ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
#3-1
『順境とか逆境とか、貧富とかいふことを苦にするとせぬは、畢竟目的が定まって居るか居らないかにある』
——犬養毅
”””
ウラヌスへ
元気にしてますか?
ピネロロで勝負をしてからはや3カ月。
欧州あちこちからウラヌスの活躍は耳に届いています。
今、ウラヌスはどこにいますか? 前に活躍を耳にしたのはオランダの競技会だけど、今はどこかな? もしかして、もう海を越えちゃってたりして。
ウラヌスがいつも言っていた”世界一”の夢、その夢にウラヌスが近づいていっているのを嬉しく思っています。
でも、私も負けてはいません。
先日、私はローマで素敵な出会いがありました。
新人の騎兵さんが私の飛越を見て、私のトレーナーさんになってくれたの。
名前はフィリッポニさん。少しおっちょこちょいなところもあるけど、私のことをいつも考えてくれるとても良いトレーナーさんです。
私はトレーナーさんと一緒に、ウラヌスと同じくらい……ううん、ウラヌスを超える”世界一のウマ娘”になる。その時は、また勝負をしよう。
ところでニシさんとは上手くやっていますか?
私がいなくても、ちゃんと朝起きてご飯をちゃんと食べていますか?
ベッドメイキングや洗濯はちゃんとやっている? ピネロロにいたときは、ウラヌスは私が見ていないと面倒くさがってやらない時があるから心配だよ。
あと——
”””
「・・・・・・」
手紙の封をそっと閉じると、海風がページをめくりかけた。もう何通目になるだろう。ナセロからの便りは、ほぼ週に一度は届いている。
彼女の文字は相変わらず優しく、そして少しお節介だ。便箋の後半は、私の生活習慣への心配ばかりで、読むたびに苦笑してしまう。——でも、そこに宿る温かさは、いつも心に残る。
ナセロ、気弱な性格だから寮長には向いていないと思っていたけど、こういう人の生活に口うるさいところがあるし、やっぱり向いていたんだろうなあ。
「ナセロも、ついに見つけたんだ。自分のトレーナーを」
あのピネロロで、隅のベンチに座り込み震えていた彼女が、今はローマで誰かと出会い、飛躍しようとしている。
”世界一”を夢見て——私のライバルであり、友だった彼女が。
ピネロロで最後の対決をしたとき、私は思わずナセロの気迫に圧倒された。
トレーナーを見つけたナセロは、きっとこれから強大なライバルになるだろう。
「どうした、ウラヌス?」
このトレーナーと一緒に。
「ううん、ナセロからまた手紙が届いたから、涼みながら読んでいただけ」
私たちは今、海の上。アメリカと日本を結ぶ客船の甲板からは、どこまでも広がる水平線が見えた。欧州からアメリカ、そして今度は日本へ。私にとって、ついに”家”となる地で、新たな挑戦が始まろうとしている。
『オレと目指してくれないか。1932年、ロサンゼルスオリンピックの金メダルを』
ロサンゼルスのコロシアムの前でトレーナーと誓った、オリンピックの金メダルを取るために。
「ねえトレーナー、日本に着いたら、すぐにトレーニングを始められるのよね?」
「ああ、手配はすべて済んでいる。騎兵学校の補充部に話も通っているし、寮も用意してある。すぐに準備に入れるはずだ」
「うん!」
私はナセロからきた手紙をもう一度読み返した。
私の欧州での唯一の知人と言って良いナセロ。彼女にはまだ、私がロサンゼルスオリンピックを目指していて、これから日本でトレーニングだということは言っていない。日本に着いて、私が胸を張って”日本陸軍のウマ娘だ”と言えるようになったら手紙を送る予定だ。
ナセロはイタリアで、私は日本で。オリンピックで対決する時に向けた、挑戦状とするために。
「ねえトレーナー」
「うん?」
「これから、よろしくね」
「ああ!」
トレーナーが言うには、習志野ではすっかり準備ができている予定らしい。まずは習志野の生活に慣れて、日本語も覚えなくちゃ。
そしてトレーニングをして、オリンピックの代表選手に選ばれるんだ。
そうわくわくしながら、私はトレーナーと一緒に日本の大地を思い浮かべて、海の先を見た。
——そう思っていた。新しい我が家に着くその瞬間までは。
※
1930年10月、日本。
私は昭5式と呼ばれる日本陸軍の軍服に袖を通し、チェッコ式の軍帽を被った。勝負服とはまた違う重みのある装いに、少し背筋が伸びる気がした。トレーナーの車の助手席で、私は希望に満ちた表情を浮かべていた。
だけど、その希望は習志野の門をくぐりった後、すぐに打ち砕かれる。
「バカモノぉ!!!!!」
習志野 日本陸軍騎兵学校。
いわば日本のピネロロ。これから私が暮らすことになるはずの場所。
しかし着くなりそこの校長室に呼び出された私とトレーナーは、並んで下を向いていた。その後ろでは、イマムラが居心地悪そうに立っている。
「西、貴様、ウマ娘を学校に預けるのに、出向いてきて礼をつくすこともなく、書類だけを突き付けてくるとは何事だ!!」
私は日本語が分からない。トレーナーともお互いにカタコトの英語で会話している。
それでも、トレーナーの肩がすくむ様子を見れば、私が原因で怒られているのは明白だった。
その迫力にトレーナーも縮こまることしかできていない。人の物を盗んできた子供のようだった。
「まあまあ、柳川(やながわ)校長。名バが来てくれたことですし、ここは穏便に……」
流石に気の毒に思ったのか、トレーナーに泣きつかれて一緒に来ていたイマムラが助けに入る。
「何を言うか。ウマ娘を口約束だけで寮に住まわせてくれとは、道理が通らんぞ!」
怒鳴られたトレーナーは手を挙げて恐る恐る前に出た。
「いえですが軍バ補充部の後藤大佐には話を……」
「言い訳をするな! こんなことなら、貴様が騎兵学校でバ術をできなくしてやっても良いんだぞ」
「そ、それだけは!!」
「だいたい貴様の原隊はここから40kmも離れた世田谷の騎兵第一連隊だろう。騎兵学校に自分のウマ娘を置いたとして、いつトレーニングをすると言うんだ」
青ざめた顔をしたトレーナーは今にも土下座でもしそうな勢いだ。
私は何がなんだかわからないから、後ろで黙ってしまっているイマムラに事の流れを聞いてみる。
「ねえねえ、話が読めないのだけど、あのおじさんはなんで怒っているの?」
「あの方は、ここの校長だよ。いやね、西君がウラヌス君を騎兵学校の寮に入れることを言ってなかったみたいでね」
レース・バ術に限らず、私たちのような競技に出るウマ娘は、トレーナーとは別に出資者になるスポンサーが存在することがある。言わば親代わりの”ウマ主”とでも言うべき人や組織だ。その人たちが出してくれるお金で私たちは生活費を気にする必要なく日々トレーニングを重ねることができる。
バ術ウマ娘の多くは軍人として騎兵学校に籍を置いているから騎兵学校自身がスポンサーを兼ねている場合が多い。ピネロロにいた頃の私もそうだった。そして、日本での私もきっとそうなのだろう。だから私が着くころには騎兵学校が全部準備してくれていると思っていたけど……。
「まさか私が騎兵学校入りすること……」
「ああ、どうやら西君、学校の中央には口約束だけで、正式な手続きをしていなかったみたいだね」
……なにやってんのよ。
え、私、もしかしてこのままだと日本で暮らせない?
その場に流れる空気は、まるで冬の嵐のようだった。
「失礼。よいですか」
分からないことがいっぱいで頭の中がぐるぐるしていると、突然校長室に男の人が入ってくる。軍服姿だ。軍帽はトレーナーや私と同じチェッコ式だけど、軍服はトレーナーのものとはまた違った加工がされていて、瀟洒な印象を受ける。金線三本の階級章。だが、階級よりも彼の放つ気配が場を支配する。柳川校長もイマムラも、ぴしりと背筋を伸ばす。
「あ、殿下」
「「で、殿下!」」
トレーナーは”やあ”と言うように手を挙げて挨拶をした。
階級章的には校長のが上っぽいけど……ふむ、どうやら只者ではないようだ。雰囲気が違う。
「西さんが欧州から帰られたと聞いて来てみたのですが、いったいなんの騒ぎですか」
「そ、それが、西が欧州からウマ娘を連れてきたのですが……」
校長が”デンカ”にさっきまでのいきさつを話しているようだった。ちらちらと見られてなんだか居心地が悪い。
デンカはふむふむと相槌を打った後、なるほどと表情を変えずに話し始めた。
「それならば、西さんにはできるだけ便宜を与えたらいかがでしょう?」
「あ、いえ、ですが、西は殿下と同じ世田谷の騎兵第一連隊が原隊で習志野には……」
「ええ、ですから、演習時の留守番以外、騎兵学校に来てもらうようにすると良いのではないでしょうか」
「なっ……」
「せっかく良いウマ娘をスカウトしてきてくれたんです。次の”オリムピック”は我が国の威信にも関わることですし、万全の準備が必要ではありませんか」
校長は何か言い返そうとしていたものの、結局は黙り込んで、観念したように頭を下げた。
「……連隊と、相談させてください」
校長のその言葉に、デンカは”うんうん”と満足げな顔をしていた。
どうなることかと思ったけど、騒動は、”デンカ”の一言で収束した。
※
「はぁ、さんざんな目にあった」
「お疲れさま、トレーナー。あんな大人が怒られてるところ、初めて見たわ」
「勘弁してくれ。柳川校長がオレのことを嫌っているのさ」
あのヤナガワという校長は、トレーナーが言うには昔は外交武官で活躍していたすごい人らしいけど、なんでも厳格なカトリックで変にまじめなところがあるらしい。
「それって、トレーナーが不真面目なのも悪いんじゃないの?」
「相性の問題だよ。オレだって真面目にやってきたさ。なんであそこまで嫌うかな」
「心当たりとかないわけ?」
「……東京の街を車で爆走して苦情がきたことと、あと学生時代に宿題を他の奴に丸投げして怒られたことがあったくらいかな?」
なるほど、自業自得だ。
「でも良かったじゃない。”タケダ”のおかげでもめごとも収まって」
「……ウラヌス、あの人のこと、外ではそう呼ぶなよ」
校長室での話し合いの後、”デンカ”は私のところに来て嬉しそうに握手をして挨拶をしてくれた。しかもトレーナーよりも遥かに流暢な英語で。
『あなたがウラヌスさんですね。西さんの言っていたとおりだ。私よりも背が大きいし、バ術に良さそうな良いウマ娘だ』
『ありがとう。あなたは、トレーナーの友達?』
『ええ、そうですね。西さんの部下であり、友人です。西さんにはいつもお世話になっています。”竹田宮恒徳王(たけだのみや つねよしおう)”です。これからよろしくお願いします』
『よろしく。変わった名前なのね。なんて呼べばいいかしら?』
『名前が長いので、よければ”竹田”とでも。その方が普通で良いですから』
『ええ、わかったわ。”タケダ”!!』
私がそう言ったとたんに、校長は慌てた様子で立ち上がり、イマムラは”それはまずい”とでも言いたげな様子でそわそわとしていて、トレーナーもびくっとしたのが気になったけど。
『西さんのこと含め、何かあればいつでもご相談ください。私は、陸軍には多少顔が利きますから』
何はともあれそう言っていたし、問題ないと思う。頼りになりそうな人と知りあえて良かった。
結局タケダが何者かは未だわからないけれど。彼の存在がなければ、今の私はこの国から出ていかなければいけなかったかもしれない。
「まあしかし、騎兵学校の準備自体はできて良かったよ」
私が住むところがなくなるのではと心配したのだけれど、タケダの説得もあり、あのヤナガワ校長は大急ぎで準備を進めてくれた。
寮の寝床や軍への入隊手続きなんかも仮ではあるけど一応やってくれたらしい。
とにかく、オリンピックに向けた準備がついにできるということだ。
「さあ、ここからだぞ。欧州の競技会は前座だ。ここからビシバシ行くからな」
「ええ、もちろん!」
「よし! オリンピックの相棒としてよろしくな! ウラヌス!」
そう、私はトレーナーの”唯一の”相棒として、オリンピックに向けて走り出す——
「……と、”アイリッシュ”!!」
——はずだった。
「はい。 頑張ろうね、トレーナーさん、ウラヌス!」
え。
……誰?
「私は”アイルランド(愛蘭土)”だよ。よろしくね」
いつの間にか私の隣には、私と全く同じ、日本陸軍の軍服を着たウマ娘が立っていた。顔を見るに私と同じ欧州人。
鹿毛の髪を丁寧に結い上げ、ニコニコと流暢な英語を喋りながら、私の手を取って握手をしていた。
「オレとオリンピックに出ることができるのは、二人のどちらかだ。本番の直前には決めるから、最後まで気を抜かずに頑張れよ!」
そう言って手をひらひらとさせながら騎兵学校を出ていくトレーナー。
……え? 私はトレーナーとオリンピックに出る気満々だったのだけれど。
長い旅路と大金をかけてトレーナーは会いに来てくれたし、二人で欧州でも良い成績を残したし。
私はトレーナーのオリンピック本命、唯一のウマ娘だと思っていたけど……そうじゃない?
「ちょ、まっ……トレーナー!!」
1932年、ロサンゼルス五輪まで、あと2年を切っていた。
夢への道のりは、波乱の予感に包まれていた。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第三話はこちら
(第三話読後の閲覧がおすすめです)
#3「ロス五輪前夜~名だたるライバルたち~」
→https://note.com/hal_sorami/n/nafff6c634494