ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
バ術用に敷かれた粒の粗い砂が、風に煽られ渦を巻く。
まるで、前に進もうとする私の足を、意地悪く引き止めるかのように。
「はぁっ、はぁっ」
「どうしたウラヌス、立たないのか」
地に膝をつき、息を荒げる私の前に、指示鞭を構えたトレーナーが立っていた。
「まさかへばったとか言わないよな。こんなことでは、オリンピックの予選に出ることすら叶わないぞ」
身体の節々が痛む。膝は砂に擦れて血が滲み、足は今にも崩れそうなほど熱を持っていた。
けれど、それ以上に心が……重たく、沈んでいく。
「ぐっ……!」
でも立ち上がらなければ。
「そうだ。ほら、立て」
びゅん、と空を切る鞭の音が耳を打つ。
「走れぇ!」
「っ……!」
……どうしてこんなことになっているのか。
日本に来て数日。ヤナガワ校長の許可も正式に下りたらしく、私は無事に騎兵学校の入校手続きを終えて、正式に日本陸軍のバ術ウマ娘として一歩を踏み出した。
朝6時起床。
朝早いのは慣れている。ピネロロでは誰も起きていない日が昇る前の早朝に起きてほかのウマ娘やトレーナーから離れて一人でトレーニングしていたから、朝6時は私にとっては遅いくらいだ。
私のこれからの住居になる習志野のウマ娘寮。イタリアの寮に比べたら少し小さいけど、そんなのは気にしない。
「あいたた……」
でも、覚悟していたけどやっぱりこの小さいベッドは慣れない。
イタリアのウマ娘から見ても、体格が大きい私だ。小柄なウマ娘が多い日本での生活はこれからも苦労しそうだった。
「やあ、ウラヌス。よく眠れたかい?」
「う、うん……あはは」
腕を回して固まった筋肉をほぐしながら、隣で爽やかに起きてカーテンを開けるセンパイの声が朝日の光と共に流れ込んできた。
寮はセンパイと相部屋。こうして起きてすぐ誰かと声を交わすのは久しぶりだ。
「いやあしかし、オリンピックを目指す仲間ができて嬉しいよ。これから頑張っていこう」
……オリンピック。
そう、彼女は私と同じ、オリンピック候補のウマ娘。しかも、トレーナーが同じ。オリンピックには、私かセンパイのどちらか一人しか出ることができない。
仲間だが、ライバルだ。
「? どうかしたのかい?」
「ううん。行きましょう」
私とセンパイはトレーニング用の演習服(白い半袖シャツに丈が短い袴みたいなズボン。”体操服”とでも言おうか)に着替える。
「そういえば、センパイに聞きたいんだけど」
「うん、なんだい?」
「……トレーナーとは、付き合いは長いの?」
「なんだい急に」
「いえ、なんだか口調とか少し似ているから気になって」
一人称とか、どこかふわっとした喋り方とか、どことなく似ている気がする。
担当ウマ娘はトレーナーに似ると言うし。
「ああ、はは。そこまでではないよ。2、3年くらいかな。それまでは城戸さんっていうトレーナーだったんだけどね」
「今のトレーナーはどう?」
「城戸さんも凄腕だったけど、でも、西さん……今のトレーナーさんも凄いね。バ術の腕も、ウマ娘への愛情も。普段のトレーニングは泣きたくなるほど厳しくて、他のウマ娘は怖がってさえいるんだけどね」
「そうなんだ?」
「ピンとこない?」
「正直、まだ」
たしかに競技中の指示は適格でセンスも抜群だと思う。でも欧州では遊び惚けていることも多くて、まだ変なところのほうが印象としては強い。
……まあ、でも。
『甘えるな、バカモノ!』
『笑え』
『笑って前を向け。』
欧州での厳しい激励を思い返すと、分からなくはないか。
「とにかく、これからわかるよ。早速だけど、トレーニングに行こうか。まだトレーナーさんのトレーニングを受けたことはないだろう?」
「あ、 うん! 早くトレーニング、受けてみたい!」
「ふふ。それに、私の飛越も見せることができる。まだお互いよく知らないけど、バ術ウマ娘は、走りと飛越で語るものだろう?」
センパイはにやりと笑う。
そうだ。彼女は私のライバル。私の夢……”世界一のウマ娘”を目指す前にある大きな壁とも言うべき存在。気を抜いている場合ではなかった。
「それじゃあ行こう。ま、泣いて逃げなければ十分だよ」
「いや、逃げないわよ」
「うん、それならいいけどね」
不思議な笑みを浮かべるセンパイと一緒に、私はトレーナーのもとへ行ってトレーニングを申し出た。
「ああ、わかった。それじゃあ練兵所に行こう」
既に軍用ズボンにシャツという動きやすい服装をしていて、それに指示鞭を腰に差していたトレーナーは二つ返事で了承してくれた。
私とセンパイは、練兵所の一角、障害物が置かれたバ場に出た。
バ場はちょっと粗目の砂地だったけど、広くていくつも障害が置いてある快適な場所だった。
やっと、欧州にいたときはまともに受けることができなかったトレーニングを受けることができる! そう楽しみにしていたのだけれど……。
「ふざけるなウラヌス! お前はそんなもんじゃないだろ! 良いから走れぇ!!」
「ひ、ひぃ!!」
トレーナーのトレーニングは、信じられないくらいにスパルタだった。
走れ、跳べ、もっと速く、もっと高く。
トレーナーの檄と鞭は、まるで私を選別するように降りかかってくる。
100本を超えるダッシュ、限界を超えたウェイト。
ピネロロでも体験したことのない、苛烈なトレーニングだった。
「違う! ウラヌス! 踏み切りの場所が近すぎる!」
「ちょ、痛っ!?」
トレーナーの号令があればどれだけ辛くても障害を跳ばなければいけない。
トレーナーは、競技中、指示鞭をびゅんびゅんとしならせて私のすぐ近くにつく。そして跳び方が下手だったり癖が直っていなかったりすると、鞭で私の背中をばしばしと叩くのだ。私は丈夫なウマ娘。傷が残るほどではないけれど、痛いものは痛い。
「ほら次だ。行けぇ!!」
「ま、待ってトレーナー。あ、足が」
「足がなんだ」
「ちょっと痛いの……あの、ちょっと休憩に……」
普通のトレーニング量の3倍は走っている。足もだんだん震えてきて、内側からじわじわと痛みが湧き出てくる。
トレーナーはじっと私の足を見たけど、すぐに問題ないと判断したのだろう。私の顔を見て言った。
「構わん、行け」
「えっ」
「行けぇ!!」
「っ!! ぐぅ……!!」
トレーナーは指示鞭を振り、私が走るのをやめさせてはくれない。
悪魔だ。
結局、そこからコースを50週くらいして、やっと解放された。
「ぜぇっ、ぜぇっ!」
「よし、もう良いだろう」
息も絶え絶え、身体の内からも外からも痛みが襲ってきている。
トレーナーの終了の合図とともに、草地にどさっと倒れ込んでしまった。
「ウラヌス、お前はもう少し跳ぶ位置を考えろ。踏み切りのタイミングが障害と近すぎる」
「はい」
「あともう少しスタミナをつけたほうがいいな。これから自主練に持久走を多めに入れろ」
「……はい」
「よし、お疲れさん」
「……あ」
トレーナーは、地面に座り込んで俯く私の頭にぽんと手を乗せた。
しかし、そこには欧州の時のような気さくな笑顔はなく、何を深く考える様子で真顔のままだった。
「よし、アイリッシュ、次はお前だ!」
「はい!」
そしてすぐにその場を離れて、トレーナーはウォーミングアップをしていたアイリッシュの方へと駆けていく。
「はぁぁぁ……」
身体の中に閉じ込められていた空気が一気に抜けた。
”ま、泣いて逃げなければ十分だよ”。
センパイの言葉を思い出した。”逃げない”とは言ったけど、正直逃げたいくらいのトレーニングだった。これを毎日……正直、もうすでに挫けそうになる。
打たれた鞭の痛さが、そのまま自分の中に積みあがっている課題を表している。
欧州での成績に浮かれて”世界一”を目指すと息まいていた。だけど、あのトレーナーの反応を見ていると、オリンピックに出ることも今のままでは難しいのだろう。
「よし、良いぞ、アイリッシュ! 前よりだいぶ良くなったな」
「ふふ、トレーナーさんが欧州に行っている間に、城戸少佐にだいぶ鍛えてもらったからね」
「ああ。だが相変わらず障害に突進する癖は抜けないな。もっと細かく障害を跳べるようにならないとな」
「よしっ! もう一回御願いするよっ!」
センパイも私と同じく、びしばしと指導を受けていたけど、慣れた様子で過酷なメニューをこなしていた。どうやら以前よりも腕を上げているようで、トレーナーもセンパイを目で追いながらうんうんと頷いている。
たしかに、センパイの飛越は凄い。
障害飛越前の踏み切りもちょうど良い場所でやっていて、一度跳ぶと”ヒューッ”という音をたてて空を切るように宙に躍り上がる。まるで大砲の弾のように綺麗な弧を描くとそのまま着地して隙なく走り出す。まるで障害とタイマンでも張ろうとするかのように勢いづいて飛越する。力強い。その迫力はイタリアで見てきた強豪たちにも匹敵する。
そんな飛越を見て、トレーナーは満足そうに笑っていた。
「なによ、私の時は一度も笑ったりしなかったくせに」
自分の技術がまだまだなのは分かるし仕方がないけど、だからこそあのアイリッシュを見ると胸が重くなる。
私なんて、あのトレーニングについていくだけでも一苦労だったのに。
本当に私、出られるのかな。オリンピック。
※
トレーニング後、センパイが水筒を差し出してくれる。
「お疲れ様、ウラヌス」
「……ありがと」
結局、私のトレーニングはさんざんだった。怒鳴られ叩かれ、自分の無力さをこれ以上ないほどに感じた。
センパイは……完ぺきではないにしても、飛越の器用さは現状、間違いなく私より上だ。
「すごいのね、センパイは。綺麗な飛越だった」
「そうかい? 私はウラヌスの飛越、好きだけどね。勢いがあってさ」
「本当に?」
「もちろんさ。トレーナーさんも感心して見ていただろう?」
あの仏頂面がそうなのだとしたら、私はトレーナーのことは何もわからない。
「はぁ」
「大丈夫かい?」
「うん……」
でも、だからといっていじけているわけにもいかない。
オリンピックまでもう時間がない。トレーナーが満足げに笑いかけてくれるまで、なんとしてでも仕上げなければならない。
「アイリッシュ、ウラヌス」
「!」
メモ帳を片手に、トレーニングの記録を終えたトレーナーがこちらへ向かって歩いてくる。私は、悪いことはしていないのに、びくっとして思わず立ち上がった。
「アイリッシュ、良い飛越だった。ただ相変わらず障害に近づきすぎる癖が抜けていないな。まずは落ち着いて、確実に飛越する方法を見つけていこう」
「はいっ」
「ウラヌス、飛越は、まあ悪くなかった。しかし欧州の時に比べると少し飛越が固くなっているな。それにトレーニングのブランクがあるからか体力が落ちてきているな。無理のし過ぎはよくないが、基礎トレーニングを増やすように」
そうだ。なんとしてでも勝たなければいけないんだ。
”世界一のウマ娘”になるために。
「うん、わかった」
「なあ、ウラヌス」
「……なに?」
「何か困ったことはないか。もし何かあれば……」
「大丈夫、何もない」
※
日本に来てから1カ月。
相変わらず狭いベッドには慣れない。体があちこち痛い。でも起きて、軍服を着る。
朝食を食べる。たしかに朝食は美味しい。でも、慣れない食事ばかり。やっぱりイタリアの寮で、ナセロが差し入れてくれた洋食が恋しくなってきた。
座学。日本語だ。センパイに教えてもらいながらなんとかついていけているけど、それでも周りのウマ娘たちに比べて2倍時間がかかる。今日は小銃の撃ち方だ。一応軍人だから簡単な軍事も知る必要があるらしい。でも、あまり頭に入ってこなかった。そんな私に、センパイは心配そうに声をかける。
「大丈夫かい、ウラヌス。日本の生活はまだつらいだろう。私にできることがあれば、何か……」
「ううん、大丈夫」
そして、演習服(体操服)に着替えて、練兵所に向かう。
「ふざけるな、ウラヌス!」
「ぐっ!」
トレーナーの鞭が飛ぶ。物理的な意味で。
「お前はもっとできるはずだろうッ! 何をためらっている!」
その言葉に、胸がじんと痛んだ。
分かってる。もっとできるはず。
私だって、何度もそう言い聞かせてきた。
でも、どうして、こんなに空回りするのだろう。
後ろを振り返る。センパイは、自分の番の飛越に向けてトレーニングを積んでいた。
センパイはめきめきと成長してきている。トレーナーが欧州がにいる間も自主練や他のトレーナーのところでトレーニングをしていたらしいけど、やっぱりトレーナーが帰ってきてからの成長はすごいらしい。前のアドバイスは必ず改善されている。コースのタイムも短くなっている。やはり、トレーナーの教え方は一流だ。それは確かだ。
ふと、その奥を見る。
そこには、ソンネボーイがいた。欧州のヨランダ杯を思い出した。スピード感がある、巧みな飛越。
彼女もまた、イマムラというトレーナーの下で、あの時よりも遥かに良い飛越をしていた。
音もなく、ソンネボーイの身体が宙に浮かぶ。
一瞬だった。けれど、その跳躍にはまるで時間が止まったかのような美しさがあった。鋭い助走、力強くも無駄のない踏み切り、そして空中姿勢——そのどれもが完璧に近かった。
強敵。その二文字だけが頭に浮かぶ。ソンネボーイを見る時も、センパイを見る時も。
「よし、今日はもういいだろう。お疲れ、ウラヌス」
トレーナーの言葉で、走りをやめる。
コースの途中で立ち尽くす。今日も全然だめだった。前から良くなっている気がしない。
「なあ、ウラヌス」
「……なに」
「もうこっちに来てしばらくだろう? だから……」
トレーナーは私の頭に手を伸ばす。
欧州の転戦の後、私に勇気をくれたあの手。
でも、今はそれに甘えている場合ではない。
自分で、もっと強くならなければ。
「大丈夫! 何でもないから!」
私はトレーナーの手を振り切るように、練兵所から抜けるように駈け出した。
ちらりと後ろを見ると、トレーナーは行き場の失った手をふらふらとさせていたけど、私は戻るタイミングを失って走るしかなかった。
※
「はぁ、トレーナーに謝らないと」
途中でトレーニングを抜けてきてしまった。我ながら情けない。
なんとなく講堂前まで走ってきてしまっていたけど、練兵所まで戻らないと。
「ねえ、見て、あれ」
「ああ、西洋から来たっていう」
練兵所に向かって歩いていると、通りがかったウマ娘2人が、ひそひそとこちらを向いて話している。
「困ったものだね、オリムピックのためだなんて」
「ええ、大陸ではいつ戦争になるのかわからないっていうのに、西洋のスポーツとやらに現を抜かされてもね」
「ほんと。でもあの体格だったら、戦場だと目立って敵の良い的だよ」
日本語は分からないけど、あの目はピネロロでも感じたことがある。どういうことを言っているかは分かる。
無責任なことを言い放っている口先。見下すような目。
私は彼女らを睨むと、2人は知らないふりをしてすたすたと去っていった。
こういうことは、こちらに来てからたまにあった。私だけでなく、イマムラやソンネボーイ、センパイも、陰口のようなものを叩かれている時がある。特にトレーナーはしょっちゅうだ。他の教官からも影を持った目で睨まれるところをよく見る。まあ、あの人については自業自得の可能性もあるけど。
しかし、あの目線は、ピネロロで感じた、バ術の能力についての僻みや下に見てのものとは少し違う。
そもそも、理解されていないのだ。バ術競技というものを。ここ、騎兵学校の中であっても。
特に戦術科の学生や、機甲に関わる人間の中には、バ術をよく思っていない人たちがいる。最近の日本では、中華の方で紛争が相次いでいる。そんな中で競技に専念するなど何事かと考える人もいるのだろう。もちろん多くの人たちはそんなことないけど、それでもこうして騎兵学校の表を歩く度に、どこか肩身の狭い思いをするのだ。
すり減っていく。心が。
あの狭いベッドも、慣れない食文化や日本語も、一方的な陰口も。
ピネロロから逃げてきたわけではない。私は、前向きに、オリンピックを目指してトレーナーについてきた。だから、ピネロロと同じように……ううん、ピネロロ以上に、一人でも立っていなければいけないんだ。じゃないと、センパイにも、ソンネボーイにも勝てない。トレーナーの隣で、ロサンゼルスに行けない。
でも……。
ぐるぐると考えて、練兵所に行こうと宿舎の角を曲がろうとした。
「どうかな、ウラヌスは」
「ん、ああ」
すると、センパイとトレーナーとの話し声が聞こえてきた。私は思わず身を隠して、その話を聞いてしまう。英語で話しているようで、話を聞き取ることができた。
「飛越に癖があるな。障害に出す方の足を伸ばす癖がある。あれはミスしたら転倒する可能性が高い。難しい癖だ」
「なるほど」
「それに、少し障害に入れ込んでいる節があるな。特に最近は。ま、アイリッシュもそうだったがな」
「あはは、気をつけてはいるよ」
トレーナーの発言がずきずきと刺さる。それは、今までトレーナーからも指摘されていた癖だ。本来ならすぐにでも直すべきところ。
でも、その直し方が分からない。
「まあただ、ウラヌスは……」
トレーナーは、センパイに真剣な声色で言った。
「オリンピックには出せないな」
私はそれを聞いた瞬間、目の前がぐにゃっと曲がり、ぐるぐると回転したのかと思った。
ふと、トレーナーと話してきたことを思い出す。
『君とオレは似ているから』
『信じているからさ! 私のクライスラーを跳び越えた、お前の飛越を!』
『オレと君が、世界一になれる、”最強のふたり”だってことを』
今までの、全部、全部……。
「っ!」
私は走り出す。
もう、何も考えられなかった。
「ん? あ、おい! ウラヌス!」
気がついたトレーナーの声から逃げるように、私は騎兵学校の門から出ていった。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第三話はこちら
(第三話読後の閲覧がおすすめです)
#3「ロス五輪前夜~名だたるライバルたち~」
→https://note.com/hal_sorami/n/nafff6c634494