ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
バ術。
それは、人とウマ娘が一つになって挑む競技。
ときに親友のように、ときに夫婦のように——
互いを知り、磨き、信じ抜いて、初めて生まれる技と美の結晶。
だからこそ、バ術におけるトレーナーとの絆は、誰よりも固く、深くなる。
だけど、現実はいつも理想の背中を追いかけている。
バ術はトレーナーとウマ娘、ふたりで出場する競技。しかし、トレーナーが一人のウマ娘だけを育てるとは限らない。
勝負の世界において、”最も強い一人”を見極めるため、トレーナーたちは何人ものウマ娘を育て、試し、選び抜く。
そうして”一番”に届かなかった者は、いくら努力を重ねようとも、表舞台に立つことはない。
私やナセロも、かつてはそんな”落ちた者”だった。
バ術に夢を託す人々が思い描く、輝くふたりの姿。まるで恋人のような、いや夫婦のような、運命の相棒たち。
でも現実は、もっと乾いていて、もっと厳しい。
それでも私は思う。だからこそ、あの瞬間は尊いのだと。
競い合い、傷つき、選ばれ、ただ一頭だけが栄光のステージへと駆け上がる。
——そう、アムステルダムオリンピックの、トレーナー・ピエールと、ウマ娘・パピヨンのように。
……そのはずなのだけど。
「なんで”納得いかない”という顔をして私を見ているのかな」
校長室がある学校本部を出ると、高台になっている習志野原を吹き抜ける涼風が頬を撫でた。
私と同じ軍服を着た、欧州育ちのウマ娘。彼女は無邪気な様子で私を覗き込む。
「ううん、なんでもない」
”アイルランド(愛蘭土)”こと、”アイリッシュ”。
かつて”アイリッシュボーイ”と呼ばれていた彼女は、私と同じく欧州から来たウマ娘とのことだった。
生まれはイギリス、育ちはフランス。そして今、日本陸軍所属のバ術ウマ娘。
5分前、彼女が手を引いて私を案内してくれたときから、その元気さに私は少し圧倒されていた。
『ちょっと”センパイ”の私が、騎兵学校を案内するよ 』
どうやら同じ欧州出身のウマ娘がほとんどいない騎兵学校で寂しかったらしく、私と会ってからずっとウキウキしているようだった。
私もありがたくはあった。見知らぬ地で、言葉も文化も違う。そんななか、同じ欧州出身の彼女の存在は、私の心をほっとさせてくれた。
……でも。
「はぁ」
それでも少し残念に思ってしまうのは、彼女が”私のトレーナーの担当ウマ娘”だったからかもしれない。
知っていた。わかっていた。
この世界では、トレーナーが複数のウマ娘を育てるのは当然のこと。
”オレと目指してくれないか。1932年、ロサンゼルスオリンピックの金メダルを”
でも、あの言葉を思い出すと、心が少し痛む。
私はてっきり、唯一無二の相棒になると思っていたのに。
「こーら、そんな溜息を吐かないでほしいな。そんなに私と歩くのは嫌かい?」
「いや、ううん。アイリッシュがいてくれたのは嬉しい。本当よ」
そうだ、これはとてもありがたいこと。ライバルがいてくれるというのは幸運なことじゃないか。
「あとそれ!」
「ん、え、どれ?」
「その”アイリッシュ”って呼び方さ!」
「え、なにか問題あった?」
「私はねウラヌス、君よりも少し”センパイ”なんだよ?」
「え、う、うん」
”センパイ”というのは、日本語で、自分よりも目上の人のことを言うらしい。
欧州を含めたバ術歴ではそこまで大差はないとは思うけど、たしかに日本陸軍ではアイリッシュは”センパイ”だ。
「だから私のことは”センパイ”と呼んでくれると嬉しいな」
「は、はぁ。良いけど、なぜそこにこだわりが?」
「前々から欲しかったのさ。 可愛い”コウハイ”が! 前にそういう本を読んでから、ずっと! まあ、ウラヌスは想像よりもちょっと大きい”コウハイ”だけどね」
そう言って、アイリッシュ——センパイは私を見上げて笑った。
「でも、私にとってウラヌスは、それでも”可愛いコウハイ”だからね」
私よりも小さなセンパイは、つま先を立てて少し背伸びをして、私の頭を撫でた。
この”にへへ”という笑顔の顔を見たら、私はそれを拒むことはできなかった。
「……むぅ」
「さ! それじゃあ見ていこうか。これから暮らす、習志野の騎兵学校をね」
私は、少し変わった陽気なセンパイと一緒に、騎兵学校の中をまわることにした。
その始めに、センパイは私に騎兵学校について教えてくれた。
習志野原という広大な平地が昔から演習場に使われていて、そこへ東京にあった騎兵学校が引っ越してきたのが、ここ、習志野陸軍騎兵学校らしい。
ここに来るまでに通った佐倉街道から見た広大な習志野原には目を奪われたものだった。
競技バ術のほかにも(むしろ競技バ術をやっている人の方が少ないみたいだけど)、軍事用バ術、騎兵戦術、機甲科を学ぶ学生や教官が日本中から集まっているらしい。
騎兵学校を歩いていると、同じような陸軍服や演習着を着たウマ娘があちこちでトレーニングをしている。しかし講堂を見れば、トレーナー学や戦術を学ぶ男の人たちも大勢いた。
「騎兵学校はね、まだできてから15年くらいしか経っていないんだ。日本の軍学校の中でも新しいほうなんだよ」
たくさんのウマ娘とすれ違いながら、センパイは5棟ほど建ち並ぶ木造板張りで三角屋根の建物に入っていった。入り口には「第三ウマ娘寮」と書かれていた。
寮……つまりこれから私が住む家だ。騎兵学校にはウマ娘の寮がいくつも建ち並んでいて、トレーナーの学生寮よりも圧倒的に多い。私が住むのは、その中でも正門側にある小さな寮だった。
寮に入ってみると、廊下は2人すれ違うのでやっとのくらいで、部屋が安いアパートのように並んでいるだけだった。床は木目板で歩く度にぎしぎしいった。センパイは”新しいわりに少し造りが安っぽいけど”と笑った。
「ちなみにウラヌスは、私と同室だからね」
センパイはそう楽しそうに言って、寮の奥の部屋の扉を開けた。
「ここが、これから君が私と住む部屋だよ! ……あっ、虫が!」
センパイは部屋に入るなり傍にあった箒でばしっと床を叩いた。すると床の板がめきっと音を立てて、さっきまでうろちょろしていた羽虫が潰れていた。
「あらためて、これからよろしく、ウラヌス」
「・・・・・・」
今の光景は一度見なかったことにして、部屋を見渡す。
(せ、せまいっ……!)
一人暮らし用の部屋に無理やり2人分のベッドと机を押し込んだようなところだった。しかもところどころに穴が開き、そこから風を感じる。
「ベッドは朝晩しっかり綺麗にするんだよ」
ぽんぽんとセンパイが叩いたベッドはぎしっと音がした。
しかもこのベッド、私の181cmの体格を収めるにはあまりにも小さすぎる。
「まあ、1週間も経てば慣れるよ」
センパイも苦労したのだろうか、私の肩もぽんと叩き、すぐに部屋を出た。
私はしばらく放心してこれからの自分の”家”を眺めた後、急いでセンパイを追いかけた。
その後も、センパイは私を連れて色々なところをまわってくれた。
「ここは意外と普通ね」
食堂は縦長の大きな一部屋に机と椅子が何列かに並べられていて、騎兵学校のウマ娘全員が入れるほど大きかった。
「ここの食事は本当においしいから期待すると良いよ」
それは助かる。ピネロロのご飯もイタリアらしくて悪くなかったけど、こちらでも食事の心配はなさそうだった。ただ、トレーナーから聞いたけど、米食には慣れないといけない。
「食事はちゃんとスケジュールを守るんだよ。特に起床。早すぎても遅すぎてもだめだからね」
「え、そうなの? 早くても?」
「うん。6時起床、それから20分後に朝食。それから座学だったり基礎練習だったりをして、午後から本格的にトレーニングだよ」
「むう、早朝からトレーニングしたかったのに」
「だーめ。まあ、起きるのが遅くないのなら幾分かマシだけど、それでもダメだよ。やるとしてもちゃんとトレーナーさんの許可をもらうこと」
ピネロロにいた時、私は他の皆よりも早く起きて、皆が朝食を食べる頃まで自主練をしていた。
皆よりももっと強くなりたかったから。もっと沢山のトレーニングを積まなければと思ったから。そうしないと、世界一になれないと思ったから。今思えば、軍属なのにそんなことが許されていたのは、きっと誰からも……あの時のトレーナーからさえも、見捨てられていたからなんだろう。無関心だったからだろう。
でも、今は違う。私は新しく日本軍のウマ娘に生まれ変わった。トレーナーだって、相部屋のウマ娘だっている。もう、好き勝手はできない。それはありがたいことでもあるけど、同時に不安というか、心配でもある。
「ちゃんと、集団生活に慣れないと」
「……ウラヌスは、本当に今までも軍人だったの?」
そして同時にセンパイにも心配された。
それからも騎兵学校のあちこちを巡った。
座学を受ける講堂。
「い、椅子がかたい……」
トレーナー用の宿舎。
「ここもけっこうぼろぼろね……」
装甲車やトラックがある車厩。
「と、トラクター?」
「装甲車だよ。小さいけど」
倉庫。
「練習用の障害はこれだけ?」
「うちは競技ウマ娘が少ないからねえ」
「この棒きれみたいなのって……」
「手作りの障害だよ。練習用の障害が少ないから、トレーナーさんが日曜大工で作ったんだって自慢していたよ」
「・・・・・・」
そして最後に、グラウンド……練兵所に来た。
「……はぁ」
騎兵学校ツアーが終わった後、私はセンパイと二人で練兵場全体を見渡せる小高い丘に腰かけた。
練兵所では30人以上のウマ娘がそれぞれの部班に別れて訓練をしている。奥の方では、さっき見た小さな装甲車が走っている。センパイ曰く、ここは最近、装甲車や戦車を扱う機甲学校も兼ねはじめているらしい。
私はまだ来たばかりの、これから日常になるであろう風景を見渡して、少しの溜息を吐いた。
覚悟はしていた。
ピネロロは欧州随一の、しかも今やバ術の最先端をいくイタリアの騎兵学校。バ術に重きを置き、そのために高い資金がつぎ込まれた、正に聖地と言って良い場所。そこから、バ術がまだ発展途上の、遠く離れた東洋の騎兵学校に来たんだ。多少の不便さは予想していた。
しかし、いざ現地に来てみると……。
言語も文化も何もかも違う新しい町に来た不慣れさも合わさっているのかもしれない。でも、それでもやっぱり。
「……不安かな?」
センパイが、そっと尋ねる。
「うん……あ、いや」
「気を遣わなくても良いよ、ウラヌスが恐らく思っていることは事実だからね。バ術競技をやるには、欧州に比べるとここは何もかも足りていない。設備も、人員も、技術も、ウマ娘の能力さえも」
センパイはしみじみとそう語る。私と同じで欧州からここに来たセンパイは、今までそれを嫌ほど感じてきたんだろう。
騎兵学校には二種類の人が存在するとセンパイは言っていた。
「日本は近代国家になって60年ちょっと。戦争では清、ロシアに辛くも勝った日本だけど、バ術ではまだまだ。未だ、日本は”小さな国”だ……って、前にトレーナーさんが言っていた」
練兵場でバ術の訓練に励む日本のウマ娘を眺める。フランス式だろうか、軽いステップの練習をトレーナーと一緒に必死になってやっている。どの動きも欧州の一流ウマ娘と比べると拙い。足もあまり上がっていないし、リズムもいまいちだ。
「私、トレーナーとピネロロで約束したの。この日本から、世界一のウマ娘になるって。でも……」
「本当になれるか心配になった?」
「うん」
ピネロロで上手くやっていけなくて、障害を跳べなくなって、トレーナーに拾われた私が言えたことではない。
でも、あまりにも足りないように思う。
騎兵学校をまわっていても、欧州のバ術競技に通じてそうな人はほんの僅か。競技の練習道具は軍事訓練で使われている少し古いものを流用していて、特に障害飛越は競技用バ場も練兵所の一角にしかない。
「そっか。うん、気持ちはわかる。最初は私もそう思っていた。でもね」
センパイは、練兵所でフランス式のバ術の練習をしているウマ娘とトレーナーの方へと歩いていく。
「トレーナーさんも、イマムラさんも、あと、私も。この習志野にいるバ術家はね、一流国と渡り合うためなら何だってするよ」
センパイは苦戦していたウマ娘とトレーナーのもとへ駆け寄り、2、3何かアドバイスをしていた。ここからは遠くて聞こえないけど、足を高くあげることやその安定方法を教えているようだった。
センパイはその後すぐに戻ってきて、私の隣に再び立つ。そしてさっきまでアドバイスをしていたウマ娘のほうに視線を向けた。
「一歩」
ウマ娘は踏み出す。大きく、けれど静かに。
踏み出して浮いたその足は、さっきとは打って変わって空中を漂う羽根のようだった。
「一歩と」
見事なステップ。フランス式のパッサージュだ。
まだまだぎこちないけれど、ウマ娘は軽やかなステップを踏み続けた。
「着実に進み続ける。ここ(習志野)にいるのは、そんな人たちばかりだよ」
センパイは満足げに練兵所のウマ娘を見てから振り返り、私をに向かって微笑んだ。
「だから、ここから歩みだすのだろうウラヌスが、この習志野で、日本でどんなウマ娘になるのか。それが楽しみで仕方がないよ」
センパイは私に手を差し伸べた。
センパイが私を見る目は、単純な歓迎だけじゃない。どこか挑戦的な光を帯びていた。
これからの仲間としてだけじゃない、オリンピックを目指すライバルとして。
「ようこそ。大日本帝国陸軍、習志野騎兵学校へ」
私は、彼女の手を取った。
イタリア・ピネロロから海を越えて1万キロ。日本。
このまだまだ”小さな国”で私は十分にやっていけるのか。正直まだわからない。
でも、それでも私は、”世界一”に向けて、一歩を踏み出した。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第三話はこちら
(第三話読後の閲覧がおすすめです)
#3「ロス五輪前夜~名だたるライバルたち~」
→https://note.com/hal_sorami/n/nafff6c634494