『第3の使徒殲滅には成功した様だな。碇ゲンドウ。』
薄暗い空間の中に、重々しい声が木霊する。
机に肘を掛け、顔の前で両手を組んでいる碇ゲンドウは、眼鏡越しに自分に話しかける人物を見つめた。
……暗い空間に揺らめく
『コレで一つ、《神々》との契約が進んだ。喜ばしい事だ。…私は君達ネルフを誇りに思う。』
「……光栄です。キール議長。」
ピクリともせずに応えるゲンドウ。……その目は、メガネのレンズの反射で良く見えない。
『ーーーーだが。』
ホログラムの男ーーーー『キール・ローレンツ』は、少し身を乗り出す様にして話し始めた。
『ーーーーコレから先も使徒は訪れる。分かっているな??……現状、我々〈人類補完計画実行委員会〉に建造計画があるのは、五号機までだ。今は一機たりともエヴァを失うな。〈初号機〉〈零号機〉ともに、常に万全な状態にしておけ。』
キールからの念押しに、ゲンドウは手を組んだまま口を開く。
「承知しています。ご安心ください。」
『なら良い。ーーーー要件は以上だ。……キミから何か報告はあるか?』
キールの問いにゲンドウは静かに答えた。
「……質問ですが、〈弍号機〉の実戦配備はいつの予定でしょうか。」
ホログラムの向こうで、キールが顎に軽く手を当てた。
『ふむ。……まだ先、としか言えんな。既にパイロットは決まっている。現在、最終調整中だ。ーーーー暫し待て。』
「…了解です。」
微かに頷くゲンドウ。
それを見て満足した様にキールは頷くと、そっと自分の手を胸の前で組んだ。ーーーーまるで、祈る様に。
『ではコレで第十七次中間報告は終わりとする。………
「…シナリオ通りに。」
パッとホログラムが消え失せ、ゲンドウの居る部屋に煌々と電気が点く。
……凄まじく広い部屋の中にあるは、たった一個の椅子と机。
天井や床には幾何学模様のような物が、びっしりと書かれている。
「…神々のシナリオ、か。」
ゲンドウの隣で、いつの間にか部屋の中に居た冬月が呟いた。
「ーーーーそのシナリオには、人類の未来は含まれているのかね?」
ゲンドウは手を組んだまま呟く。
「少なくとも、老人どもはそう信じている。」
冬月はため息をついた。
「まったく。掌の上で踊らされている人形の気分だよ。」
「……今はそれで良い。精々、踊っていれば良いのだ。私にとって人類の未来など、さしたる問題では無い。私にとっての全てはーーーーーーーー」
前を見詰めたまま呟くゲンドウの組んだ手に、確かな力が篭った。
「ーーーー『ユイ』………ただ1人だ。」
◇◆◇
(………結局、父さんは会いに来なかったな。)
ネルフの廊下をミサトに連れられて歩きながら、シンジはぼんやりとそう思った。
「どうしたのシンジ君?ーーーー顔色が優れないわよ??まさか、何処か悪ーーーー」
「違いますよミサトさん。」
また心配そうな声で何かを言いかけたミサトを、シンジはそっと遮る。
「別にどこも痛くは無いです。ーーーー寧ろ、体はスッキリしてますよ。」
「あら…そう。」
ミサトは少し安心したかの様に頷く。しかし、直ぐにまた話しかけて来た。
「ーーーーじゃあ、なんでそんなに暗い顔を??」
「…………。」
ーーーー父さんが来てくれなかったから。ーーーー心配してくれなかったから。……そんな事を言うのは、なんだか子供っぽい気がしてシンジは黙ってしまう。
しかし、ミサトは何かに勘付いたかの様に声を落とした。
「お父さんの事?」
「…まぁ……はい。」
曖昧に頷くシンジ。そして、彼は静かに話し出した。
「今日、ミサトさんは来てくれたけど…父さんは来てくれなかった。ーーーー僕は父さんに言われてエヴァに乗ったのに……。」
「…………。」
黙って話を聞いているミサト。…彼女が何も言わないからか、シンジはどんどんと話していく。
「ーーーー僕は昔、父さんに置いて行かれたんだ。……止めたのに、父さんは振り向いてくれなかった。行ってしまったんだ。僕を置いて。僕の事なんかどうでも良いんだ。…今日だって…!」
少し口調が強くなった事に気付かないまま、シンジは半ば吐き捨てる様にその言葉を口にした。
「ーーーー父さんは僕の事が嫌いなんだよ…!!」
「シンジ君…………。」
ーーーーミサトの唖然とした呟きが、ネルフの長い廊下に微かに響いて消えた。
◇◆◇数時間後◇◆◇
〈ネルフ職員用集合団地・E-013号室〉。
そうタグに書かれた小さな鍵を持って、シンジはミサトの運転するオンボロアルピーヌの後部座席に乗っていた。
時刻は既に夕方。
真っ赤な空に、薄紫に染まった雲が流れている。
「ねぇシンジ君?」
「……なんですかミサトさん。」
景色をボーっと眺めていたシンジは、不意にミサトが話しかけて来たので顔を前に戻した。
…バックミラーに映るミサトと目が合う。
「本当に良かったの?……1人で団地に住む事にして。」
「えぇ。1人には………慣れてますから。」
シンジは静かに頷いた。手の中で団地の鍵がチャラ…と鳴る。
彼の声を聞いたミサトは、眉をムッと顰めた。
(なんというか……暗い達観…って感じね。……こんな子がこの調子で1人生きて行ったら、いつか鬱になるじゃ無いかしら…!?)
それは困る。ーーーーそうミサトは思った。
何故この少年にそこまで肩入れをするのか自分でも良く分からなかったが、兎にも角にも『この少年を放ってはおけない。』……そうミサトは直感的に感じたのだ。
(ーーーー思い立ったが吉日、よね…。)
そう心の中で呟いたミサトは、素早くアルピーヌをUターンさせる。
「ミサトさん……?」
急に方向転換したせいか、頭に疑問符を大量に浮かべているシンジに向かって、ミサトはパチンとウィンクをして口を開いた。
「シンジ君、予定変更よ。ーーーー私と一緒に住まない???」
「えっっ???」
シンジは、飛んできた見えない何かを避けるそぶりを見せながら、目を丸くするのだったーーーーーーーー。
◇◆◇
ーーーーガチャリ
ドアノブの回る音がして、暗かった部屋に夕日の光が差し込む。
「はい。此処が私の家よ。…とは言っても、おんなじ集合団地の一室だけど。ほら、入りなさい?」
「し、失礼します……。」
恐る恐ると言った感じで、玄関に足を踏み入れるシンジ。
それを見たミサトは軽く苦笑した。
「……ふふ。」
「?」
ミサトの苦笑の意味が分からず、首を傾げるシンジ。
そんなシンジの背中を、彼女は軽く押す。
「シンジ君?……此処はもう、貴方の家になったのよ。そんなに畏まらなくったって良いじゃない。」
「…あ。」
不意をつかれたかの様に、小さくシンジは口を開ける。
そして、ミサトと目の前に広がる部屋を交互に何度か見た後、おずおずとシンジは言葉を放つのだった。
「た……ただいま。」
「ーーーーえぇ。おかえりなさい。」
……ミサトの静かで優しい声が、彼を出迎えて包み込んだ。
ーーーーシンジにとってその言葉は、とても暖かかった。
……誰がシナリオを書いているのやら。