ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」   作:空見ハル

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ピネロロ騎兵学校を訪れた貴族で美男子の東洋人は、ウラヌスを自身の担当としてスカウトする。


#1-2

 昼。

 寮の裏の草原で今日も走り込みをする。

 しかし今日は一人ではなく……。

 

「今日は絶好のトレーニング日和だなあ。君も走っていて気持ちいだろう?」

 

 高級な外車に乗りながら、悠々と私の隣を並走している。クライスラーのオープンカー。私はそれがうざったいから速めに走っているのだけど、車はしっかり隣につけてくる。

 

「さっきから何の用よ。私はトレーニング中なの。どっか行ってくれる?」

「そうはいかない。オレは君をスカウトしに来たんだから」

「さっき言ったでしょう。私はここで、一人で強くなれる。だからトレーナーなんかいらないの」

「”オレが”、君が欲しいんだ。これだけ走りながらも息切れしないスタミナ。その体格。そしてその素敵な性格もね」

「嫌味かしら?」

「いやいや本当さ。オレは、君のような強い女性が好きだよ。Signorina」

 

 この顔は良いがどこか胡散臭い男は、どうやら日本から来た陸軍軍人で、バ術のトレーナーらしかった。

 私が一度扉を閉めた後、この男がもう一度扉を開けて最初に放った言葉、それが

 

『私とトレーナー契約を結んでほしい』

 

だった。

 

『嫌よ』

 

 当然私は断った。自分のトレーナーさえも信じられないのに、遠いよくわからないところから来た見ず知らずの男を信じることなんてできない。

 

『そんなこと言わないでくれ。実際に見て、君が強いウマ娘になれると確信した! 特にこの脚! 君の脚には……』

 

 そう言って私の脚を触る勢いで近づいてきたから、死なない程度に思いっきり蹴り飛ばしてやった。

 

『ああ、なんてやつだ。でも……』

 

 男は玄関先で大の字に倒れた後、しばらく笑顔で横たわっていた。

 

『思った通り、良いウマ娘だ』

 

 あれだけ強く蹴ったからもう来ないと思っていたけど、昼にトレーニングに出るとまたすぐに出てきた。

 

 一方的に「自分は貴族なんだ」とか言っていてとても信じられなかったけど、今度は高級車に乗ってきたから金持ちなのは間違いなさそうだった。

 

「ねえあんた、本当に貴族なの?」

「ああ本当だよ。日本でいう”華族”だな。……どうしてだ? 貴族とは思えないほど親しみやすいからかな?」

「違う。貴族とは思えないほど紳士じゃないし変態っぽいから」

「おや、そうか。巷では紳士な良い男だと評判なのだが……」

 

 だとしたらそう評した人たちはよっぽど節穴なのだろう。

 

「そうだな。こんな話がある。昔、オープンカーで帝都を爆走していた時があってね。それは日本一の走りだったよ。しかし速度違反だってよく警察に怒られた。あまりに口うるさいもんだから、警察に職員用の宿舎をまるまる一棟ポンと送ってやった。それ以来、隣町まで逃げたら警察も追ってこなくなったんだ。どうだ、らしいだろ?」

「まあらしいっちゃらしいけど、あんたについていく気はより減ったわ」

「はは、やんちゃだったころの話だよ。何かの”一番”になろうと必死だったんだ。街で一番の高級外車。そして一番のスピード。あのとき、きっとなんでも良かったんだろうな」

「一番……」

「ああ」

 

 ”一番”。

 そんな言葉を車の上で囁きながら、男は私の走りを見つめてくる。

 

「で、その貴族サマが庶民の私になにか用なの? 私は貴族でもないし、あんたとは全く違う。あんたとは合わないウマ娘だと思うけど」

「そんなことない。オレと君は似ている。だから君のことはよくわかる」

「似ている? どこが? なにがわかるの?」

「君のその眼。志。もっと言うと、夢」

「意味が分からないんだけど。夢?」

「そう。なりたいんだろう? ”世界一のウマ娘”」

 

 ”世界一のウマ娘”。私が目指す、大事な大事な夢。

 この男は、それを”わかる”と気安く言う。それがなんだか腹立たしくて、思わず足を止めた。それに合わせて、男のクライスラーも止まった。

 

「わかる? 私の夢が? 気持ちが?」

「ああそうだ。わかる。そして、このままでは君は、その夢を叶えられない」

「なんでそんなことがわかるの」

「言っただろう。オレ自身が君と似ているからさ」

 

 わかる? フランスから家出をしてやっとイタリアにたどり着いて、たった一人で頑張って、その末トレーナーに見捨てられた私の気持ちが? このボンボンの貴族に?

 

「あんたに、私の何がわかるって言うのよ」

 

 そう言って男の顔を睨みつけた。どうせさっきみたいに笑いながら私に話しているんだろうと思っていたけど、いざ見たら真剣な顔をしてこちらを見ていたから驚いた。

 

「テキトー言ってると、今度は本気で殴るわよ」

 

 男はクライスラーを降りて私の目の前に立つ。やや背が高いけど、181cmある私よりはずっと背が低い。173cmくらいだろうか。男は私に見下ろされる形になるけど、決してひるまず私の目をじっと見続けている。

 

「なあ、オレのところに、日本に来い」

「日本に? 日本なんてバ術の世界でほとんど聞くことなんかないわ」

「そうかもな。だが、これからは違う。オレと、君がいる。それとオレの恩師も」

「話にならないわ。日本になんて行ったら、よけい私が世界一になれるわけなんてない。お願いだからもう帰って。そしてもう顔を見せないで」

「なあ、君は本当にこのままでいいと思っているのか?」

「うるさい」

「本当にこの小さな寮で、見てくれるトレーナーもいないまま……」

「うるさい!」

 

 この男は嫌いだ。私のことをわかった気になって、勝手なことを言うこの男が。何も知らないくせに知ったように話すこの男が……。

 

「今の君が、”世界一のウマ娘”になれると、本当に思っているのか?」

「……っ!!」

 

 さっきから、わかったような口を!!

 

 私は、考えるよりも先に手が出ていた。

 自分でも信じられないくらいに衝動的に。

 

 まるでスローモーションのように見えた。

 

 やってしまった。

 

 憎たらしいとはいえ、人間に拳をたたきつけてしまった……つもりだった。

 

「おっと、噂通りのお転婆娘だ」

「……え?」

 

 私は、気がつけば宙に浮いていた。手を出した右手は痛まず、代わりに手首のあたりを掴まれた感覚があった。

 そして、私はひっくり返ったけど、地面にたたきつけられることなく優しく芝の上にぼふっと落ちた。

 

「”柔術”だよ。強い力を持つ者に、我々日本人のような小さな身体の者でも打ち勝つことができる武術だ」

 

 私は突然のことにぼーっとして、ただ目をぱちぱちと開いたり閉じたりすることしかできない。

 

「君は日本では世界一になれないと言ったな。だが、弱い者には弱い者なりの戦い方がある。柔術のように。バ術における日本も……そして、今の君も」

「……よ、弱い? 今の、私が、弱いっていうの?」

「ああ、そうだ。少なくとも今の君は」

「そ、そんなことない。だって、毎日、誰よりも朝早く起きて、走って、トレーニング、して……」

 

 私は今までやってきたことを思い返した。国際大会で失敗したあの日から、トレーナーに見捨てられたあの日から、私は毎日誰よりも早起きして、寮の裏庭で走って……。

 

「それなら、なぜ飛越をしない? なぜ障害を跳び越えない?」

「!」

「実は昨日から君の様子を見ていた。だが、君は一度も飛越の練習をしなかったじゃないか」

 

 私は大の字で芝の上に寝ころびながら、その言葉に耳を傾けてただ上を向く。そして気がつけば、目から流れ出た雫が頬を伝い地面に落ちようとしていた。

 

「あんたに……何がわかるのよ」

 

 男に見られないように、制服の袖で目を覆った。だけど男は私の顔を見ないように既に別のほうを向いているようだった。

 

「怖いの! 障害を跳び越えるのが。またあのコースを走るのが! 障害を跳び越えようとして、跳び越えられない苦しみを感じるのが! でもだからといって止まれない。”絶対に世界一になる”って決めたんだもの!」

 

 もう止まらなかった。すべてがこの男の言う通りで、自分が情けなくなった。

 

「だからずっと走った。せめて足だけは止めないようにしようって。わかってる。一番大事な障害から逃げていたことくらい。でもしょうがないじゃない! だって……」

 

 私は、一人だから。

 

 フランスからたった一人で出てきて、たった一人トレーナーから見捨てられて、それでも走り続けなければいけない。だから弱音も吐けない。こういうときどうしたら良いのか聞く相手もいない。

 だから逃げることしかできなかった。障害から逃げることしか。

 

「こんな私の気持ちなんか、あんたにはわからない」

 

 誰も、私を理解してくれる人なんかいない。

 

 もう何かを言うのにも疲れてくると、男は私の近くの芝の上に座り、背と背を合わせて座った。

 

「わかるさ」

「……え?」

「何かから逃げて、それでも逃げきれなくて、宙にぶら下がっているような感覚。オレはたしかにボンボンだが、わかるんだよ」

 

 「オレも、弱い人間だ」そう静かに呟いた声が、背中と背中を通じて伝わった気がした。そこからは、言葉そのものの意味以上に深みを感じられた。

 どういうことかと思ったけど、私は彼にそれを聞くことはしなかった。

 

「私があんたと似て”弱いウマ娘”なら、強いウマ娘を探しているあんたが私を選ぶ理由がないじゃない」

「あるさ」

「……なによ」

「君とオレは似ているから」

 

 そればっかり。私が少し呆れて溜息を出すと、男はすぐに続けた。

 

「君が弱くても、そしてオレが弱くてもさ、似た者同士が二人で一つになれたなら、強くなれるかもしれないだろう。いや、何かの化学反応が起きて、どんなコンビよりも一番に……”世界一”になれるかもしれない」

 

 背中越しに、にやりと私を見ながら。

 

「オレは、”君だ”と思った。君はオレと似ている。君は特別な何か……意味のある”一番”……”世界一”になりたいと願うが、実際にはそこから逃げている。オレも似たようなもんだ。トレーナーの醍醐味である、”強いウマ娘と一番になる”という夢を掴みたいが、そう恵まれたこともない。本気で掴もうとしていなかったからだ」

 

 「このままでは、お互いに満たされないまま死んでいくだけだ」……そう静かに呟いて、空を見上げた。空は雲一つない快晴。ずっと見つめていると焼けてしまうような太陽に、男は目を細めた。

 

「だけど、ここからだ。二人なら……オレと君でなら、ここから始められる」

「私と、あんたと?」

「オレには相棒のウマ娘が必要で、君も世界一のウマ娘になるためのトレーナーが必要だ。バ術とは人バ一体。ウマ娘とトレーナーが一つになって初めて勝てる競技だ。オレと君なら、必ず夢を叶えられる」

 

 私の目を見てそう言った男の目は真剣そのもので、嘘偽りのない言葉だとすぐに分かった。

 

「疑うなら、証明してやろう。オレと君が、世界一になれる、”最強のふたり”だってことを」

 

 この男は、本気で私の……そして自分の夢を叶えようとしているんだ。本当に変な人だ。いきなり人の前に現れたと思ったら訳の分からないことを言ってきて……でも、私の夢を叶えてくれるという。

 

 でも……。

 

「でも、怖いの。障害が。バ術ウマ娘なのに。今は100mの簡単な障害でも跳び越えられる気がしない。こんな私じゃ、あんたの言う”夢”は目指せない」

「ふむ、なら、”賭け”をしようか」

 

 そう言って男はすっと立ち上がり、懐から軍帽を取り出して被った。恐らく日本陸軍の士官帽だろう。台形に見えるチェコ式の軍帽だ。

 

 そして、男は黒くしなやかな鞭を取り出して、その場でびゅんびゅんと振って見せた。棒のような短鞭だ。

 鞭と言えば、動物なんかを追い立てたり、叩くためのものというイメージが強い。だけどバ術では、トレーナーが向ける方向やその音でウマ娘に指示を送るために使う道具。つまり”指示鞭”だ。

 

「今から障害を跳んでみてほしい。私の言う通りに、だ。もし成功したら、君はオレの担当ウマ娘になる」

「ダメなら?」

「おとなしくオレは日本に帰ろう」

 

 一度だけの飛越で? 私は跳べないと言ったばかりなのに。

 でも、この男の表情は、余裕そのものだ。

 

「障害は、これだ」

 

 そう言って、男はさっきまで乗っていたクライスラーをぼんぼんと叩いた。

 

「え、でもその車、高そうだし、もしぶつけでもしたら……」

「それだけオレは確信を持っているということだ。君なら……ウラヌスなら跳び越えられる。それに、車の代わりならいくらでもあるさ」

 

 それだけこの男は、私が跳べると自信を持っているわけだ。

 初めてだ。こんなに私のことを跳べると言ってくれる人は。

 

 だから、信じてみようと思った。この東洋から来た貴族の言葉を。

 

 私は十分に距離を取り、クライスラーの横のボディと対面する。黒いボディが太陽に照らされて一瞬光って見えた。

 車を跳び越えたことは流石にない。車は通常の障害に比べて固く頑丈で、その上そこそこ背が高く幅が広い。簡単に跳び越えられるものではない。

 

 足がすくむのを感じる。怖い。ただでさえ低い障害でも跳び越えられる自信がない私が、大きな大きな障害を跳ぼうとしているんだ。

 

 でも、やるしかない。一度。この一度だけだ。

 私は一度大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。

 

「よし、行けっウラヌス!」

「っ!」

 

 私はあのクライスラーの横で私を見る男の言うとおりに走る。あの人が跳べというまで、私は跳ばない。止まれと言うまで止まらない。そういう約束だ。

 今だけはトレーナーである男の掛け声とともに地面を蹴って走り出した。

 

 クライスラーが、大きな障害が迫ってくる。

 

 …………。

 

 やっぱり怖い。

 

 怖い。

 

 怖い。怖い。

 

 大きな障害が迫ってくること、失敗したら怪我をすること。それもそうだ。

 

 でも、何よりも。

 また失敗して、また自分を信じてくれた人に、見放されるんじゃって……そう思うと、すぐに足を止めたくなる。

 

 だから目をつむった。何があっても止まらないように。

 

 せめて跳ぶ体勢に入ろう。そう思った時だった。

 

「跳べ、ウラヌス!!」

 

 ビュン、バチン。

 

 トレーナーの鞭が、私に”跳べ”とサインを送った。

 

 

 え、嘘、まだ跳ぶには早っ……!

 

 —―——!!!

 

 無理だと思った。

 

 だけど、気がつけば私は、宙を飛んでいた。

 

 下には黒いボディのクライスラー。後ろには、笑ったあの男の顔。

 

 ずいぶん高く跳んだ頂上からは、もはや地面は見えない。

 

 青空だ。

 

 そして帰還する。大地に。

 

「……嘘」

 

 飛越の余韻を残して走った後、どこか現実味がない感覚にぼーっとしてしまい、芝の上にぺたんとお尻をつけて座り込んでしまう。

 

「跳べた……」

 

 前まで跳んでいた障害よりも、遥かに大きな障害だった。でも。

 

「と、跳べたぁ!?」

「言っただろう。君は跳べると。やっぱりオレが見込んだ通り、君は最高のウマ娘だ」

 

 そう言って嬉しそうに男は駆け寄ってきて、芝の上に座り込む私の頭をぽんと優しく叩いて撫でた。

 

「わわっ」

「ありがとう、信じてくれて」

 

 そう言ってにかっと笑う男の顔は太陽に照らされて、なんだか眩しくて照れくさかった。顔が熱くなるのを感じた。

 

「やっぱり君はその名の通り、”ウラヌス”だな」

「……どういうこと?」

「ギリシア神話の神、”ウラーノス”は天空神だ。空を飛ぶような飛越をする君にはぴったりだ。そしてその名前が元になった天王星”(Uranus)は、太陽系の果てにある惑星。君なら空を跳び越え、遠くの果てにある星にだってたどり着けそうだ」

 

 腰に手を当てて、私の名前を嬉しそうに話すその顔に、私はしばらく見惚れてしまっていた。

 そして、その顔を見て思った。確信はないけど、きっと。

 

 この人となら、きっと……。

 

「ねえ、名前は?」

「ん?」

「あなたの名前。」

「ああ。竹一。”西 竹一”だ」

「ねえニシ。私は、あんたの言うようなすごいウマ娘じゃないかもしれない。宇宙の果てまで行けるようなウマ娘じゃないかもしれない。……でも」

 

 私は立ち上がり、ニシと向かい合う。

 

 

「賭けてみる価値はあると思った。世界一への切符を手にする、このバカげた大博打でね」

 

 

 そして、右手をぐーにして突き出した。

 

「だから、あんたとの契約を受ける」

「なら、契約成立で」

 

 ニシも拳をだして、私の拳にこつんとぶつけた。

 

「言っておくけど、私は手強いわよ?」

「知ってるさ。それもあって君……いや、”お前”を選んだ」

 

 今まで立ち止まってた私は、新しいスタートラインに立つことになった。

 

 東洋からやってきたおかしな貴族。

 

 正直、まだ完全に信用できているわけではないけど。

 

「よろしくね、”トレーナー”」

 

 でも彼となら。ニシと……新しい”トレーナー”となら。

 

 

 夢を叶えられるかもしれない。そう思った。

 




※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第一話はこちら
(第一話読後の閲覧がおすすめです)

#1「”西とウラヌス”前夜~今村とソンネボーイ~」
https://note.com/hal_sorami/n/nfdf60f3a461f
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