──もういつの事だったかもわからないほど昔、災厄を詰め込んだ箱とそれを開けた女の話を聞いた事がある。
「ん、機体反応……? こんな場所でだと?」
コーラルをめぐる争いの主戦場が海の向こうになった今、わざわざこちらに戻っている奴が居るなどとは。
いったい誰だという興味本位で、彼……ベイラム・インダストリーが所有する部隊『レッドガン』の一員である
そこに居たのは……。
「……クク、はは……面白ぇところで出会うじゃねぇか、野良犬ぅ!?」
初めて出会った多重ダム襲撃のミッション……奇遇にも、今居るこの場所付近の話だ……では、突然背後からこちらに銃を向け、辛酸を舐めさせられた憎い相手。
相棒であった
独立傭兵『レイヴン』……なぜ海を渡ったはずの奴がこちらの大陸にいるのかは分からないが、イグアスにとっては絶対に認められない相手が、そこに居た。
──当時はそんな物語を聞いても、ただ馬鹿な女だと思っただけだった。そんな訳のわからない怪しいものを、好奇心に負けて開けてしまった馬鹿な女。ただそれだけの感想しかなかった。
操舵桿を押し込み、アサルトブーストを起動。
愛機『ヘッドブリンガー』背部の推進器が瞬時に限界まで火を吹き、猛烈なGによりイグアスの体はシートに押し付けられる。
レッドアウト寸前の次回の中で、みるみる敵AC『レイヴン』の機影がモニター越しの眼前に迫っていた。
このままでは衝突するという極限状況の中で……イグアスはむしろより一層スロットルを吹かして、全推力を乗せた蹴りを放つ。
「今度こそテメェはここでくたばりやがれ、野良犬ッ!!」
当然、奴がこんなものに当たるはずがない。
ただ、向こうがそれに気づいて反撃してくればそれも良し、口実を得て今度こそどちらが上かを思い知らせてやればいい。
ただの物騒な挨拶──そう、そのつもりだった。
誤算だったのは……いつもならば異様な勘の鋭さを以てこちらの接近に気付いて対処に移っていたはずの『レイヴン』が、今回に限ってなぜか一切の回避行動を取らず、イグアスの繰り出した蹴撃の直撃を食らった事だった。
──だけど。ある時、ふと気付く事になったのだ。
「は──なんだよそりゃあ!? 居眠り運転でもしてんのかテメェ野良犬ッ!?」
飛行中に横から全推力を乗せた一撃をまともに受けて、一切の抵抗も無く吹き飛び、地面に転がって動かなくなった『レイヴン』に、むしろ焦っていたのはイグアスの方だった。
「くそ、認めねぇぞこんなまぐれ当たりな勝ち方! おいこら野良犬、まさか死んでねぇよなこの野郎!?」
彼は盛大に慌て散らしながら『レイヴン』の機体側に降り立ち、自機『ヘッドブリンガー』のコックピットから飛び出して、倒れ伏しているレイヴンのコアに取り付く。
「くそ、何だって俺は、こんな事をしているんだ……!」
悪態を吐きながら、緊急ハッチ解放スイッチを探し出す。
旧式の、作業用らしきものを改造したらしきコアパーツだったのが幸いし、スイッチは比較的わかりやすい場所にあったためすぐに見つかった。
躊躇いなくカバーを開いて押し込むと、炸裂ボルトが作動してコックピットハッチが強制解放される。
ここでイグアスはふと、いけすかない野良犬の面を拝める事に気付く。
何なら、しょうもない一撃を無様に受けたことを嗤ってやれる機会だと、イグアスは思わず口元を歪めるが、しかし。
真っ先にハッチ内に見えたのは、無数の、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされたコードの束。
コックピット内の様子が、イグアスの知っているACのものとだいぶ違う。
「……あ? なんだ、この邪魔臭ぇコード類は……こんなんで操縦なんてできんのかよ、おい、野良犬?」
恐る恐るハッチ外から呼びかけてみるが、返事はない。
それどころか、ハッチの外から見える範囲では、コックピット内に姿が見当たらない。
まさか無人機……そんな疑問が鎌首をもたげながら、イグアスは身を乗り出して中を覗き込む。
そこに、居た。
思っていたよりも遥かに低い場所に、
イグアスが何度も辛酸を舐めさせられた傭兵『レイヴン』の、初めて見るその姿は……しかし、彼の期待していた、これまで溜め込まれた鬱憤を晴らしてくれるようなものではなかった。
「嘘だ……嘘だろ、こんな奴が……うぐっ!?」
コックピットシートに倒れ伏していた存在の、あまりな歪さに、喉の奥から酸っぱい液体が競り上がってきたのをどうにか手で押さえて無理矢理に嚥下する。
まるで地面がなくなったような感触に、立っていられず膝をついてしゃがみ込む。
小さかった。
体積など自分の半分どころか三分の一も無さそうなほど、あまりにも小さなその姿は。
「こんな……こんな奴に……俺は……ッ!?」
それは──どう見ても子供だった。
全身のあちこちに包帯のようなものを巻いた、機械に無数のコードで接続されている、痩せ細った
それが、独立傭兵『レイヴン』の機体内で、ボサボサの銀髪を血で染めて、頭から流れ出た血で顔を半分深紅に染めて、倒れていた。
──そう、自分はこの時知ってしまったのだ。自分の世界を変えてしまう……あるいは破壊してしまう箱を開けてしまうのは、やはりほんの些細で迂闊な好奇心だったのだ、と。