ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
朝。
「まずい。ここ、どこだろう」
トレーナーから、騎兵学校から逃げて走った。
自分でもどうすればいいのかわからず……いやもうどうにでもなれと思って、遠くへ遠くへと走った。
日が沈み、少し寒かったけど草原で寝て、起きたらまた走った。
そうしていたら、いつの間にか街の中に迷い込んでしまっていた。人通りはすごく多い。スーツや和服を着た人たちが入交り、あちらからこちらへと流れのように人が動いている。
しかし、そんな中でも私はすっごく目立っている。ウマ娘だし、その中でも背が高いし、西洋人だし。
「見てー、お母さん。おっきいウマのお姉ちゃん―」
「ええ、しかも異人さんだねえ。珍しいねえ」
「でも、なんであんな格好してるのー?」
「なんでだろうねえ、あんまり見ないであげるんだよ」
ああ、日本語で何を言っているかわからないけど噂されている。
そういえば演習服(体操服)のままだった。恥ずかしい。というかちょっと寒い。思えばもう11月だ。
これからどうすればいいんだろう。というか、どこに行けばいいんだろう。そもそも、ここはどこなんだろう。
……はあ。
”ま、泣いて逃げなければ十分だよ”。
いつの間にか、センパイの言葉が頭の中で響いた。
ああ、逃げてきちゃったな。
そう思いながら。私はぐっと演習服の裾をぎゅっと握った。
「で、でも、な、泣いてないし……」
ああ、でも少しでも力を抜くと目が潤みそうだ。泣きたくない。泣いてなんかやらない。
……はっ。
何のために強がってんだか。
自分が分からなくなる。
そもそも何のために日本に来たんだっけ。トレーナーとどんな約束をして、ここまで。
『オレと君が、世界一になれる、”最強のふたり”だってことを』
ああ、世界一。オリンピック。
はは、でも……。
『まあ、ウラヌスは……』
『オリンピックには出せないな』
全部、私のせいだ。
欧州転戦で調子に乗って、異国の地に来たとは言え調子を出せずにいて。センパイやソンネボーイの飛越を見て弱気になって。せっかくトレーニングに出たのに、実力を出せないで。それで騎兵学校からも勝手に逃げ出して、こうしている今もトレーナーに迷惑をかけている。いや、もう呆れて探してくれもしないかもしれない。
思えば、欧州でも結構どついたりしちゃったし。
ああ、もう、どうしたら……。
「お、いたいた。ウラヌス君!」
街の喧騒の中で、私を呼ぶ声がした。喧噪の中で、唯一の英語だったからすぐわかった。英語は慣れていないようで少し拙さがあったけど、何とか聞き取れた。
トレーナーかも……なんて身勝手な希望を抱いたけど、声色ですぐ違うと分かった。
それは老人の声だった。でも、老いは全然感じない、むしろ鋭ささえ感じる声だった。
声の方を見る。
相手は、背は高くはないが、ややがっしりとした体格の男性だった。
白い顎鬚がまず目に入った。髭のおじいさんだ。格好は……あれは、ハカマというのだろうか。和装で、黒いハットを深く被っている。
その男性は、私のことを鋭く見た。
「君が、ウラヌス君か。すまないね、英語は孫から少し聞いたくらいだからそこまで上手ではないかもしれない」
「え、あ、は、はい」
髭のおじいさんは「なるほど」と言いながら、私のことをじろりと見た。
う……。
高そうな袴、深く被った黒いハット。何よりも、私を品定めするように見る鋭い目。素人の私でもわかる。只者ではない目。
こ、これは……。
「(マフィア……い、いや、ヤクザだ!!!)」
きっと、騎兵学校から逃げ出した私を暗殺に来たんだ。日本の軍隊は規律に厳しいと聞く。
いや、もしかしたら誰かが私を売ったんだ。だとしたら、きっとこれから私は誰も知らない地下に連れていかれて、謎の車輪をぐるぐると回す労働をさせられるんだ。そうに違いない。
どうなっても良いとは思ったけど、そんなのは嫌だ!
「待ちたまえ」
ぐるんと反転して逃げようとする私の肩を、髭のおじいさんはがしっと掴む。そこまで強い力ではないけど、なぜか逃れられない。トレーナーにかけられた柔術を思い出した。
「だいぶ昔だが、私も”サムライ”だったからね。歳は取ったが、ウマ娘にも負けんよ」
「ひ、ひい!」
「さ、一緒に来てもらおうかね」
「は、はい……」
ああ、お母さん、お父さん。私は最後まで悪い子でした。
さよなら、さよなら。
それから私は、髭のおじいさんに連れられて街を歩いていた。いつでも逃げられそうなのだけど、凄味というか、ただならぬオーラがそれをけん制している。
結果、私は大人しくついていくしかなかった。
人通りのあるところを歩く度、皆がちらちらと見てくる。
演習服(体操服)姿の大きなウマ娘、それを連れている迫力ある髭のおじいさん。謎の一行だ。それは見られる。
「あ、あ、あ、あの、ここって、どこか分かりますか」
私は、なるべく髭のおじいさんを刺激しないように、恐る恐ると聞いた。
「ここは東京。東京駅の近くだよ。ほら」
髭のおじいさんが指した方には、大きな赤レンガの駅舎があった。
赤煉瓦と白い花崗岩が織りなす三層の外壁は、整然としていて、左右に広がる長い棟が対称に伸びている。
イタリアで見たコロッセオも凄かったけど、朝日に光る駅舎はまた違う趣があった。
……しかし、東京。
「習志野からは30キロもあったのに、よく来たものだね。流石習志野のウマ娘だ」
「あ、あはは……」
がむしゃらに走っていただけだけど、我ながらよく来たものだ。こんな立派な駅がある街まで。
駅の方を見ると、朝だというのに人が集まっているのが見えた。歩きながら線路がある方を覗くと、立派な客車が駅から伸びていた。「燕」というマークがつけられている。あんなに立派な列車は、欧州でもなかなか見たことがない。
ぼーっと駅の方に耳を向けていると、何やら「バンザイ、バンザイ」の声が聞こえてきた。お祭りか、誰かの見送りだろうか。
「ふむ、もうすぐ9時だし、朝飯でも食べていくかね」
ふと、髭のおじいさんが駅の時計を見てそう聞いてきた。
「さ、最後の晩餐ですか……?」
「は?」
震える私に、髭のおじいさんがぽかんとした時だった。
パァン。
駅の列車の方から、喧噪や列車の音に混じって、確かに聞こえてきた。
イタリアの軍事教練で何度か聞いたあの音。
銃声だ。
ライフルではない、ピネロロの学校で上官が撃っていた、モーゼル自動拳銃の音だ。
私はびくっとした。
ウマ娘の耳だから聞こえたのかと思ったけど、髭のおじさんも気がついたのか、駅の方を睨んだ。
「(ま、まさか……抗争!?)」
ああ、もう本当に終わりだ。
「ここにはあまりいない方がよいな。早く行こう」
私は髭のおじさんに連れられて、駅のあたりから離れる。
悲鳴が駅の方から聞こえる。ああ、誰か撃たれたんだ。
「あやつめ、だから軍縮など……」
髭のおじさんは、ぼそりとそう呟いていた。
商店の棚に置かれている新聞をちらりと見た。
今日は11月14日だった。
※
私は髭のおじいさんに連れられて、東京駅から少し離れた神保町の喫茶店に入った。
『らんたん亭』
店先の木看板にはそう書かれていて、中は木造で静かな雰囲気が流れる、なかなかにオシャレな喫茶店だった。
「はっはっは! 何か様子が変だと思ったが、聞いた通り面白い娘だ。いやいや、暗い気持ちになっていたが、少し晴れたよ」
そんな静かな喫茶店で、髭のおじいさんは、腹を抱えて笑っていた。私が、「おじいさんは、ヤクザなんですよね」と、もう泣きそうな声で聞いたからだった。
「私は西君の知り合いだよ。彼は、財界でそこそこ有名だからね」
「と、トレーナーの?」
「うむ。東京に彼の家があって、よくお邪魔していたんだよ。近くに領事館もあるからね」
「つ、つまり、トレーナーの知り合いですか?」
「うむ。決してヤクザなどでは……いやまあ、似たようなものだがね」
「ひい」
「あーいや、違う違う。すまなかったね。こちらが言葉足らずだったよ」
何はともあれ、トレーナーの知り合いらしい。言い方的に、この人も貴族なのだろう。
とりあえず、ヤクザでないことが分かってよかった。
「お詫びと言っては何だがね、ほら、好きなものを頼むと良い」
「……良いんですか。あ、コーヒー」
「ああ、もちろん」
髭のおじいさんが手を挙げると、店の奥から店員さんがとてとてとやってきた。
「はーい、ご注文は……」
私は店員さんを見上げた。驚いたことに、彼女はウマ娘だった。かわいらしい和の着物に、エプロンをつけている。ジャパニーズメイドといったところか。
なぜか、その店員さんは、私のことをじっと見ていた。
「あ、あー! すみません! その、少し気になっちゃって」
「?」
「あー、彼女は、ウラヌス君が気になるのだと」
髭のおじいさんが、店員さんの日本語を英語に翻訳してくれる。
そりゃあそうだ。だって、演習服(体操服)でこんなオシャレな喫茶店に来るような奴なんていないだろう。
しかも体は大きいし、西洋人だし。ああ、今私は、この街で一番浮いているかもしれない。
「その服、習志野の騎兵学校ですよね。実は私憧れているんです! バ術! だから、私、こうして東北から東京に来ていて——」
彼女の言葉は分からないが、今まで私に向けられていた好機や見下した視線とは全く違うものだった。
なんだか、あの子に似ていた。ナセロ。ちょっと頼りなくて可愛い、あの子に。
「あ、あーすみません! ご注文は?」
「コーヒーとパンを2つで」
「はい、すぐにお待ちしますね!」
店員さんはにこっと笑い、びゅんと厨房に入っていった。
「良かったじゃないか。あの子は、君のようなバ術ウマ娘に憧れているそうだよ」
「・・・・・・」
「……ま、今の君には少し酷か」
憧れ、か。
私は、その憧れの場所から逃げてきたんだ。
「話を話そうか。実は私はね、西君……君のトレーナーから連絡をもらってね。『東京の方に走っていったから、見つけて連れ戻してほしい』と。それで散歩ついでに君を探していたんだよ」
「トレーナーが連絡を?」
「うむ。私邸の方に直接かかってきてね。ずいぶんと焦った様子だった。まったく驚いたよ」
そうか、トレーナー、私を見捨てたわけじゃないんだ。
……なんて、心の中で舞い上がっている場合でもない。
なんで。なんで私なんか。
「君は、イタリアでずいぶんと苦労してきたようだね」
「……え?」
「西君から聞いたよ。彼にスカウトされる前、君はずっと一人で頑張っていたそうじゃないか」
「……はい」
もちろん、手助けしてくれたナセロみたいな子もいた。自分を孤独だったと回想するほど生意気ではない。
でも、やっぱり、どこか自分は一人だと、ずっと思っていた。
トレーナーもいたけど、私は大勢のうちの一人。走り方も、跳び方も、ほとんどを自分で考えるしかなかった。トレーニングはあったけど、その時にはもう競技会の候補者選びは始まっているようなもの。その時までに自分で力をつけるしかなかった。
「君は日本に来て、トレーナーが西君になっても、君はまだ一人だと思うか」
それは……どうだろう。
たしかに今、置かれている状況はピネロロの時に似ているかもしれない。ライバルにはセンパイがいて、オリンピックに出られるのはどちらかだ。
だから……というのは言い訳だけど、こうして騎兵学校を飛び出してきているわけだし。
でも、なぜだろう。
『オレと君なら、必ず夢を叶えられる』
そう言ってくれたトレーナーとなら、ピネロロの時のようにはならない……そんな気もしてくる。
あの人のことを私はよく知っているわけではない。競技会にもたくさん一緒に出たけど、それでも過ごしたのは数か月程度だ。
それでも、なんでだろう。前までとは、違う気がするんだ。
「”話せばわかる”」
黙って考える私を見て、髭のおじいさんは日本語でゆっくりと、かみしめるような声で呟いた。最初に会った時とは違う、包み込むような優しい笑みを浮かべながら。
「……え?」
「西君と、よく話し合ってみなさい。話してみれば、分かることもある。特に、君たちのようなトレーナーとウマ娘の関係ならね」
「はなせば、わかる……」
その時、「お待たせしましたー」と、さっきのウマ娘の店員さんが食事を運んで来た。
大きなトレーには、コーヒーと、形が少しだけずれて手作り感のあるブリオッシュが2人分置かれていた。
「このコーヒー……」
「はい! このコーヒー、こだわりなんです。マキネッタですけどね。パンも自家製で自信ありますよ!」
マキネッタにブリオッシュ。イタリアでよく食べていた朝食だ。
「イタリアを懐かしむのは、これで最後にしなさい。そして、西君に会いなさい」
テーブルに並べられた朝食を見つめる。
ピネロロのあらゆる記憶がよみがえってくる。
フランスから飛び出して初めてイタリアに着いた時。たまたま会ったあの時のトレーナーにスカウトされて入った寮。朝から自主練を重ねて走り込んだ広いグラウンド。初めて入賞したリスボンの競技会。思えば、悪いことだけではなかったと思う。最後の最後でだけど、ナセロという良いライバルにも恵まれた。
でも、それで”良かった”じゃ、まだ駄目なんだ。
「……はぐ!」
私は、今までの全部を食らうように、必死にパンをかじった。過去のすべてをコーヒーで流し込んだ。
いつの間にか、迎えにイマムラが来ているのにも気がつかずに。
イマムラは、私が食べ終わるのをじっと待ってくれていた。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第三話はこちら
(第三話読後の閲覧がおすすめです)
#3「ロス五輪前夜~名だたるライバルたち~」
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