ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
#4-1
『ウマ娘は、神様に祀られたもので、世の中でいちばん正直な存在だ』
——尾形景造(東京ウマ娘競走倶楽部 指導者(トレーナー))
1931年初春。
陸軍騎兵学校。
春の気配がまだ薄く、朝の空気には冬の名残が漂っている。
「……行くわ」
「よし、いいぞ、ウラヌス!」
トレーナーの声が響く。私は、騎兵学校の裏に設けられた模擬飛越コースへと足を運んだ。
毎朝繰り返されるこの練習には、センパイ、ソンネボーイなど、オリンピックを目指す障害飛越ウマ娘たちが交代で参加している。実戦よりも短いコースではあるが、そこに詰め込まれた障害は、精密な集中力と爆発的な跳躍を求めてくる。
「——はじめ!」
トレーナーの合図と同時に走り出す。地を蹴る音。砂が跳ねる感触。
「(調子は、悪くない)」
呼吸のペースは安定し、脚もよく動く。長い間走り込みは確実に成果を見せていた。
けれど——
「そこだ、ウラヌス!」
「くっ……!」
3つ目の障害で、飛越はできたものの、またしても踏み切りが近すぎた。
理性ではわかっている。だが、身体がわずかに先走る。
着地が乱れ、再加速にわずかな遅れ。これが積み重なれば、致命的な失点につながる。
コースを周った後、私はトレーナーのもとに戻る。
「ウラヌス、悪くない。障害は全部飛越出来てる。しかし、やっぱり近くて危ないところがあるな」
「……ええ」
トレーナーの声は落ち着いていた。以前のような怒鳴り声ではなく、淡々としたトーン。
ただ、その冷静さがかえって胸に刺さる。トレーナーの大声が飛んでこないのは、今現在の私が出せる力を理解しているからだ。だけど、それがまた悔しかった。
「タイムは安定してきている」
「そうね、私も踏み切りが良ければ、ここ一番だったと思う」
「なに、安心しろ。飛越はできている」
トレーナーが笑顔で肩を叩いてくれる。
なのに、心は浮かない。もっと上手くできるはずだ、と思ってしまう。
「まあ、飛越ができていなかったら徹底的にやろうと思っていたんだがな」
それは本当に心が浮かない。跳べて良かった。
「タイミングだけなら、オレも飛越の合図を見直すだけだ」
そう言って指示鞭をひゅんひゅんとさせるトレーナーに、少し安心感のようなものを覚える。
競技中のトレーナーの合図は、かなり正確だからだ。
しばらく日本で過ごして気がついたけど、トレーナーのバ術のやり方は、どうやら少し変わっているようだ。
日本では……もっと言えばイタリアでもそうだけど、障害を飛越するとき、多くのトレーナーはウマ娘に特別な指示を出すようなことはあまりしない。事前のトレーニングで踏切りのタイミングなどを慣らせて、競技中は自然に飛越できるようにするのが普通だからだ。そもそも、ウマ娘の脚力で素早く進む競技中に、トレーナーがひとつひとつ合図を送るのはかなり難しい。
でも、私のトレーナーは、障害飛越時に指示鞭をしならせ必ず短く正確な合図を送ってくる。それは私に情報が伝わるまでの距離速度も加味したタイミングで、トレーナーの合図のタイミングで踏切りをすると、必ず障害を跳べるのだ。それは、私のトレーナーだからこそできる天性のものなのだろう。
「それじゃあ、これからもトレーナーの合図を信じて跳ぶわよ?」
「ああ、任せろ。大丈夫。ウラヌスは飛越が確実に良くなっている。確実にやっていこう」
そう何度もトレーナーに励まされる。実際、そこにウソはないのだろう。
しかし、私はどうしても落ち着かない気分でここ最近を過ごしていた。
目指すロサンゼルスオリンピック。その第一次予選が近づいているからだ。
第一次予選は1932年4月28日。ロサンゼルスへ行くトレーナー・ウマ娘を決める最初の日。10月の第二次予選と合わせて、騎兵学校からその実力を評価される。
私もセンパイも、そしてもちろんトレーナーも、今はオリンピック選手”候補”に過ぎない。この予選会で認められて初めて、オリンピックへの切符を手にすることができる。
しかし、ここ最近、飛越の仕上がりがどうにもはっきりとしない気がしていた。
トレーナーの言う通り、日本に来たばかりの時よりは確実に良くなっている。何せあの頃は障害にひっかかることも多く、そのたびに指示鞭が飛んで来たものだった。でも、今は大障害でもほとんど引っかからずに跳ぶことができている。
しかし、さっきの踏み切りのように、どうにも飛越が締まらない。
なにか、跳ぶ時に「迷い」のようなものが生まれる。それでタイミングもずれてしまうし、綺麗に跳べない気がするのだ。
私は考えながら、バ場の奥に広がる習志野原を眺めた。
トレーナーも釣られて視線を移し、ふと思いついたようにして鞭をしまった。
「ちょっと、アイリッシュの様子を見てくる」
「あ、私も行くわ」
緑の平原へと行くと、一人のウマ娘……センパイが走っているのを見つけた。
トレーナーと並び、その走りを見つめている。
艶のよい鹿毛をたなびかせ、緩やかな駈足で広大な習志野減を横切っていた。
青空の下、緑の草原に新しい足跡をつけながら走る様子は、美術館にある名画のような美しさがあった。
騎兵学校の一番の友でありライバルと言えるセンパイは、私と同じく日々力をつけてきている。
それは走り一つ見ても分かるほどで、その綺麗なフォームは競走ウマ娘にも負けぬ爽やかさすらあった。
「センパイ、今日は走っているんだ」
「ああ。アイリッシュは、肺が強いからな。スタミナを伸ばしてやったほうが良い競技ができると思ったんだ」
バ術ウマ娘には伸ばすべき能力(ステータス)があり、それに合ったトレーニングが行われる。
スピードは、より速くコースを走破するのに役立つ。そのために短距離の走り込みなんかをする。
スタミナは、スピードを競技の終わりまで維持し確実な飛越をするための基礎になる。長時間の走り込みだったり、水泳をしたりする。
パワーは、脚力を上げることに繋がり、ジャンプの高さなどに関係してくる。ウェイトトレーニングや信地飛越練習などが基本だ。
根性は、競技中のプレッシャー対策などのメンタル面の強さに関係する。難易度が高い大障害でのトレーニングや長時間にわたるウェイトトレーニングなどで養うことができる。
賢さは、コースを把握して逸脱を防いだり、ペース配分を考えたりするのに役立つ。日々の座学によって養うことができる。
「ということは、長距離なんだ」
「……ああ」
「何メートル?」
「4000」
「4000!?」
4000mとは、スプリンターの競争ウマ娘ならこなせるかもしれないが、競技ウマ娘にはなかなか酷な距離だ。しかもあれは分速400メートルくらい一定して出しているから、かなりキツいだろう。
センパイのスタミナがよっぽどすごいらしい。
「やっぱり凄いなあ、センパイは。走りもあんなにきれいで、まっすぐで」
きっと、私のように競技中に迷いなどもないのだと思う。
「だが、アイリッシュも課題は多い。長くコースを走って飛越していると、入れ込む癖があるからな」
私の考えを察してか、トレーナーはセンパイを眺めながら言う。
「だから、この長距離走は、長いコースでも落ち着いて走れるようにというトレーニングでもあるんだが……」
「なんだか、浮かない顔ね」
「ああ。教官と話してこのトレーニングをさせているのだが、オレはどうにも心配で——」
トレーナーがそう言いかけた時だった。
習志野原の真ん中で走っていたセンパイが、急に倒れて草の中に消えたのだ。
「! センパイ!」
私が声を上げた時には、既にトレーナーが横から消えて、走って向かっていた。
私もすかさず追いかけ、トレーナーと一緒にセンパイのもとへと駆け寄る。
「ぐ……」
センパイは左足をおさえて、地面にうずくまっていた。
トレーナーがそっとおさえた手を離させてみると、腱がやや腫れていた。
「だ、大丈夫だよ、トレーナーさん、ウラヌス」
そう言って、センパイはふらふらと立ち上がって少し歩いて見せるが、少し歩き方がおかしくなっていた。
跛行だ。
「だめだ。無理するな」
そう言って、トレーナーは屈んでセンパイに背を向ける。
「ほら、乗れ」
「でも」
「いいから」
「……うん」
センパイはトレーナーの背中にそれ以上反論することなく、おとなしく身を預けた。
私はうしろからそれについていく。
センパイは恥ずかしいのか、少し顔を赤くしていた。