ディシアはいいぞ
─スメール西部、キャラバン宿駅。
月のよく見える夜だった。砂漠と街の中継地点として賑わうその街のある建物の屋上に、2人の男女が居座っていた。
「…おいディシア。」
「なんだ、アドルフ?」
そこにいる2人の服装は対照的であった。
ディシア、と呼ばれた女性は動きやすさを重視した、この地方ではよく見られる服装をしている。赤と黒のコントラストが鮮やかなその服装は、彼女の美貌をよく際立たせていた。
そしてもう片方、アドルフと呼ばれた方はこの場にはあまりにも不似合いな服装をしていた。彼は腰に青い宝石、つまり水元素の神の目をつけ、隣国の、つまりフォンテーヌによく見られる
2人に共通することといえば、両者共に同じ紋章を入れていることだろうか。ディシアは自身の持つ装飾品の中に、アドルフは首に締めた真っ赤なネクタイにそれぞれ同じ紋章が入っている。それは彼らの所属する傭兵団─【熾光の猟獣】の証であった。
同じ傭兵団に所属する仲間にして戦友。そんな関係の2人は今、眼下で盛り上がる街の様子を眺めながら、人気のない屋上で酒を酌み交わしていた。
「なんで俺のところに来るんだ。お前はもっと派手なところの方が好きだろう?」
「そんな事ないさ。あたしだって静かに飲みたい時はある。…あたしが来るのは迷惑か?」
「…迷惑ではないが。」
訂正、別に酒を酌み交わしているわけではなく、先に飲んでいたアドルフの元にディシアの方が押しかけてきただけらしい。
「ただ俺はこの肉を独り占めしたいだけだ。」
「はいはい、ならあたしはそれに手をつけないよ。それでいいだろ?」
「それならいい。好きにしてくれ。」
そんなことを言いながらも、2人は手元の酒と料理に手を伸ばし続ける。下では多くの人が騒いでいる中、2人のいる屋上はそれから無縁であるかのように、静かな時間が流れていた。
「…それで、だ。アドルフ。」
「なんだ?」
「今日は何があったんだ?」
何か理由がないとお前は酒を飲まないだろ?ディシアにそう聞かれたアドルフは、その品のある服装に反してチキンを骨まで齧り尽くすと、行儀悪く油でテカる指を舐めた。そのまま杯を持つと、勢いよく一気に傾ける。
「何もねえよ。ただ…この格好のせいで随分と舐められただけだ。敵にも雇い主にも、な。」
「なるほどな。だからあれほど着替えろって言ったんだ。」
「ぬかせ。俺に
笑いながらそういうディシアとは対照的にそう吐き捨てて、アドルフは再び杯を呷った。
昔、それこそアドルフがディシアと同じ傭兵団─【熾光の猟獣】に所属することになった際、自分たちと同じ服装にしてはどうかと提案したのだが─結果は今語った通り。色白で細身な彼が着ると、どうも服に着られている感じがすごいのである。そのせいで散々ディシアや旅団のメンバーに笑われ、アドルフは二度とその服装をしないことに決めていた。
「はは、すまんすまん。だけどさ、アドルフ。」
「なんだ?」
「最後にはキッチリ見返したんだろ?」
ニヤニヤと勝ち気な笑みを浮かべてそう言ってくるディシアに対して、アドルフもまた口角を吊り上げた。
「当然だろ。襲ってきたやつは全員キッチリボコしたからな。お陰でチップもたんまりだ。」
最初は見た目からか小馬鹿にしたような雰囲気をしていた依頼主も、アドルフの戦いを見ているうちに最後にはその雰囲気を消していた。最後には最初の不信感はどこへやら、これからもよろしく、なんて言って大袈裟にチップを握らせてきたほどである。
「ならいいじゃないか。何が不満なんだ?」
「最初に舐められたのがムカつく。」
「正直だな。」
カラカラと笑ってディシアも杯を傾け─首を傾げた。どうやら空だったらしい。そして今度は酒の入っていた瓶を掴んで注ごうとして─その整った眉根を顰めた。どうやら彼女の持ってきた酒は、いつの間にか瓶ごと飲み切っていたらしい。
「アドルフ。」
「酒はやらんぞ。」
「ケチか!ちょっとくらい分けてくれよ!」
ピチョン、ピチョンと水滴のみを滴らせる酒瓶に見切りをつけ、ディシアはアドルフに酒をたかる方針に切り替えたようだ。ディシアは知らぬ顔して酒を飲むアドルフの肩に手を回すと、酒を分けろと催促し始める。
「…離れろ。」
「嫌だね。」
肩に回されたディシアの腕と、彼女から漂う華やかな、香水か何かの香り。ディシアが薄着であるが故に、彼女の普段の力強さからは想像もできない柔らかな肢体を感じてしまい、アドルフは頬を赤らめた。それを分かっているのか、それとも酒のせいか、ディシアも若干頬を赤く染めたままアドルフの側で酒を催促し続ける。
「…はあ。一口だけだぞ?」
「よしきた!さすがアドルフだ!」
「いや飲み過ぎだろ。ったく…俺以外にやんじゃねえぞ?それ。」
そうぶつくさ言いながらもアドルフはディシアに杯を手渡した。ディシアは嬉しそうにそれを受け取ると、勢いよく傾ける。それに合わせてディシアの形の良い喉がリズム良く揺れた。
「っぷはあ!美味い!もう一杯!」
「舐めんなやらんわ!高いんだぞそれ!てか一口だけって言っただろうが!」
「気にすんなよそんな事。…それとアドルフ。」
「なんだ?」
悲しそうな顔で空になった杯に酒を注ぐアドルフに、再びその肩に腕を回したディシアが言った。
「さっきお前は『俺以外にするな』って言ったけど、…こんなのお前にしかしないさ。」
「…は?」
その言葉にアドルフの心臓が跳ね上がる。心臓がバクバクと音を立てるのを感じながらも、ただでさえ近いところにあるディシアの整った顔に目が行き─
「他のやつは臭いからな。いやマジで。」
「…ああ、そういう理由ね。知ってた。」
一瞬で冷めた。
そもそも傭兵とは基本的に風呂に入らない、いや入れない仕事であり、それは砂漠で活動していれば尚更だ。彼らは1週間とか10日間風呂に入らないなんてのはザラにある。例外とすれば、アドルフのような水元素の神の目を持つ者たちくらいだろう。そう言った限られた人物は、水のない砂漠でも汗を落とすことができる。
「だろ?だからしない。」
「…はい。さいですか。」
「どうした?なにか期待したのか?」
「してねえ!」
未だに側に座るディシアに憮然とした表情でそう吐き捨てて、アドルフは酒を呷った。半分ほどまで飲み干し、杯から口を離す。すると即座にディシアに杯を奪われた。
「…俺の酒…。」
「美味い!…なあアドルフ。」
「なんだ?」
ディシアはそう言うと、もはや酒を諦めつつあるアドルフの耳に口を寄せ、囁いた。音が発せられる度に、ディシアの吐息がかかる。不思議とアドルフにはそれが酒臭いとは感じなかった。
「それ抜きでもお前にしかしないって言ったら、どうする?」
「………は?」
肩に回された細く、しなやかな腕の感触と、耳にかかる甘い吐息。酒のせいで頭がボーッとしている彼にとってこれはあまりにも刺激的だった。そのまま少しだけど彼女から距離を取ると、ディシアのアイスブルーの瞳を覗き込む。アドルフの紅い瞳と、ディシアの蒼い瞳がぶつかり合った。
「おま、それ、どう言う…」
「さあな。あとは自分で考えな。」
動揺するアドルフに、ディシアは笑ってそう言った。そしてアドルフの側に身を寄せたまま腕だけ外すと、周りの喧騒に耳を傾けた。気が付かなかったが、周りは先ほどまでよりもずっと盛り上がっているようだ。
「そうだ、明日ドニアザードお嬢様のところ行くんだけど、お前もくるか?」
「……例のお嬢さんか。」
「そうだ。お前の話したら、フォンテーヌの話聞きたいって言っててな。どうだ?」
「なら行くとしよう。スメールシティにもしばらく行ってないしな。」
2人しかいない酒場の屋上で、たわいない話に興じる。傭兵なんて明日の命が保障されていない仕事をしている彼らにはそんな時間ですらが値千金の代物だった。
そうして熾鬣の獅子と過ごす夜は穏やかに更けていく。宴の和から外れた2人を見ているのは、砂漠に輝く星々だけだった。
アドルフ
フォンテーヌ出身という異例の経歴をした傭兵。
細身のくせして鉄パイプと神の目を武器に躊躇なく殴り込む。
ディシア
強く気高く美しく。
エルマイト旅団の華たる傭兵。