ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
ボクはソンネボーイ。
イマムラ……トレーナーにイギリスで拾われたウマ娘。
トレーナーは怒鳴ったりしないし教え方が上手だから好きだ。
おかげで、ボクはなんの問題もなく国際競技会に出て、良い成績を残すことができた。
ナポリ、パレルモとイタリアを転々として、4位が2回、7位が1回。
国際競技会に一度も出たことがないボクがだ。
でも、一番はやっぱり、トリノのヨランダ王女杯(ヨランダ・カップ)。
イタリアの国際競技会の中でも大きな大会。そんな大会で勝ったのは素直に嬉しかった。いつもみたいにぼーっとしていたせいで、“典雅そのもの”と言われたヨランダ王女さまに会えてなかったのは残念だったけど。
“これはソンネ、君のものだ”
でも、大会の後、トレーナーからもらった少し重い優勝カップと、きらきらと光るブルーリボンをもらえたのは嬉しかった。まるでボクとトレーナーだけの表彰式みたいで。
でも、まだまだ。
ボクはまだ、ここで満足してはいけないんだ。
……それはとにかく、ヨランダ王女杯で優勝できた後、イタリアを出る前にトレーナーに両手を合わせてあるお願いをされた。
“すまんソンネ、明日、出かけてやってほしいんだ!”
トレーナーが手を合わせてお願いしてくれた。なんでも、ローマの町をまわってほしいんだという。たしかに、ボクらがこっちに来てから、観光なんてしたことはなかった。ボクもそんな暇があったらトレーニングをしていたかったから。
でも、ボクとトレーナーはヨランダ王女杯で優勝したんだ。それくらいのご褒美があっても良いのかもしれない。
だからボクは来た。
ローマのスペイン広場。
休日の昼間。大人たちがワインを飲んで談笑して、子供がジェラートにはしゃいでいる。とても楽しそう。皆、休日を楽しもうと着飾っていてきらきらしている。
せっかくのお出かけだからボクも少しおしゃれをしようと頑張ってみた。
コットンのプレーンブラウス。スカートは落ち着かないから短ズボン。
いつも着ているのは練習用の軍服か勝負服くらいでファッションのことは何もわからないけど、前にトレーナーが似合っていると言ってくれたから着てきた。
でもどれだけ着飾っても、競技会を転々としていつもトレーニングをしているようなボクとは違う休日の昼間の世界は、なんだか少しだけ居心地が悪い。
広場の時計を見るともう待ち合わせの時間は過ぎているみたい。
トレーナーはまだかな。
そわそわしながら待っていると、遠くから走ってくる影が見えた。
やっと来た。トレーナー……
「お、お待たせしましたー!!」
……じゃない。
来たのは、私に似た鹿毛で小柄のウマ娘。
ピネロロでは見たことがないし、イタリアのウマ娘ではない。ニットのリブドレスで着飾っているけど、不釣り合いな競技用のブーツを履いている。どうやらバ術ウマ娘ではあるらしい。
「あのっ、ソンネさん! 今日はご一緒してくださってありがとうございます!」
「……だれ?」
「えぇっ!?」
驚きたいのはボクのほうだけど。
話を聞いてみると、どうやら彼女はオーストリアのバ術ウマ娘で、ボクが出るはずだったヨランダ王女杯の表彰式に代わりに出てくれたらしい。そしてこの子は表彰式に出る代わりに、ボクに合わせてほしいとトレーナーにお願いしたみたいだ。
「あっ、私、”シンドバッド”って言います! “シン”って呼んでください」
シンというらしい。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
なんだか緊張しているらしく、シンはもじもじとしてボクを上目遣いで見てくるだけだ。……ボク、どうしたら良いんだろ。
「……ん」
「え?」
「食べる? ジェラート」
スペイン広場の噴水の前に出ているジェラート屋さんを指さす。
とりあえず二人分のジェラートを買って、食べながら歩くことにした。
「あ、あの、ありがとうございますっ。奢ってもらっちゃって」
「ううん。トリノの表彰式、出てくれたお礼」
シンの分も買った。
「ちめたっ、でもおいしい」
「・・・・・・」
しかし困った。一緒に出かけると言っても、ボクは口下手だしあまり話すこともない。
いやそもそも……
「ねえ」
「は、はいっ」
「どうしてボクと会いたかったの?」
「そ、それはっ……」
「?」
「憧れ、ですから。ソンネさんは」
ジェラートで顔を隠すようにしながら、ネロは恥ずかしそうに小さな声で言った。
「ボク以外にも強いウマ娘はたくさんいるよ」
「で、でも、私は、あのヨランダ王女杯で見た時、その、一番”かっこいい”と思ったんです」
「そうなんだ」
「はい。……私は、あんな風には跳べませんから」
そう言ってシンは自分の足先を見るように俯いてしまった。
そこでボクは気がついた。シンが履いている競技用ブーツがよれても汚れてもいないことに。
「シン、もしかしてバ術競技、始めてあまり長くない?」
「え、あっはい。長くないどころか、競技会にすら出ていません。実はヨランダ王女杯も、見に来ただけで参加してはいなかったんです」
「そうなんだ」
「はい。でも、よく分かりましたね。私がバ術ウマ娘だって」
「その靴、新品みたいにぴかぴか。それに、普通出かける時はあまり履かない」
「あ、あはは……少しでも履いて慣れておこうと思って」
でも、それならさぞ困惑しただろう。
障害飛越の大会にまったく参加したこともないのに、いきなり競技会の表彰式に上げられただなんて。
「……私、障害が怖いんです。ううん、障害だけじゃない。走ることさえ」
シンは情けないといった様子で自嘲気味に笑った。
「ソンネさんは凄いです。あの迷いのない走りに飛越。どうやったら、あんな風に飛越できるんですか?」
「別に、練習通りやっただけ」
「……それでも凄いです。私は、どれだけ練習しても、あんな迷いのない走りはできませんでした」
「……バ術を始める前、何かあったの?」
「レースに出ていたんです。前までは」
ボクはシンの脚を見た。
なるほど、たしかにボクよりも遥かに鍛えられた脚をしている。これは、レース場で速く走るために発達したレースウマ娘の脚だ。
「でも、結果を残せませんでした。将来を期待されてレース場に出てみたら、全く勝てなくて。どれだけ練習しても練習しても、勝てなくて。私の契約金、10000マルクもかかったんですって。笑っちゃいますよね」
レースウマ娘のトレーナー契約料は、バ術ウマ娘のそれとは桁違いだと聞く。けれど当然高いお金で契約したウマ娘が走るとは限らないのは、レースもバ術も変わらない。
シンも、将来を金額として表して期待され、走った。
その結果は……彼女の言う通りなんだろう。
「結局、私はレースでは役立たずで終わって、2000シリングくらいで軍に引き取られたんです。でも、どうしても障害が怖くて、跳べなくて……」
ウマ娘は古来から、自然にある沢山の障害を跳びながら暮らしてきた。
でも今は、ウマ娘なら誰でも障害を跳べるというわけではない。高いハードルを跳び越えるというのは、誰でもできるわけではない。
だからこそ障害バ術のウマ娘は人々から憧れの対象になるんだと思う。
「だから私、ソンネさんに聞きたかったんです。どうしたら、あんな風に跳べるようになるのか」
「それは……」
どうしてかと聞かれるとボク自身もどうしてか分からない。
飛越の時の緊張とか、走るときのフォームとか言えることはたくさんあるけど、”ボクみたい”になるにはどうしたら良いのか。
「……あれ! ソンネさんじゃない!?」
シンの疑問にしばらく黙っていると、遠くから声が聞こえてきた。2人のウマ娘が”きゃー”と言いながら駆け寄ってくる。
「あのっ、ソンネさんですよね!」
「そ、そうだけど」
ヨランダ王女杯に勝ってから、こうしてボクの”ファン”だという人から声をかけられることがよくある。ヨーロッパでバ術の大競技会で一位になるということは、スターになるのと同じことだ。
「あの、私、あなたのファンで! 良かったらこれからダンスパーティーがあるんですけど、一緒にどうですか!?」
……げ。
ダンス。ボクもトレーナーもこれだけは苦手だ。
バ術とパーティーは切っても切り離せないもので、パーティーで開かれる社交ダンスは礼儀として参加しなければいけない時がある。ただボクはダンスが下手だし、何が楽しいのか分からない。
「……た、助けて」
涙目になってシンに助けを求める。シンは”あはは……”と困ったように笑った。
……結局、ボクとシンは、”ファン”の子たちに引っ張られるようにしてコロッセオの近くで開かれるダンスパーティーに参加することになった。
夜が近づくと古式の闘技場は赤くなりさらに壮厳さを増した。まるで魔法のようだったけど、その麓では歌と踊りのもう一つの魔法が広がっている。
トランペットやサックスの音色が響く。一方で、エレガントなドレスを来た女の人たちとタキシード姿の男の人が、ダンスフロアの一角で情熱的なタンゴを踊っていた。
「わ、あわわっ……」
「大丈夫ですよソンネさん。私の動きに合わせてくれれば」
もちろんボクはそんな速い踊りなんかできないから、年配の老夫婦と交じってゆったりとしたワルツのステップを一つ一つたどたどしく踏んでいる。
最初は全力で断ったけど、ボクはこのパーティーのスペシャルゲストらしく、踊らざるを得なかった。
「ふふっ、余裕がないソンネさん、なんだかかわいいです」
「むぅ……」
幸いなことに、シンはダンスの嗜みが多少あるようで、ゆったりとしたダンスなら踊れるらしかった。だからボクはシンとペアになって頑張ってついていくことにした。
”ファン”の子たちからもダンスに誘われたけど、ボクのダンス下手に突き合わせるわけにもいかないから断った。残念そうにしていたけれど仕方がない。
「シンはダンスが上手だね」
「そ、そうですか?」
「うん。堂々とそんな風にダンスができるなんて凄い」
「え、えへへ、普通ですよ」
「ううん、ボクはそんな風にできないから」
ダンスは苦手だ。上手くステップが踏めないし、そんな姿を皆に見られるのは正直恥ずかしい。でも、シンのステップは軽やかで綺麗だ。
「シン、さっきの質問の答えだけど」
「?」
「ボクみたいに跳ぶにはどうしたらいいのかって」
「はい」
「たぶんやめた方が良い」
「え、そ、そんなっ!」
シンはボクとくるくる回りながら、泣きそうな顔をした。
「あ、そうじゃなくて、”ボクみたいになる必要はない”ってこと」
「え、でも私は……」
「ボクは、”こうすることしかできない”。がむしゃらに、周りを何も見ないで、ひたすらに跳ぶことしか。ボクには、そうすることしか道が残されていないから」
ボクはただひたすらに跳んでいるだけ。”世界一”の舞台に向けて。
それを誰かが真似しても、上手くいくとは限らない。いやそれどころか、ボク自身もいつか……。
でも、それでもボクは走り続けるしかないんだ。
ボクは、”そうするしかない”から。
「シンは凄い。レースから外れても、障害が怖くても、それでもまだ諦めていない。きっとこれからどんなウマ娘にもなれる。障害バ術の世界に入って、ボクみたいになって……それだけが道じゃないと思うんだ」
「道、ですか」
「うん。ひとつ言えるのは……」
気がつけば、ゆったりとしたワルツはもう終わりに近づいていた。静かな曲だけど、だんだんと盛り上がりを見せていって、周りで踊っている老夫婦のステップにも熱が入っていった。
「ボクよりダンスが上手い」
透き通るようなサックスの音で曲は終わった。
ボクをリードしていたシンのステップも、曲に合わせてぴったりと止まった。
柔らかな拍手に包まれる中、老婦人たちは疲れた足を休めるためにテーブルに戻っていった。
「シンはきっと、誰かに憧れなくても、良いウマ娘になれるよ」
いつの間にかフロアの一角の熱狂的なタンゴも終わり、会場にはメロウな曲だけが残っていた。
パーティーは終わりだ。ボクもトレーナーのところに帰らなければいけない。
ボクはシンと一緒にローマの薄明かりの中を歩き始めた。
「あ、あの、ソンネさん、私はここで」
昼間とは打って変わって穏やかな噴水の音だけが響くスペイン広場で、シンは少し名残惜しそうに言った。
「ありがとうございました。本当に、お会いできて良かったです」
「うん。シンは、これからはどうするの?」
「このまま競技会を見てまわって、オーストリアに帰ります。私も立派なバ術ウマ娘になるために頑張らないと」
「そっか」
「ソンネさんのお陰で少し自信がつきました。だから早く、臆病な私を変えたいんです」
少し明るくなった笑顔。まだまだ弱気な笑顔を浮かべるシンも、いつか世界で戦うウマ娘になるのだろうか。
「それなら、名前、変える?」
「……え?」
「自分を変えたいなら、まず形から入ってみるのも大事」
レースやバ術のウマ娘は、戸籍上の本当の名前とは別に名前を持つ。
自分で名乗ることもあれば、トレーナーがつけてくれることもある。レースやバ術の世界に入るときに、戸籍上の名前以上に生涯通して使うことになる大切な名前を決める。
中には、レースからバ術の世界に移るときに名前を変えるウマ娘もいると聞く。
「た、例えば、どんな名前が良いでしょうか」
「うーん……」
ボクはそういうネーミングセンスが良いほうではないから他の人に考えてもらうのが良いと思ったけど、シンについては、不思議とすっと思い浮かんだ。ボクの頭の中には、コロッセオの近くにあるという黄金宮殿の話が思い浮かんでいた。
「”ネロ”……とか?」
「ね、ネロ? あの、ローマ皇帝の?」
「うん」
「暴君だったと聞きますけど……」
「臆病な自分を変えたいなら、それくらい思い切った方が良い」
「そういうものでしょうか?」
「そういうもの」
シンは少し戸惑いつつも、”ネロ”という名前を何度も呟いていた。それが気に入ったのか、だんだんと笑顔になっていった。
「ネロ……気に入りました!」
夜のスペイン広場。シン……いや、ネロは笑顔で手を振りながらボクと別れた。
その後、ボクはヨーロッパ中の障害飛越の競技会を転々としたけど、そこで彼女に会うことはなかった。
噂によると、ネロは障害飛越の世界から離れたという。
バ術の世界を離れたのか……そう思ったけど、違うらしい。
後から聞いた話だけど、3年後の1933年。
ウィーンのヴィルヘルム兵舎のドアを叩くウマ娘がいたという。
「し、失礼しますっ」
少し自信なさげに入ったウマ娘は、伝統ある高貴なオーストリア軍服を着たトレーナーを前に、勇気を出して敬礼した。
「”バ場バ術”の世界に入りたくて来ました、”ネロ”です! あの、ポダジスキーさんでしょうか」
「おお、君か」
優しい笑顔を見せる”ポダジスキー”と呼ばれたトレーナーは立ち上がり、ネロに手を差し出した。
「ようこそネロ。君は、どんなウマ娘かな?」
「わ、私は……」
ネロは言葉に詰まった。バ術ウマ娘として、なにか特別なことを言おうと思った。けど出てこなくて、ネロは何とか絞り出すようにして答えた。
「だ、ダンスが得意です!」
まだまだ新品の競技用ブーツを履いた”ネロ”。
「ふふっ……よし、合格だ!」
古びた軍服を着た、オーストリア屈指のバ場バ術トレーナー・”アロイス・ポダジスキー”。
2人がヨーロッパの大勢のウマ娘を救うことになるのは、また別のお話。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第二話はこちら
(第二話読後の閲覧がおすすめです)
#2「西とウラヌスの出会い、ヨーロッパ転戦」
→https://note.com/hal_sorami/n/n45cc64407b2c