ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
「足は大丈夫?」
「う、うん。少し擦りむいただけだから」
既に陽が落ち始めようとしていて、空はオレンジと藍のコントラストに染まっていた。
そんな空の色に照らされた第三バ術寮の玄関前でクライスラーの助手席に乗った私を、ナセロはわざわざ見送りに来ていた。ナセロの左ひざには布あてがされていた。
ナセロとの六段障害勝負。
ジャンプオフ最後の190cmの大障害を、私はトレーナーの合図で見事跳び越えた。闘志を燃やして表情を崩さなかったナセロも、この時ばかりは動揺したのか目を見開いていた。
そしてナセロの番になった。
ナセロはたった一人で190cmの障害に果敢に挑んでいたけど、190cmという障害はあまりにも高い。ナセロも今まで跳んだことは一度もないだろう。
ナセロは左膝を障害に当ててしまい、ハードルと共に地面に落ちた。
私とトレーナーは、ナセロに勝った。
勝利の喜びの声は出なかった。バ術とは紳士のスポーツであり相手の失敗で歓喜の声を上げることなどしないというのもあるけど、トレーナーの言った通りこれは私にとって始まりに過ぎない。ここで喜んでいる場合ではないのだ。
ナセロは障害に躓いた後、茫然と地面にへたり込んで動かなくなっていた。勝負に負けて涙を流すでもなく、私を再び睨みつけるわけでもなく、ここまで起きた全てが”信じられない”と思っている様子だった。
それからはお互いに何も言わず、トレーナーが障害を片付けるのを眺めていた。
やっと話したのは、私が馬術寮を離れようと玄関に出た時。つまり今だ。
「あの、ニシさん……」
「ん?」
ナセロは、私を挟んで運転席で自らハンドルを握っていたトレーナーを見る。
「ウラヌスのこと、その、よろしくお願いします」
「よろしくって……あんたは私の母親か何かなの?」
私はナセロの言葉に笑ったが、彼女はなんだか真剣な様子だった。
それを見た私は思い直して息を吐き、オープンカーのドア越しに彼女の腕をぽんと触った。
「私はあんたの方が心配よ。ナセロ……あんたは大丈夫なの?」
「私は大丈夫」
「本当に?」
「う、うん」
「それなら……」
私はナセロの顔に手を伸ばす。
「なんでそんなに泣いてるの?」
私の指先が少し湿った。ナセロの頬には雫が流れていた。
「そ、それは……」
「私との勝負に負けたのが悔しかった?」
「う、うん。それもあるけど……」
”寂しい”、”行かないで、”また勝負がしたい”。
ナセロの表情はそんな感情が幾重にも重ね塗りされた絵画のように難解なものだった。
それ以上何も言わず、ナセロは俯いてしまう。
「もう。ほら」
そんなナセロの頬を両手で挟んで、私は無理やりこちらに顔を向けさせる。ナセロの眼は濡れてきらきらとしていた。
「ねえ聞いて、ナセロ」
「ひゃ、ひゃい」
「あんた、ほんっとうに凄かった!」
「……え?」
「素早い足! 力強い飛越! リスボンでたくさんのバ術を見たけど、あんたが一番凄かったわ!」
この言葉にウソはない。本心だ。
正直、私は押しつぶされるかと思った。息をのむほどのナセロの飛越に。
「あんたは間違いなく、世界で戦えるウマ娘になれる!」
「まあ、”世界一”になるのは私だけどね」そんな心意気は胸の中で呟いたけど。
「だから、あんたも相棒(トレーナー)を見つけて、私のところまで走ってきなさい。私は、先に行ってあんたを待っている」
ナセロが世界で戦えるウマ娘だと確信したのは本当だ。
「あんたが世界の舞台に立つのに越えるべき壁は、そう多くないはずよ」
その”壁”に昨日までぶち当たっていた私が言えたことではないかもしれない。
でも私はトレーナーの掛け声で跳んでみて、力がみなぎるのを感じた。やはりバ術とは、ウマ娘とトレーナーがコンビになってこそなのだ。
私の言葉を聞いたナセロもそれを分かっているはずだ。ナセロは顔を赤くして私を見た。
「あ、ありがとう、ウラヌス。」
そして私の両手から解放され、ぐしぐしと軍服の袖で目を擦り、再びトレーナーの方を向いた。
「ニシさん。私、ウラヌスとあなたがいるところに必ず追いつく。そして、絶対に追い抜いて見せるから」
その真剣な目に、トレーナーはふっと笑って答えた。
「よし。それなら、その時を楽しみにしていよう」
トレーナーはそう言って私を見る。
私はその言葉に頷いて答えた。
「それじゃあ、その時まで、また」
「うん。またね、ウラヌス」
トレーナーはクライスラーのアクセルを踏み、走り出した。
「しかし、良かったのかぁ?」
トレーナーが片手でハンドルを握りながら、冗談っぽく言って私を見た。
「あのナセロというウマ娘、トレーナーを見つけて上がってくれば、強敵になるぞ」
「良いのよ。それに、そんな相手でも勝てるくらい私を強くしてくれるんでしょう?」
むしろ私は強くなったナセロと戦うのが、今から楽しみで仕方がなかった。
助手席から後ろを見ると、ナセロは見えなくなるまで私たちに手を振っていた。
姿が遠くなっても、ナセロのあの走りと飛越は目に焼き付いている。
あの勝負で見せた衝撃的な飛越。きっとまた競い合う時には、再び私を驚かせてくれることだろう。
……勝負。勝負といえば。
「そういえばトレーナー。190の障害を跳ぶ前、私の頭をぶったわよね」
「え? あー。元気づけるためにこつんとやったくらいだと思ったんだが」
”はっはっは”とトレーナーは笑って私を見る。
私もそれにニコッと返してやる。
「よくもぶったわねこのバカトレーナーァァ!!」
「いたっ! ちょっと待てウラヌス、ぶつなっ! 運転中だぞ!」
うるさい。どうせここらへんに他の人などいやしない。
「悪かった! 悪かったって! そんなに痛かったか!?」
「痛いかどうかより、なんだかムカつくわっ!」
「おわっ! おい本当に事故になる! くそ、なんてウマ娘だ」
こっちこそ、なんてトレーナーについていってしまったんだという気分。
とりあえずこっちも事故にはなりたくないから、しょうがなくやめてやる。
「……はぁ、まったく、あんたと国際競技会に出れるのは、いつになることやら」
バ術の晴れの舞台といえば、”国際競技会”だ。
その中でも国対抗別で世界中の選手に大々的に開かれる”ネーションズ・カップ”は、世界有数の人バが揃い、”欧州一”を目指して競い合う。
今は4月だけど、既に風は吹いている。
ネーションズ・カップに合わせて開かれる数えきれないほどの競技会は2月から欧州の南部で始まって、10月になると北欧でシーズンを終える。全部合わせると百何十の競技会が行われ、そのうち10回ほどが国際競技会として賑わうのだ。
国際競技会は、世界中のバ術選手たちが集まる世界大会。10回あるとはいえ、参加人バも多くその中で勝つのはほんの一握りだけ。そんな国際競技会で何度も勝てるようになれば、”世界一”になった……と、言えるかもしれない。
だけど、バ術は「人バ一体」と言うほどにウマ娘とトレーナーの連携が不可欠。自分のトレーニングもそうだけど、連携を深めるのにも時間がかかるから、バ術はレースに比べてデビューまでが遅くなることが多い。
最低でも半年……できれば2年。私はトレーニングはある程度積んできたとはいえ、トレーナーのことを信用できるかも分からないから、国際競技会で勝つまでどれくらいかかるだろう。
「あー、そのことだけどな、ウラヌス」
「んー?」
「競技会、すぐに出るぞ」
……え?
「ウラヌスは競技会の経験もあるし、そこそこトレーニングも積んでいるから大丈夫だろう」
「え、いや、ちょ、ちょっと待って。”すぐ”って、どれくらい?」
「うーん、明後日かな」
嘘。
半年とは言わずとも、競技会にまともに出るのは数か月後かと思っていたのに……。
それが……明後日……?
「えええええぇぇぇーーーー!!??」
「うわ、びっくりした」
道に立っている看板を見てみると、『ローマ』への道が示されていた。
ローマではちょうど3日後に、イタリア最大のバ術大会……”ムッソリーニ・カップ”が開催されようとしている。
私とトレーナーとのデビューは、波乱の予感がした。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第一話はこちら
(第一話読後の閲覧がおすすめです)
#1「”西とウラヌス”前夜~今村とソンネボーイ~」
→https://note.com/hal_sorami/n/nfdf60f3a461f