ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
西とウラヌスがピネロロ騎兵学校からローマに向かってしばらくした後、第三バ術寮の寮長だったナセロも、たまたまローマの近くに行く用事ができていた。
まるでウラヌスを追っているようだとナセロは思ったが、着いたのはウラヌスがいる中心部とはやや離れた場所だった。
ローマ近郊・バストレンゴ。
コロッセオや大聖堂も見えない、小さな広場と古い泉が見える時代を感じさせる町。町の端には畑が広がっていて、オリーブやブドウが豊かに実っている。都会の喧騒から離れたゆっくりと時間が流れる場所。
その景色の中に溶け込むようにひっそりと建っている古びた一軒の宿舎に、ナセロはいた。この寮は、イタリア陸軍が保有しているウマ娘用の宿舎で、競技会などに参加する時に使われていた。
まだピネロロ騎兵学校から到着したばかりのナセロだったが、既に仕事にとりかかっていた。
「ぐっ……! なんでこんなことを……!」
仕事と言ってもそれはバ術ウマ娘としてのものではない。ナセロは穀物が山のように積まれた荷車を、汗を流しながら曳いていた。
ナセロの役割は、言ってしまえば雑用のようなものだった。
イタリアで連日行われているバ術競技会のために使われる備品の整理や運搬がその仕事だった。時には宿舎の掃除を任されることすらあった。
比喩ではなくこれでは本当に駄バ。バ術ウマ娘とは思えない扱いに、ナセロは屈辱を感じていた。
こういった待遇にじっと耐え忍び、何も感じないようにしてただただ笑っているだけだったナセロは変わった。
『あんた、ほんっとうに凄かった!』
ずっと黙って待っているだけなのは、自分を褒めてくれたウラヌスへの裏切りになると思ったからだった。だから、ナセロは必死に変わろうとした。
バ術のトレーニングにより精を出し、その分ピネロロでやっていた雑用も削った。寮生からの陰口に笑うこともしなくなった。
……だけど、それでも上からの自分への待遇は変わらなかった。
「あれ、見て。あの服装、騎兵の子だよね?」
「知らないの? ピネロロのナセロ。あんまりにも雑用ばっかりするから、本当にずっと駄バになるんじゃないかって有名だよ?」
「そうなんだ、可愛そうー」
宿舎に泊まるウマ娘二人が、ナセロを見て笑う。
それに対して、ナセロはかつてのウラヌスのように思い切り睨みつけてやった。
「おお、怖怖」
そう言って笑いながら去っていく。ナセロは自分がウラヌスのように怖い顔ができないのが情けなく思った。
『私が本気を出せば、あなたたちなんて一捻りだ』……そう心の中で言い放ちながら、再び荷車を曳く。これはトレーニング代わりだと自分に言い聞かせながらも、通りがかった彼女らの言葉が胸に刺さるようだった。
しばらく契約を結べるトレーナーもおらず、雑用ばかりが増えていったナセロについて、騎兵学校の中でバ術ウマ娘から降ろそうという話が出ているのは本当の話だったからだ。
騎兵にのみ許されるバ術という競技は国の威信を背負うという一面があるため、ウマ娘の存在は貴重である。その一方で、軍に直接的な利益をもたらさないバ術ウマ娘というのは見られる目が厳しい。特に結果を残せていないウマ娘には。
「私……何やってるんだろう」
一人で呟いた小さな声も、小さな町の空に消えていく。
ウラヌスと勝負したあの時から、ナセロは変わると決めていた。
引っ込み思案な性格も、バ術への向き合い方も、殻にこもっていた自分も。何もかもを良くしようと。
しかし、今更悪い噂がたっている自分のところに声をかけにきてくれるトレーナーなどいなかった。自分から勇気を出して声をかけようにも、既に競技会が始まっている7月のピネロロで、空きのあるトレーナーなどどこにもいなかった。
でも、諦めるわけにはいかない。でも、どうしたらいいのか分からない。
そうして、崩れ落ちそうな崖の端にいるかのような感覚のまま、ナセロは日々を生きていた。
いっそこの荷車も全て放り出して、ウラヌスがいる競技会まで跳び出してしまおうか。そんなことさえ思えてくる。
しかし、競技会はトレーナーがいなければ参加できない。
「ここがバストレンゴの宿舎か」
「ああ、そうだ」
思い悩んでいるナセロの耳に、遠くから二人の男の声が届く。
ナセロは思わず荷車を曳く足を止めた。
「しかし、良かったのか?初めての相棒のウマ娘を探すってのにピネロロに行かなくて」
「うん。もう7月だ。ピネロロのウマ娘はもうほとんど契約済みだろう」
”相棒のウマ娘を探す”……その言葉を、ナセロは聞き逃さなかった。
それは、ナセロにとっては木々の間を照らす太陽の光のようなものだった。バ術ウマ娘としての自分すら危うく、来年には自分が自分でなくなってしまうのではないかという恐怖の暗闇の中で見えた光だった。
しかし、同時に大きな不安も生まれた。今こうして荷車を曳いているような自分と本当に契約を交わしてくれるのだろうかと。そんな不安が、荷車以上の重みとなり身動きが取れなくなりそうだった。
ナセロは深呼吸をして、空を見上げた。広く澄んだ空の中で、ウラヌスを思い出していた。
『あんたは間違いなく、世界で戦えるウマ娘になれる!』
そんな言葉を思い出した瞬間、ナセロは自分の心にある限界を打ち破り、自由な未来へと羽ばたくことができるのではないかという希望が生まれた。
ナセロは荷車を投げ捨て、積んだ穀物が地面に落ちるのも気にせずに、それを背にして駆けだしていた。
閉じこもっていた殻も、限界も、今までの自分を投げ捨てて駆けだした。
すると目の前に壁が立ちはだかった。ウラヌスとの勝負で最後に躓いたときのような、190cmはある壁だった。
石でできた、宿舎を囲うように連なる大きな壁。それは泊まるウマ娘たちが逃げ出さないようにするように建っていた。
その壁を見たナセロは、今まで自分に向けられた陰口やいやがらせをなんとなく思い出した。
『あれじゃあバ術ウマ娘かもわからないね。まるで駄バ』
「……違う」
『本当に駄バになるんじゃないかって』
「違う!!」
ナセロにとって、それは”壁”だった。自分に向けられた悪意という壁だった。
「私は……私は……!!」
しかし、ナセロは、そんな壁の前でうずくまっているだけだったことも、自分で分かっていた。
「バ術ウマ娘だああああああああ!!!!」
そう、自分はバ術ウマ娘。
壁は、跳び越えるものだ。
ナセロは芦毛で白い髪を靡かせ、影のように軽やかに舞い上がった。
その瞬間、ナセロはのしかかっていた全ての重りがなくなったのを感じた。まるで鳥のように、自由に羽ばたいているかのようだと思った。
「うわっ!?」
跳び越えた先には、驚いて尻もちを搗きそうになっている男と、その横で目を見開いて私の飛越を見る男……フィリッポニと呼ばれていた男の姿があった。
ナセロは190cmの壁を跳び越えたのを感じた。そしてこの飛越は、きっと2mの障害でさえも越えられるものだと自分で分かった。
しかし飛越の勢いが良すぎたのか、障害を跳び越えた後の身体の制御が全くできなかった。
そのため、ナセロは思いっきり地面にべたっと倒れ込んでしまった。
「い、いっだぁ~~……」
草地だったものの、全身に痛みが走った。特に傷んだ鼻に手を添えた。血は出ていなかった。
「……なあ君」
ナセロは頭上からかけられた声に、顔を上げた。
すると、そこには騎兵になったばかりといった様子の、軍服を着た若々しい少年のような男の笑みがあった。
そして、男は手を差し伸べた。
「僕の名前は”フェルナンド・フィリッポニ”」
「……え?」
「新人の騎兵で、今相棒となるウマ娘を探している」
ナセロはフィリッポニの笑顔をぼんやりと見つめたまま、手を取ってもらい起き上がる。
そしてフィリッポニはナセロの両肩にぽんと手を置き、笑顔を見せた。
「君の飛越、最高だよ」
その言葉はナセロの心を美しく染め、新しい未来への可能性を広げるかのようだった。
”フェルナンド・フィリッポニ” と ”ナセロ”。
この二人が数々の競技会で活躍し、「King」と呼ばれるようになるのは、もう少し先の話である。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第一話はこちら
(第一話読後の閲覧がおすすめです)
#1「”西とウラヌス”前夜~今村とソンネボーイ~」
→https://note.com/hal_sorami/n/nfdf60f3a461f