ウマ娘Prequel「跳べ、ウラヌス!~ウマ娘オリンピック物語~」 作:空見ハル
「さあ次は、東洋の国・日本から来たトレーナーと、そのウマ娘! タケイチ・ニシと、ウラヌス!」
数十人の落バや、ほんの一握りの完走したウマ娘、そしてそれを見て泣いたり笑ったりしているトレーナーを見てきた。
次は、私の番。
司会の声に、会場からは困惑と好奇心が入り混じった声が聞こえてきた。
当然だ。”日本”という国からは、少なくとも私が知る限りは国際競技会に参加した人バはあまりいないし、ましてや勝ったことがある人バはいない。
日本がどこにあるのかも分からない人がほとんどだろう。
そしてそんな日本から来たトレーナーの横には、ついこの前までイタリア陸軍のウマ娘だった私が立っている。
欧州勢の中に紛れ込んだ明らかな異物。
そんな状況で、こうして立っているだけでも少し疲れてくる。
……しかし、それだけが奇異な視線を向けられる理由ではなくて……。
「ねえ見て見て、あのウマ娘!」
「背が高くてかっこいいー! しかも男装!」
「なんで男の人の軍服着てるんだろ?」
「トレーナーとお揃いなんだねー」
他の国のウマ娘たちから、何とも言えぬひそひそ話が聞こえてくる。
……なぜこんなことに。
障害飛越競技を含むバ術は、紳士淑女のスポーツとして、正式な競技会では軍服とそこから派生した勝負服の着用が義務付けられている。
”勝負服”……レースのウマ娘もあるけど、当然バ術のウマ娘にもある。
通常、バ術ウマ娘の勝負服は、軍服を改造したものだ。所属する軍隊の軍服をベースに、スカートにしたり、少し装飾を施したりして、既に華やかな軍服を更に華やかにして、ウマ娘の美しさをこれでもかと際立たせる。これを着るだけで、不思議な力が湧いてくるのだ。
私もイタリア軍騎兵の軍服をアレンジした、紺色の勝負服を着ていた。ドイツやフランスと比べるとちょっと地味だけど、綺麗なショートスカートは気に入っていた。
『それでトレーナー。私の”勝負服”はどこにあるの?』
私は既に日本陸軍のウマ娘。トレーナーのようにカーキの詰襟の勝負服を着れるのだろう。トレーナーは軍服はオシャレだし私も似たような勝負服を着れるのかと、少しだけ楽しみにしていたのだ。
『あー……すまんウラヌス』
『え?』
『この前こっちに来たばかりで勝負服はまだないんだ。だから……』
『……は?』
ただ、このバカトレーナーは勝負服の用意を全くしていなかった。
『しょうがないから、私の軍服を着て出てくれ。大丈夫だ、洗濯はしてある』
いや、そういう問題じゃないから……と言うのも遅く、トレーナーの軍服のスペアを押し付けられ、着替えさせられた。
「ちょっと小さいし……」
トレーナーと私では身長が差があるし、ちょっとぱつぱつで着心地が悪い。けれど今はこうするしかない。参加申請に行ったら競技会の人は不思議な顔をしつつも、一応軍服だからと通してくれた。
「大丈夫だ、似合ってるぞ、ウラヌス」
「そういうことじゃない!」
この男は……競技中にちゃんと走れるかとかそういう心配はないのか……。
「はぁ、もう! あんたのせいで私の世界一プランはぐちゃぐちゃよ! このバカトレーナー!」
この男は、”世界一”のために私を連れ出したかと思えば、すっかり遊び惚けて、気がつけばもう本番だ。
「なっ! 誰がバカだ! こう見えても陸軍士官学校は出てるんだぞ!」
「そういうことじゃないわよ! バーカ! バーカ!」
「なっ! お前こそ!」
数万人の観衆のど真ん中で喧嘩する私とトレーナー。
これが人バ一体のバ術にこれから挑むコンビか……。
くすくすと笑い者になる私たち。
ああ、もうどうにでもなれ。
「ここは紳士淑女のための競技場。言い合いを続けるなら失格にしますよ」
「「すみません」」
流石に審査員に怒られる。
”失格”は、競技中の失権ですらない。不名誉の極みだ。
審査員に言われて、私はコースのスタート地点に、トレーナーはコースの真ん中に立つ。
「……安心しろウラヌス!」
トレーナーは帽子を被り直し、腰に差していた鞭を抜いてびゅんと振る。
「お前なら小手先のトレーニングなんて今はいらない。オレの言う通りに跳べば大丈夫だ!」
「なんでそんなことが分かるのよ!」
「信じているからさ! 私のクライスラーを跳び越えた、お前の飛越を!」
トレーナーは、コースの真ん中で笑ってそう叫んだ。
その表情に、自信に、私は今までの心配が少し薄れたように思えた。そして、私は目の前に広がるバ場に向かい合った。芝の柔らかな感覚が、軍靴の下から伝わってくる。
まず目の前にあるのは、クヌギの横木がハードルのバーのように据えられた、1.3から1.4mくらいの障害。ここを跳び越えた後には何があるのか、それはトレーナーから聞かされてもいない。目の前には沢山の障害が見えるが、それぞれがどれくらいの高さ・幅で、どんな注意が必要なのか。それは分からない。
だから、信じるしかない。
「スタート!」
このバカトレーナーのことを……!
スタート地点に立った
風の音に混じり響く旗の音。
私の心臓は高鳴り、一瞬で世界が加速し始めた。
もはや考える余裕などない。私は2つの耳を競技場の真ん中にいるトレーナーの方に傾けて、そこに全意識を集中させた。
次第に近づいてくるクヌギの第一障害。
「よし、今だっ!」
トレーナーの掛け声と鞭の音が聞こえてきたと同時に、躊躇せず踏み出す。
トレーナーの”音”に従い、私の身体は大きく浮かび上がり、体中の筋肉が一斉に動いたのを感じた。
1.4mの障害を跳び越えた。だけど、勝負はここからだ。
私はここから先のコースを知らない。何の情報もない私にとっては、コースに置かれた障害も、箱から放り出されたおもちゃのように、何の規則性も法則も見いだせない。
「ウラヌス! 10時の方向! 水濠障害だ!」
「!」
トレーナーが鞭で差す方へと、慌てて方向転換。私の足が映画のカーアクションのように弧を描き、コンパスのように地面に跡をつけて土煙が上がった。そしてすぐに体勢を立て直し、トレーナーの言う障害へと向かう。軍隊生活のおかげで、時計の針で表す方向指示にも慣れっこだ。
水濠障害……低めのハードルの先に水たまりが置かれた特殊な障害。障害飛越競技では水濠の水たまりに足を入れてしまうと減点4となってしまう。
1mもないだろうハードルを跳び越える。問題は飛越の高さではなく、幅。
私は水濠の水面を揺らさず、浮かぶ葉すら1ミリも動かさぬように、素早く静かに飛越したつもりだった。
しかし、飛越後に着地した私の左足はわずかに水濠に入ってしまい、軍靴と長いズボンを濡らした。そして水濠の水しぶきが輝く太陽に照らされてダイヤモンドのように輝きを放ったのが視界の端に見えた。
「ウラヌス! 動じるな! よく跳んだぞ!」
それでもトレーナーは、それを責めることもせず、笑ってすぐに次の障害へと目を向けていた。そのどこか楽し気な表情と私への激励は、トレーナーがこの競技がすべてうまくいくのを分かっているような、そんな風に思えた。
そう、クライスラーを跳び越えた時や、ナセロとの勝負に勝ったあの時と同じように。
そう思うと、濡れた左足の軍靴もズボンも些細なことのように思える。きっとトレーナーもそう思っている。一度の減点がなんだと。
全く同じ日本陸軍の軍服から、トレーナーの意志が流れてくるようにも思えた。
それからは、時間が一気に加速したように感じた。私は波の上を行く舟のように、その流れに乗り始めた。
スピードを上げ、トレーナーからの指示もよりスムーズに入ってくる。いや、入ってくると言うより、競技を進めていると感じることができるようになった。
「9字方向! 例の2連障害だ!」
「了解っ!」
フランスの名手・ビザーとそのウマ娘も跳び越えられなかった、140cmのハードルが2つ並んだ障害。これも、トレーナーの合図でワン、ツーと跳び越えた。
「よしっ! よくやったぞ! ウラヌス!!」
障害を跳び越えるたびに、トレーナーは笑顔になる。
今は必死で自分がどんな顔をしているか分からないけど……
『笑え』
前にトレーナーが言っていたように、そして今のトレーナーのように、私も笑っているはずだ。
「よし、跳べ! ウラヌス!」
トレーナーの号令で、ついに最後の160cmの大障害を跳び越えた後、審判は競技終了を告げる旗を上げた。
「日本のタケイチ・ニシとウラヌス、減点、暫定8位!」
1位には届かなかったけど、8位……それは、100を超える参加者の中では栄誉ある「入賞」を意味していた。
※史実解説『跳べ、ウラヌス!史実紀行』の第二話はこちら
(第二話読後の閲覧がおすすめです)
#2「西とウラヌスの出会い、ヨーロッパ転戦」
→https://note.com/hal_sorami/n/n45cc64407b2c