「ヤブサくん、こんにちは。」
「サザレさん。」
昨日の今日で店じまい。
キッチンだけは片付けて、祭りに行こうと思っていたところ、常連になってくれたサザレさんが訪れてきた。あの日以降、歳の近いこともあってか、サザレさんとは意気投合。主に彼女の写真談義を聞きながら、一杯ひっかけている仲である。
「ゼイユくんはいないね。よかったぁ…。」
肩を落としてため息をつくサザレさん。
落胆というよりは安心に近い。あの日以降、ゼイユと俺の関係を面倒にしたくないらしく、あまり二人っきりの時は来ない。なんというか、青春は大切に…らしい。
「もうすぐ来ますよ。祭りの待ち合わせで。」
「え?…そりゃあまずいね。こんなところ見られたら勘違いさせちゃう。」
「はっはっはっ。まぁ、その時はなんとか繕いますんで。」
「できないでしょ?」
「できないですね。」
などというとサザレさんから出るのは落胆のため息。時間は大切になんて言うくせに酔ったら二人の空間が、時間がぁ〜。なんで説教が始まるから結構、異性というより気の砕けた友達に近い。…いや、小姑か。
「で?なんのようですか。」
皿を洗いながら、水を入れたグラスをカウンターに置く。笑顔で感謝を述べたのち、俺の方を見る。
「…ヤブサくん、女性ものの浴衣なんて持ってないよね?」
「はい?」
…なんというか、変な声が出た。
女っ気なしで二十数年。持っているわけがない。
「いやさぁ。せっかくの祭りだし、インスパイアになるかなぁ…なんて思ってたりしてたんだけど、私だけジーパンにこれだと浮いちゃうかなぁって。だから、この町で頼れそうなキミのところに来たんだけど…。」
「あったら問題でしょ。…俺のなら何着かありますけど。」
「どうだろう。流石に大きいかなぁ。」
…サザレさんよりゼイユの方が上にデカい事実。そのゼイユより少し俺の方が大きいのだから、サザレさんからすれば一回りデカい甚平を着ることになる。ブカブカどころの騒ぎじゃない。
「それに、そんなことしたら件の彼女が嫉妬しちゃうじゃないか。」
「…嫉妬してるゼイユって可愛いんですよね。」
「キミ、さては悪い子だな。…しかも、告白も済んでないんだろ?ただの変態じゃないか。」
「そこまで言います?」
…サザレさんって結構ずっぱり言うからなぁ。もう慣れたけど。サザレさんのため息が一段と深くなる。目も少しじとっとした目。
「あんまり意地悪ばっかりしてると愛想つかれちゃうよ。」
「…それは勘弁ですね。」
兄弟も母親も…ましてや、友達もいなかった俺だ。ゼイユやスグリまでいなくなったら、悲しいにも程がある。
「よぉし、その時は私の助手として雇ってあげよう。」
「揶揄ってますよね。」
「ふふっ。うん。キミといると飽きなくていいねぇ。」
「こっちは変な汗かいちゃいますよ。」
元気に笑う彼女を見てると四六時中働く自分が嫌になる。なんてわけでもないが、自由な彼女をいいなぁと思う自分もいないわけではない。さっぱりとしているが、実のところ腕白で。友達としても相談相手としてもいい人間ではある。
「一応、持ってきたんで着てみてください。」
「…お、おおぅ。大きいな。」
「そりゃね。」
1.5倍くらいありそうな。
「…もう一サイズ下があるんで、それ着てってください。」
「お、ヤブサくん。結構、できる男だね。」
「いや、ゼイユが財布は多い方がいいと。」
「…お説教しておいて。」
それはもう済ませてある。というか、ゼイユの試着に付き合わされた方のみにもなっていただきたい。散々こちらを振り回した挙句吐いた言葉が「婆ちゃんちにある方がいいわ」だった俺の心境を。流石に少し怒った。
「はい。濃紺の甚平です。俺の選んだもんなんで似合うかどうか。」
「うん。ありがたく頂戴するよ。…ていうか、そこまで私にして大丈夫?ゼイユくん、怒ってこないわけ?」
「…ゼイユには手袋を。それで我慢してくれただけ大人になってくれました。」
…この祭りでどれだけ散財するかはわからないが。
「しかし、デートの傍ら、私を子守にするんだよね。すっごい精神。まあいいけどさー。奥借りるね〜。」
「どうぞ。」
サザレさんに出したコップを片付けながらそう言う。
…知り合いの中でサザレさんはまだ個性の薄い方だ。ゼイユなんか、煮凝りみたいな性格しているし。顔面600族には慣れているし。
「どうかな?似合ってる?」
数分後、着付けをしてきたサザレさんが奥から現れる。そろそろ座敷としてお客さんに開放しようと思ってる…畳床の部屋だ。さて、サザレさんの甚平姿に対してだが…。
「よくお似合いですよ。」
「ふふ。ありがとう。…君はそれで行くのかい?」
「…勿論、甚平で。」
郷に入っては郷に従え。祭りに行くなんて初めての試みだが、流石の俺もジーパンで行くような下手は打たない。ムードが台無しだ。
黒と赤の甚平。まるで花火のような…そんな柄がとても綺麗だ。
「似合うか。ありがとう。」
キュウコンも偉く喜んでいる。彼女の耳にも桜のかんざしを添えて。普段、出不精の彼女にも少しはお洒落とやらをさせてやろう。
「いたっ。」
…手を噛まれた。
「どう…おっと。」
サザレさんに感想でも聞こうと出たが、遅かったようで。すでに店には甚平に着替えたスグリとアオイちゃん。そして…此方を見るゼイユの姿があった。
「…ふふ。じゃあ、助手くんとスグリくんは一緒に行ってようか。二人は後からごゆるりと…ね。」
「…すみません。よろしくお願いします。」
一応はスグリたちの保護者的な立場だ。にっと笑うサザレさんにスグリとアオイちゃんを任せる。彼女らが先に店から出て行った。…これは今度何か奢りで食べてもらおう。
さてと、晴れて二人っきりなわけだが…。ゼイユは目を大きく見開き、動かない。
「ん?どうした?」
「ひゃわっ…ちょっ…近いっ!!」
「ぐっ!?」
顔を近くに寄せたら、ビンタを食らってしまった。やれやれ。いくつになっても変わらないもんだ。
「あ…えっと…あ、あんたが悪いんだからね。」
プクッと頬を膨らませて、そっぽを向くゼイユ。若干頬を赤らめて照れているようにも見える。…こういうところもゼイユだ。
「ほら、行くぞ。」
「え、あ、ちょっ!?」
ゼイユの手を優しく握る。俺なんかの無骨な指や手なんかとは違い、とにかく細い。力を入れたらポッキリと折れてしまいそうで…。
「…あ、アンタ…色々急なのよ…。」
いつもの強気な態度はどこへやら。しおらしい声と共にゼイユの方を見ると握られた手をチラチラと見ながら、顔を赤らめていた。…しまった。いきなりはダメだったか。
「悪いっ。痛かったかっ……え?」
バッと手を離す。
少し確かに強く握りすぎた感は否めない。…謝ろうとしたその時だった。ゼイユの方から俺の手を握り返してきたのである。
「…誰もやめろなんて言ってないけど?悪いと思うならこのまま握ってなさい。」
「…はいよ。」
いつもの顰めっ面で、そっけなく吐かれるそんな言葉だったが、特段嫌には感じなかった。別にその手の趣味があるわけじゃない。キュッと握ると向こうからもキュッと握り返される。店の外に出れば、田んぼの緑稲を靡かせるように風が吹く。それによってゼイユの髪が俺の顔の方へ流れる。
ふんわりと香る香りはいつものものとは違って、何処となく優しい甘さが鼻の奥でふんわりと香った。
「香水、変えた?」
「ヤブ兄、鼻いいわね。…今日はその…お祭りっ!でしょ?…だから、ちょっと変えてみたわけ。」
繋いでない方の手で指を髪に絡めて、そう言うゼイユ。鼻がいい…か。いつも一緒にいるから覚えた…なんて気色の悪いこと口が裂けても言えないだろうな。
「…で?ヤブ兄、何か言い忘れてない?」
「…わかってるさ。似合ってるよ。すっごく。」
元々美人なゼイユにサザレさんのものより明るい紺色の甚平はとても似合っている。出るとか出てないゼイユのスレンダーな体にはとくに。
…いつもならば、「でしょ、わかってるじゃない」だとか「当たり前でしょ」とか。自信満々な言葉が飛んできただろう。
「…あ、ありがとう…。ヤブ兄も…か、カッコいいわよ…。」
だいぶと照れているのか、顔をカジッチュのように真っ赤にして、少し下を向いていた。声もだんだんと小さくなっている。
「…お、おう…。」
なんだかこっちも恥ずかしくなってくるな。
…顔から火が出そうなぐらい熱い。少しだけ二人とも無言な時間が続く。
キタカミセンターとは真逆の方向に店がある為、少し歩くことになる。甚平姿でバイクは…ダメだな。折角の仕立てが水の泡、砂埃で汚れてしまう。
「…初めてね。こうやって二人でお祭りくんの。」
「スグリたちも一緒だけどな。」
「あの子たちはあのサザレとかいう女が見てくれてるから。でも、いいの?私とで。」
…珍しい。自己肯定感の塊のようなゼイユからそんな言葉が出るなんて。
「なんでだ?」
「サザレって女と仲良いじゃない。私よりもあっちがいいんじゃないの?」
「…あのなぁ。」
ため息が出る。ゼイユはムッとした表情で俺の方を見るばかり。
「…俺はお前と回りたいの。好きなんだろ?この祭り。だったら、知ってるやつと回った方がいいじゃん。楽しめるからよ。」
「…そんな理由?」
「それでいいだろ。」
期待した答えじゃなかったのか、ゼイユの頬の膨らみが大きくなる。どうせ、サザレさんと一緒にいたのが気に食わないとかそんなところだろう。まだ早いってのに…。
「楽しみにしてたんだからさ。…楽しませてくれよ。ゼイユ。」
「…わかったッ!!わかったわよ…!全く。」
笑いかけてやればプイッと横を向いてそう叫んでくるゼイユ。何処か呆れているように見えた。そうこうしているうちに目の前には大階段が見えてくる。こうなれば、キタカミセンターへはもうすぐだ。
「…私も…楽しみにしてた。」
そう呟くと手に握られた感触が強くなる。
「そっか。」
その言葉を聞けて嬉しい限りだ。