本はボコボコにされて帰ってきた。オレが知る中で一番にバ術が上手いと思っていた人たちが手も足も出ずに帰ってきた。だから、今度はオレがオリンピックで勝って、日本の軍人として、バ術家として、世界一になるんだと。それが責務だと思った」

「……だから来たんだ。ヨーロッパに」

「ああ。そしてウラヌス。お前と出会った。これは運命だ。だからウラヌス、改めてお願いしたい」

 

 トレーナーはにやりと笑いながら、私に手を差し出す。

 

「オレと目指してくれないか。1932年、ロサンゼルスオリンピックの金メダルを」

 

 きっとこれは最終確認なのだろう。ヨーロッパを飛び出して、私は文字通り世界で戦うことになる。ピネロロからヨーロッパ全土どころの話じゃない。

 

 この男は、そんな大冒険の相棒に私を選ぼうというのだ。

 

 ……まったく、バカな男だ。そんな冒険に、片田舎から出てきた私を選ぶなんて。こんなの、答えは決まってるじゃないか。

 

「そんなの当たり前でしょう。どうせ、後戻りなんてできないんだから」

 

 ピネロロから出てきた時点で、私は地獄の果てであってもついていくことは決まっている。好き嫌いや良い悪いに関わらず、そうするしか道が残されていないんだから。

 

 私はトレーナーの手を強く握った。

 

「よし、それならこれをやろう」

 

 トレーナーはクライスラーの荷物入れにあったものを私に渡した。両手で持たなければいけない大きめのトランクケースだ。

 

「開けてみろ。これから必要なものだ」

 

 必要なもの?

 疑問に思いながらも、そのトランクケースの金具を手こずりながら外した。

 

「! これっ……!」

「ああ、やっと本国から届いたんだ」

「これから必要なものっていうか……もっと早く必要だったものよ!」

 

 トランクケースの中身。それは”勝負服”だった。

 

 カーキ色で詰襟。繊維が太く少しざらざらとしている。でもウエストは絞り、シャープな形状。ズボンは少し膨らみがあるけど邪魔にならないくらいで動きやすそうだ。トレーナーに借りていたものより窮屈ではなさそう。

 軍帽の天井部分にはワイヤーが通されていて、トレーナーのと同じで台形に見えるようになっている。派手で目立つけど、なんとなくこれを被ると自信が持てそうな気がする。いつも自信たっぷりなトレーナーと似た帽子だからだろうか。

 

 勝負服の色や形はトレーナーの軍服と大きな違いはないけれど、随所随所に走り跳びやすいように工夫が凝らされている。トレーナーのおさがりの軍服じゃない。正真正銘、ウマ娘のための勝負服だ。

 そして……

 

「良いだろう。特注のブーツ。エルメスのだ」

 

 黒く鏡のように磨かれたウマ娘用の競技用ブーツ。銀に光る蹄鉄がしっかりと打ち込まれている。

 今までイタリア陸軍時代のブーツを使いまわしていたけど、もうその必要がない。夜の街灯に照らされて光るブーツは、競技で走る私の姿を思い起こさせた。

 うん。最高だ。

 

「ありがとう、トレーナー!」

 

 勝負服は、ウマ娘にとって不思議な力を引き出すという。

 そしてバ術ウマ娘は、トレーナーが着る軍服にそっくりな勝負服を纏い、トレーナーと心を一つにすると聞いたことがある。

 

 私はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムの会場で、この勝負服を着てオリンピックに出る自分とトレーナーの姿を想像した。日本のウマ娘として、日の丸を振って沢山の人に応援され歓声が響く中で走る光景を。

 

「私、どんな勝負でも勝てそうだ」

 

 きっとそれを現実にして見せよう。この勝負服を着て。

 

「それじゃあ行くか! 改めて、世界一を目指して出発だ!」

「次はどこへ?」

「決まっているだろう。ほらっ、沈んだ太陽を追いかけるぞ!」

 

 トレーナーはそう言って、西の方……太平洋に指を指す。

 

 

「日本だ!」 

 

 

 私がなりたい”世界一のウマ娘”。

 それがいったい何かはまだ分からない。

 

 やることはまだまだたくさんだ。

 

 過酷なトレーニングが待っているだろう。

 日本という地にも慣れなければいけない。

 あと、ソンネボーイのことも。

 

 でもその先。

 

 私とトレーナーの”世界一”は、オリンピックにある。

 

 きっと。そう信じている。

 それが分かっただけでも大きな一歩だ。

 

 私はやっと、本当の意味で”世界一”に向けて走り出したのかもしれない。




※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第二話はこちら
(第二話読後の閲覧がおすすめです)

#2「西とウラヌスの出会い、ヨーロッパ転戦」
https://note.com/hal_sorami/n/n45cc64407b2c
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