ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
薄曇りの天からわずかに光が射し、東京駅の赤レンガに淡い影を落としている。文明の奔流と、時代のざわめき。それらを肌で感じる街に、私は——もう一度、降り立った。
だけど今回は、演習服ではない。きちんと磨かれた軍靴と、日本陸軍の正装。姿勢を正して、私は改めて、駅舎の高い天井を仰いだ。
硝子越しの光が群像を包み込む。慌ただしく行き交う人々。整列する学生服、華やかな着物、軍人のまなざし——。まるで世界の縮図だ。いや、ここがいま、私たちの「世界」そのものなのかもしれない。
「東京ねえ」
「東京ですなあ」
「にぎやかだし、やっぱり悪くない場所だわ」
「そうでありますなあ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
私の隣にいるのは、同じ日本陸軍の軍服を着たウマ娘。
背はセンパイよりも小さいが、ソンネボーイほどではない。当然、私よりも遥かに小柄な子だ。
制服は私やトレーナーのように改造された跡はなく、与えられた時のままだ。でも制服の折り目は一分の乱れもなく、アイロンの線がまるで刃のように整っている。新兵ではない証として、ブーツの革には歴戦の擦れ跡が宿っていた。
「なんでありますか」
「いや、あなた、前まで出ていたかしら」
「失礼な! いや、出てはいませんでしたが! それでも日本陸軍でいえばウラヌス殿、貴官と同期であります!」
「あー、わかってる。冗談、冗談よ。まったく、可愛いわね」
「あ、頭を撫でないでください!」
「しょうがないじゃない。私の年下はソンネボーイくらいだけど、あの子はこうさせてくれないんだもの」
「むぅ……」
私の手に撫でられ、不服そうに頬を膨らませているこの子は、”ファレーズ”だ。
私と同じ時期、ドイツでスカウトされて日本に来たウマ娘だ。
私がトレーナーにスカウトされて、欧州を転戦していたある日、ドイツにいた時のこと。
トレーナーが「悪い、少しおつかいに行ってくる」とどこかに行ってしまったことがある。
数日経つと、トレーナーは一人のウマ娘を連れてやってきていた。その時も、私服なのにやけにびしっとした格好で、私に敬礼をしていたのを覚えている。
「自分は、”ファレーズ”であります! よろしくお願いするであります、ウラヌス殿!」
私はそれを見た瞬間、トレーナーをじとっと見た。自分以外にウマ娘をスカウトするなんて、聞いていない。
「ちょっと、これどういうこと」
「あー、誤解だ、ウラヌス。彼女をスカウトしたのは私じゃない。殿下だよ」
「デンカ?」
「ああ、殿下。事前に連絡済みだから、私は引き取りに来ただけだ」
「?」
スカウトを依頼し、お金を出してスポンサーになったのはタケダだった。現地の視察はトレーナーやイマムラがしていたけど、選んだのもタケダだ。
あまりにもファレーズを気に入ったタケダは「自分がトレーナーになって、ロスに行きますよ!」と叫んでいたが、結局、原隊の隊長に止められて、泣く泣く信頼できるトレーナーに任せたらしい。もうそれは泣く泣くだったらしく、3日ほど駄々をこねていて、ダメだったあとは1週間ほど意気消沈していた。
とにかく、私たちが転戦している間にトレーナーが連れてきて、日本陸軍に入った同期の子。それがファレーズだ。
「よいですかウラヌス殿、休暇といえど我々は陸軍軍人。節度ある行動を……」
「はいはい、わかってるわ。なでなで」
「ちょ、だから、頭を撫でないでほしいであります!」
ファレーズは、私よりも年下だ。同期ではあるけど。それに、びしっとしているけどなんだかちんまくて可愛い。あと、ついつい撫でてしまいたくなる頭をしている。
私の世話を焼きたがるセンパイの気持ちが、最近わかってきた気がする。
「ところでファレーズ、トレーナーとはどうなのよ」
「自分ですか? ええ、ヨシダ殿……トレーナー殿にはとても良くしてもらっているであります。次のオリンピックに向けて、相当力が入っていますよ」
ファレーズのトレーナーは、”吉田重友”少佐……ヨシダという。イマムラと同じく私のトレーナーの上官で、騎兵学校の教官だ。タケダが懇意にしているらしい。
なんでも前のアムステルダムに障害飛越競技で出た唯一の日本人らしく、その時に成績が振るわなかったから、今回はそのリベンジとして相当なやる気を見せていた。
強敵がまた一人。でも、もうそれで怖気づくような私ではない。
「ウラヌス殿はどうなのですか?」
「私は上々よ。トレーニングもだいぶ調子は良い。まあ、でも……なんだか、あと一歩って感じなのよね」
「あと一歩?」
「ええ、なんていうか、気持ちが? 私は、なんでロサンゼルスへ行くんだっていうか。何のために優勝を目指しているんだっていうか」
「よくわからないでありますな」
「そう。ファレーズは、どうしてオリンピックに行くんだっけ? それは……」
「「使命だから」であります」
私は、わかりきっていた答えを、ファレーズにかぶせるように言った。
「マネしないでほしいであります」
じと目を向けてくるファレーズ。
この子は、いつもそう答える。
自分を拾ってくれた日本陸軍のバ術ウマ娘としての使命だから。命令だから。だから自分は、オリンピックの優勝を目指すのだと。
ああ、軍人としては、これ以上に正しい答えはない。
彼女がどのような経緯で元いたドイツ軍から日本陸軍に来たのかは私はまだ知らない。けれど、彼女のこの気質のようなものは、きっとドイツにいた頃からそうなのだろうと想像できる。
そんなシンプルな答えを持つ彼女のことが、なんとなく羨ましく思う。
難しく考えすぎなんだろうか。
だから私は、今こうしてふらふらとまた東京に来ているのだろう。
※
先日。
習志野原で4000メートルのスタミナトレーニング中に足を悪くしたセンパイを連れて、トレーナーと一緒に騎兵学校の医務室に連れて行った。
「腱炎ですな。ひどくなる前に来てくれて良かった」
東京・世田谷の陸軍装蹄学校(ウマ娘の医学を学ぶ陸軍の学校らしい)から来た三等バ医がそう言う。
「1カ月か、2カ月もすれば治るでしょう。跛行も戻るでしょうが、それからも腫れだけには気をつけて」
それを聞いて、私は安堵した。予選会までには、準備を含めてなんとか間に合いそうだった。
でも、トレーナーはどこか暗い顔をしていて、「ありがとうございます」と言うと、すぐにセンパイが寝ているベッドのところに行って声をかけていた。
私はなんとなく邪魔になるかと思い、少し離れたところから2人を眺める。
「すまないアイリッシュ。いきなり慣れていない場所で長距離をやらせたのが間違いだった。オレのミスだ」
「ううん、トレーナーさんの責任じゃないさ。遠くからでも見てくれていたのは知っているし、これは私の入れ込み癖のせいだよ」
「それなら、なおさらオレの——」
「もう、良いってば。大丈夫だよ。それに、予選会までに治るのなら問題ないからさ」
「……ああ。なら、してほしいことがあったら何でも言ってくれ。オレにできることなら、なんでもするよ」
「こーら、トレーナーさん。奥さんもいるのに女性に”なんでも”とか言っちゃだめだろう」
「いや、そんなつもりは」
「……それならさ」
センパイはそれまでの冗談っぽい笑顔をふっと変えて、まっすぐな本気の瞳でトレーナーを見つめた。
「私を、ロサンゼルスオリンピックで優勝させてくれる?」
トレーナーは「ああ、もちろん」と言いかけたが、それは途中で宙に浮いてしまう。後ろにいる私を、ちらりと見た。
センパイはそれを見てはっとした。それから怖いくらいに真剣な表情をすぐ崩して、また笑った。
「もう、分かってるよ。トレーナーさんにはウラヌスもいるからね。ダメだよトレーナー、ウラヌスを困らせたら」
「あ、ああ……」
沈黙が流れる。やや気まずい沈黙。
オリンピックに出るには、担当の中から1人だけを選ばなければいけない。
私は当然トレーナーをやったことがないから分からない。どれほどなのだろうか、担当のどちらかを選ばなければいけない苦悩というのは。
トレーナーは、沈黙の中でも決してセンパイからは離れなかった。
とりあえず、この沈黙はさっさとどこかにやるのが良いだろうと思った。
「ねえ、センパイ、足は痛む?」
「ん? ああ、大丈夫だよ。そこまでではない」
「ちゃんと休まなきゃだめよ」
「はは、まさかそれをウラヌスに言われるとはね」
それはそうだ。
「でも、凄かった。センパイの走り。まっすぐで、”迷い”がなくて——」
瞼の裏にセンパイの走りを思い浮かべる。草原を駆け抜けるまっすぐの走り。
オリンピックに向けてただ一点を見つめるあの瞳。
「……ウラヌスは、何か”迷い”があるのかい?」
私の様子を見て、センパイはそう言った。
「え、いや、ただ、私は最近、自分の飛越に納得がいってなくて」
「そうなのかい? 最近、騎兵学校でもウラヌスの飛越は評判だよ」
「でも、なんだか今のままだとダメな気がするの。なんだか、”もやもや”があるというか……」
そんな風に、気がつけば病床にいるセンパイに相談をしてしまっている。
ああ、センパイを励ますつもりで来たのに、逆に心配させてしまっているようだ。
「ふむ」
センパイは少し考えた後、黙って傍にいるトレーナーに顔を向けた。
「どうだろう、トレーナーさん。明日、ウラヌスは休みにするというのは」
突然の提案だ。
「え、休みって」
「何か迷いを感じている時は、一度身体よりも先に“気持ち”を整えた方がいい。それにウラヌスはもう十分に力がついているから、それくらい良いんじゃないかな」
トレーナーは、チェッコ帽のつばを指先で弾いた。
「そうだな。トレーニングの計画も見直す必要があるし、そのほうがウラヌスのためだ。東京の街にでも行ってこい」
「え、でも、センパイ、ここで寝てるから……」
「はは、ウラヌス、私の面倒まで見てくれるつもりだったのかい? 大丈夫だよ、一人で全部できるから。ライバル相手に気を遣いすぎたらダメだよ」
「むぅ、それを言うならセンパイも、なんで私にそんなアドバイスをくれるのよ」
「それはもちろん、私が、強い本気のウラヌスと競い合いたいからさ」
センパイは真っすぐな目で私を見上げる。笑っているけど、その気持ちにウソはないように思えた。
「ウラヌス。もし迷いがあるなら、考える時間も大切だよ。無理に正解を探す必要はない。ただ——」
言葉を切って、腕をいっぱいに伸ばして、センパイは私の頭を撫でてくれた。
「ウラヌスが、なぜ走って跳ぶのか。それを、改めて見つけられたら良いね」
言葉に温度があった。怒気も、焦りもない。ただ一人の親友を、ライバルを想う声だった。
「……わかった」
実際、センパイに言われた通り、私自身の中には”迷い”があり、その答えを決めかねているのを、なんとなくではあるが感じていた。
私がロサンゼルスを目指すのは、”世界一のウマ娘”になるため。
アムステルダムオリンピックの記事を見てフランスの田舎を飛び出してから、私はそう決めていた。
それからもピネロロで、そしていま日本で、ずっと走り跳び続けている。
”世界一”。シンプルだ。
でも、最近思うときがある。きっとトレーナーも、それを見抜いているのかもしれない。
なぜ私は、”世界一”を目指すのか。
その明確な答えを、いまだ持っていない気がするのだ。
実家を飛び出した時から、なぜ私はそう思ったのか。
持っていなくても構わないのだとは思う。単なる憧れなのかもしれないし、それでもいいのだと思う。ウマ娘の本能のようなものだといえばそうだ。
でも、私は、ロサンゼルスで勝負の舞台に立つまでに、その答えをはっきりさせたいと思っている。
”どうしてオリンピックを目指すの?”……そう聞かれたときに、はっきりと答えられるようになりたい。
センパイもソンネボーイも、その走りや飛越、表情を見ると、その中に彼女らなりの答えがあるのが分かる。彼女らは、”何かのため”に跳んでいる。
じゃあ私は? ピネロロの復讐? 私をバカにしてきたやつを見返すため? 競技ウマ娘になりたいと言った私を受け入れてくれなかった両親に見せつけるため? どれもしっくりくるものではない。
目標とは大事なものだ。その芯が自分でもわからないと、今の自分そのものすらも見失ってしまう気がするのだ。
些細なことだけど、私はずっと悩んでいるのだと思う。
だから、良い機会だと思った。
遠く、東京の街に灯る光。そのどれかが、今の自分の癖や迷いを、そっと照らしてくれるかもしれない——そんな予感がした。
前にトレーナーとのことで悩んでいた私も、あの街で答えを見つけたのだから。
だから私は、医務室の椅子を立ち上がり、すぐに準備に行った。
「心配しないで良いから、楽しんでおいで」
そんなセンパイの言葉に押されて。心配するなは難しいかもだけど、なんとか答えようと思った。
去り際。
「トレーナーさんもだよ」
「……いや、オレはしばらくいるよ。リンゴでも切らせて持ってこよう」
「まったく心配性なんだから」
「明日からも毎日見に来るからな」
トレーナーも相当参っているらしく、たしかにこれならどちらにせよ休みにしたほうが良いと思った。
もしかしたら、休みの提案は、センパイなりの気遣いだったのかもしれない。
不謹慎かもしれないけど、そばで大人しく面倒を見ようとするトレーナーを見て、ほんのちょっとだけ羨ましく思った。
※
「そういえば、アイリッシュ殿が心配でありますね」
センパイのことを思い出していると、ちょうどファレーズもそのことを話す。
「大丈夫よ、トレーナーもついてくれているし」
「ほう、なるほど。それで少し寂しそうにしているのでありますよ」
「……ぶつわよ」
「ひぃ、やめてほしいであります」
ファレーズ。ちょっと生意気なところもある。
「心配と言えば、ファレーズ、あなたもよ」
「う、そのことは言わないでほしいであります」
医務室には、センパイのほかに3人くらいのウマ娘がいた。驚くことに全員がオリンピックを目指すウマ娘で、腱炎や外傷で診てもらっているらしかった。予選会まであと少し。そこに向けた過酷さが分かる。
その医務室の一番奥のベッドには、ファレーズもいたのだ。
「ファレーズ!? 最近見ないと思ったらどうしたの? 足?」
「うぅ……違うであります」
「じゃあなに?」
「……お腹」
「え?」
「お腹が痛かったのであります!」
ファレーズは恥ずかしそうに叫んだ。
どうやら、数日前に夜食で食べたニンジンが古くなってたらしく、腸炎になったらしい。
「で、結局昨日すぐ退院して、病み上がりの気晴らしに休みをもらったと」
「我ながら情けないであります……」
落ち込むファレーズ。
私としては、一人で東京を周っていても寂しかっただろうから、ちょうど良かった。
「じゃあ、行きましょ」
「そうですな」
同期2人。東京巡り。
とはいえ、どこへ行ったら良いのかわからず、ひとまず東京駅からバスと市電を乗り継ぎ、”いつものところ”に行った。
味のある木看板。ドアを開けると鈴が鳴り、現れるオシャレな内装。喫茶店『らんたん亭』だ。
ここは、今やすっかり騎兵学校の障害飛越組の間では定番の店になっていた。ここのコーヒーとパンは絶品なのだ。
「いらっしゃいませー! あ、ウラヌスさん、ファレーズさん!」
笑顔で飛び出てきたのは、看板娘のランタンだ。
ファレーズに似て、小さくて可愛い彼女は、いつも私の目の前までとててとやってきて、見上げるようにして笑顔を見せてくれる。
「お待ちしていました! また来ていただけて嬉しいです」
「ええ、本当は毎日来たいくらいなのだけどね。ナデナデ」
「あ、あの……えへへ、わ、私も、毎日来てほしい、ですよ?」
「ほんと? ふふ、可愛いランタンのためなら、東京に移住することも考えちゃうわ」
「はうぅ……うへへ」
ああ、かわいい。
彼女は、バ術に憧れがあるらしく、私のことも以前から知ってくれていたみたいだった。来るたびにバ術の話をしたりすると、これでもかと目を輝かせて話を聞いてくれる。彼女の輝いた瞳を見る度に、フランスの実家にいた時、懐いてくれていた農場のわんこを思い出すのだ。
しばらく撫でられてふにゃりとしていたランタンは、すぐにはっとして、顔を赤くしながら髪を整えなおす。
「あ、あの! そ、それじゃあ、2名様ご案内です!」
案内されて席に着くと、ランタンは「きゃー」と言いながら厨房の方に引っ込んでいった。きっとまた、厨房のお姉さんに私たちのことを報告しているのだろう。「頭撫でられちゃったー!」とかたまに聞こえてくる。それを聞いて、なんだか私も嬉しくなってふふふと笑みがこぼれる。
そして、そんな私を、ファレーズはじとっとした目で見ていた。
「ウラヌス殿は、相変わらずでありますな。まったく、さすがはあの西殿の担当ウマ娘であります。少し似てきたのではないですか」
「なによ、失敬な。あれと一緒にしないで」
「自分のトレーナーを”あれ”とは……まったく相性が良いでありますな」
たしかにトレーナーは、休日街を歩いている時、よく女の人にナンパしたりされたりする。
私は、ファレーズやランタン相手に可愛がることはあるけど、別にやましい心はない。失礼な。
……いや、トレーナーも意外と子供っぽいところがあるから、割となんも考えていないかもしれないけど。
この前も——
「よーし、横浜に行くぞー!」
休日のある夜、トレーナーが騎兵学校の人と一緒にそう叫んでいるのを見た時があった。
「どこに行くのよ、トレーナー」
「オー、ウラヌス、ワターシ、フィリピーンカラキタネー」
「は?」
「どうだ、フィリピンの留学生に見えるか?」
「どうしたの、頭でも打ったの」
「いやな、横浜のチャブ屋に行こうと思ってな。そこが外国人しか入れないんだよ。でも、前から行ってみたくてな」
「はあ。それで、チャブ屋ってなに?」
すると、周りのトレーナーの連れは「まずい」というようにあたふたとし始めた。だけど、トレーナーは別になんともない様子で言った。
「ああ。チャブ屋っていうのはな——」
「うん。ふんふん…………は!?」
「おう。だから、こうしてフィリピンの留学生という設定で——」
「どアホ!」
「ぎゃあ!!」
※チャブ屋とは、大正時代から横浜を中心に流行したデート喫茶とスナックをミックスしたような、まあ、そういう店である。
あの時も、悪びれる様子も遠慮する様子もなく、純粋な目で”楽しそうだろ”と言いたげにわくわくとしていた。天真爛漫といえば聞こえは良いが、子供か!と言いたくなる。
しかしあの人、一応結婚していて奥さんもいるはずだ。前にトレーナーの家でパーティーをしたときに会った。綺麗で慎ましい奥さんで、私を見て「綺麗で立派なウマ娘さんだねえ」と言ってくれたのを覚えている。というかその時は見なかったけど子供もいるはずだ。本当、奥さんは苦労していると思う。
……と、トレーナーに対して溜息を吐いてみる。
「苦労してるでありますな、ウラヌス殿」
同情するように、ファレーズは私の肩に手を置いた。
するとちょうど、ランタンがコーヒーを2つ持ってこちらに小走りで来た。
「こちらはサービスです! いつもありがとうございます」
「別にいいのに。お金ならあるわよ」
「いいえ! 気持ちですから!」
これでもかと眩しい笑顔を浮かべる。ああ、良い子だ。
「ところで、今日は、トレーナーさんは一緒ではないのですね」
「今日は、私たちだけ休暇なの。それで、東京観光でもしようかなって」
「観光、ですか?」
「ええ。思えば、東京を周ったこともなかったから」
日本に来てから、休日にらんたん亭に来たりはしていたけど、それ以外はすべてトレーニングや研究三昧だった。
オリンピックまであと少ししかない中、本当は休暇も惜しいくらいだった。でも流石に最近は休むことを覚えたけど、それでも東京を周ったりする余裕まではなかった。
「しかし自分らは、東京の名所など全然わからないであります」
「だから、ここでランタンに聞こうと思ってね」
「わ、私ですか……」
ランタンは、困ったようにうーんと唸った。
「ご案内したいところですか、私も田舎から出てきて間もないですから、紹介できるほどではないんです」
「そうなの……」
「はっ! すみません! せっかくウラヌスさんやファレーズさんのお役に立てる絶好の機会だったのにぃ……!」
「いや、大丈夫だから! というかいっつもお世話になっているから!」
今にも泣き崩れそうな(というかしてる)ランタンを励まして立たせる。
「うぅ……あ、でも! 私の知り合いにウマ娘の子がいるのですが、その子ならいつも東京を走り回っているのでわかるかもしれないです!」
「へぇ、そんな子が。……走り回ってるの?」
「人力車を引いてるんです。なので、お二人とも乗せてもらったらどうでしょう。彼女もきっと喜びますよ!」
「人力車かぁ。でも、急にだし、わる——」
「わかりました! お二方のため、すぐに来るように電話しますね!」
ランタンは、電話がある厨房のほうにすっとんでいった。
「……まだ良いとも言っていないのだけれど」
「憧れられるというのも、つらいものがありますなあ」