ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」   作:空見ハル

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#EX4「走れ大地を」

 首相官邸 日本館。

 

 『オリムピックバ術選手団、横濱から羅府へ出発』

 

 日本間の大きな食堂の一室で、老人・犬養毅は新聞の一面を大きく飾る、大きな船から手を振るウマ娘たちの写真を見て微笑んでいた。

 

「(いよいよ、ウラヌス君も西君も、ロサンゼルスか)」

 

 犬養は新聞の写真に写るウラヌスを見て、横浜で彼女らを見送った時のことを思い出していた。

 

 1932年4月22日には、ウマ娘たちを載せた「鳥羽丸」が、横浜港から出発。

 そして、ついこの間の5月12日には、トレーナーらを乗せた「浅間丸」が出発した。

 そのいずれにも、犬養はお忍びで港まで赴き、手を振ったのだった。

 

「(オリムピックを目指す者たちは、皆輝いた眼をしておるな)」

 

 犬養は、新聞に映るウラヌスや西の顔を見て思う。

 犬養が今危機的状況とも言える中でも見送りに出向いたのは、彼らに自分では叶えられない願いや想いをひそかに託していたからだった。

 

 犬養毅は追い詰められていた。

 犬養は軍部側を擁護したのにも関わらず、内閣が軍縮条約を締結した時に起こった統帥権干渉問題くらいから、青年将校から反感を買っていた。ウラヌスと共に東京駅で聞いた銃声。あれもこの統帥権干渉問題が元になったものだが、その傷が元で首相だった浜口雄幸は死んだ。

 更に世界恐慌による貧困も前内閣の政策が上手くいかずに倒れ、犬養はそのまま何度も断った総理大臣になってしまっていた。相当の重みを背負わされてしまったというわけである。そして1932年3月の満州国建国についてにも反論したものだから、犬養のもとには軍民問わず毎日のように怪文書が届いたりしていたのだ。

 そんないつ爆発するか分からない軍部や国民をいつも相手にしていた犬養にとって、”オリムピック”というのはどこか煌びやかな、美しいものに思えたのだった。

 

『ああ。なんというのかね。海外に行って、血を流さず、むしろ笑いあって競い合う。これは、ある種の対話だと思うんだよ。血の流さない対話。それができている間はね、日本はまだ大丈夫だと思えるんだ』

 

 かつて犬養がウラヌスに語った通り、彼にとってオリンピックとは、スポーツとは”対話”であり、平時の象徴だった。

 

 犬養は大勢の日本人と同じく、スポーツとはどういうものか最初は分からなかった。しかし、西やウラヌスの活躍を見て、だんだんとその意義のようなものに犬養は気づき始めていたのだ。

 彼は庭瀬藩の藩士として少年期は刀を振る術を学んだが、政界に入ってからは運動をする暇もなく日々が過ぎていった。

 しかし最近は剣道も競技化しているらしく、ある日声をかけてきたオリンピック協会の男などは、もし日本でオリンピックをやるのなら剣道も競技にできるのではないかと言っていた。それなら自分も引退してそういった競技に打ち込むのも悪くはないのではないかと、せわしない日々を送りながらも犬養はぼんやりと想像した。

 

「(まあ、この老体だと身体がもたんだろうがのう)」

 

 だからこそ犬養は、選手たちを含め、オリンピックへ行こうとする多くの者たちを応援し、後押しするのだった。

 自分には見ることが難しい世界を、その目で見てきて、この日本に届けてほしい。

 今まで国のため、国民のためという感情を半ば強制されてきた世界から、多くの人々が競い合い笑いあう輝かしい未来を。

 そしてそんな輝かしい未来の果てには、日本でも、と。

 

「(しかし、そうか。東京で、オリンピックか。それも、良いものだな)」

 

 熱心なオリンピック男、それに続き都知事まで言ってきた、”東京オリムピック”。

 関東大震災に揺れその復興もままならず、国内不安が漂う中では本来考えられないオリンピック。しかし、それでも犬養はそんな夢のような提案に一種の希望のようなものさえ抱いていた。

 満州で起きた関東軍による暴挙とも言える武力行使。そこから連なる上海での武力衝突。もはやこの国の軍部は正常とは言えず、にもかかわらず国民さえこれを称賛する有様だった。その一見強くて輝かしい行動の下には、数千の屍が眠っている。本来民が望むべきはずの平和はそこにはなかった。

 だからこそ犬養はスポーツで、オリンピックで、競技を通して互いの技で”語り合い”、少しでも平和の花道を、この日本という国の国民たちが理解し約束してくれないかと些細な願いを持っていた。

 もちろん犬養は首相として、そんなことで事態が収まるほど甘いものではないということは分かっていた。しかし例え他国に矛を向けなどしなくとも、あらゆる問題について話し合えば分かり合えることもある。それを示したかったのだ。

 そうしていつかは、国も人種も思想も違う相手と握手をして、歓声の中競い合える日がいつか来るのだと、犬養は心の底から願っていた。

 だからこそ犬養は都知事とも密かな約束を交わした。

 自分が生きている限りは、必ず”東京オリムピック”を叶えようと。

 

「(老人には、少し勇み足だっただろうか)」

 

 犬養がウラヌスの背中を押し、オリンピックへ行く際に手を振ったのは、そんな”東京オリムピック”の願いを叶えたいという密かだが大きな野望のためでもあった。まずはロサンゼルスから積み重ねていこうと考えていたのだ。

 

「(そういえば、なにやら招待状をもらっていたな)」

 

 犬養はテーブルに置かれた、大振りな字で書かれた”招待状”を眺める。

 

『オリムピック応援歌発表会 招待状』

『嘉納治五郎』

 

 それは”オリンピック男”から渡された、オリンピック開催地への赴く選手たちに向けて作られた、”国際オリンピック派遣選手応援歌”のお披露目会。発表の式典だった。それが今夜、横浜の朝日新聞社の本社講堂で開かれるというのである。

 新聞の一般公募で選ばれたその歌は、君が代の旋律を取り入れた、けれども逞しく清々しい気分になれる、正に”オリムピックの歌”なのだという。

 力強く勇ましい、けれど正々堂々と勝負し最後に笑いあう、平和の歌だ。きっと交響楽団の指揮と演奏によって奏でられるその歌は、何よりも素晴らしいものになるだろうと想像できた。

 

 

 ”走れ大地を”。

 

 

 招待状には、達筆すぎる文字で、でかでかとそう書かれていた。

 犬養は招待状を眺め、今日の午後七時に行われるその式典を想像し、少年のような気持ちで待っていた。

 この曲は、今ごろロサンゼルスに着いた西やウラヌスにも届くだろう。そしてそれは、彼らの活力になるはずだ。

 だからこそ、別に聴くだけではあるものの、犬養はこの演奏会には1つ気合を入れて参加するつもりでいた。

 もともと犬養は、今日はアメリカから来る来賓——チャップリンの歓迎会がある予定だったが、急遽中止になった。

 無理だろうと思っていたオリンピック応援歌の式典参加。それが急遽とはいえ可能になったことに、犬養は内心喜んでいた。

 

 さて、そろそろ着替えでもするか。

 そう思い、立とうとした。

 

 ——その時だった。

 

「失礼いたします!!」

 

 大声を出し、部屋の扉を勢いよく開けたのは、血走ったとも言えるほどに切羽詰まった表情の、護衛のため表にいた巡査の平山だった。

 

「どうした」

「軍服を来た暴漢が侵入してきました、どうかお逃げください!」

 

 犬養は表情一つ変えなかったものの、”ああ、ここまで来たか”と一つ息を吐いた。

 剃刀の刃が入った脅迫状が総理官邸に届いたのも一度や二度ではない。

 だから、いつかこうなるだろうとは思っていたのだ。

 

「いいや、逃げない。会おうじゃないか」

 

 そう言って平山を外にやった。

 そうした中でも犬養は心の中で、ウラヌスにかつて贈ったあの”言葉”を心の中で何度も復唱していた。それが犬養の意志であり、矜持のようなものだった。

 

 その後、間も置かずに海軍服を着た少尉が2人、陸軍士官候補生の服を着た者が3人、拳銃を向けてどたばたと押し入ってきた。

 いずれも険しい顔をし、犬養を睨んだ。

 そして一団の代表者らしき海軍少尉の男は何も言わずに拳銃の引き金を一度引いた。

 

 かちっ

 

 しかし不発。

 男は拳銃を犬養に向け、睨んだまま固まっていた。

 

「まあ、そう急くな」

 

 犬養はいつも議会で野次を収めている時と同じように手を振り、一団を見まわした。

 

「なあ若いの。撃つのならいつでも撃てる。こっちで話を聞こうじゃないか」

 

 犬養は新聞を持ったまま、ゆっくりと一団を招いて、自分の居室である日本間に入った。

 そして、大きなテーブルの奥に置かれた椅子へ向けて歩き、床の間を背にして座る。

 持っていた新聞をテーブルに置き、一団をぐるりと見まわした。

 誰もかれもが殺気立って、拳銃や軍刀を握っている。

 

「(ああ、ウラヌス君。”おじいさん”はもうここまでのようだよ)」

 

 犬養はもう生きてこの邸宅を出ることができないのだと悟っていた。

 

『私もね、ウラヌス君たちがオリンピックに行って帰ってくるまで、日本は大丈夫なようにする。ウラヌス君も、向こうに行って思いっきりやりなさい』

 

 かつてウラヌスに語った言葉を思い出す。

 

「(ああ、あの子らが帰ってくるまで、大丈夫になるだろうか)」

 

 確信をもって約束を守ると言えなかったことに、犬養は心の中で深く詫びた。

 そして、テーブルの上に置かれた達筆すぎる招待状を見て、あの”オリンピック男”にも約束を守ることができないことを詫びた。

 

「(”走れ大地を”。ああ、最期に、せめて聴いてみたかったのう)」

 

 日本の選手たちを称え、平和を祈る歌を、この耳で聞くとができない。その少しの未練を感じながら。

 

 そして考えた。日本の未来を、平和を。

 

 

「まあ靴くらい脱いだらどうだ。ここは家の中だ」

 

 

 ああ、オリンピックへ行く皆よ、ウマ娘よ。

 

 西君よ。

 

 ウラヌス君よ。

 

 選手たちよ。

 

 

「総理、靴の心配など後でもいい。私たちが何のために来たか分かるだろう」

 

 

 この暗闇を抜け出し、海を越えてあのロサンゼルスへ着いたなら。

 

 どうか平和の花道を辿ってほしい。

 

 だから。

 

 

「そうか」

 

 

 走れ、大地を。

 

 力のかぎり。

 

 泳げ、正々。

 

 飛沫をあげて。

 

 

「なあ、若いの」

 

 

 君らの腕は、君らの脚は。

 

 我らが日本の。尊い日本の。

 

 

「まあ座れや」

 

 

 ”腕”だ。”脚”だ。

 

 

「話せば、わかる」

 

 

 犬養は目を開き、一団の中心に立つ男に真っすぐ目を向けて言う。

 しかし、相手は目の色をも変えずに叫んだ。

 

 

「問答無用。撃て。撃てぇ!!」

 

 

 1932年5月15日、総理官邸。

 

 テーブルに置かれた、西とウラヌスの写真が載った新聞は、薄黒い血に濡れた。




※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第4話はこちら

#4「ロス五輪前夜その2~予選会、いざロサンゼルス~」
https://note.com/hal_sorami/n/n3d2f8762d243
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